名前を隠して楽しく日記。
本を開くと裸の女性の姿がいくつもあり、なかには性交している姿を捉えたものもあった。
気持ち悪い。それが心の底の第一声だった。私はそれから父のことが苦手になった。家では善き父親を演じているようで、下心なんて微塵も見せないような素振りがただただ不快だった。中学に上がってからは録に口を利かなかったと思う。視界に入ることさえ嫌だった。高校生なると家出を繰り返し、出席はギリギリながらもなんとか卒業できた。彼氏は作らなかった。何度か告白されたことはあった。それでも相手の目を見ると父の顔が浮かび、その都度断ってきた。大して頭のよくない大学に進み、独り暮らしを始めた。彼氏もできた。人生が華やいで感じられた。これからが本番なのだと、自分に言い聞かせた。
大学を出るときには私は一人で、そのまま独り暮らしを続けて働き始めた。なんてことはない事務職で、自分の代わりはいくらでもいるような仕事。給料は悪くない。だから、辞めるつもりもない。
今日、電車で父に似た男性を見かけた。父がこっちに来ているはずはない。確実に他人の空似だ。それでも私はつい、視界の片隅にその男性を捉えていた。
私はこれまでに二度、痴漢に遭遇していた。ちょうどこの時間帯の電車、息苦しさを感じるような混み具合の最中、私は痴漢に遭った。
そのときのことが脳裏を過り、同時にもしもを考えていた。あの父に似た男性が私に痴漢する姿を。それに気づいて目を逸らし、私は過去からも目を背けたかった。今のはほんの偶然で、疲れていたから突拍子もないことをつい考えてしまったのだと。
多分、本当に疲れていたのだ。
社会人になってから出会いは減り、休日は籠りがちなのが良くないのかもしれない。
恋人を作ろうと思う。
この小稿は、愚痴を言う人はアドバイスを求めておらず、話を聞いていて欲しいだけなんだ、という状況について意見するものです。
まずおかしいのは、愚痴を聞く側の人権を無視しているということだ。
愚痴を言う側は、相手を強制的に黙らせて、相手の思考を停止させ、ただ話を効くマシンとして使役している。
おまえそれカントの前でできんの?
改めて考えて欲しい。
相手に対し、「黙れ・考えるな・意見を言うな・ただ私の話を聞け」としているのは恐ろしいことではないか。
まずそこを考えて欲しい。愚痴を言う人はそうしたある種の傲慢さを持っている。
そしてそんな高度なことは、きっとお金を払って占い師やコンサルティングやスナックのママその他夜のお店の人にするべきではないか。
じゃあお前は愚痴を言わないのか?
だから前段のような極論を言える。
仕事のことは仕事で解決するべきだ。仕事の愚痴は直接その愚痴の根源を解決しない。
ただこれは、私が恵まれているからそんなことを言えるだけなのかも知れない。
仕事はある程度裁量があるし、周囲に恵まれており問題点を仕事の中で解決できる。
それは最初のパラグラフで書いた通り、相手を隷属させる構造が嫌だからだ。
だから相手から愚痴を言われても絶対に自分の意見を言うようにしている。
失敗も多かったが、愚痴を言う相手にウザがられない回答というものがある。
答えはない。その人の状況による。高校国語の問題の、その応用の先にある感じだ。
私の自由意志で相手に合うコメントをしても相手を嫌がらせない。
そんな文言がある。
まあこれが私の自由意志がどうかは難しいところがある。
ニック・チェイター 著、高橋達二・長谷川珈訳『心はこうして創られる「即興する脳」の心理学 』(講談社選書メチエ、2012)であった議論だ。
結局相手に合わせているに過ぎないのかも知れない。
じゃあお前と喰ったら楽しくなさそうだな
謝ったら負け
原神のストーリーやゲーム性を100点満点で表現して90点をつけるような人がいるとはとても思えない。
せいぜい80点止まりだろう。
それでも世界中のセールスランキングの上位に食い込み続けることが出来ているというスケールメリット、「皆がやっているから」「キャラは可愛いから」「前からやりたいと思ってはいた」という理由で新規が途切れることがないことだけが強みだ。
一見豪華に見えるモーションの数多くが使いまわしであり、全く同じモーションが別々のキャラクターから飛び出す内に手先演技の無個性さが持つ毒がジワジワと没入感を失わせてくる。
量子力学を持ち出せば何でもありになると言わんばかりの滅茶苦茶なストーリーテリングは読んでいてゲンナリするしかないこと請け合いである。
度のゲームも敵との対話を拒否し続けて最適コンボをひたすら繰り返すことだけが最適解となっている。
周囲の状況に囚われることなく同じ動きを繰り出し続けるのは、同僚の雑談に適当な相槌を返しながら何千回と繰り返した動作をループ再生し続ける工場労働者のソレだ。
HoYoverseの提供するゲームは確かにリッチな作りで、とりわけ最終出力に意識を向けたビジュアル造形は現代スマホゲームの最先端と言っていい。
思考力を失いガチャを回し続ける愚鈍な傀儡が、高品質を装ったキャンディーを舐め続けて人生の悲しみを癒やす阿片窟。
HoYoverseが勝利してしまうということそのものが、現代におけるゲーム市場が如何に夢のない空間であるかを証明していると言えよう。
反論できませんまで読んだ