でも、野次馬たちにとってはそれなりに考えるところがあったから何かしら発言をしている。
見えるものが違うなら結論も異なるものになるし、そこから生まれる差異を無視して人を断ずることは嫌だなぁ、と個人的には思う。当事者と野次馬、どちらの立場だったとしても。
「最先の賃借権」という記述が三点セットに書いてあったら、落札者に賃借権を対抗できるよ。
でも、裁判所で「退去しないといけない」って言われたなら、相手もわかって言ってるだろうから望みは薄いかもね。
あと、残念だけど、区分所有建物だと「投資目的の人が落札してそのまま賃貸契約を巻き直してくれる」っての期待しない方がいい。
投資目的の価格相場よりも、自己使用目的の価格相場の方が高いから、普通に札入れたら大抵は自己使用目的の人が勝っちゃうからね。
銀行が金を貸すかどうかだけど、住宅ローンみたいな「商品」はそれなりに厳しいと思う。
区分所有建物だから、全くないわけではないだろうけど、たとえばフラットの場合↓これを見ると分かるように適合証明を出すのかなかなか大変。
https://www.rakuten-bank.co.jp/home-loan/lp/keibai.html
銀行の商品だと、不動産屋抜きで「融資可能な物件」である資料をそろえて担当に稟議出させるのは、それなりにしんどい。
たぶん、普通に銀行に飛び込んでも厳しいと思うので、あまり期待しないほうがいい。
プロパー融資ならありえる。狙い目は信金。都市銀は無理。地銀は金融庁から不動産融資の締め付けが厳しいので、最近は渋い。
ノンバンクならたぶんどこか貸すところがあると思う。
ただ、100%融資は無理だし、入札する前に「買受申出保証額」って書かれた金額を保証金として振り込まなきゃいけないけど、それは自腹で払うしかない。
あとは、所有者が管理組合に管理費を滞納しているはずだから、それを支払う必要もある。
税金の支払いもあるし、現金で4割ぐらい準備できないと厳しいかな。
不動産屋に買わせて転売してもらい、住宅ローンで買う、というのもひとつの手。
だけど、2回分の売買で税金がかかるし、不動産屋も利益を取るし、おそらく割高になる。あまりおすすめできない。
ただ、瑕疵担保2年がつくし、金利も抑えられるし、住宅ローン控除も使えるから、信頼できる不動産屋がいるなら検討の余地はあるかも。
あと、「自分が高く買うよ」って債権者を説得できれば、今からでも競売を取り下げさせることは可能だと思う。「任意売却」って呼ばれる方法。
銀行や保証協会によって態度が違うけど、これでやれるなら、競売に札入れるよりも確実だね。
そんな感じで。
http://news.livedoor.com/article/detail/13865656/
詳細は伏せるけど,とにかく酷い教授だった.
「首を絞めるのはやりすぎ.さすがに学生にも非があったのでは?」「まだ事件の詳細はわからないから教授を一方的に責めるのは如何なものか」
そのような意見が出るのはもっともだと思う.メディアが報じるニュースの裏に隠れた事実があることだって沢山あるだろう.
ただ今回は内情を知ってるだけに,そのあまりに事実と異なるコメントに違和感を抱いた.
なに見当はずれなこと言ってんだろう,と思った.
今まで泣き寝入りしてきた学生たち,そして今回勇気を出して被害届を出した学生が,その如何にも中立的なコメントを見たらどう感じるだろう,と思った.
真実を知らない第三者が,ニュースの裏を憶測で論じる意義ってどれぐらいあるんだろう.
教えてください.
超ダッシュ
あまりの足音の大きさに前を歩く人達が振り返って道を空けてくれる
駅の改札も全力疾走する
たまにスイカのタッチをミスるけどドアが閉まるよりオレの方が速い
駅のホームでも超ダッシュ
めっちゃ駅員に怒られる
書類を抱えたOLとぶつかって「あっすいません」なんつって一緒に書類を拾って最後の1枚を拾う時に手と手が触れ合ってオレ達の恋も全力疾走
ありがとうございました
少女漫画でも少年漫画でも脇役に1人くらいオカマとかゲイのキャラいるんだよね…BLという表現が適切かはわからないけど、男同士の恋愛はわりといろんな作品で描かれてる。
時代物ではよくある
文章を書くことは錆びついたネジを回すことに似ている。
ネジは動かそうとしてもはじめはビクともしない。
でも、回していると段々とサビが取れて動くようになる。
だけれども、小気味よく回転する頃にはネジは外れてしまい、それ以上回すことができない。
文章を書くときはいつだって憂鬱だ、締め切りに終われケツに火が付いてからしぶしぶ書き出す。
そして、やる気の載ってきたころには時間切れで為すすべもない。
締め切り当日にはいつも、こう思ってる
「いまから3日でいい、このやる気のまま過去に戻してくれ!!」
切実な願いは届かず、学習もせず、また締め切りを迎える。
計画的に取り組めるヒトが羨ましい。
才能の定義っていうのは、何かの道を進もうとした人なら皆一度は考えたことがあるのでは無いのだろうか?
よく言われるのは「努力を努力と思わない才能」「人より短い期間でより先へ進んでしまう才能」だと思う。
しかし、私が考える才能がもう一つある。それは、「向かうべき先が見える才能」だ。
そもそも、努力できるということはどういうことだろう?短い期間で先に進めるのはなぜだろう?それを考えると、「向かうべき先が見えるから」なのではないかと思うのだ。
向かうべき先が見えるから努力できる。向かうべき先が見えるから最短距離を選べる。そういうことなのではないのかな?と。
この先に何があるのかわからずに努力できる人はきっと少ない(いや、先が見えないのに何か努力するのは辛い、の方が正しいかも)。先のことがわからないのに早く成長することもきっと難しい。でも、先が見えていればそこに向かって努力するのは辛くないだろう。どこが向かうべき先なのかちゃんとわかっていればそこにたどり着くのは早いし、それは側から見ればとても早い成長に見えるだろう。
そしてもしも、見えている「向かうべき先」が今まで誰も見たことがないもので、その誰にも見えなかった先にたどり着くことができたのならば、それは間違いなく「天才」の成せる技なのだろうと思う。
これは、私なりにすごい人の話を聞いたりして考えた仮説。天才って呼ばれている人は凡人には見えないものが見えているらしいってことだけ何となくわかることから考えた話。