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はてなキーワード: クルーグマンとは

2009-03-05

クルーグマンに裏切られたってなんのこと?

リフレ派にとって都合の良い部分だけを引用してたことがばれただけ。

2009-02-16

政府紙幣発行をめぐって日本の政・財・官界の右往左往

 ケインズ学派から「構造改革」派が議論を横取り? 不況政局に利用

 学問的議論が政局横取りされた格好である。

それが政府紙幣発行をめぐる賛否両論、とくに自民党内に議員研究会が設立されると、こんどは旧小泉スクールにも飛び火し、竹中ブレーンの一人と言われた高橋洋一東洋大学教授)が、突如、政府紙幣発行の旗振り役を演じだした。

 丹羽春喜論文換骨奪胎だと酷評する向きもある。

 米国の動きが拍車をかけた。

 もともと丹羽理論を応用するかのようにノーベル経済学賞の二人が新政府発行論を揚言した。スティグリッツクルーグマンだ。とくに後者政局の変動にカメレオンのごとく説を曲げる、変える、豹変する。ところがクルーグマン信者日本エコノミストに多いから始末に負えないのだ。

 日銀の08年末の資金供給量は101兆2610億円。3年ぶりに100兆円の大台を超えている。これは金融機関などの資金繰りを支える目的で、とくに年末資金を供給した。量的緩和政策である。

 具体的には金融機関日銀当座預金の残高と、紙幣貨幣の残高の合計が通貨供給量。 日銀2008年11月から当座預金の一部に0.1%の金利を付けている。当座預金金利がつくというのは異常事態である。(或る意味で、この措置は政府紙幣発行が別のかたちの国債発行であるとすれば、同様な効果がある)

 そもそもの政府紙幣発行とは、太政官札による幕末維新の藩札の統一が近代日本では嚆矢であり、江戸の金銀小判の流通がやんで、紙幣経済日本に落ち着いた。日銀はまだ無かった。

 丹羽説は総需要喚起、あまっている生産体制を稼働させ、実効需要を増やせとするケインズ理論の延長にあり、純粋学問的仮説なのである。

 

 ▲米国の議論をみて、飛び出した軽率エコノミスト

 ところが、これまで顧みられなかったこの議論、クルーグマンインフレ目標値などの珍説とともに米国内の議論をみて、あわてて飛びついてきた経済学者エコノミストジャーナリストらの大合唱が巻き起こり、状況が激変したのだ。

政府紙幣発行議論は自民党内で白熱し、細田博之幹事長記者会見で「そんなことができるなら毎年30兆円ずつ発行し、(国・地方の)800兆円の借金を全額返したらどうか。空理空論で意味がない」と否定的態度を表す(2月2日)。

 一方、前向きなのは菅義偉選挙対策委員長ら。「これだけの危機の中、政治主導でいろんなことがあってもいい」と含みを持たせた。

 こうした政府紙幣発行議論に対して日銀白川方明総裁は否定的。

通貨に対する信認が害される恐れがある」と強調したうえ、「政府債務返済能力への疑念から「長期金利の上昇を招く」とむしろ副作用危険性を指摘した。

 

日銀は当惑どころか明らかに反対

白川総裁政府紙幣が市中で流通した後、日銀に戻ってきた紙幣を(1)政府が回収する場合、(2)そのまま日銀が引き受ける場合があり、それぞれ問題があるとした。

 現在、10円、50円、100円、500円などの硬貨はまぎれもなく「政府紙幣」であり、日銀に還流してきた硬貨の一部は政府日銀から回収している。

政府日銀に回収分と同額の財源を渡しているが、政府紙幣も同じ仕組みになると、「(発行額に見合った)資金調達が必要になるという意味国債の発行と実体的に変わらない」(白川総裁

財務省の杉本和行次官は「政府紙幣財政規律との関係から慎重な検討が必要。発行には法改正もいる」と官僚らしく面倒臭そう。また財政法に抵触する可能性があり、貨幣法の改正が必要だろうと手続きが輻輳する可能性にも言及した。

私見を述べれば、アカデミックな議論が、突如、政局に利用されている感じが否めない。もともと丹羽春樹教授の「政府貨幣発行による打ち出の小槌」は、学説であり、政治レベルに降りるときは必ずしも学説通りに実行されない。与野党の妥協の結果、かえって中途半端な実行がなされると(まさに高橋洋一説は丹羽説の歪曲)、景気回復に繋がらない可能性も出る。

丹羽春喜教授の仮説は、そのまま実施される可能性がないゆえに、かえって危ない。

ちょうどドル円固定相場の復活論に似ている。つまり固定相場制というのは、理論的に正しく、しかし運用されると猛烈な投機がおこる。人民元相場がまさしく、その犠牲であり、固定の枠内で投機筋は通貨商品と変える“商機”をそこに見いだすからである。

2009-02-13

[][]インタゲ

クルーグマン金融政策がきかないといっているとしている。しかしソース読めばわかるようにと80年代にやったような金融政策はゼロ金利なので無効っていってるだけ。スティグリッツの話もインフレが「輸入」されているから、インフレ管理としてのインフレターゲットには意味がないといっているだけ。どちらも景気対策としてのインタゲについては言及していない。

http://d.hatena.ne.jp/PyTest/20090211/1234363015

スティグリッツ教授経済教室』

インフレターゲットは導入すべきでない

多くの国の中央銀行が導入しているインフレターゲット日本も導入するべきだという声が一部にはある。

中央銀行制度宗教のようなものだ。ほとんどの国の中央銀行が熱烈に報じているいくつかの信条があり、

彼らはそれを確信を持って唱え、その論理の進め方にはまるで判で押したような画一化が見られる。

しかもこれらの信条には往々にして、それを裏付ける科学的証拠がほとんどないのである。そのため、

彼らのご託宣はえてして間違っており、彼らの政策は予想された結果や望ましい結果をもたらさないことが多い。

2009-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20090211055100

いや、違うよ。

A「財政出動は効かなかった。だから効果ない。」

クルーグマン「前半はその通り。後半は間違い。なぜなら財政政策は行われなかったからだ。」

ニューディール期、アメリカ連邦政府支出は大きく上昇したが税率も大きく上がったため、お互いに相殺してニューディール財政政策としてはほぼニュートラルだったの。つまりニューディール財政政策ではなかったということ。池田さんあたりはこの点を意図的にかどうなのかぼかして、ニューディールは効かなかった=財政政策が効かなかった、という誤解をさせる書き方をしている。

2009-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20090130082827

まず長期に渡って財政出動を維持するのは、借金がふくれあがる為に不可能という前提を置く。

で、成長率の落ち込みが最初から一時的なもの、つまり単なる景気の波や金融危機などが要因であれば、

財政出動には景気が自律的に回復するまでの「つなぎ」としての意味はある。借金も小規模で済む。

けれど、労働力人口の減少や技術革新の停滞などで長期的に成長率が落ち込む場合には、

前提条件から財政出動を止めた場合、成長率は元の低い水準に戻ってしまう。

こういう場合は金融緩和でインフレ期待や通貨安を引き起こし、持続的に景気刺激する必要がある。

アメリカ労働力人口も伸び続けているし、技術革新が急激に停滞したという証拠も今の所ない。

だからクルーグマンアメリカ後者のケースにないと判断して、「つなぎ」としての財政出動

肯定的になってもおかしくはない。一時的とは言え今回の景気落ち込みは酷い物だから、

政府はやれる事をやるべきだという主張だろう。

ちなみに日本のように長期に渡るデフレに陥っている国でしか使えない荒技ではあるけど、

「長期に渡る財政出動は不可」という前提は、インフレ税を財源として、すなわち日銀による

国債買い上げを財政出動と併用する事で回避可能。今も急激に物価が下落中だから

チラホラ政府紙幣を使えと言うような主張も出ているようだけど、あれも大体は同じ事。

2009-01-27

[][]競争力生産性、時々床屋

クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p53(日経ビジネス人文庫

経済概念に対する誤解がいくつもある。たとえば、世界市場競争している産業生産性は、貿易対象にならないサービス産業生産性よりはるかに重要だとプレストウィッツは主張している。輸出産業賃金によって、経済全体の賃金水準が決まるのがその理由だという。たとえば、アメリカ第三世界に比べて、製造業労働者生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金を得られるという。

しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。

先進国床屋途上国床屋より何倍も稼ぐのは、先進国世界市場競争してる製造業生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない床屋に、ずっと高い賃金水準をもたらす、と言うのは誤解か。

この誤解って、一向になくならないよな。

競争力とか生産性重要だ、と言う人ってたくさんいる。

マクロ経済学って、難しいね。

しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。サービス業生産性は、製造業労働者実質賃金に影響をあたえているのだ。アメリカ製造業生産性は高いが、理髪業の生産性はそれほど高くないため、高賃金の理容師がはたらくアメリカの理髪店では、第三世界の理髪店に比べて、散髪代がはるかに高くなっている。この結果アメリカ製造業労働者実質賃金(つまり散髪も含めて、どれだけの財とサービスを購入できるかという基準で見た賃金)はアメリカの理髪業の生産性がもっと高かった場合より低く抑えられる。注意深く考えていけば、実質賃金経済全体の生産性によって決まることが分かるはずだ。製造業生産性、あるいは貿易対象になる産業全体の生産性を特別に扱って、他の産業生産性以上に注目すべきだとも、支援策をとるべきだとも言えないはずである。

製造業貿易対象になる産業を特別視するのは間違いか。

でも普段の経済ニュースではこれと全く逆だよな。

2009-01-04

[][]インフレ目標

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20090103-OYT1T00071.htm

クルーグマン

一方、バーナンキ議長の率いる米連邦準備制度理事会FRB)は、慣例にとらわれない融資資産買い取りを進め、08年12月にはゼロ金利政策に踏み切った。私はこれを支持するし、FRB現実を正しく認識していると思う。

 つまり、米国は1998年当時の日本と同じ状況、金利を上下させる通常の金融政策が効かない「流動性の罠(わな)」に陥っているのだ。

 私は98年、日本銀行に対して、政策目標とする物価上昇率を示す「インフレ目標」政策を採用すべきだと指摘したが、この議論も再び活発になってきた。

 達成できると、国民に信じてもらうのは難しいが、現在米国で実際に効果を発揮させるには「向こう10年間、物価を年4%ずつ上昇させる」くらいのインフレ目標が必要だ。

スティグリッツ教授経済教室』

インフレターゲットは導入すべきでない

多くの国の中央銀行が導入しているインフレターゲット日本も導入するべきだという声が一部にはある。

中央銀行制度宗教のようなものだ。ほとんどの国の中央銀行が熱烈に報じているいくつかの信条があり、

彼らはそれを確信を持って唱え、その論理の進め方にはまるで判で押したような画一化が見られる。

しかもこれらの信条には往々にして、それを裏付ける科学的証拠がほとんどないのである。そのため、

彼らのご託宣はえてして間違っており、彼らの政策は予想された結果や望ましい結果をもたらさないことが多い。

2008-12-30

[][]岩田規久男氏の一派は、過去の言説に責任をとれ。白川総裁の本でも読んで金融勉強しなおせ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87c9f18f491b31cc06e697cba4d87073

