はてなキーワード: 温故知新とは
確かに今の左翼の立場は微妙だけど、社会の仕組みは左翼によって変えられてきたわけで。
それは右翼左翼の語源となったフランス革命時代の国民議会の頃からずっとそう。
もちろん左翼が国家の中枢を牛耳ってた旧ソ連のあまりにもあまりな末路を見ると、左翼だけで世の中が回らないのは御存知の通り。
左翼や革新のスタンスだと新しい情報は徹底的に重視するけど(情報公開をしきりに求めるのは左翼のスタンス)、反面過去の蓄積やら伝統やらは一顧だにしないので(そして右翼はこちらを大事にする)、結果的に人間の自然な感情が蔑ろにされやすい点はあまり現実的じゃないと思う。
一方で右翼や保守のスタンスだけでは、温故知新といえば聞こえはいいけど「今のままではダメだ、変えて行かないと」という力学が弱いので、往々にして個人の情に流されて万事なあなあの右へ倣えとなりがちで、社会が停滞してしまう(伝統を重んじ権威を立てればいいだけだったら社会を進歩させる必要性は薄いし)。
強いて言うなら右翼も左翼も、どっちも大事だし、その綱引きで回っていくのが健全なんだろう。
自分がやっている弓道は、人類が生み出した武器の原型の一つである弓を扱うこともあり、大昔からの積み重ねが生きている・・・と思っていた。
ところが調べてみると、いわゆる現代弓道は、それまでの諸流派のごった煮に過ぎないことを知った。
大雑把に言えば、日本で最も普及している正面の射法は、行射は本多流、体配は小笠原流が概ねベースになっているらしい。
勿論弓懸のチョイスや取り矢の有無、身のこなしを「初心者のうちはそれでも構わない」とされる容易なやり方で良しとしているといった、細かい違いはあるみたいだけど。
しかし本多流は日置流尾州竹林派の射法をベースに、明治年間に生み出されたもの。したがって、現代に至るまで最低でも数百年の人智が生きている他の流派に比べて、本当に体育学的・実用的見地から理に適っているのか、素人考えながら非常に気になるところだ。
また体配は小笠原の男子の作法を、女子にも適用する形になっていると聞く。そりゃ女の弓引きなんて昔は皆無だったから、女向けの弓の作法がそもそも存在しなかったという意味では仕方ないんだろうけど、作法としては不自然な気がする。
そういう事情を汲むに、とても「礼射と武射の融合」なんて高尚なものではなく、むしろいいとこ取りをしたつもりが中途半端で意味不明な結果になっている、まさしくごった煮と形容せざるを得ないというか。
これは弓矢が昔ながらの竹製じゃないから味わいに欠けるとか、斜面の射法をやたら珍しがるとか以上に、根本的な問題ではないかと思う。
そして皆、意外にそのことを知らず「昔からの伝統が・・・」などと言っている。
本当にそれでいいのだろうか・・・。
まずはじめに、見ず知らずの他人に対して、簡単に情弱と言わないこと。これはコミュニケーションというか、人としての基本。
他人を馬鹿だとか何とか、容易にネガティブな単語を使わないこと。
交換機や銀行のシステムは、アジャイル中心ではつくれまい・・・
だから、別に今も昔もこれからも、ウォーターフォール中心の産業は、かわらず、ウォーターフォールだろ。
ただ、ウォーターフォールといっても、アジャイルの技法は取り込んでいくし。
ここが大切なんだが、アジャイルであっても ウォーターフォールの良いところは取り込んでいくべき。(もっとも大企業であっても、もうまともにウォーターフォールをできる企業は少ないけど)
おおよそ、今のウォーターフォール否定派は 食わず嫌いか・・・自分がウォーターフォールで指揮する側にまわってないだけじゃないかと。
繰り返しになるけど、私自身はアジャイルもやるし、ウォーターフォールもやる。
私が否定するのは、ウォーターフォールをやりもせず、アジャイルアジャイルと騒いで、ノリのまま、レビューや仕様というものを疎かにする人のことだ。
Webサービスならいいけど、組み込みや交換機や銀行でやられたらたまらん。という話です。
他を否定すること無く、古い技術も学んで、新しい技術も取り入れて、進化することこそが大事で。アジャイルが優れているとか、ウォーターフォールが優れているとかそういう事じゃないよ。
組み合わせて、適材適所で使い分けれれることが大切。
交換機なら、ウォーターフォール式に Webなら、アジャイル式に。適材適所。ウォーターフォールも万能じゃないアジャイルも万能じゃない。
にもかかわらず、アジャイル万能であるかのようにのたまう、その姿勢が、ダメだと 思うという事。アジャイル駄目だと聞こえたらすまんかった。
いや、そういう人は、ついて行けばいいだけじゃないの?
