2021年12月14日の日記

2021-12-14

anond:20211213193156

部品が高くなったから、もしくはなかなか送られてこなくなったからでは。

うそろそろフェミアンチフェミをいっしょに叩く層が出てくると思う。

俳人ファーストネーム

やばいの多すぎでしょ。

おい、虚子、挙手!

とか先生に呼ばれたりしてるってことでしょ???

腹減った

この時間に食べると太っちゃう

でもピッツァがたべたい

anond:20211214232058

120万あれば種銭にしてFXでガッポガポやろ!?

明日は🍆支給

120万入るって分かってても何も嬉しくないや。

こんな端金じゃ人生何も変わりやしない。

フェミアンチフェミが嫌いだからエロネタ作ってる。

自分が嫌ってる人に負けるのが屈辱的で抜けるんだ。

anond:20211214193807

自分が稼ぐから妻には家で家事しっかりしてほしい」っていう男性、ことごとく年下の可愛い子と結婚するから

まりバリバリ稼いで妻には家事をしっかりしてもらえるようになれば年下のかわいい子と結婚できる!

コロナウィルスに関する考察

1.この考えに至った経緯

・オミクロン株が出てきたタイミングがあまりにもドラマチックすぎる。映画漫画であるあるの展開なので、まさかと思い仮説を立てることにした。

2.コロナ禍発生以前を取り巻く環境

3.このコロナ禍は誰が何のために作り出したか

3.1 発生原因

3.2 その後の進展

4.今後の展開予想

5.今すべきこと

・4項で記載した事柄については、もう誰も避けられない。せめてこの状況が落ち着いている今のうちに会いたい人に会って、たくさん思い出作った方がよいと考えられる。

anond:20071214182934

なんではてなってゲームに乗り出さなかったんだろう?任天堂によくしてもらってたりもしてたのに

今ってスマホゲーでも金かかりまくるから、今更始めるのははてなでは無理だよね

フリースタイルダンジョン式で対戦できるWebサービス作ったら需要あると思う?

ヒップホップ全く詳しくないんだけど

anond:20211214221951

合理的だのう。牛コ、馬コ、犬コ、猿コ、とか言うんか? (馬っことかベコとかじゃなくて)

なぜ校則は変わらないのか。その一考察

https://anond.hatelabo.jp/20211213182433

上の記事を読んだので、書いてみることにした。

身バレしても困るし(しないだろうけど)、当方アメリカ日本それぞれの教育機関でそれなりの経験ありとする。

現在日本とある高校先生

こういうことを書くと出羽守みたいになるから普段はできるだけしないようにしているけど、はてな村の皆様の意見をもう少し聞いてみたいと純粋に思ったので書くことにしました。

以下前提として、アメリカ学校の様子しか知らないので、全てアメリカとだけの比較で語っています

日本学校校則も含めて、アメリカと比べると軍隊みたいだし、北朝鮮であると私も思います。もちろんアメリカ学校も様々ですが。

じゃあ私が今日本の学校先生側にいて、校則をどんどんなくそうと声を上げているかというと、上げていません。

なぜかというと、アメリカ学校のことを思い出すからです。

私がいた、あるいは見聞きしたアメリカ学校には校則はだいたいありませんでした。私学だと制服があるところもありますが、ごく少数派ではないでしょうか。

高校などでは、ドラッグや銃、刃物といった犯罪のものはもちろん禁止で、あとはギャングにまつわるものギャング連想させるようなファッション等は禁止といった程度でした。

服はもちろん自由だし、髪をそめてもよく、ピアスも舌ピや鼻ピも全然オッケーで、タトゥー全然ありました。というか、例えばオセアニア地域ルーツを持つ生徒だと、タトゥーを入れるのが文化であるので、普通に入れていますディズニーモアナ登場人物を思い浮かべてもらえればだいたいあの感じです。

多様さを尊重するのがポリティカリーコレクトですから、そのような生徒のタトゥー指導するなんて言語道断です。文化尊重するのが当然です。

髪をレインボーに染めている生徒もいます。これはLGBTQ+を背景とした場合も多いので、当然尊重します。

これらの生徒の容姿指導するなんてことは、許されるでしょうか?