デフレの状態で中央銀行インフレ目標を掲げて「インフレにするぞ」と宣言し、通貨を過剰に供給すればデフレを脱却できるというクルーグマンの提案は、日本経験では効果がなかった。クルーグマンも明示的に撤回し、バーナンキも実施しない。かつて人為的インフレを「世界標準だ」と称して日銀罵倒した岩田規久男氏の一派は、過去の言説に責任をとれ。



付録:「あと0.1下げろ」などという批判は、金融実務を理解していない。政策金利は、かつての公定歩合と違って誘導目標なので、実際の金利は0.1%以下になっています。これはFRBが「0??0.25%」としたのと同じことで、要するに「存在する金利の最低限」です。金利存在するのとしないのでは大きな違いがあり、ゼロ金利の期間にインターバンク市場が消滅したことが、日本金融システムの機能をそこなった、と山口総裁は総括しています。

付録:「金利は下がったが通貨供給は増やせる」などという批判も、金融理論を知らない。金利通貨価格だから、それがゼロに近づいたということは通貨供給が絶対的に需要を上回ったということであり、それ以上増やしても銀行日銀口座に「ブタ積み」になるだけ。こういう政策は、金融政策の効果に疑問をもたせて弊害が大きかったというのが、白川総裁反省です。

白川総裁の本でも読んで金融勉強しなおせ。

現代の金融政策―理論と実際 (単行本)

白川 方明 (著) ¥ 6,300

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6ee8453127a32a36c7722e79bcc294f1

リフレ派の立場は、世界の学界レベルではすでに十分すぎるほどの合意を得られたものなのであって、完全に決着済みなのである」(野口旭)などと称して日銀総裁罵倒するのは、目に余りました。経済学に「決着済み」の真理なんてない。そんなものがあると思っているのは、昔の学説を受け売りする学説史屋だけです。

補足:念のためいうと、インフレ抑制目標は正統的な金融政策です。しかし、これについても資産価格など他の政策目標も見るべきだという批判があり、「完全に決着済み」どころか、日銀FRBECB採用していない。採用しているのは、変動相場制の中でペッグを守りたい小国が多い。

しかしクルーグマンのいうように人為的にインフレを起すのは非正統的な政策で、これは彼自身が認めたように、理論的にも経験的にも破綻した。こんなナンセンスな話をかつぎまわった自称エコノミスト翻訳家、『経済セミナー』を初めとするB級経済誌は反省してほしいものです。

インフレ目標はまぁ正統だが効かない。人為インフレは非正統だし効かないし。

2008-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20081222222234

クルーグマン経済学受賞に関する記事なんだけど、ここからトラバ先をたどると経済学blogでの池田氏への批判の主なものは見られるんじゃないかなあ。

http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20081014

レッテル貼りと「坊主憎けりゃ」式の論調で、池田氏blogは好きになれない。

と言うわけでまともに読んでないから、批判は出来ない。

2008-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20081222195924

→こちらに修正して転載すた。http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20081222/

1.池田さんがいいこと言っているかどうか、というのは分野による。

2.経済学系の記述はおそらくかなりまだ信頼性の高い記述もおおい。というか、この分野はわたしがよく知らない。

3.技術系の記述は、まあ、主張を信じるのは話半分でよい。

4.哲学倫理系の記述は、だめだめでもないけどそれほどよくもない。まあ、こんなもんか。

5.上司とするには、やめてほしい。この点については、池田氏とこれまで仕事で関わってきた諸氏からの情報総合的に判断。私怨で人を困らせすぎる。暴れん坊。思い込みが激しい。

6.仕事人として付き合いたいかどうかはともかく、優秀な人ではあるだろう。

7.学者は間違ったことを言う、のは当然。間違ったことを言わない学者などいない。学問はそもそも常に仮説でしかない。学問とは、より妥当な議論を可能にする知識の継承、発展のフレームワークなのであって、間違ったことをいわないことが学問なのではない。

8.a.自分のよく知らないことについては発言せず妥当性が高いと思われることについてしか発言しない口数が少ないが誠実な学者と、b.自分のよく知らないことであっても果敢に思考し、学問間のネットワーキングを図り、啓蒙することに価値を見いだす学者 という二種類の学者がいるのだとすれば、池田さんは後者(b)の部類に属する。(a)の部類の学者が嫌いな人もいれば、(b)の部類の学者が嫌いな人もいる。(b)の途を選び取った学者は、しばしば間違いを言う。しかし、そのことの是非は、「学者」の発言が社会的にどのように扱われるのかという文脈形成も込みで考えられなければならない。「学者A」の発言が即座に、社会的影響力を与え、間違いが甚大な被害を与える可能性をある場合には、(a)のような発言が推奨されるかもしれない。全国放送のTVカメラの前で、軽々しいことを言う学者は非難されてしかるべきである。しかし、「学者B」の発言が、リテラシーのある程度高い相手に向けて、「学者が常に正しいことをいうわけではない」ことを前提にしているようなコミュニケーションが成り立つ場合には、(b)のような態度が推奨されるかもしれない。池田氏ブログの影響力はかつて、リテラシーがある程度まで高い層に限定して書かれていた。しかし、有名になるにつれて、その影響力は変化しつつある。よって、(b)のような態度を諸手を挙げて推奨するわけにもいかない。しかし、(b)の立ち位置を担う学者ポジションをまったく評価しない、というのはありえない。

追記1 2008/12/23

上記「8」は次のように言い換えることも可能である。

上記の記述は多少よく書きすぎている、との意見はもちろん一定以上、妥当である。

間違いをしばしば発言するインテリは、そのような態度をとる自分をしばしば「今コレが間違いであるという以上に、発言していくこと自体の意味が裏に何かある」という別の合理性を担保している場合が多い。たとえば、コンスタティヴな価値に対する、パフォーマティヴな態度を称揚するといった合理性は代表的なもの。池田さんの基準がいかなるものであるかについては、わたしはあまり池田ウォチャーでもないので正確にはわからないし、評価できない。が、しかし、個別の発言の妥当性以外のなんらかの合理性を彼自身の中では担保しながらしゃべっていることはほぼ確かだと思う。

 ただし、そういった別の合理性が持ち出されるすぎると、個別の発言における「今言っていることのことが正しいかどうか」ということに対するチェックが甘くなる、という現象はしばしば起きる。学者の発言について、個別の発言の妥当性の高さだけが、学者を評価する基準だという思い込みは、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。だが、学者の発言が、非学者層の発言と同程度に妥当性の低い発言を連発してもよいという基準もまた、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。

 両者のバランスをどこでとるか、ということは難しい。

 池田さんが何をしたいのかは知らない。なので、池田さんの考える、個々の発言とは別の水準の合理性が何なのかがわからない限り、池田さんを評価しようとおもったとき、「とりあえず」個別の発言の妥当性という基準を適用することには一定の合理性がある。だが、その合理性が合理性の一部でしかないことを考えるべきである。それは「とりあえず」の一部の評価の合理性でしかない。

*この「追記」の記述は、東浩紀と、東批判者たちについても同様に適用可能。ただ、東さんは明確に自らの価値アジェンダ・セッティングという行為の中に見つけているとは思われるので、池田さんと比べると、「担保すべきだと考えている別の合理性」の水準が理解しやすい人だという印象はある。

追記2

fromはてぶ

「なんで支持者も不支持者も、人格人間性で主張の妥当性を判断しようとするのか。「人」を信頼してはいけない。面倒でも個々の主張についていちいち信用すべきか否かを検討すべき」

 もちろん、それも一つの合理的な態度だとは思う。しかし、「人」や「組織」をある程度まで、使い勝手のいい単位だとしておかないと成り立たないところもやっぱりある

 たとえば、わたしがよく知ってるor考えていることであれば、そのことについて「××さんが言った」「○○さんが言った」ではなく、主張の内容レベルでの判断はもちろん可能だし、できる。そういうときには「人」という単位はほとんど機能しない。単に主張Aを言っている人がいて、主張Bを言った人がいた、という程度の意味合いしかない。

 しかし、わたしが全く知らないことをはじめて知ろうと思ったら、まずは「人」「組織」「定評のある本」に対してある程度まで高い信頼を置いて、そこから情報を得るというのはとても効率的で、合理的な行動になってしまう。それは、わたしにとっては検討しようのないことなので、「人」や「組織」や「定評のある本」を採用するしかない。不案内な分野の入門書を読むときに、「ハーバード大学教授で、全般に頭良さそうな人が書いている最新の本」と、「三流大学教授の、いまひとつ何を言っているかわからない10年前の本」で対立している主張があり、わたし自身に、その対立を検討するための十分な情報がないのであれば、「へぇ、対立する議論もあるんだなぁ」というぐらいに思いはする。でも、とりあえずはハーバード大学教授の言っていることのほうが「たぶん、こっちのほうが妥当なんだろうな。よくわかんないけど」という形で、ある程度、組織とか評判を信じてしまうよね。

 我々は、出会った知識の全てを検討するだけの無限時間などは与えられていないので、誰がよりよいことをいってそうか、どの本が最も定評のある本か、ということは、「より、まっとうそうな知」を得ていくための効率性にかかわることになる。はじめて仕入れるたぐいの知識が、いままでの自分経験上/知識の上で整合性があるかどうか、ぐらいのことは考えられるけれども、分野が遠くなれば遠くなるほど、「とりあえず、たぶん、この人の言うことはかなりの度合いでレベルが高いはず」という情報はとても役に立つ。教える-学ぶ関係においては、そういう「権威」がもっている効率性の問題は避けて通れない。

 理想的には、おおざっぱなクオリティ選別の効率性を機能させるために存在している権威や評判のようなシステムよりも、一つ一つの主張の妥当性を検討できるような態度に至れることのほうが望ましいのは言うまでもない。だけれども、わたしたちは、能力にも知識にも限界があって、そういうことができない。だから、権威や評判のシステムをわたしは利用するし、今後も利用し続ける。

追記3

http://anond.hatelabo.jp/20081223163942

クルーグマン経済学受賞に関する記事なんだけど、ここからトラバ先をたどると経済学blogでの池田氏への批判の主なものは見られるんじゃないかなあ。

http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20081014

だそうです。

まあ、山岸俊男風?にいえば「信頼」性はともかく、誰かが池田の発言に対しては必ずレビューをしているという意味での「安心」の対象としては機能しやすいとか言ういいいかたはできるかもなぁ。それがインターネットというもののよさというか。手間かかるけどね。

