「モラルの問題だと思っている」
のか
「モラルの問題だと思っていない」
のかがわからない(あなたの言っていることに矛盾がある)、ということを書いたのですが、読解いただけませんでしたでしょうか?
http://anond.hatelabo.jp/20110808185533 の
「まさに「言ってることが、ちぐはぐになってきてます」状態」のところまででいいのでもう一度目を通していただければと思います。
喪にしかできないことってあるんだよ。
具体的にはどんなこと? 胸を張って誇らしげに言えること?
ぜひとも聞かせてほしい。知りたい。
「非リア充がやってること」のほとんどはその気になればリア充にも可能だけど、
家庭は奥さんが給料丸々自由に使ってると思ってるの?
丸々手にしてる方が「管理」して当然だろ。それが妻でも夫でも。
「夫がもらってるのは小遣いだから全部自由に使えるでしょ! 妻はもらった分全部使えないのよ! キー!」って。
小遣いって言うからには夫の取り分はせいぜい数万、奥さんが手にしてんのは残りの数十万だろ。逆だったら問題だがw
そして生活費や貯金は妻だ夫だ関係なく出て行くものだろ。その管理を妻がしているって状況に対して、あんたは一体何を怒ってんだよw
いや、夫が自由に使いたいだけ給料使えるような家庭だってあったらやばいっつのw
あんたが普段どんだけ虐げられ……いや、どんだけ現状に不満いっぱいなのかは知らないが、とりあえずいくら横でも自分が引用した原文ぐらいちゃんと読めって。
派遣社員はただ見守る。言われたことだけやる。
これ別に「リア充」全体を語ってるんじゃなくて、単に自分の友達の一人を指して陰口たたいてるだけじゃん。
こっそりひがんでいた○○君に最近ちょっと弱みを見せてもらえたから、喜び勇んで見下しバカにしてみたという図式。
久しぶりの優越感は美味しいかい? ん?
いやいや、非リア充たるおまいはそれら何もかもが不完全以前に燃焼すらしなかったからこそ非リア充なんだろ?
不燃物が今さら可燃物を羨むなよ。
「スポーツ得意で ~ いい家を建てる」人間が皆「何もかもが不完全燃焼で ~ 思考回路がもろい」訳がない。当たり前。
極めて狭いサンプルのみであたかも世間全体を知ったかのように語ってみせる、その思考回路はもろいを超えて滑稽というか何というか。
リア充だ何だと誰かが作ってくれた便利な単語に乗っかって自己表現した気になってんなよ。悪口ぐらい自分の頭で考えてから喋れ。
何を批判するかで見えてくる人物像もあるんだよね。
この、同じ特定のレスを執拗に引用してひたすら「シンジラレナーイ」と連呼するのって、すごく元増田っぽいのでやめた方がいいですよ。
他人のレスを繰り返すだけで何の主張もしていないあたりとかも、完全に思考停止してる感じです。
ところで「顔も知らない他人、時間にして五分も居ない通行人の他利なんて計算に入れてられませんね」って公言する人間の存在ってそんなにショックなんですかね。
いや、誰でもビックリはするか。でもここまでしつこく怨まれるというか非難されるというか、言っただけで延々リピートされるほどの無条件な悪徳だったのか。
そういう行動で人はこんなにも害された感を持つものだったのですね。ガチの赤の他人、時間で五分未満で。あるいは赤の他人に五分未満「だからこそ」なのかはわかりませんが。
すみませんでしたね、気分を害して。
度を越したものは非難されるべきだと思うよ。
>完全な自己都合で、そのために公共の迷惑お構いなしっつう、典型的なモラル崩壊ケースじゃないかい、それ。
そうは思いませんね。この「自己都合」を編むにあたっては、前提される環境として公共のルールとその実施状況が必ず反映されているはずだからです。
現実問題、それらを考慮せずに生活サイクルは築けません。むしろ公共のルールを最低限クリアしつつ自分の生活を効率的に組んだ結果なんじゃないですか?
手落ちがあったとしたらアクシデントを想定しておらずそれに備えられなかったことですが、何度も言ってますが元増田の例ではシステムの側も備えがなかったわけですし、一方的な自己責任にするのはどうかと思います。
完全な自己都合で公共おかまいなしってのは、例えば山中にゴミ放置とかそっちの方を言うのでは。
>その設定の人は、自分の勘違いで一日早く持って出ても、そのまま放置するよ、本人にとっては選択肢がなくなってるから。
そうですねw そしてその場合はモラルのない行為ってことになるでしょうね。
ただし、それは「指定日ではないのにゴミを出す」に当るからであって、時間の使い方がまずいとかそういう理由ではないです。
>「選択肢がなくなった」のは「自分の行動の結果」だろうに、それが理由になってモラルと関係なくなるって理路が理解できないんだが。
元増田の例で「選択肢がなくなった」のは本当にその個人の行動の結果だけが原因ですか? 責任とは言わないのは何か意図がおありなんですか?