中心となって起業する人に。
その中で見えてくるものもあるだろうし。
1. 金を稼ぎたい 大金を摑みたい <資本主義派>
言ってる事は、分かるけど、そんな大上段に構えなくていいんじゃないの?
自己実現って言ってるのは、こういうことでしょ?
近くに自分が行きたい店がないからつくろうとか、こんな店あったら楽しいねとか。
店ばっかになっちゃったけど。
新しいものを作るって考えるから、なんか天才じゃないと出来ないと思っちゃうわけで。
そういう店を大きくするなり、なんなりっていうのは、また考えなきゃいけないけど。
まずは、身の回りを楽しく変えることが出来ないかという視点から考えていけばいいのでは?
ところで、
ただ普通に生きたいだけなのだ。
普通って何?
恐らく言ってるのは、親の世代の標準的な生き方だよね。
これは、親の世代はそうだったけど、祖父、祖母の時代は違ったよね。
戦中、戦後初期の人たちはまた違う生きかたをしてた。
つまりさ、人の生き方は個人の意思とは無関係に、時代によるところも大きいんだよ。
だから、その背景も理解せずに、自己責任を連発するヤツは問答無用に糞なわけ。
その当時は、戦争という見やすい事象があっただけで、今だって何も変わらない。
だから親の世代のような生き方はもうどこにもない。
じゃあ、自分たちで作れよっていうのは、それほど間違ってないと思うけどな。
http://anond.hatelabo.jp/20090628105322
反応どうも。元増田です。
id:y-mat2006氏でありましょうか? まぁ違う人でもいいですけど。みんなならされ同じに見える、それが増田のいいところ。
過去のイノベーション例について成功した例だけ都合よく拾ってきて、過去のこの時点で投資をしていれば… なんて神の視点で語ってもしょうがない。神の視点があれば誰でもそうする。しかし人間には将来の技術動向を確実に予見できる神の視点など持ち得ないのだ。
それはまさにその通り。そこの部分は結果論でしかない。
ただ、私が書いた前の論では、成功する革新的な技術、それこそ最先端の技術を探し出して投資せよ、と言う話ではなくて、「産業の転換期とも言える巨大な変化があるとき、二匹目のドジョウを逃がさずにするにはどうすればよいか」と言うことを書いたつもりだ。産業の転換を起こせ!と言っているのではなく、産業の転換期とは、どういう考えで、その時、どう投資行動をするべきかと言うことだ。
産業革命を起こすために蒸気機関を作れ、と言っているのではなくて、蒸気機関ができてしまったときに、工場を建設する際、家内手工業でものを作る設計にすると、投資効率が落ちるぞ、それはよくない、と言う話である。
その増田のさらに元記事として取り上げている方の記事は、コンピュータとインターネットがもたらした情報通信革命(この表現もずいぶん古くさくなってしまったが…)による、急速な産業の転換で変わっていくものよりも、古い時代のものに投資しようとする考え方に見えたのでそのように書いたのだ。
世界を変える天才になる事などは、運も実力も兼ね備えていなければ無理だし、そんな一握りの人間になることなど無理…とは言わないが、少なくとも私は無理だ。すでに身の丈は知っている。しかし、産業の転換と呼べるような巨大な変化――これが、一生のうち1回あるかないかだが――の時には、少なくとも自分の専門分野では、間違った方向に投資(金銭的な部分だけではなく、時間的、人的な資源も含むあらゆるリソースの投資)をせずに、さらにそこに乗っていけるよう、アンテナを巡らしているので、それに乗ることは不可能ではないと思っている。
従って、話がずれているので、その後のレシプロエンジンとロータリーエンジンの話について、なんら反応をしてもそれはずれているので意味がないのだが、せっかくなので反応しておこう。
馬が内燃機関に変わる、内燃機関がモータに変わる、と言った大きな変化の中では、目くそのようなものだ。
元増田は温故知新の温故を軽んじすぎで、温故と知新のバランスが悪すぎる。過去のイノベーション技術の失敗の数の多さを実感できておらず、現在見えているイノベーション技術についてあまりにも楽観的だ。