追記4

池田ファン扱いされた…なんという微妙な気分。これが池田効果か。

わたしはそれほど熱心な池田読者ではない、…と自分ではおもっています。

実際、エントリ100個も読んでないんじゃないかな。

むしろ、池田被害者

追記5 

上記の記事に対してid:lets_skeptic氏から、よいコメントをいただいた。

http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081224

そもそも問題は「間違ったことを言う」ことなのだろうか?「畑違いの分野に言及する」ことなのだろうか?違うと思うのだ。

自分が断言したことでも間違っていれば撤回する(必要に応じて訂正する)という誠実さ。自分が言及すること(したこと)をきちんと知ろうとしているか?という知的誠実さ。求められているのは、そんな当たり前の誠実さじゃないんだろうか。

主張の信頼性は基本的に別問題です。といっても、誠実な人ならば「ろくに調べずにものを言っている」「無根拠の思いつきを言っている」「嘘をついている」という可能性は、不誠実な人に比べて相対的に低くなるので、関係がゼロだとは思いません。

議論の建て方として「誠実さ」という別の軸を立てられる、というのはいい指摘だと思う。インター・ディシプリナリだからと言って許されるわけでない。ただ、わがままを言えば「追記1」に書いた部分についても一応目を通していただければ幸い。追記1、はこういう批判に対する防御線として書いたわけだけれども、かえって問題の建て方を曖昧にしてしまったようで反省。「インターディシプリナリ志向であれば、誠実でなくとも許される」として、確かに読めてしまう。

で、発言の「誠実さ」と、個別の発言の「信頼性」が別問題であり、問題を分けて考えるべきだ、というのも、その通りだとおもう。(その点については、上にちょこっと書いた、山岸俊男氏の「安心」と「信頼」の区分にも通じる問題系である)

そして、その基準でもって池田さんを論じることは、意味があるだろうと思う。

ただ、もちろん、だからといって、先に挙げたわたしの、区分そのものが<一般的な区分として>まったく無意味なものだ、ということを認めるわけではない。また、<池田さんに対して>わたしが挙げた基準で判断をすることが適当か、という点については、いくつかの基準のうちの一つとしては、やはり適当だと思う。論じる基準が、一つである必要はない。論じるべきは、どの基準が最も正しいか、ではなく、、基準A「誠実さ」の問題と、基準B「学者としてのアプローチの違い」の問題と、どちらが池田さんを論じる上でより重要な問題とすべきか、ということになる。その点は、どっちなんだろうなぁ。前者かもしれない。

それと、lets_skeptic氏は知っている話だとは思うが、さらにやっかいな話をもう一点してフォローしておくと、パフォーマティヴな発言の「誠実さ」というのはとても評価がめんどくさい。

議論のための議論のように聞こえてしまったら恐縮だが、

たとえば、

1.「XXがよりよいことなので、みんなで××にコミットすべきだ」と発言があり、

2.XXがぜんぜんダメでぽしゃった

3.しかし、原因はXXがそもそもへぼかったからではなく、みんながXXにコミットしなかったことが原因である可能性がある。(つまり、みんなが××をしていれば、××はほんとうによりよいことだった)

というようなことがあったとする。

このとき、「XXがよりよい」と発言していた人は、「間違ったことを言った」とどこまで言えるだろうか。

もちろん、「現時点の観測からすると、結果的には間違っていた」といえる。その限りで詫びてもよい。

しかし、「現時点の観測からすると、間違っているように見えるかもしれないが、やっぱり私の言っていたことは正しい。みんながコミットしなかったことにこそ原因がある。だから、わたしは、一時的に、結果的に間違っているかもしれないが、××はただしい、と言い続けるし、そのことについては謝らない」という人がいたとして、その人の「誠実さ」とはどのように評価可能だろうか。

わたしの知っている人のうち、この手のパフォーマティヴな価値に言及しようというようなタイプの人、(ネガティヴな言い方をすれば、自己成就予言的な性質のある話をしている人)というのは、議論するとやっかい、つーか、めんどくさい、つーか、並大抵のことでは謝らない。この手の人々に対して、「誠実さ」とか言い出すと、話がズレることが多い。

データみせても、「いや、現時点でのそういう結果を出されても、それはぼくの言っていることの根本的な反論にはまったくなってなくて…」といわれて議論にならないことが多い。かなり理論的なところで闘う以外に手がない場合が多い。人によっては、理論的なところですら闘えないような話をする人も多い……。これが、「ムー大陸が~」とかって言うタイプの人だったら、「DQN乙」で終わってよい場合も多いけれど、、ガチインテリの人でもこういう話はけっこうやる。こうなると、どこまでが謝ったりする範囲で、どこまでが謝らなくていい範囲なのかが、遠目にみると混迷を極めているように見え、エンドレス不毛な会話がなされる場合がけっこうある。

というわけで、結局何が言いたいのか、というと、

・「誠実さ」概念をめぐる指摘には同意するし、すばらしい指摘だとは思います。

・だけれども、「誠実さ」という変数だけで全部解決しようとしても、そこでもまた、ディスコミュニケーションは起こりうるのでは?

 まあ、自己成就予言的な話をするとき、それは社会科学者ではなく、批評家とか政治家とか呼ばれるたぐいのものになってしまう、という解釈もありうるんだろうけれど。政治的/批評的行為によって、理論の実証を目指してるんだ、という言い方もできるので、そういうことを言い始めると、社会科学における「科学的」と認められる発言の境界線はどこに引けるのか、ということになってくるので、わたしの手には扱いあぐねる。たぶん、科学哲学的にアツいところなのだろうけれど。そこらへんの話については、わたしはぜんぜん科学哲学についてフォローしているとは言えない人間なのでlets_skepticさんのような人から教えを請いたいぐらいの話です。

***

しかし、やっぱり、増田なんかで書くとどうしても脇の甘い書き方をガンガンとしてしまうなぁ。まあ、脇が甘くても、「たかが所詮は増田記述」だと思われ、その程度によまれればいい、ということを期待してしまっている自分がいるから、そういう書き方になるのだろうけれども。

それと、トラックバック先のskeptic氏へのはてブコメント

「豹変できないからこそ君子と呼ばれないのだ。誤字や言い間違いレベルの些細なことですら、ちょっと謝って訂正して感謝する程度のことが出来ない人が多い/ただ、誠実な人に限って「当たり前」以上の誠実さで潰れる」

もまた、的を得た指摘だと思われる。

結局、誠実…というか、ノイズを気にせずになんでもかんでも答えずにはおけないような人は、たとて、どんなに頭がよく、<知にたいして>誠実な人であったとしても、ウェブ上で活動するのはかなり負担がかかる。すくなくとも、学際的なひろがりのある人とかだと、ウェブ上で何かやろうとすると、潰れやすい。それをまた、「議論に負けだ」のなんだのとはやしたてる連中も発生すると、ごっそりとやる気をなくす。その結果、ウェブ上で「ちょうどいいぐらいの」コミュニケーションのできるインテリというのは、一定度以上にノイズを気にしないでいられるタイプか、ノイズがそもそも生まれないような振る舞いでいられるタイプインテリかということになる。実際には、ノイズが生まれないような振る舞いというのはそんなに簡単なことではない。はてブコメントのうちの5%ぐらいには文脈ぶっとばして、一読して偉そうなことを言う人、というのがいる。はてブ以外に、ブログであってもいるけれども。

 もちろん、「ノイズ」に類するようなどうでもいい話に対応する「誠実さ」と、重要な指摘に対して対応するような「誠実さ」は別種のものだ、というように理屈上の区分は付けるはできる。しかし、実質的に、外からの指摘に応答する当人にとって、指摘がノイズなのか重要な指摘なのかを判断する根拠は、曖昧であり、当人が、常に、「誠実に」悩み続けることによってしか、それらは区分できない。結果、在る一定以上まで有名になると、「誠実」な人であればあるほど、外部への応答コストの負担によって潰れることになる。

 ちなみにわたしは、わたしが実名で発言しているところに100ブックマーク以上ぐらい付けられると、うれしい反面、だいぶむかむかしてくる。「はてブ/2chの連中は全く…!」とは思わないけれども、はてブ2chのようなアーキテクチャが出てくると「ウェブ上でどの程度、冒険した発言がOKか」「ウェブ上では、どの程度外からの指摘を気にしないメンタリティがいいのか」といったことに対する「望ましいありよう」の最適さが変わる。これはつまり、政治家が演説でくだらない発言しかしなくなる、ということに似ている。政治家がバカなのではなく、現行の世論システム/投票システムとの相性を考えたときに「望ましい程度の発言」というもののバランスがどこに落ち着くのか、ということだ。ウェブ上が、学者コミュニティとして機能するクローズド空間(※学者の作法を全員が受け入れることによって成り立っている空間、という意味で。作法を受け入れる限りにおいてはもちろんオープンである)ではなく、現状のようなオープンな一つのプラットフォームになっている限りは、学者的な作法が、ウェブ上において必ずしも「ほどよい」ものとして機能するとは限らない。市場システムが、市場に課せられたルールアーキテクチャいかんによって均衡点のありようを変えるように、議論のシステムもまた、議論に課せられたルールアーキテクチャいかんによって、その均衡点のありようを変える。学問というのは、その均衡点のありようを「知の継承、発展」にとっても最も効率的になるように目指し、調整がなされている議論のルールシステム体系のことだと思っている。ウェブが一つのプラットフォームとしてではなく、複数のプラットフォームを切り分けるような(たとえばSNSシステムとしての発展可能性をみせれば、学問の作法がより効率的になるプラットフォームとしても機能しうるだろうと思う。ただ、今のウェブという空間が生み出す、議論の均衡点は、おそらく、かなり傍若無人な人のほうがやりやすいぐらいになってしまっている。理想的には、もっと「誠実」であってほしいとは思う。しかし、「誠実」であることによって、評判を生み出し、注目を浴びやすいようなアーキテクチャにはなっていない。そのことが、池田さんをめぐる最も、面倒な問題なのかもしれない、と思う。

[][]信頼させる方法はあるか。

http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/4_0a85.html

クルーグマンが提案したのが、中央銀行が民間に「今は何も出来ないけど、放っといてもいつか景気が回復して金利ゼロで無くなる日が来る。だから、そのときに必要の無い利下げをやってインフレを起こすよ。」と約束すべきだ、というものだ。もしこの約束を民間が信じるなら、将来のインフレを予想した民間は期待インフレ率を引き上げる。そして、期待インフレ率の上昇は今の「実際の」インフレ率の上昇に繋がり、見事デフレから脱出できるはず、というわけだ。

約束するのは簡単でもそれを信じてもらうことは百倍難しい。

いざその「将来」が来たところで、日銀には積極的に約束を果たす動機は全く無い。むしろ、とりあえず今約束だけしておいて、民間が信じたところで(期待インフレ率上昇→デフレ脱出)約束を反故にするのが一番いいということになる。

