はてなキーワード: CSEとは
エンジニアを名乗ると大多数を占めるソフトウェア以外のエンジニアから罵詈雑言を浴びせられるので自分の職業を名乗る時はソフトウェアエンジニアを呼称しているんだがいかんせん長い。
SEと略すと日本ではシステムエンジニアで上流下流という枠組みの上流担当を意味してしまうし、かといってプログラマーだとやっている仕事に比べて指し示す範囲が狭すぎるのでそれも正確ではない。
個人的にはシステムエンジニアという呼称が滅びてSEがソフトウェアエンジニアを表すようになってほしい。
大体システムって本来はコンピューターシステムだけじゃないんだから、コンピューターシステムエンジニア、略してCSEとでも名乗っておけと思う。
https://next.rikunabi.com/journal/20181101_p01/
リクナビNEXTでランキング上位に入り注目を集めているこの記事だが、その内容には致命的な誤りがある。
まず一つ目、DevRelの定義だ。
DevRel(デブレル)とは、Developer Relations (デベロッパー・リレーションズ) の略で、テクノロジーを提供するベンダー(マイクロソフトやGoogleなど)が、開発者と良好な関係を築くことを目的とするマーケティング活動である。
「良好な関係を築く」というのは曖昧な表現だが間違ってはいない。しかし
「DevRelは、その名の通り、開発者との関係性が重要です。マイクロソフトのデベロッパー分野の窓口として、皆さんの声を直接お聞きし、製品に活かしたりドキュメントを用意したりして、より生産的に開発できるよう働きかけることがミッションの一つです。つまり、DevRelとは、開発者の皆さんと『一緒に』創っていく人たちのことです」
これは違う。DevRelは活動であり人ではない。言い間違えたか書き起こしを間違えたのかも知らないが、これでは定義を理解していないと思われても仕方ないし、最重要なキーワードなのに矛盾した定義を見逃す編集者も謎だ。
二つ目はここだ。
はてそんな意味はあっただろうか。安心と信頼のMerriam-Websterで調べてみよう。
https://www.merriam-webster.com/dictionary/advocate
Definition of advocate (Entry 1 of 2)
1 : one who pleads the cause of another
2 : one who defends or maintains a cause or proposal
3 : one who supports or promotes the interests of a cause or group
Definition of advocate (Entry 2 of 2)
transitive verb
: to support or argue for (a cause, policy, etc.) : to plead in favor of
intransitive verb
名詞の方は、一つ目は「主義・主張を代弁する人」、二つ目は「主張や提案を弁護する人」、三つ目は「特定の集団か主義の利益になるよう働きかける人」という意味だ。
「鼓舞する人」というのはだいぶ意味合いが違う。鼓舞するならinspiratorとかになると想像がつきそうなものだが、なぜその意味が近いと思ったのだろうか。DevRelとアドボケイトは記事の肝心となるはずの言葉だが、どちらも説明に不備があっては話の筋が崩壊しかねない。
エバンジェリストからアドボケイトになったとのことだが、エバンジェリストについての記述も詰めが甘い。
https://twitter.com/ayatokura/status/1021190099747262464
今年度は国内では、マイクロソフトのエバンジェリスト(西脇サン除く)という役職は消え、元同僚はソフトウェアエンジニアや別の役職へ転身するかたちに
つまりその時点でエバンジェリストという肩書きは消滅した。つまり
CSEのエバンジェリストが担当企業を訪問し、必要に応じハンズオントレーニングを行い、そのあとは数日間部屋にこもって一緒に実プロダクトの開発を一気に進める。いわば担当企業向けの特別なハッカソン。
したがって「CSEのエバンジェリストが」というのも明らかに矛盾した表現である。インターネットミームにされたり詐称されたりして可哀想な言葉だ(好きか嫌いかでいえば嫌いな言葉だが)。
DevRelやアドボケイトというのはそこまで普及していない言葉で、不思議に思っていた人も多いだろう。そんな中公開されたこの記事は、人々に誤解を植え付ける結果を招いた。
