はてなキーワード: 寺脇研とは
東京のある公立中学校で実施されている『学校の当たり前を見直す教育』がとにかく素晴らしいと話題に
https://togetter.com/li/1268763
のブコメに、「麹町の特殊性」を指摘するコメへの批判コメ(「コンプ」「地域差別」)がチラホラあったので。
最寄り駅が「永田町」で徒歩3分、皇居から徒歩10分、国会議事堂までも徒歩10分と書けば、東京以外の人にも「特殊性」をある程度想像してもらえるだろうか。
【麹町駅の相場情報】 販売戸数 177 戸 平均価格 14,411 万円 平均面積 74.41 ㎡ 平均坪単価 640.2 万円
ちなみに、さいたま市
【さいたま市の相場情報】 平均概要 販売戸数 8,251 戸 平均価格 4,776 万円 平均面積 71.59 ㎡ 平均坪単価 220.6 万円
【吉祥寺の相場情報】 平均概要 販売戸数 381 戸 平均価格 5,886 万円 平均面積 70.32 ㎡ 平均坪単価 276.7 万円
この取り組みを手放しで絶賛してる人は、これが寺脇研が目指した「ゆとり教育」の焼き直しだとわかってて絶賛してるのだろうか。
エリート教育としては成功すると思うし歓迎されるものだけど、"一般的な"公立中学校で実施できるかというと難しいと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2
NEWSポストセブン https://www.news-postseven.com/archives/20180807_734722.html
アンケート結果はリンク先を見てもらうとして、どういう識者がどの総理を選んだのかをまとめてみる
(※ただし、それぞれの識者がどの順位にしたのかは表記されていないので不明)
(※あと3人選んだ人がいないように見えるんで、全部列挙されていないのかもしれない)
今「ゆとり教育」と言われるのって文部官僚の寺脇研が1980年代に打ち出した方針のことで、方向性は1984年から中曽根の諮問機関である臨教審で決められたものだけど、段階的に週休2日制が始まったのが1992年、いわゆる「授業内容3割減」の実施が始まったのは2002年。この「3割減」指導要領で教育を受けた世代が世間では「ゆとり世代」と呼ばれてる。
その1992年と2002年の間には日教組を支持団体に持つ社会党が非自民自社さ連立で政権与党にいたわけだから、日教組は90年代の教育政策まったくの無関係で、90年代の教育政策も全部中曽根が決めたってことにするのは強引じゃね?ゆとり教育が悪いことだったとして(個人的にはそうは思わないが)、何でそれ以降の政権はその方針変えなかったのかをスルーしてなかそねの諮問機関せいですってのはどうよと思う。
週休2日制については更に10年以上前から日教組が主張していたのも事実で、要するに労組らしく「休ませれ」って話なわけで、まあ段階的に土曜が休みになっていったことで授業時間が減った事実もあるのだけど、これを「ゆとり」の一部に含んでしまうと1992年当時中学生だった層=現在の30歳前後くらいまで「ゆとり世代」になってしまって一般的に「ゆとり世代」と認識される層よりも10年ほど上にずれてしまう。
今の20台をゆとり世代というのも一般的と思うけど、完全実施以降がゆとり世代ということなら10台でもずれはないと思うけど。
まあ日本の教育に日教組が色々悪影響を与えてきたという論については別に異論もないのだけど、ゆとり教育に関してだけはどうも酷いすり替えが発生している。
個人的にはゆとり教育は財界の陰謀というのがうんざり。ゆとり教育やめろという経営者なんかうじゃうじゃいるのに。日教組のせいにしろ財界のせいにしろ単なるネガティブキャンペーンで敵対勢力を悪くいえれば事実関係はどうでもいいってことなんだろうけど。現実の政治じゃ特定の組織の意向だけで政策を自由自在に決めれるわけなんかないのに。
マスコミとか政治家は寺脇をスケープゴートにしておけば、自分たちの責任から目をそらせられるから都合がいいのかとかんぐってしまいたくなる。
まあ、寺脇研のポジションとかを考えると、少なくとも文部省は引用文の通りに認識していたんだろうなあ。しかし実態は大学全入の時代は未だ続いているわけで、大学の数が多すぎるというのも要因としてはあるんだろうね。仮にこのまま大学の数が減らない(減らせない)となると、一定水準以下の大学はおしなべて高卒扱いをするという事で社会の方が対応しつつあるのかも。
しかしそうなると、そういう新卒って「22歳まで(4年間)遊んでいた高卒」なんだよね。高卒通りに4年間先取りして社会人になってくれていれば、労働力不足だのもちっとは緩和されていたのかも。
今出先だけど、読んだのは確か
「論争・学力崩壊」「中央公論」編集部・中井浩一編 / 中央公論新社 / 03/03/25
で、その中の寺脇研の発言だったと思う。
それは一貫した彼の主張で、たとえばここなんかでも彼の言葉として引用されているこんな感じの内容だった。
これからの小中学校は今よりゆったりと学習してもらうようになるわけですが、その半面で、高校・大学はとても厳しい場になって行くという認識を持ってもらわなければならない。高校も大学も1時的には中退者が増えるかもしれません。今までのようにはいったら勉強しなくても、お情けで何とか卒業させてやろうという考え方では通らない。
あなたの自己選択によってはいった高等学校なのだから、そこで勉強しないのは自己責任を果たしていないことになる。そういう人には卒業証書を出せないよということです。
こちらの出典は
「21世紀の学校はこうなる」(寺脇研著 新潮OH文庫 2001年)
だとか。
寺脇は在野の学者などではなく一応一時期とはいえ文科省で大臣官房審議官として、この問題に関するスポークスマンの役割をしていたわけなので、彼の論法が「罷り通っていた」というのは一応ソースのあることと言って良いのではないかと思います。