そして、民間は当然のことながらこんな日銀約束を信じない。信じられない約束が期待インフレ率に影響を与えることも無い。結局、この日銀空手形は完全に不発に終わることになる。ちなみに、クルーグマン自身も当然そのことは認識しており、論文では民間が日銀を信じない可能性(=日銀コミットメントできない)についても何度か言及されている。ただ、筆者の知る限りこの部分の記述は都合よく、かつ丁重に無視されることが多かったように思うが。

「だったら日銀約束を守らざるを得ないような仕組みを作ればいいじゃん」と思った方もおられるだろう。

(中略)

誰でも約束を守りたくなるくらい罰則を厳しくすればいい、と思う人もいるかもしれない。まぁ、ターゲットを守れなければ打ち首、だったら皆必死で約束を守ろうとするだろう。ただし、処罰が厳しくなると今度は総裁を引き受ける人間がいなくなる。それなりに有能な人間を雇うことが出来、その人間約束を守らせることが出来るような絶妙な処罰メカニズム存在する可能性はかなり低い。だからこそ、インフレターゲットの処罰メカニズム大家であるカール・ウォルシュ(カリフォルニア教授)自身が、処罰メカニズムは”useful fiction”に過ぎないと書いているのだ。

一番現実味があるのが「日銀総裁インフレOKな人間にすげ替えてしまう」こと。例えば、今日銀は「日本インフレ率は1%が適正」と信じていたとする。彼らが「将来3%までインフレ率を高めます」と言ったところで、その約束には全く信頼性が無い。しかし、ここで「インフレ率は3%くらいが適正だ!」と信じる総裁が着任したら、日銀は放っておいても嬉々として3%のインフレ率を達成しようとするはずだ。これならば日銀約束は民間に受け入れられる。

この方法の問題は、候補者が信じる「適正インフレ率」は本人にしか分からないということ。福井総裁にしたって当初はこれほどのインフレ馬鹿だとは思われていなかったわけだし。

2008-12-16

[][]「この金融政策が日本経済を救う」高橋洋一 ←日本経済を救う根拠はどこにも書かれていない

「この金融政策が日本経済を救う」(光文社新書高橋洋一 について

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/da64d8628af2b3d9223f3699d4b2401b

インフレ目標についての主張は、かつてに比べると後退していてわかりにくい。

デフレのとき実質金利マイナスにできれば望ましいのはおっしゃる通りだが、それを実現する手段が不明だ。クルーグマンも認めたように、デフレのとき中央銀行インフレ期待を作り出す手段はないのだが、「効果の波及メカニズム」についての説明がない。かろうじてそれらしいのはシニョレッジだが、これは著者も認めるように金融政策ではなく財政の問題だ。

金融政策の入門書としては「世界一簡単」かもしれないが、それが「日本経済を救う」根拠はどこにも書かれていない。よく読むと人為的にインフレを起せるとは書いてないので、著者も(師匠バーナンキと同様)リフレ政策は放棄したのだろう。

バーナンキのように、自然率におかまいなしに(それを下回る)超緩和政策を5年も続けると、今のような悲惨なことになるのだ。

重要なことは、日本経済の直面している問題は単なる「景気回復」ではないということだ。百歩ゆずって著者のいうマイナス金利自然率との乖離がなくなったとしても、それは低い自然成長率で安定するだけで、日本の長期衰退は止まらない。本質的な問題は、成長率を上げる規制改革だ。霞ヶ関構造改革孤独な闘いを続けた著者が、それと無関係に古いケインズ的な金融政策を主張するのは奇妙である。問題は景気じゃないんだよ、わかってるだろ?

2008-11-18

[][]池田信夫「彼(クルーグマン)の議論が機会主義的で一貫性を欠くのは今に始まったことではないが」

参考

■[知識][経済]2008年11月17日 朝日新聞 クルーグマンの記事 全文

http://anond.hatelabo.jp/20081118194540

クルーグマン

金融政策が影響力を失い財政政策しか残っていないと言うのは、「不思議の国のアリス」の世界だ。この世界では貯蓄を高めるのが悪い事で、健全財政も悪い事。逆に完全にムダな政府支出が善いこと。「あべこべ世界」だ。ここには長くいたくない。

池田信夫

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1030466313fe91ad865d0bfa2b9c9f1a

彼(クルーグマン)は、1998年に"It's Baaack!"と題する論文で、

伝統的な見方では、流動性トラップに置いて金融政策は無力で、財政支出の拡大だけが唯一の出口、ということになるけれど、これは考え直すべきだ。もし中央銀行が、自分たちは無責任になり、将来はもっと高い物価水準を目指します、ということを信用できる形で約束できれば、金融政策もやっぱり有効になる。

と主張した。これに日本の「リフレ派」と称するエコノミストが唱和して、日銀が異常な金融緩和を行ない、それが円キャリーを誘発してアメリカバブルの一因となった。それなのに今回は同じ状況でインフレ目標を提案しないで、かつて「やけくその政策」とバカにした財政政策を推奨するのはどういうわけか。彼の議論が機会主義的で一貫性を欠くのは今に始まったことではないが、学者ならかつての自分の提案が間違っていたことを認め、それが日米の経済に少なからぬ悪影響を与えたことを謝罪してほしいものだ。

補足 (池田信夫)

2008-11-18 13:36:26

TBにも書かれているが、クルーグマンがこの記事の質問に答えています(日本語が読めるわけないが)。

http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/15/macro-policy-in-a-liquidity-trap-wonkish/

This misses a key point that I and others tried to make for Japan in the 90s and are trying to make again now: creating inflation is easy if you’re an irresponsible country. It may not be easy at all if you aren’t.

要するに、日本では(アメリカでも)無理だということを認めたわけです。しかし、それに代わって彼が提言する財政支出は、もっと無責任な政策です。こういうとき国際的な影響を考えないのは、政治家経済学者も同じ。かつての「インタゲ」論議が日本国内のことばかり考えて、結果的にグローバルな過剰流動性を作り出した愚を繰り返してはならない。

[][]2008年11月17日 朝日新聞 クルーグマンの記事 全文

08年のノーベル経済学賞受賞が決まった米プリンストン大学ポール・クルーグマン教授が14日、ニューヨーク記者会見した。深刻な世界不況が始まっており、米国では政府による60兆円規模の経済刺激が不可欠と強調。今は常識が通用しないときだとして大胆な対策を訴えた。主な内容は以下の通り。

経済の数字は日ごとに悪化している。すべてが、がけから転がり落ちているようだ。消費支出、小売販売額、失業保険の申請・・・。様々な指標を見れば、我々が世界的な大不況突入しつつあるのは明らかだ。だから、多くの対策が必要だ。米国失業率来年末までには8%か9%程度まで悪化するだろう。一方、完全雇用状態を示す失業率(自分に合う仕事を見つけようとするための失業などを除いた失業率)は5%程度と見るのが妥当だ。実際、この10年で2度、インフレを起こさずにその水準まで下がった。

失業率の変化と国内総生産(GDP)の関係をしめす「オークンの法則」を使って大雑把に計算すると、米国は、GDPの7%分も生産額が足りないという状況に直面しつつある。このギャップを埋めるには、巨額の財政支出による景気刺激が必要だ。「乗数効果」を計算に入れてもGDPの4%(約6千億ドル)の支出でも、まだやや足りないと思う。

こんな数字を言うと、人々はあごが外れるくらいに驚くだろう。しかしこれが現状なのだ。普通不況ならば、財政がすべての重荷を背負う必要などない。連邦準備制度理事会FRB)による利下げで間に合う。

しかし今や、利下げは限界に来ている。(政策金利の誘導目標になっている)フェデラルファンド金利が0.29%まで下がる例も出てきた。アナウンスはされていないが、すでに日本で採られたような「ゼロ金利」政策が事実上実施されているようなものだ。だから巨額の財政出動が必要なのだ。

その支出を何に使うのか。必要な刺激は非常に大きい。十分な使途を見つけるのが難しいくらいだ。基本的には、考えつく限りの事が出来る。インフラへの支出や州などの地方政府への補助、失業手当の増額。低所得者向けの医療保険を拡大したり、失業者にも医療保険を適用したりする事も挙げられる。これらはすぐにできることだ。

一方、医療保険を全国民に広げる法案は施行時間がかかるので、刺激策には含まれないだろう。グリーンな(再生可能)エネルギー環境への投資も有効だが時間がかかる。即効性が期待できるのは道路などのインフラ整備だ。たとえばハドソン川をくぐる2番目の鉄道トンネルなど、計画中のものを前倒しする事も出来る。

こうした支出をすれば、政府部門の債務GDP比でかなり上昇する事は確実だ。しかし、今は債務の増大を心配すべきときではない。

合理的判断のできる政府を持つ先進国なら、高水準の債務残高に相当期間は耐えられる。日本がそれを示してきたし、ベルギー債務膨張で混乱するような事態に陥ってはいない。いずれはもっと多くの財政収入が必要になるのだが、それすらも今は心配すべきではない。

ゼネラル・モーターズ(GM)などの自動車産業を救済すべきかどうかは、極めて難しい問題だ。もし救済すれば、ここに至った経営の失敗を今後も続けさせる事になる。しかし一方、この危機のさなかに自動車メーカーが消えていくのは避けたい。正しい事でも今はなすべき時ではない、という事もあるのではないか。

金融政策が影響力を失い財政政策しか残っていないと言うのは、「不思議の国のアリス」の世界だ。この世界では貯蓄を高めるのが悪い事で、健全財政も悪い事。逆に完全にムダな政府支出が善いこと。「あべこべ世界」だ。ここには長くいたくない。

奇妙経済学」を永遠に続けたくはない。しかし我々は今そこにいるのだ。完全雇用に戻りフェデラルファンド金利が5%になれば、もとの世界に返れる。しかし、今は違うのだ。

世界不況を克服するには、G20のような国際協調によるグローバルな景気刺激策が必要だが、残念ながら当事者能力を失ってるブッシュ政権の下では力強い合意は期待できない。米国中国財政による景気刺激策をとる方向には進んではいる。しかしたとえば各国が一斉にGDPの3%に相当する景気刺激策を採るといった合意は、すぐには望めないだろう。

我々は新興経済諸国の危機にも直面している。少なくとも97年の通貨危機に匹敵する規模の危機だ。先進国の危機対応に追われがちだが、通貨や信用の危機、突然の資本流入の停止などの深刻な事態に対応しなければならない。

国際通貨基金IMF)の改革も大きな課題だ。IMFは数十年にわたって、世界のパワーを反映した運営がされてきた。90年代には米国の政策を広める機関のようにみなされてきた。本当はより独立した機関が必要だが、ともかく現状よりましな機関にしなければならない。今は危機に陥った国々に対する国際的な「最後の貸し手」がかつてなく必要とされているときだ。