http://www.nytimes.com/2010/05/02/opinion/02edmundson.html?scp=2&sq=pink%20floyd&st=cse
「じゃあ、学校を出たら、何をするつもり?」
卒業を間近にしたバーモントの田舎の大学で、少なくとも十数人のクラスメイトに、私はこの質問を聞いてまわった。友人たちの答えに、私はとても安心した。特に何もないさ。羽根をのばすんだ。ぶらぶらするかな。考えたいことが色々ある。まずはゆっくりするよ。1974年だった。誰もが、そういう風に話すのが当たり前の時代だった。
実際のところは、友人たちは本当のことを教えてくれなかったのだ。見方によっては、とんでもない嘘をつかれた、とさえいえるかもしれない。卒業式の日までに、同級生のほとんどは、ロースクールや大学院に進んだり、ニューヨークやサンフランシスコで、クールで貴重なインターンシップをはじめることがわかった。
でも、私の場合は、本当にゆっくりすることにした。5年のあいだ、私はあちらこちらを点々として、何もしなかった。正確には、どうしても必要だったとき以外、できるだけ、何もしなかった。タクシーの運転手、映画フリーク、コロラドの山男、バーモントにあったクレージーなヒッピー学校の教師、映画館の支配人(これは、ほとんど仕事がなかった)、船の乗組員、ディスコのドアマン、そんなことをやっていた。
そのなかでも、ジャージー・シティの音楽プロダクションでやったステージクルーの仕事が、一番思い出深い。職場はルーズベルト・スタジアム、芝生席もいれると6万人を収容する、古い、化け物みたいな箱だった。トラックからアンプを引っぱりだし、ステージに設置する。6時間かそこらしたら、トラックに戻す。これを私は、グレイトフルデッド、アリス・クーパー、オールマン・ブラザーズのライブでくりかえした。クロスビー・スティルズ・ナッシュのステージは、ちょうど、ニクソンが大統領を辞めた日の夜だったのを覚えている。けれども、私にとって、一番思い出深い仕事での一番の思い出は、ピンクフロイドが出演した夜に起きた。
ピンクフロイドは、サウンドに相当のクオリティを求めていた。ステージ上のアンプは、縦にも横にも、周囲を威圧するほど積みあがり、パリ・コミューンのバリケードのようだった。それだけでなく、スタジアムの高い位置3か所にも、ピンクフロイドはアンプを集めて設置するよう要求した。それで、私は午前中ずっと、オンボロスタジアムの階段で、どでかい木製のアンプやら配線機材を運びつづけた。
仕事はもうひとつあった。パラシュートの形をした絹製の白いキャノピーが、ピンクフロイドのステージには必要だった。設置には6時間かかった。私たちが聞いたところでは、キャノピーを使うのははじめてで、ピンク側のスタッフも、どうしたらいいかよくわかっていなかった。設計図らしきものはあったが、あまり役にたたなかった。だが、「アメリカの知恵」をもってして、キャノピーはなんとか屋根の形に膨らんでくれた。「アメリカの知恵」とは、つまり、ロープをあちらこちらにひっぱったり、手当たり次第に結んでみたりした、ということである。
ピンクフロイドのライブは夜10時にはじまった。ところが、私たちが死にそうになりながら運んだアンプからは音が出なかった。たくさんの人がアンプの上に座ったか、蹴ったか、配線を切ったかしたのだろう。アンプのタワーが沈黙をつづけるなか、ピンクは自分たちの仕事をし、観客は公演の終わりでライターに火をつけた。そして、私たちは、3時間かけてアンプをバラして、トラックに戻した。階段上に残ったアンプは、私たちが作業を拒否したので、お互いをいくらか罵ったのち、ピンクのスタッフが回収した。
あらためていうと、ツアースタッフとステージクルーの間には、ほとんどの場合、何らかの対立があったのだ。あるとき、たしかクイーンのライブだったと思うけれど、クイーン側のスタッフ5人と私たちのクルー十数人が殴り合いになった。すると、騒ぎを聞いて駆けつけたセキュリティまで、喧嘩にくわわった。だいたい、バイカーギャングだったり、空手の黒帯だったり、そういう連中だ。ツアースタッフの方はそれなりにがんばったけれど、ついに勝てないとが分かったらしい。ひとりが、シャンパンをケースごと持ってきて、回し飲みをはじめた。それで、みなが酔っぱらい、幸福感にひたった。
ピンク側のツアーマネージャーは、キャノピーをそっと降ろして、きちんとたたみ、元の木の箱に戻すよう求めた。しかし、キャノピーにはヘリウムガスがたっぷり詰まっていたし、さらに栓がどこにあるのか、誰にもわからないことが問題だった。また、キャノピーをステージに固定した際、私たちがあらゆるところを馬鹿丁寧にきっちり結んだおかげで、それをほどこうとしたら、水夫たちの集団だって頭をかかえたに違いない。誰もが疲れていた。酒を飲んだ人間は、使い物にならなくなった。そして、もう朝4時になっていて、家に帰るべき時間だったのだ。