許されないでしょう。

日本にこうした生徒がいても、尊重されるべきだと思います

しかし、ここからです。

こうした生徒は、日本社会において果たしてどれくらい許容されるでしょうか。

駅や、公園や、ファミレスや、分かりませんがそのへんのいろんなところに、タトゥーを入れた生徒や髪をいろんな色に染めた生徒や、ピアスをした生徒やいろんなファッションをした生徒が中高生として歩いているときに、どれくらい日本の今の社会はそれに耐えられるでしょうか。

私はかなり疑問です。

もちろん、上記のような生徒のバックグラウンドがわかる場合には、ちゃんと許容できる人も多いと思います。たとえば、ああ、この生徒はオセアニアバックグラウンドがあるからあのタトゥーをいれているんだな、ちゃんとしたルーツに基づいたものなんだな、とか、この子はおそらく性的マイノリティからこういうスタイルなんだ、とちゃんとわかれば、許容できる人も多いでしょう。

しかし、生徒は本当に多様です。そのように、「ちゃんと」わかるような子だけではありません。また、ぱっとみで「ちゃんと」しているように見える子だけではありません。どこまでが、たとえば「ちゃんと」オセアニアバックグラウンドを持っていると判断できるのか、どこまでが、たとえば「ちゃんと」性的マイノリティ当事者であるといえるのか、そんなクリアな線引きは存在しません。

君のバックグラウンドは「ちゃんと」したものから、君にはそのスタイルを認めよう、しかし君のバックグラウンドはそれ「ちゃんと」したものじゃないよそれ、自称だろそれ、そんな物言いが許されるでしょうか? 許されるわけがありません。

いや、そんな0か100かの子供じみた極論ではなくて、ケースバイケースで丁寧にやっていけばいいんだという意見もあるかもしれません。しかしそれこそが理想論です。

なぜなら、こっちの生徒は「正統な」理由を持っているのでかくかくしかじかの身なりを認めて、こっちの生徒の理由は「正統」ではないのでその身なりは認めない、こんなことを1から100まで全部やっていられるはずがないのです。そんなことは理路をきちんと通そうと思えば無理です。

いや、実際校則がなくうまくいっている学校日本にあるじゃないか、という意見もあるかもしれません。しかしよく見てください。全てとは言いません。しかしその多くは、本当に多くは、いわゆる賢い学校なのです。地域でも、あの学校進学校で難しくてすごい子が集まっている、と認識されている学校ほとんどです。だからほとんどの場合、そうした学校の生徒は一線を踏み外すことはありません。地域の人たちから眉をひそめられて、学校を十把一絡げにあの高校は厄介でひどいやつらだと後ろ指さされるほど集団で間違ったことはしません。たとえびっくりするようなファッションをしていても、でもあの子は賢いんだよねと地域の人も思うし、実際その期待を大きくは裏切らない行動の範囲にとどまるものなのです。

校則がなくてうまくいっている学校というのは、校則がなくても「ちゃんと」した行動ができる生徒たちがいる学校なのです。

私も日本先生をしていますから、なぜこれがだめなんですかと生徒から聞かれることがあります。あるいは直接そういうふうに聞かれなくても、なぜなのかとお互い思いながら生徒指導をしているなと感じる場面はあります。はっきりとブラック校則とまではいえなくても、これはまあ理詰めで生徒から聞かれたら最終的にはなぜダメなのか答えるのは苦しいよなぁと思うことは多々あります

しかし、じゃあこれをやめましょう、これをやめましょう、というふうに話をもっていくかというと、私はしないです。

なぜか。

そんなことを言い出したら、学校が「このスタイルはだめ」などと言える理由は、理詰めでいけば無いからです。実際、アメリカ上記のような学校ではそんなルールはありません。無理が出るからです。

日本学校に今ある校則を一つずつ撤廃していった場合、どこかで、ここまでは撤廃だけどここからは残すわ、となります。じゃあ、なぜここまでは撤廃してここから撤廃しないんですか、ここの線引きには根拠があるんですかと聞かれたら、最終的にはそんな絶対的根拠はないでしょう。法律違反でもしていない限り。しかもその、ここまではオッケーでここからはだめでしょという線引きは、人によって違うのです。先生によっても違う、保護者によっても違う、地域大人によっても十人十色です。万人が合意できる、ここ、というライン存在しないのです。