こうした危機になれば、アジア通貨基金をつくればいいとか、欧州連合EU)の事には口を出さないでくれとか、ワシントンの機関が牛耳るのは嫌だとか、いろんな意見が出ると思っていた。しかし、実際には、みんなが、IMFにしっかりしろと望んだ。これは興味深い事に思える。

米国はかつてのような覇権国ではない。貿易政策ではすでに長い間、EU米国が並び立っている。米国世界最大の国民経済であり続けるだろうが、10年か15年後には、米国ユーロ圏、中国インドが四つの大きなパワーになるだろう。世界はより複雑になっていく。最後に日本について助言するとすれば、「景気を刺激せよ、刺激せよ。ゼロ金利に戻れ」。これに尽きる。

2008-11-11

[][]この清算主義的一致半解は、ろくに自からの主張も理解してないんですよねー

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20081110#p3

田中秀臣

いつも頂く『Voice』12月号。ありがとうございます。しかし今回の号も充実ですねえ。

ところでとりあえず山形浩生さんの「クルーグマン景気回復策」。

「そしてインフレターゲット論を口を極めて罵っている一知半解な論者が、ブログで実質金利マイナスにすべきだと得意げに主張したりする姿も見られる。クルーグマンは基本的に正しいのだ」

とあります。誰なんでしょうか、一知半解の論者って。まあ、それは山形さんにおまかせしましょう。

しかも一番へんなのはその噂では「マイナスの実質金利にするのがいいんだ!」といっているそうです。でもへんなの、マイナス自然利子率の長期的ショックを自然成長率を高めることで行う真の「目的」は、マイナス自然利子率(マイナスの均衡実質金利)のショックを解消することなのに わざわざまたマイナスにしてどうするんだろか????

参考

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/cmt/6cdb3dea0bb4403bfeb5700075dcb754

池田信夫

きょう届いた『Voice』12月号で、山形浩生氏が「クルーグマンは正しかった」とか繰り言を書いているが、そこにこういう一節があります:

インフレターゲットを口を極めて罵っている一知半解な論者が、ブログで実質金利マイナスにすべきだと得意げに主張している>

一知半解はどっちかね。このブログの昔の記事からずっと読んでもわかるが、私はクルーグマンの「日本自然利子率が負になっていた」という主張は正しく、実質金利を負にできれば望ましいと一貫して書いている。問題は、デフレのときはインフレ目標がきかないということなんだよ(それはクルーグマンも認めている)。

この目的マイナス金利)と手段(インフレ目標)の区別のつかない手合いが実に多い。これはWoodfordもGaliも書いているから、くだらない悪口を書く前に、大学院以上のマクロ経済学教科書を読んでみろ。まぁ読んでも君にはわからないだろうけど。

2008-11-09

[][]目的と手段の区別

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/cmt/6cdb3dea0bb4403bfeb5700075dcb754

池田信夫

きょう届いた『Voice』12月号で、山形浩生氏が「クルーグマンは正しかった」とか繰り言を書いているが、そこにこういう一節があります:

インフレターゲットを口を極めて罵っている一知半解な論者が、ブログで実質金利マイナスにすべきだと得意げに主張している>

一知半解はどっちかね。このブログの昔の記事からずっと読んでもわかるが、私はクルーグマンの「日本自然利子率が負になっていた」という主張は正しく、実質金利を負にできれば望ましいと一貫して書いている。問題は、デフレのときはインフレ目標がきかないということなんだよ(それはクルーグマンも認めている)。

この目的マイナス金利)と手段(インフレ目標)の区別のつかない手合いが実に多い。これはWoodfordもGaliも書いているから、くだらない悪口を書く前に、大学院以上のマクロ経済学教科書を読んでみろ。まぁ読んでも君にはわからないだろうけど。

参考

http://anond.hatelabo.jp/20081029051532

クルーグマン米国日本になってしまった」

クルーグマン氏は、ブルームバーグインタビューに対し「あらゆる点から考えて、われわれは“流動性の罠”の領域にいる。バーナンキ議長はあと何回か利下げを実施できるが、実体経済に影響を及ぼさないだろう。ええ、そう。伝統的で従来型の金融政策が奏功する余地はない。弾切れだ」と述べ、さらに「米国日本になってしまった」と語っている。

2008-11-06

ねーねー

http://anond.hatelabo.jp/20081106004422

どこがどう「そんなわけないだろw」なのか教えてよ。

ニート君。

どうみてもブッシュ政権新自由主義市場無干渉派だからリーマンなどのサブプライム問題が起きて

その結果として市場を管理するぞという話になってんだけどさ。クルーグマンもそういうレポート出してたしw

2008-10-31

麻生経済対策のすごさが分かってない奴が多すぎな件について

麻生首相が総額27兆円の追加経済対策を打ち出した。目玉は2兆円かけて行う給付金だ。4人家族なら、1世帯で6万円。さっそく「選挙目当てのバラマキだ」「効果が疑問」みたいな批判が巻き起こってる。でも、この政策、ほんとは結構理にかなったまっとうな政策なのだ。

日本経済の何がヤバイのか

サブプライム問題がきっかけとなった金融危機がヤバさの全てみたいに思われているけど、日本経済にはバブル崩壊以降ずっと悩まされてる問題がある。それはデフレだ。失われた10年と呼ばれた90年代以降、物価は下落傾向にある。物価が下落すると、まず物の生産者でもあるサラリーマン給料も下がる。加えて、企業債務も増えてしまうことになるから(債務は同じ1億円でも、1億円の持つ価値自体が上がってしまう)、経済活動はますます落ち込んでいく。これが本当のヤバイ所だ。

小泉・竹中構造改革まやかし

小泉・竹中は不況の原因はリストラが足りないからだと言って、"構造改革”を進めた。でも、これは全くの逆効果で、銀行企業にますます金を貸さなくなった。デフレというのは、供給に比べて需要が不足しているっていう現象だ。需要不足を解決するのが処方箋のはずなのに、いくら供給側を改革しても仕方がない。おかげで、とりわけ地方の経済はガタガタになってしまった。

必要なのは、マネーの量を増やすこと

それでも、小泉・竹中時代に景気が回復したじゃないかと反論する人がいるかもしれない。でも、それは"構造改革”のおかげじゃない。日銀マネーの量を増やしたことで、長期金利が下がって円安になったため、企業の輸出が好調になったというのが真相だ。長期金利が下がると、日本国債持ってるよりもアメリカ国債の方がいいってことになって、円を売ってドルを買う流れができる。こんなに金利が低いとこれ以上金利を下げられないから金融政策は意味がないというのは大きな間違いで、マネーの量を増やせば長期金利は下がる。そして、長期金利が下がれば、円安を誘導するだけじゃなくて、企業も金を借りて設備投資を活発にしようと思うようになる。

ノーベル賞経済学者FRB議長も認める政策

マネーの量を増やすっていうことについて、この2日間で大きな動きがあった。1つは、麻生発表した2兆円の給付金制度。もう1つは、日銀金利引き下げだ。金利を下げるためには、日銀は大量にマネー市場放出しないといけない。そして、このような政策を一番強く主張していたのは、FRB議長のベン・バーナンキ。「デフレ克服には、ヘリコプターから金をばらまけばいい」という例え話を使うことから、ヘリコプター・ベンとも呼ばれる。そして、もう1人が、今年のノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンクルーグマンは、何年も前から、日本財政政策をもっと拡大し、それに合わせて日銀マネーを増やすべきだと主張していた。こんな感じで、麻生の政策は、アメリカ経済学大御所も認めている極めて考えつくされた政策で、決して選挙目当てのバラマキなどではないのだ。

麻生政策で日本経済はきっと復活する

構造改革熱に浮かされ、今また政権交代煽りたい日本マスコミは、このことを決して紹介しない。でも、何年か経ち、日本経済はかつての輝きを取り戻した時には、昔麻生経済政策てすごかったんだ、と評価される日がきっとくるはずだと信じてる。

追記:27億円と書いてたが、27兆円の間違いなので修正。指摘に感謝

2008-10-29

[][]クルーグマン米国日本になってしまった」

http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200810220019a.nwc

ポール・クルーグマン氏(55)と初めて出会ったときのことは忘れられない。男子トイレでの出来事だった。

 1998年8月、シンガポールトイレで手を洗っていると、隣に(著名な)エコノミストがいることに気づいた。クルーグマン氏が今しがた講演した「流動性の罠(わな)」による日本経済の弱体化について、ちょっとした雑談をしながら、私たちはトイレの流し台が壊れているのをみた。

 「これこそまさに、流動性の問題だ。世界中どこに行ってもつきまとってくる。」クルーグマン氏は顔色一つ変えずにそう言った。

 そのときのクルーグマン氏のジョークを思いだしたのは、彼がノーベル経済学賞を受賞したからというわけではなく、国際金融システムが陥っている状況と関係があるからだ。問題は各国中央銀行が信用、ひいては経済コントロールする能力を失ってしまうのかどうかにある。

 ≪アジア危機を予言

 「経済活動における貿易の傾向と拠点の分析」によってノーベル賞を受賞したクルーグマン氏は、日本バブル崩壊後のいわゆる「失われた10年」に関する研究でも知られる。

 アジアクルーグマン氏に対する評価が高まったのは1990年代半ばのことで、当時、同氏は1997年のアジア危機を首尾一貫して予言した人物の一人だった。その数年後には、クルーグマン氏はアジアが目覚ましい回復を遂げると予測し、的中させた。

 日本金融政策の停滞に関する調査研究が、アジアやその他の地域にも通じることを証明した。日本の「失われた10年」が、例外ではなく世界中蔓延(まんえん)するリスクだ。

 米国も例外ではなかった。1月以降、米連邦準備制度理事会は主要政策金利を4.25%から1.5%まで引き下げてきた。そうした政策が米国経済の支援となっただろうか。

 ≪「米国日本に…」≫

 中央銀行金融政策を施してからその効果が経済に表れるまでに相当な時間差はあるものの、米国消費者は信用危機の予期せぬ影響を完全には体感し始めてはいない。バーナンキFRB議長は一段の利下げ圧力にさらされるであろう。

 クルーグマン氏は、ブルームバーグインタビューに対し「あらゆる点から考えて、われわれは“流動性の罠”の領域にいる。バーナンキ議長はあと何回か利下げを実施できるが、実体経済に影響を及ぼさないだろう。ええ、そう。伝統的で従来型の金融政策が奏功する余地はない。弾切れだ」と述べ、さらに「米国日本になってしまった」と語っている。