一番の原因はゴミ捨てボックスが使えないことです。システムのプチ破綻というアクシデントです。環境の激変です。
いつの時点で壊れたのか定かでないですが、「この前まで使えてた」ものが「今日来たら突然使えない」。おまけに代替案もない。さらに時間もない。
プチ破綻してたと前もって知ってたらサイクルを組み直して調整することもできたかもしれませんが、そんな余裕のない状況でいきなり直面したとしたら理不尽です。ツイてなさすぎる。
しかしそのツキのなささえ責任取らされる世の中です。どうせ責任取らなきゃならんのなら最も自分にとって利が大きいやり方で取ろうとするのは判らないでもない。
後からゴミの片付けをやらされるとしてもいいから遅刻は回避したい。判断としてはあり得ます。斯くしてカラスのエサ場が築かれるわけですね。
しかも元増田の話が回収日の朝の出来事だとしたら、前日などの本来回収日指定でない日に出そうとするという、このマンションでなければバリバリのルール違反者が異常に気づけて、回収日ちょうどに出しに来たルール範囲内(ギリギリ)者がアウトになるという非常に不運かつ意味判らん状況になっていると言えなくもないw 実に不条理ですね。苛立に拍車のかかる話です。
答えは否です。モラルが回避できるのはカラスのエサ場の発生だけであって遅刻でも時間のなさでもゴミ捨てボックスの故障でもないです。
カラスのエサ場回避を最優先にするような余裕はありません。そういう余裕を要さないシステムを選択していたのですから当然です。
コメ先物、波乱のスタート=原発事故受け、買い殺到―東穀取と関西商取
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110808-00000031-jij-bus_all
コメ先物取引は、将来の特定時点(決済期)の価格を予想し売買する。東穀取では「関東コシヒカリ」、関西商取では「北陸コシヒカリ」の1俵(60キロ)当たり価格が対象。
この日は11月、12月、2012年1月をそれぞれ決済期とする3限月の取引が始まった。東穀取では気配値が取引基準値(1万3500円)を大きく超えたため、午前11時15分現在、値段が付いていない。関西商取では11月物が1万4320円、12月物が1万4540円、12年1月物が1万9210円の初値を付けた。
都会の人がいくらで米買ってるのか知らないが、
俺が実家に帰ってからの米の値段は1俵(60kg)16,000~18,000くらいだったはず。
農家から直で買ってて、確かJAへの売値と同じか、やや安いくらい。
1俵15,000円切る米なんて信じられない。
どんな品質なんだよと思う。
保冷庫に眠ってる古米、古古米も今なら売れるかな。。。
スポーツが得意でなく、
友達もおらず、
いい大学に行く事もできず、
いい会社には当然入れず、
いい異性といちゃいちゃしたことも無く、
結婚できずに、
いい家を建てるなんて夢のまた夢。
こんな30歳は文章がまともに書けないという事がわかりました^^
『容赦なき水の戦い、舞台は真夏のサンクトペテルブルグ - GIGAZINE』
http://gigazine.net/news/20110808_water_battle_in_st_petersburg/
はてブで上のページがホッテントリされて、タイトル前半の『容赦なき水の戦い』しか頭に入っていない状態で、
「世界には水源を巡って部族同士が争っていると言われているが、またその手の紛争か」と早とちりしてリンクをクリック。
するとそのページには、都会の真ん中でバケツやペットボトル、水鉄砲などを使い、水をぶっかけ合うお祭りの様子が書かれていた。
そしてページを改めて見て、
「世界にはこの水のために殺し合いまでする人たちがいる一方で、遊びで水をこのように扱う人たちがいる」
「世界の水問題が解決するまでこんな祭りはするべきではない」などという主張は馬鹿げてる。
東日本大震災の後に見られた過度の自粛は、経済を停滞させることも分かっている。
だが、どうしても、自分の中にモヤモヤするものが残ってしまう。
それもこれも、リンク先のタイトルをよく確認せずに勝手に妄想してクリックした自分が悪い。
自業自得だ。
結局、関係のない第三国から見れば「くだらない事で何いがみあってるんだ?」と言う風になる。
よく、遠い国の内実や隣国との関係が悪化しているニュースなどを聞いても大して気にもとめないあの感じ。
気にしない人間は怠惰なのではなく、単に心が感じたように行動したに過ぎない。
国がなくなる?国がなくなったらどうだというんだろう。言葉が通じない?通じないなら学べばいい。
国家という問題について考えるとき、忘れてはならないのは「誰もその国に所属することを望んで産まれたわけではない」という点。
国というシステムは非常に古い歴史を持つが、しかし自然なものではない。人間が作り出した人工的な概念だ。つまり幻である。
なのに、そんな国というものについて過剰な期待、過剰な怒り、過剰な思い入れを持つのは自らの人生にとってマイナスになることはあってもプラスにはならないだろう。
人は本来自由なはずなのに、物語に過剰に入れ込んでしまうことで不自由になる。現実とは物語である。レイシズムも、ゲームにおける国家の争いがある意味では滑稽なように、たいしたことではない。
だから感情をあらわにしている人々に対して、小説の登場人物が叫んでいるシーンを当てはめてみればいい。彼らは幻であるところの物語(=現実)をまるで真実であるかのように思い込んでいる滑稽な人々に見えてくる。彼らを嗤っても意味はない。彼らに怒ることはもっと意味がない。フィクションのキャラクターをフィクションのキャラクターと明確に自覚しながら彼らを「説き伏せたり」彼らに「怒りをぶちまけたり」する人たちの行動はお笑いでしかない。そんなのは漫才師のコントでやればいいのである。