たとえば、レシプロエンジンとロータリーエンジンについてはどう考えているのか? もしマツダが枯れたレシプロエンジン技術を捨て、ロータリーエンジンだけに社運を賭けていたらとっくに倒産していたことは間違いない。
枯れたレシプロ技術は捨てずに保存し技術開発の投資をロータリーエンジンに限った場合、つまり枯れた技術の水平展開の努力を怠った場合でも、レシプロエンジンへの排ガス規制/燃費向上の要求に対応できず市場から撤退せざるを得なくなろうことは想像に難くない。
レシプロエンジンがロータリーエンジンになったところで、ほとんど産業の転換と言えるほど効率は変わらない。元増田で追記した部分にも書いたが、それは小さいことなのである。たとえ、ロータリーエンジンが主流になったところで、産業の転換と言えるほど大きな流れになったとは思えない。
個別の製品の話ではないのだ。
巨大な産業の転換、運送手段で言うならば、摩擦運送の時代から回転する車が発明されたときと、家畜など生物が引くものから、エンジンに変わったとき、T型フォードが発明され、量産されるようになったとき、そして、今発生している内燃機関の排除の動きである。
これとロータリーエンジンとレシプロエンジンと比較すると、単純にちょっと効率が変わった程度であって、エンジンを使って車を動かすという大枠は変わらない。
この程度を例に出して、「枯れた技術」という話になるとすれば、おそらく議論のフォーカスがずれている。
何度も言うようだが、私は個別の商品に対して投資の可否を行っているのではない。内燃機関が発明され、確信がすでに起こり、それが明らかなとき、馬に投資するのは効率が悪すぎると言っているのだ。
そして、コンテンツ産業に起きている産業の転換は、ロータリーエンジン、レシプロエンジン…この程度の小さいものではないだろう。
それを言うならば、スターリングエンジンと蒸気機関ぐらいの対比はほしかった。あるいは史上初の自動車と呼べるものは、内燃機関ではなく電気自動車であった点などをである。同じ内燃機関の小さい話をしているのではない。
また、直接関係ないが、ロータリーエンジンは、航空機用ではそれだけを生産して成功している会社がたしかあったはず。また、ロータリーエンジンは技術的な可能性としては十分にある技術だ。なので事実認識が間違っていることと「たられば」で話をしても意味がない事を追記しておく。結果論であることを指摘するのならば、そこで結果論を用いるのは自己矛盾があるだろう。
その理屈は平時では正しい。しかし、急速な産業の転換期において、古い技術に投資する事は投資の効率を大幅に下げる。それが前の増田記事の趣旨である。
【追記】
ブックマークにて、一つだけ明らかに意図が伝わっていないコメントをしてくださった方がいるので、追記をしておく。
(以下省略)
過去のイノベーション例について成功した例だけ都合よく拾ってきて、過去のこの時点で投資をしていれば… なんて神の視点で語ってもしょうがない。神の視点があれば誰でもそうする。しかし人間には将来の技術動向を確実に予見できる神の視点など持ち得ないのだ。
元増田は温故知新の温故を軽んじすぎで、温故と知新のバランスが悪すぎる。過去のイノベーション技術の失敗の数の多さを実感できておらず、現在見えているイノベーション技術についてあまりにも楽観的だ。
たとえば、レシプロエンジンとロータリーエンジンについてはどう考えているのか? もしマツダが枯れたレシプロエンジン技術を捨て、ロータリーエンジンだけに社運を賭けていたらとっくに倒産していたことは間違いない。
枯れたレシプロ技術は捨てずに保存し技術開発の投資をロータリーエンジンに限った場合、つまり枯れた技術の水平展開の努力を怠った場合でも、レシプロエンジンへの排ガス規制/燃費向上の要求に対応できず市場から撤退せざるを得なくなろうことは想像に難くない。
(http://love6.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1217949926/l50)
というスレで前に書いたのだがdat落ちして読めなくなったので、
少しブラッシュアップした形で再度アップしてみる。
現時点では新刊情報だけならここで必要充分かと。
ライトノベルの「情報」を求めるには向いていないというか、はっきり言って不向き。
有名所なのでとりあえずチェックしておくのが儀礼?