 ≪ケインズ主義浮上≫

 クルーグマン氏はまた、経済において政府が果たす役割を重視するケインズ経済学ケインズ主義)の提唱者でもある。12日に米NBC放送のインタビューに対して、ニュージャージー州知事ゴールドマン・サックス会長のジョン・コーザイン氏の発言を補足して、「恐らく肝心なのは、われわれが実体経済に対する刺激を必要としているということだ」と語っている。

 王立科学アカデミーが期を逃さず現時点でクルーグマン氏への授賞を決定したのは、ケインズ主義が過去の遺物ではないとの認識が高まっていることと関係があるように思われる。

 現状はケインズ主義が葬られたとする向きにはほど遠い。米国金融システム国有化しているのと同様に、航空会社自動車メーカー、大手小売業者が政府資産としてバランスシートに計上されるのも時間の問題のように思える。

 グローバリゼーション世界に、国有企業民営化され、そして再び国有化されるといった循環をもたらしている。レッセフェール(自由放任)型資本主義の信奉者である経済学者フリードマン氏の政策よりも、長きにわたってケインズ提唱し、最近ではクルーグマン氏が主張する経済政策に軍配があがるように思われる。

 しかし、やはり最大のリスクの一つは、中央銀行の(存在)意義が危機にひんしていることだ。日本の信用システムはいまなお罠にかかったままだ。他の国が日本と同じ羽目に陥れば、事態はさらに悪化しかねない。(William Pesek)

                  ◇

 William Pesek氏は、ブルームバーグニュースコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です。

2008-06-20

競争力生産性、時々床屋

クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p53(日経ビジネス人文庫

経済概念に対する誤解がいくつもある。たとえば、世界市場競争している産業の生産性は、貿易の対象にならないサービス産業生産性よりはるかに重要だとプレストウィッツは主張している。輸出産業の賃金によって、経済全体の賃金水準が決まるのがその理由だという。たとえば、アメリカ第三世界に比べて、製造業労働者生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金を得られるという。

しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。

先進国床屋途上国床屋より何倍も稼ぐのは、先進国世界市場競争してる製造業生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない床屋に、ずっと高い賃金水準をもたらす、と言うのは誤解か。

この誤解って、一向になくならないよな。

競争力とか生産性重要だ、と言う人ってたくさんいる。

マクロ経済学って、難しいね。

しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。サービス業生産性は、製造業労働者実質賃金に影響をあたえているのだ。アメリカ製造業生産性は高いが、理髪業の生産性はそれほど高くないため、高賃金の理容師がはたらくアメリカの理髪店では、第三世界の理髪店に比べて、散髪代がはるかに高くなっている。この結果アメリカ製造業労働者実質賃金(つまり散髪も含めて、どれだけの財とサービスを購入できるかという基準で見た賃金)はアメリカの理髪業の生産性がもっと高かった場合より低く抑えられる。注意深く考えていけば、実質賃金経済全体の生産性によって決まることが分かるはずだ。製造業生産性、あるいは貿易の対象になる産業全体の生産性を特別に扱って、他の産業の生産性以上に注目すべきだとも、支援策をとるべきだとも言えないはずである。

製造業、貿易の対象になる産業を特別視するのは間違いか。

でも普段の経済ニュースではこれと全く逆だよな。

2008-01-31

アメリカデフレ

このままFRBが利下げを繰り返して、流動性の罠にはまれば興味深い事になるんだけどなあ

クルーグマンは、アメリカデフレになることを数年前から警戒してるしね

単なるデフレじゃなく、金融政策が効かなくなる流動性の罠にはまって欲しい

そしてアメリカが、デフレを克服できれば、日本もそれに学ぶ事ができる

2008-01-28

製造業賃金水準 クルーグマンプレストウィッツ、山形の説明

クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p53(日経ビジネス人文庫

経済概念に対する誤解がいくつもある。たとえば、世界市場競争している産業の生産性は、貿易の対象にならないサービス産業生産性よりはるかに重要だとプレストウィッツは主張している。輸出産業の賃金によって、経済全体の賃金水準が決まるのがその理由だという。たとえば、アメリカ第三世界に比べて、製造業労働者生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金を得られるという。

しかし、プレストウィッツは、逆の関係も成り立つことに気が付いていない。サービス業生産性は、製造業労働者実質賃金に影響をあたえているのだ。アメリカ製造業生産性は高いが、理髪業の生産性はそれほど高くないため、高賃金の理容師がはたらくアメリカの理髪店では、第三世界の理髪店に比べて、散髪代がはるかに高くなっている。この結果アメリカ製造業労働者実質賃金(つまり散髪も含めて、どれだけの財とサービスを購入できるかという基準で見た賃金)はアメリカの理髪業の生産性がもっと高かった場合より低く抑えられる。注意深く考えていけば、実質賃金経済全体の生産性によって決まることが分かるはずだ。製造業生産性、あるいは貿易の対象になる産業全体の生産性を特別に扱って、他の産業の生産性以上に注目すべきだとも、支援策をとるべきだとも言えないはずである。

クルーグマン「良い経済学 悪い経済学」p117-p118(日経ビジネス人文庫

賃金はその国の平均生産性によって決まってくるのであって、ひとつの工場生産性によって決まるわけではない。ある国に最先端の工場がいくつかできても、その国の平均生産性はそれほど上昇せず、したがって、賃金が高くなるとは予想されない(そして、全体的な生産性は低くても、小数の製品アメリカに近い生産性を達成できた国は、そうした製品を輸出するのが通常である。経済学ではこれを比較優位と呼ぶ。)

プレストウィッツによると、アメリカ第三世界に比べて、製造業労働者生産性がはるかに高いので、アメリカの理容師も、生産性の面でそこまで優位に立ってるわけではないが、高賃金らしい。

クルーグマンによると製造業生産性、あるいは貿易の対象になる産業全体の生産性を特別に扱うのはよくないらしい。また、最先端の工場がいくつかできても、その国の平均生産性はそれほど上昇しないらしい。

山形浩生

日本床屋官僚ガーナの 20 倍稼ぐのは、生産性が 20 倍だからではありません。両者の生産性は似たようなもので、せいぜいが倍ってとこでしょう。

そこでぼくは、全体としての賃金水準がその経済の平均的な生産性で決まるんだと指摘しました。そしてその平均的な生産性押し上げている要因の大きな部分は、製造業生産性です。トヨタソニー任天堂が、ガーナでの相当産業(またはその他貿易財製造業)より何万倍も高いから、それが平均的な生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない他の職業についても、ずっと高い賃金水準をもたらすんだよ、と。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070219/p1

山形によると日本床屋官僚ガーナの 20 倍稼ぐのは、製造業が平均的な生産性を大幅に押し上げ、それがさほど生産的でもない他の職業についても、ずっと高い賃金水準をもたらすという事らしい。

2007-10-12

[][][]裕福な家庭の子が進学で有利

20~49歳までの未婚者のうち、年収400万円未満の男性は83.9%

結婚を希望する女性の八割は年収400万円未満の男性と結婚するしかないのです。

すでに41%の世帯が年収300万以下

所得上位62人の資産が下位36億人と同じ NHKニュース

「たった62人」の大富豪が全世界の半分の富を持つ〜あまりにも異常な世界の現実 ピケティ、クルーグマンも警告

衝撃! 貧乏な子どもがいくら勉強しても遊んでる金持ちの子より成績が悪いとの驚愕データが

【科学】米国で実証された「金持ちの子供は頭がいい」 ―年収300万円の家の子は、富裕層の子より大脳皮質が6%小さかった

家計収入によって脳の構造が変化して学業成績に影響することが明らかに

【海外】学費世界一(年1650万円)、大金持ちの子女が集うスイスの学校「Le Rosey」、その中身は?

結婚セミナー『男性の結婚適性収入は、月給36万、ボーナスで夏冬それぞれ月給の2〜3倍、70〜100万です。それ以下の男性はいわゆるワーキングプアと呼ばれる貧民層で、悲惨な結婚生活

4歳までに、専門職家庭の子どもなら自分に対して発せられた言葉を5000万語、聞く。労働者家庭の子どもは3000万語、福祉家庭の子どもは1200万語だった。すでに3歳の時点で、専門職家庭の子どもは福祉家庭の両親よりも多くの語彙を持つ。

Amazon.co.jp: 頭のでき―決めるのは遺伝か、環境か: リチャード E ニスベット, 水谷 淳: 本

Amazon.co.jp: 人間の測りまちがい 上―差別の科学史 (1) (河出文庫 ク 8-1): スティーヴン J.グールド, 鈴木 善次, 森脇 靖子: 本

中三で高一の課程を終え、高二で高校の課程を終了

灘中って1年の一学期で中学の1年の教科書全部終わり、二学期で2年、三学期で中学の勉強全部終わるの。中2からは高校の勉強。

進度の早い進学校(ID:3351171) - インターエデュ

高校履修の数1~数3は何年間で勉強していましたか? : 趣味・教育・教養 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

速報!東大合格者数ランキングと「塾歴社会」 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン

家庭が裕福なほうが高学歴を得やすいという話をしているのだが?

単純に進度が速いのだ。

公立高校生が3年間一杯一杯で学習するまでの内容を、

多くの有名私立高校では2年の終わりか3年のはじめで終了させてしまう。

単純に早く終わるというだけでも、

ぎりぎりまで受験範囲の学習に追われるよりもアドバンテージはあるし、

さらに、その結果生まれたゆとりの時間を使って、

演習などの受験対策も行なってもらえる。

孟母三遷の教え(モウボサンセンノオシエ)とは - コトバンク

図録▽高校・大学進学率の推移

データえっせい: 都道府県別の大学進学率

大学および短大は52.3%、大学に限ると42.4%

大学の休みが1年間で半年もある件について

高校時代は「220人中200位」の劣等生 => ハーバード大学ケネディスクール => 東大教授

私は高校を卒業するまで一度も勉強した思い出がありません。

全然勉強をしないものですから、高校時代は大変な落ちこぼれで、同級生220人中200番台の成績でした。

私の高校時代の姿から、誰も私が東大教授になるとは思わなかったでしょう。

私が学問に目覚めた時 法学部教授・蒲島郁夫

Amazon.co.jp: 逆境の中にこそ夢がある: 蒲島 郁夫: 本

父親中卒トラック運転手、東大合格、司法試験合格

Amazon.co.jp: 総理のコーラ 亡き父との乾杯: よこくめ 勝仁: 本

東大生の1割は貧乏家庭、教育格差に絶望はない - 本山勝寛ブログ: BOYS, BE HUNGRY!〜世界を愛する学び録

「画家の名前を知ってるだけ書きなさい」

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/Puku_Pukuro/status/696873596522631168

https://twitter.com/ponkotufukurai/status/625626090904551424

https://twitter.com/BOHE_BABE/status/621645501163663360

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/twit_shirokuma/status/655008451211345921