ですから校則撤廃していくというのは、非常に難しく、また不毛作業なのです。不毛というのは、議論したところで簡単結論が出ないのです。

職員会議で話し合うとしても、先生によっても全員そのライン感覚は違うし、地域大人日本社会に生きる大人たちの感覚想像しそれを折り込みながら議論すれば、それこそ千差万別すぎてラインはそう簡単に設定できないのです。結論がでません。そういう意味でその議論不毛なのです。

結果、どうなるか。

校則を変えようという議論は、非常に保守的で、非常に遅々としたものになります

まり、これはもう誰がどう見ても、誰がどう考えても時代遅れおかしくて、撤廃するのが当然だという結論が明らかだろう、地域社会の誰がみてもまあ撤廃で納得できるだろう、という、一番おかしものから、やっと撤廃されていくのです。それより先は、上記のような不毛結論のないところにのみこまれていくことが目に見えているので、先生たちも誰も積極的にどんどん変えていこうとならないのです。そんなことに日常の限られた時間を際限なく費やしていくわけにはいかないのです。

ですからブラック校則ということが声高に世間で言われ始めたのはとてもよいことだと思います

それでなければ、校則にまつわる物事は進まないのです。

しかし、私はいつもブラック校則という言葉を聞くたびにおもうのです。

それをいうなら、なぜタトゥーはだめなんでしょうか? もちろん、日本には刺青という西洋とは異なる文脈を持った文化があることは承知していますしかしでは、オセアニアバックグラウンドにもってルーツに誇りをもって文化としてタトゥーを入れている生徒がでてきたとしたら、それも禁止したり指導したりするんでしょうか?私は当然認めたいと思います。じゃあ、オセアニアにバックグランドがあるんだと主張してタトゥーを入れた生徒がいたとして、それが疑わしい場合ルーツ証明するようなことを迫るのでしょうか。そんなことは人権的に許されない。オセアニア以外にも様々な理由で、おそらく私たちが思ってもみなかった理由タトゥーをいれたり、タトゥー以外にもいろんなスタイルを求める人が現れるでしょう。そのどれを認めて、どれをおかしいとするのか。そんなことを最終的に誰が決められるのか。

そんなことを考え出すと、旧態依然とした、すでにある校則でそのままいきつつ、絶対おかしいとなったことについて対応していく、ということしか、なかなかできなくなってしまうのです。

現場からは以上です。

追記

書き忘れましたが、日本でも定時制高校では制服などはありません。校則基本的にないところも多いです。これは、働いている生徒も多いし、そもそも制服だのなんだの校則を作ったところで運用が難しいという背景もあります

しかし、これは非常に問題のある発言になることを承知でいいますが、そうした学校の多くは、地域のある一定の人たちからは、後ろ指さされていたり白眼視されていたりすることが少なくないでしょう。私もそうした高校で勤務していたことがあります日常的に苦情の電話が入って、現場にいって謝ったり対応したりしていました。一生懸命やっている生徒たちに対して、心無い言葉を投げられたことも何度もありました。生徒たちの容姿のことを言われたこともあります。確かに例えば女生徒ものすごいミニスカートを履いていたりもします。しかし、それが何だというのでしょうか? でもそれは、そのこのことをよく知っている教員から思うことであって、見知らぬ人からすれば違う見方をしてしまうのも無理のないことだと思います

そうしたトラブルは、多少しんどい学校であっても校則制服も含めきっちりおさえてかためているところでは、少ないのも事実なのです。

anond:20211214230824

その場合もお好みに応じて相手を選んでどうぞ。男性でも女性でも。(僕は女の子が好きなので女の子ナンパ するけど)

anond:20211213170318

自分が得意で既に安定して上手く出来るようになっている事だけ繰り返して行い、成功体験再確認と上積みと足元固めを行う。料理でも楽器でもスポーツでも語学でも何でもいい。例えば自分が確実に受かりそうだけどまだ受けていない英検の級を受験するとか。得意料理をひたすら作って振る舞うとか。

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