発売が近い新刊情報以外の情報を求める場合はチェックする必要性は薄い。
雑誌の早売り系の情報は余り扱わず、公式サイトなどの発表待ちが多いが、
メディアミックス系のチェック範囲も手広く、サイン会やイベント情報などの捕捉も早い。
更新頻度は高めで、ライトノベルの情報系として特化しているサイトでは、
ただし公式サイト更新チェックのログは残していないようなので、
過去ログを参照などしたい場合は不向きで、リンクはしづらいか。
しかし「ラノベカレンダー」(http://lightnovel.jpn.org/material/calendar/calendar.cgi)は
興味のある方はには便利に使えるかも。
このカレンダーがケータイ(モバイル)で閲覧できれば利便性が高いかと思うのだが…。
ライトノベルの情報だけに興味のある方には余りお薦めはしづらいかな。
しかし更新頻度は高い方かもしれませんが、移転が多くログが分散している欠点も。
http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/
雑記や半端な感想が多いところが、情報だけを求める人にはやや不向きか?
ただし、はてな周辺のライトノベルを扱っているサイトからの情報を集めたり、
話題を整理・提供したりしているので、そういう点では幅が広いかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/moonphase/
メディアミックス情報の一報を伝えること多く、早売り系の情報に強い。
アニメやゲームなどの多方面の情報を扱っていて、その中の1つとしてライトノベルの情報も。
個人的に気になるところは、本サイトである「MOON PHASE」で使っているパターンを変えられないのか、
RSSリーダー経由で読む際はタイトル文に埋め込んでいるリンクが
はてなのRSSの仕様で無効になっていて、 情報力が半減している点は読む側としては面倒。
http://rainycarnaval.blog15.fc2.com/
アニメ・ゲーム系のニュースほどライトノベルに関するニュースはそう多くないが、
更新頻度が高く、ニュースの捕捉が早いので、チェックしておいて損はないかと。
http://www6.ocn.ne.jp/~katoyuu/
他のニュースサイトをたくさんチェックして紹介しているので、
最終的にはここで拾える情報が多いかと。
オリコンの文庫売上げランキングからライトノベルを抽出して記録しているところ。
気になるところとしては、オリコンはランキングの掲載を原則的に禁止を掲げているので
(http://www.oricon.co.jp/rank/index2.html)
「2ちゃんねる」経由などのワンクッション挟むなどをしていないと、
それを理由にログの削除や閉鎖などの可能性もありそうな気も…。
http://netbokka.s2.zmx.jp/
表示方法が少し癖があって、レーベルごとへの個別リンクが難しく、
実コンテンツの更新もAmazonまかせの自動運転で放置気味?
「モノグラフ」(http://monogragh.fc2web.com/)が更新を停止してから、しばらくしてから出来、
「モノグラフの自由帳」(http://d.hatena.ne.jp/monogragh/)からの紹介リンクのフォローもあり、
開設当初は注目度は高かったようだが…。
2009年2月にリニューアルしたが、その後数回の更新で放置されているので、
http://d.hatena.ne.jp/r3light/
公式系の情報をチェックしているが、ルーチンワーク的な更新をチェックしている感じで、
目新しい情報を得ることは少ないような印象が……。
…の上記3つをチェックしていれば、
新刊情報・公式&イベント情報・メディアミックス情報などのほとんどの情報と得られ、
かなりのところは相互補間ができるかと思われる。
あとは「カトゆー家断絶」(http://www6.ocn.ne.jp/~katoyuu/)で今のメディアの
流れをチェックできていれば、ライトノベル関連するニュースをほぼ把握できるのではないだろうか?
あとは「ネタ」として話題になっているのをチェックしたければ、
はてなブックマークの「ライトノベル」のタグをチェックしていれば、
ある程度はフォローできるかと思われる。
結局のところ結論としては、安定した更新頻度を保っているところが強いという印象がある。
更新頻度が高くて安定しているところは、更新意欲も高いので、情報の新鮮さ、
そして情報のチェック範囲も広いので、情報量も内容も、必然的に質の高いものになっている。
問題なのは閉鎖、または更新停止率が高まっているところにあるのかもしれない。
そしての割には、新規サイト(新人)の参入がほとんどないのが痛い。
これは個人ニュースサイト全体に言えることかもしれないが、SBMの普及・影響なども影響してか、
ニュースサイトを運営する人が以前よりも低下しているような気がします。
そしてTwitterの普及もそれを加速化しているのかもしれませんね。
http://d.hatena.ne.jp/iris6462/20090201/1233457111
こことか、
http://d.hatena.ne.jp/FXMC/20090202/p1
こことかのことである。
批判するからには、ラノサイ杯のなにかが悪いと思っているのだろう。しかし、何度読んでもさっぱりわからない。
「なにが悪い」と主張しているのか、である。
たとえば上の記事では、大手サイトが紹介した作品に得票が集中してるんじゃないの?という疑いが挙げられているが、じゃあそれのなにがいけないのか?ということがどこにも書かれていない。
下の記事では、投票者がFXMC氏の言う「ラノベ論壇の人間」に限定されてしまうこと、ライトノベルを読むことと語ることに熱心である人々に限定されてしまうことに苦言を呈しているが、じゃあそれのなにがいけないのか?ということがどこにも書かれていない。
なぜだろう?