https://twitter.com/iida_yasuyuki/status/529447178368856065

夕食は「おにぎりパーティー」 子どもの貧困6人に1人 - 選挙:朝日新聞デジタル

首都圏ネットワーク「貧困連鎖」| プロジェクト2030

視点・論点 「貧困の連鎖を断ち切るために」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK

2012年には人口全体の16.1%の人々の所得が、この122万円という貧困基準を下回っていました。

1986年にこの調査が始まってから、最悪の数字です。

18歳未満の子どもで、貧困基準以下の世帯に暮らす割合は16.3%。

これも過去最悪でした。

16%というのは、約6人に1人、40人のクラスなら6.5人です。

貧困線 - Wikipedia

止まらぬ「貧困の連鎖」、子供の教育機会に格差

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所

衝撃! 貧乏な子どもがいくら勉強しても遊んでる金持ちの子より成績が悪いとの驚愕データが

【科学】米国で実証された「金持ちの子供は頭がいい」 ―年収300万円の家の子は、富裕層の子より大脳皮質が6%小さかった

ミニマリストが文化資本を捨て去るとき / ミニマリズムと貧困・格差・階層化の罠 - アーキペラゴを探して

格差と想像力

僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった

ひそかに進む日本社会の「階層化」 | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

Amazon.co.jp: 学力と階層 (朝日文庫): 苅谷剛彦: 本

Amazon.co.jp: 階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ: 本: 苅谷 剛彦

ハマータウンの野郎ども 労働階級の文化が既存の社会体制を再生産

Amazon.co.jp: 貧困連鎖 拡大する格差とアンダークラスの出現: 橋本 健二: 本

NHK平均年収が約1780万円(サラリーマンの4倍)と報じられ問題視! ネットの声「よくまあ格差社会だ増税だと題した番組ができるよね」 | ロケットニュース24

子ども2人の教育費、平均で「年収の4割」 負担高まる:朝日新聞デジタル

貯蓄ゼロ世帯が過去最悪の28.6%!

平均給与は、409万円

年収に占める教育費、低年収世帯ほど負担重く 400万円未満では4割近くに

20~49歳までの未婚者のうち、年収400万円未満の男性は83.9%

結婚を希望する女性の八割は年収400万円未満の男性と結婚するしかないのです。

すでに41%の世帯が年収300万以下

平均給与は、409万円

年収分布統計から世の中を読んでみた

年収1000万円以上男の「結婚の条件」

ビリギャルの「努力」と駅前トイレで寝泊まりするトリプルワークの女子高生の「努力」する前提すらない貧困

【話題】慶応大学に100%進学できる、慶応義塾ニューヨーク学院、初年度の入学金、学費、寮費込みで、年間4万5000ドル(約450万円)超

【海外】学費世界一(年1650万円)、大金持ちの子女が集うスイスの学校「Le Rosey」、その中身は?

東大生の家庭と一般家庭の年収をグラフで比較したら「教育はどれだけ課金したかで決まるソシャゲと同じ」ということが分かった

2007年の東京大学の学生調査によると、東京大学生の親の年収950万円以上の割合は52.3%を占めている

東大法学部生の親の平均年収1200万円 努力ではどうにもならない壁 どこで生まれるかで決まる人生

データえっせい: 東大生の家庭の年収分布

データえっせい: 東大生の父母の職業

スーパーリッチの子どもが歓迎される名門大学ベスト10

ペーパーテストをやめたら大学は崩壊する

レガシー・プログラム

「コネ」が横行するアメリカのエリート大学

アジア系学生の入学制限で提訴された米名門大学 背景にある「人種枠」とは?

「ハーバード大学が増えすぎたアジア系だけ合格ラインを難しくしているのは人種差別?」海外の反応いろいろ

「大学前」で決まる超・学歴社会 | コリン・ジョイス | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

イギリスのエリート企業は新卒採用で「上流階級テスト」を実施する

「つながり格差」が学力格差を生む

Freshman Survey Part II: An Uncommon App | News | The Harvard Crimson

ハーバードの学生の親の平均年収

ハーバード大学でも、学生の親の平均年収は約5000万円。

Amazon.co.jp: 学歴の値段 ~集金マシーン化した米大学の真実~ (字幕版)

可哀想という感情論だけで安易に手出しできないフィリピンの強烈な格差社会 : 市況かぶ全力2階建

家計収入によって脳の構造が変化して学業成績に影響することが明らかに

江戸時代の武士の子孫、今も日本社会で優位―米大学研究 - Japan Real Time - WSJ

フィレンツェ最富裕層、600年前と変わらず - WSJ

データえっせい: 家庭環境と学力の関連

「所得格差」が「教育格差」を生む冷酷な現実

日本の教育制度は、格差社会の上のほうにいる人に有利なように作り変えられつつある « 東大法卒41歳ママ日記

優秀な遺伝子も打ち負かし得る貧困―知能を左右するのは環境 - WSJ.com

Vol.011 社会階層の移動を決定するのは教育なのか? - 谷本真由美(@May_Roma)の「週刊めいろま」 - BLOGOS(ブロゴス)メルマガ

はてなブックマーク - 親の年収多いほど高い学力 文科省、初の全国調査:朝日新聞デジタル

はてなブックマーク - 「東大までの人」と「東大からの人」大切なのは「出身高校」というブランド  | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]

AO入試に特化した予備校「AO義塾」に注目 東大推薦入試、合格者の6人に1人を輩出 : J-CASTニュース

【悲報】東大初の推薦入試は合格者77名中13名がAO義塾の生徒で、早くも受験テクニックで攻略される | netgeek



AOや推薦合格者の卒業後所得は低いというデータも!国公立大入試の「人物評価重視」は正しいか?

名門女子高から医学部にきた美少女──人物重視入試に異議あり

3人に1人以上が推薦AOの国公立大学医学部医学科 2015年度

面接入試はなぜ駄目か?

日本のAO入試はなぜ上手くいかないのか : 人類応援ブログ

「学歴」も「いい就職」も今後ますます入手困難になると思う | sociologistdiary

【AO入試ビジネスの闇】

AO入試偏重は技術立国の自殺であり階層を固定する

しょせんAO入試は問題だぞ、アメリカだってな

基本的には高校時代の成績とSATを元にしたスコアだね。

AO入試は学力だけでは測れない…つまりは出身中高の良し悪しや家庭・両親の文化資本で合否を決める入試.生まれと育ちが合否を大きく左右する制度

ブルデューの文化資本の考えに立つと、人物評価で選抜される生徒には家庭環境が大きく影響しそう。社会階層の再生産の傾向が強まっちゃうんじゃないかな。 / “<国公立大入試>2次の学力試験廃止 人物評価重視に (毎日新聞)

誰が医者になるのか : 医学部入試選抜システムと文化的再生産についての社会学的考察

Togetter - 「医学部入試の文化資本論 ~ 医学部の入学選考はいかにあるべきか」

オックスフォード大、公立高の才媛を拒否 ハーバード大は奨学生で歓迎

ハーバードに入るには?

「大学前」で決まる超・学歴社会 | コリン・ジョイス | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

約800人の子どもの中で、低所得の貧困層の家庭で生まれたにもかかわらず高い収入を得るようになったのはわずか33人で、また、貧困層に生まれて大学の学位を得たのは28人に過ぎなかったそうです。

「子どもが成功するのに必要な要素」が800人の子どもを30年に渡って追跡した結果判明 - GIGAZINE



原告の男性は家計を助けるため、中学卒業とともに町工場へ就職しました。

60歳となった現在も トラック運転手として働いています。

一方で、本来B家にいるはずが、裕福なA家の長男として育てられた男性は対照的な人生を送ります。

自宅は庭に池がある豪邸。両親が教育熱心だったこともあり、大学進学時まで家庭教師がついていました。

A家の4人の子どもは、いずれも私立高校を経て大学、または大学院に進学。

【裁判】 赤ちゃん取り違えで真反対の人生に…貧困家庭で育った男性「病院は謝罪してくれなかった」

訴状によると、男性は1953年、産湯の後、別の母親の元に戻された。

2歳で戸籍上の父を亡くし、工場で働きながら定時制高校に通った。その後は運送会社に勤務した。

一方、男性の生みの母親に渡された新生児は大学まで進学した。

【社会】1953年、新生児取り違えで提訴…「約60年にわたり人生を狂わされた」

男性の戸籍上の父親は55年に死去。生活保護を受け、兄2人とともに母親に女手一つで育てられながら中学を卒業し、町工場に就職した。

働きながら定時制工業高校を卒業し、今はトラック運転手をしている。

 一方、男性の実の両親(いずれも故人)は経済的にゆとりがあり、誤って引き取られた子も含めて、兄弟計4人はいずれも私立高校から大学に進学した。

60年前の新生児取り違え、病院に賠償命令 苦痛認定:朝日新聞デジタル

親子関係不存在確認等請求控訴事件(東京高等裁判所判決平成22年9月6日判決)

遺伝か、環境か?「赤ちゃん取り違えの悲劇」から考える人間の能力

質の良い文化的財は、ただそこにあるだけで「全般化されたアロー効果」(ブルデュー)を発揮する。「アロー効果」とは、アメリカ計量経済学者ケネス・ジョゼフ・アローの言葉で、ブルデューはこれを以下のように解釈している。

「絵画、記念物、機械、製作物などの文化的財の全体が、そして特に、生まれた家庭の環境を構成している全ての文化的財が、ただそこに存在するだけで教育的効果を及ぼすという事実」。

ブルデュー社会学の基礎概念/最重要用語集

ピエール・ブルデュー - Wikipedia

単に裕福な家庭の子が進学で有利というだけでなく、

文化資本(上品で正統とされる文化や教養や習慣等)の保有率が高い学生ほど高学歴であることを統計的に証明した。

またその子供も親の文化資本を相続し、同じく高学歴になることも統計的に証明した。

彼はこれを文化的再生産と呼んだ。特権的文化の世代間継承と、学校がそれに果たす役割を解明。

社会構造が再生産され変化するメカニズムについて考察し、現象学的主観主義を発展させることも目指した。

これらの研究は、自己を他者から区別する「卓越化」が構造化される過程の分析から、

階級闘争まで触れた著書『ディスタンクシオン』としてまとめられた。

文化資本 - Wikipedia

「客体化された資本」(家庭の中にある文化的なもの、本、楽器、美術・骨董品、蔵書等)、

「制度化された資本」(親の「学歴」、各種「教育資格」)、

「身体化された資本」(ハビトゥス;慣習行動を生み出す諸性向、「構え」「ふるまい」)