空飛ぶ枕をどうやって片付けるか、みなで作戦を練るうちに1時間が過ぎた。だんだん、大学のゼミのようになってきた。そこに、私たちステージクルーのチーフ、ジムが登場する。ジムは、私たちはジンボーと呼んでいたのだけれど、お人好しのバイキングの親玉のような人で、どんなときも、何があろうとクルーを擁護した。ギターケースを落っことした私を怒鳴りつけるスティービー・ニックスに、エドマンドソンに怒鳴る権利があるのは俺だけだと、大声で抗議してくれたこともある。そして、ピンクフロイド屋根事件のときも、ジンボーは危機的状況で自分がいつも期待されていることをした。つまり、行動を起こしたのだ。
ジンボーはステージのすみに忍びより、ポケットから折りたたみナイフを取り出して、聖なる屋根を地球につなぎとめているロープのひとつを切りはじめた。私たちクルーの3、4人も、同じことにとりかかる。「おい、なにをしてるんだ!」ピンクフロイド側のチーフが叫んだ。「お前らをぶちのめして…」そこまでいってから、かれはジンボーの手にナイフがあること、クルーの数人も同じだと気付いたのだった。2、3分後、私たちはロープを皆断ち切った。
最後の太いロープが切れたとき、大きなため息のような音がした。すぐには何も起きなかった。また少し待ったけれど、何も変わらない。
しかし、キャノピーはついに上昇をはじめた。白くて柔らかい、贅沢な雲のように飛んでいく。そのとき、地平線から太陽が沸きあがり、キャノピーの絹地も、薄く、柔らかな緋色にかがやいた。熊が腹の底から笑うような、ジンボーがいつも通りの笑い声をあげた。私たちも一緒になって大笑いする。ピンクフロイドのスタッフも同じだった。私たちはまるで、終業式を迎えた日の、学校の子どもたちのようだった。私たちは裸のステージから、大西洋の先へ静かに流れてゆく絹の屋根を見つめていた。何人かは手を振った。
「じゃあ、学校を出たら、何をするつもり?」35年が過ぎて、大学の教師になった私は、自分の学生に同じ質問をする。今日の学生たちは、あまり隠し事をしようとはしない。そして、ロースクールにメディカルスクール、ジャーナリズムやビジネスでの学位、中国での研究留学、日本で英語教師をすれば相当のお金になることなど、いろいろと話してくれる。そういう彼らを、世間は肯定するだろう。
そう、私も学生たちにはとても感心している。だがその一方で、心配もしているのだ。かれらは、決心を急ぎすぎてはいないだろうか。もうすこし落ち着いてみたり、ゆっくりすることも、やってみたらどうだろう。私はそう考えずにはいられない。そして、空に消えた白い絹のキャノピーを私は思い出す。まだ今も目の前にあるかのように、私はそれを見ることができる。私は手をあげて、それを指し示したい。学生たちにも、見てもらいたいのだ。
上を書いた増田だけど、その中に書いたニューヨークタイムズの記事が検索したらすぐ出てきたのでリンク。
http://www.nytimes.com/2007/08/03/nyregion/03women.html?_r=1&scp=1&sq=men%20women%20income%20gap&st=cse
記事によると、2005年の21歳から30歳までの全米の男性の中位所得は女性のそれを上回っているが、ニューヨーク市だと女性の中位所得は男性のそれを上回っているのだそうだ。なぜかといえば、ニューヨーク市で働く20代女性の53%が大卒だか、20代男性の大卒率は38%だから。つまりニューヨーク(やその他の大都市)の20代をみると女性は男性よりも高学歴の集団なので、高所得になるわけだ。もちろん全米でみると話は違うわけだが。しかしアメリカの大学進学率は女子の方が男子を上回っているそうなので、この女子の高学歴・高収入化が全米に広がるのも時間の問題なんじゃないかな。
で、日本の話だけど、トラバにある、女子学生の平均が男子よりもりもいいのは昔からでは、というのは俺もはっきりしたデータは知らないけど、印象としては同意する。それから、実は平均はともかくトップ(とあとボトム)は男子学生というのも、実感としては同意。これもデータは知らないけどね。ただいまのところ日本では女子の大学進学率がまだ男子よりも15%ポイントくらい低いようなので、アメリカのように女性が集団として男性よりも高学歴・高所得化する傾向が見られてこなかったし、まだ等分はないのだろうが、それでも女性のほうが真面目という状況がかわらないまま、女性差別の減少による女性の大学進学率上昇が続けは、いづれは日本でもそういう事が起こるのではないかという事がいいたかった。そうなったら、男性が集団として弱者になってしまうが、そうなった社会というのは果たしてどんなものなのかというのは、興味がある。