の3つの客体がある。

asahi.com:フランスの学歴インフレと格差社会―能力主義という幻想

管理職の父親をもつ男子の53%が管理職に就いたのに対して

労働者の父親をもつ男子では11%に留(とど)まっている。

国家貴族になる学生は、実は統計学的に両親の学歴資本、文化資本、経済資本、社会関係資本が高いことが挙げられる。

4歳までに、専門職家庭の子どもなら自分に対して発せられた言葉を5000万語、聞く。労働者家庭の子どもは3000万語、福祉家庭の子どもは1200万語だった。

就業人口の4割近くを占めるはずの生産労働者は美術館の観客全体の4%でしかなかった

東京大学入学者の70%以上が上層ノンマニュアルの子弟

所得が1500万円以上の世帯で、子どもが東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学といった難関大に入学しているのは40.9%。この値は400万円~600万円世帯に至るまで下がり続け、400万円~600万円世帯では6.3%である

東大生の親の年収 950万円以上が51.8% 教育格差は中学受験から始まる? 〈AERA〉-朝日新聞出版|dot.(ドット)

東大の「学生生活実態調査」(12年)によると、親の世帯年収が1050万円以上という学生が38%と4割近くを占める

東大法学部生の親の平均年収1200万円 努力ではどうにもならない壁 どこで生まれるかで決まる人生

全国で学力がトップレベルの高校生を、親の収入で4段階に分類してみたら、親の収入が一番多い方から順に、34%、27%、22%、17%だった ちなみに、この記事の「学力トップレベル」とはトップ4%。

4年生大学における貧困層の子弟の比率は29%から28%と僅かに減っている一方、富裕層の子弟の比率は55%から66%に大きく伸びている。

マレーは、世帯所得と学歴の平均が上位5%に入る居住地域を「スーパージップ」と名付け、詳細にその特徴を分析していく。

Amazon.co.jp: 階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現: チャールズ・マレー, 橘明美: 本

ハマータウンの野郎ども 労働階級の文化が既存の社会体制を再生産

Amazon.co.jp: 学歴と格差・不平等―成熟する日本型学歴社会: 本: 吉川 徹

貯蓄ゼロ世帯が過去最悪の28.6%!

平均給与は、409万円

【話題】慶応大学に100%進学できる、慶応義塾ニューヨーク学院、初年度の入学金、学費、寮費込みで、年間4万5000ドル(約450万円)超

[フィンランド教育][ゆとり教育][詰め込み教育][つめこみ教育]

[教育][三つの教育][モンテスキュー]

上層の出身階層で育った子弟は、その家庭環境からして教育を受けることをはじめとして、

仕事においても努力をする意欲を強く持つのに対して、

低い階層の子弟ではそれが弱くならざるをえない。

学校外での学習時間は、低い階層の子弟ほど少ない。

「落第しない程度の成績でよい」と考えている比率は、低い階層の子弟ほど高い。

図録▽高校・大学進学率の推移

データえっせい: 都道府県別の大学進学率

大学および短大は52.3%、大学に限ると42.4%

私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、扱いが変わる

[書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ

本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、

大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。

 決して「早稲田大学日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、

ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、

有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。

 それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。

 社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。

 「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。

 でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。

生まれた時代や、環境、性別から生まれる差は、自分の努力だけでは乗り越えられないものかもしれないけど、

受験は努力と運でなんとかなるから。

自堕落生活…勉強本当にできない…

吉川徹の「学歴と格差・不平等」という本

1親が中卒の場合、子供が大卒であるのは13.9%

2親が高卒の場合、子供が大卒であるのは38.9%

3親が大卒の場合、子供が大卒であるのは66.4%

YamaguchiJiro.com | 希望格差社会の現実

7月23日NHKニュースは、

約10%の高校生授業料免除を受けており、

首都圏の高校では新入生の半分が学費を払えないために退学するところもあると報じていた。

生活保護 - Wikipedia

asahi.com(朝日新聞社):地デジ受信機支給へ 生活保護107万世帯に - ビジネス

足立区の小中学校に通う児童生徒の成績は、いずれの教科でも東京都全体の平均点を下回り、都内23区中最低ラインだった

同区の生活保護所帯は1万1000所帯。

これは、東京23区生活保護所帯の1割以上、日本全体の約1%だという。

家庭の生活苦は最終的に、子どもたちの学力低下に結びつく。

有名大学付属校ライフ、トータルでおいくら? お受験ブランド校・学費比較!

慶応

16年間

1700万円

ゴールドマン・サックス・グローバル・リーダーズ・プログラム

下記大学の2年生であること。

京都大学慶應義塾大学国際基督教大学上智大学

東京大学東京工業大学一橋大学早稲田大学

慶應義塾幼稚舎 - Wikipedia

幼稚舎出身の著名人

子供を幼稚舎に通わせた著名人

【教え育てる】慶応義塾幼稚舎

幼稚舎教育の大きな特色に、「6年間担任持ち上がり制」があります。

入学から卒業までクラス替えがなく、基本的には担任も替わりません。

担任は児童一人一人の成長と発達を6年という長い目で見守り、理解していきます。

つまり児童にとっては幼稚舎の6年間、担任は1人だけ。

SFC 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス - おかしら日記

「幼稚舎の歌」  

  福澤の 大先生

  お開きなさった 慶應義塾

社会学理論・研究ノート-大昔の偉い人は何を考えたのかー : ブルデューの文化的再生産論

大学以上の高等教育機関への進学者において、

中産階級の子供たちと労働者階級の子供たちとの間に明らかな階級間格差が生じている現実を指摘する。

東京大学入学者の70%以上が上層ノンマニュアルの子弟 - shift-jis

専門・管理職としてくくられる

上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁管理職、および中小企業経営者など)と呼ばれる階層の出身者の割合が、

すでに1970年代から一貫して、ほとんど大きな変化もなく、高い値を示していることである。

この20年間に、公立高校から東京大学に入る者の割合は、70%から50%へと大きく変化した。

かわって、私立高校の出身者は、30%から50%へと大幅な増加を示す。

しかしたとえ、どのような高校を経由してこようとも、もともとの出身階層の構成比率自体にはこの間ほとんど変化が生じなかったということである。

・・・東大入学者は、私立高校の出身者の寡占状態を生み出すずっと以前から、すでに特定の社会階層出身者の寡占状態となっていたのである。

成績と父親の職業(中学2年生)

成績と家庭の年収(単位:万円)(中学2年生)

成績と母親の学歴(中学2年生)

家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい

東大入学を有利にしているのは、「上層ノンマニュアル」の財力だけではない。

先の調査で示した20年間に、公立高校から東大へ入学する者の割合は70%から50%に減少した。

一方、私立高校の出身者は30%から50%へと増加した。

つまり、東大入学者の出身校が教育費の安い公立から高い私立へと移行しても、保護者の職業構成は全く変わっていないのだ。

これは、財力以上の文化力、すなわち、眼に見えない「階層」が、そこに存在していたことを示している。

苅谷氏によれば、「家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい」という事実は、学者の間では一種の「常識」だったという。

しかし、そうした事実は、高度成長が始まる直前の1950年代後半から90年代後半まで、まるで存在しないかのように無視され続けてきた。

東京大学の学生の親の年収は、どこの大学の親の年収よりも高く

稼ぐが勝ち / 堀江 貴文 : 2006年 読破した本紹介

東大は

早稲田や慶応より

お金持ちが多く、

お父さんが社長とかの子供が多く

東大入学者の保護者の職業構成を、「東京大学生活実態調査」に基づき、20年にわたって調べたデータが紹介されている。

これによると、保護者の職業は1970年代から90年代まで、

医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業・官公庁管理職、および中小企業経営者などの

「上層ノンマニュアル」が約7割を占めている。

苅谷剛彦氏の「大衆教育社会」論

苅谷氏は『大衆教育社会のゆくえ』の中で、「SSM調査(社会階層と社会移動全国調査)」において、

尾嶋史章氏が1990年にいわゆる一流大学(旧帝大東工大、一橋大、神戸大、東京外大、大阪外大、早稲田大、慶應大)の親の職業を調査し、

上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁管理職、および中小企業経営者など)の出身者がどれくらいか分析した調査結果を紹介し、次のように分析している。

 戦後生まれの若い世代である第三コーホート(四六~五五年生まれ)と第四コーホート(五六~六五年生まれ)の比較である。

入学者からすれば、第三コーホートの多数は、いまだ私立の六年生一貫校が隆盛をきわめる以前の、公立高校優位の時代に入った世代といえる。

(中略)この世代と、私立高校が有力になっていく次の世代とを比べると上層ノンマニュアルの親をもつ割合は、ともに七五%とまったく差がない。

つまり、東大だけではなく、それより範囲を広げた「有力大学」への入学チャンスをみても、私立高校が有力になる以前から特定の階層の出身者が入学者の四分の三を占めるという「寡占」状態が存在していたのである。

2002年度の東京大学の第52回学生生活実態調査では、

入学者の保護者の年収は、高所得者の割合が多い

(450万未満が10.1%、450万以上~750万未満が18.2%、

750万以上~950万未満が15.2%、

950万以上~1050万未満が22.6%、

1050万以上~1250万未満が12.8%、

1250万以上~1550万未満が10.6%、

1550万以上が10.6%)また、

平均年収では1014万円となる。

注4)飛びぬけて年収が多い層があるため中央値はもう少し低いと思われるが、それでも

同じ年の1世帯ごとの平均年収が589万円

注5)であることを考えれば、倍近い格差がある。

【東大生≒富裕層】中高一貫私立出身が半数以上、親の年収高水準 東大の学生実態調査★2

東京大学の学生のうち、中高一貫私立校の出身者が初めて半数を超えたことが、同大が実施した

2002年の学生生活実態調査で分かった。親の平均年収は相変わらず1000万円以上の高い水準だった。

調査を担当した市川伸一教育学研究科教授は「公立高校出身の学生も大勢おり、

中高一貫私立校に行かなければ東大に入れないというわけではない。親の年収にもばらつきがある」と 概観しているが、

「(親の年収が高いことが東大入学に)何らかの形で有利に働くことはあると思う」と 分析した。 

格差云々よくわからんけど、学力的に難しい大学にはやっぱり金持ちな家の..

格差云々よくわからんけど、学力的に難しい大学にはやっぱり金持ちな家の子が多いのは最近感じるようになった。

今、ボクは大学生でそこそこ入るのが難しいような大学に入れたと思ってる。これは個人的な感覚だけど。

勉強ができない人・成績の悪い人 - Slow Jamz

夫の学歴が高卒で、妻の学歴が大卒、結婚の同類婚指数は0.19

学歴と結婚と階級社会

母親が高学歴の男性、結婚相手の学歴も高い傾向=米調査

階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ : 苅谷 剛彦 : 本 : Amazon



裕福でないと大学にいけないという幻想 - odz buffer

ところがその階層は決して上流じゃないという現実

上を見ればきりがない

格差と想像力

努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった

ネクスト・ソサエティは知識社会である。ドラッカー

http://anond.hatelabo.jp/20110816094649

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