ラノサイ杯は小説の人気投票をして耳目を集めて、知らない作品を紹介しあおうというイベントだと主催者がアナウンスしている。
1.その目的そのものが悪いのか?知らない作品に触れる機会を増やすなんてとんでもない!と怒っているのか?
2.それとも、目的のための手段が間違っている!と言いたいのか?このやり方で人気投票したって知らない作品に触れる機会は増えない!と怒っているのか?
3.あるいは、甚大な弊害が生まれる!と言いたいのか?kim-peace氏の睡眠時間が減るじゃないか、やめろ!と怒っているのか?
批判エントリを読んでも、なにを問題としているのかさっぱりわからない。
なぜこの人たちは、「なにが悪いか」を書かないのだろう?
ここから先は推測である。
この人たちの文章を読んでいると、理由は書いていないが「ラノサイ杯はこうあるべきだ」という理想像があるらしいというのがわかる。繰り返すが、そうあるべき理由はどこにも書いていない。そして、自分の中の理想像と、現実のラノサイ杯とでずれている点を挙げて、そこが問題だ、と言っている。何度も繰り返すが、それがなぜ問題なのかはどこにも書いていない。
前提が間違っていたのではないか。
これは、批判ではない。
そう考えると、すべてのつじつまが合う。
批判するべき合理的な問題点が挙げられないのに、自分の中の理想像と現実との齟齬についてあたかも問題があるかのように糾弾する文章をなんと呼ぶべきかについては、紳士的な表現がなかなか思いつかなかったので、ここでは触れない。
興味深いのは、主催者や傍観者が、「なにも問題が起きていない」にもかかわらず、「批判ではないが批判に見える文章」を読んで、あたかもなにか問題が起きているかのように錯覚していることである。これはじゅうぶん「問題」である。時間の無駄という甚大な弊害を生むからだ。
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2/4追記
ブックマークコメントによって、くだんのFXMC氏からの補足が入り、「なにが悪いか」についてのやや詳しい解説が入った。以下、引用である。
>私が指摘してるのは開放性と内輪性を無自覚に都合よく使い分けてる点。開かれた企画です! 票が偏ってます。そういうサイトが投票してるから当然。どうせ論壇の企画なんだからぶっちゃけろと
これだけの短いコメントから真意を読み取るのはなかなか困難だが、おそらくこういうことだろう。
これは2008年下半期ライトノベルサイト杯の企画説明から読み取ったものであろう。以下、引用する。
>本企画は、「はてなキーワード機能を使い、ライトノベル関連サイトの管理人がおすすめのライトノベルについて語る」ためのものです。
>ラノベ感想・書評サイトはもちろんですが、「サイト持ち&ラノベ読み」であれば誰でも投票できます。マンガ系でもゲーム系でも、ラノベに関する話題も取り扱っている方は是非投票して欲しいと思います。
>「あんまりラノベ読まないしなぁ・・・」→読書量を気にする必要はありません。
○「票が偏ってます。」という主催者の主張
これはおそらくkim-peace氏が『ベン・トー3』の帯に対して発したコメントのことだろう。
http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/20090201/p2
>「母集団に偏りがあること」「順位付けを目的として開催しているわけではないこと」にも
>配慮をして頂けると嬉しいです。
>公開している結果をどう捉えるかは受け手の方にもよるかと思いますので、
>単純な「得票数順」以外にも「投票者別一覧」や「各種近似値グラフ」なども見て頂ければと。
(色々とそれっぽい単語でサイトを検索してみたが、これ以外には見つからなかった)
FXMC氏は「この二つの主張を使い分けている」という点を問題視している。残念ながらはてなブックマークのコメントは短いので、例によって「なにが問題なのか」「なにが悪いのか」については言及していない。
○「サイトを持っていてライトノベルを読んでいる人であればだれでも投票できる」という主張
この二つの主張を同じ人間が使い分けることに、なんの問題があるのだろう?矛盾しているわけでもないし、どこにも嘘がない。というか、使い分けているわけではない(矛盾していないのだから使い分ける必要はない)。
「サイトを持っていてライトノベルを読んでいる人」という母集団による投票なのだから、そのように票が偏るのである。当たり前だ。
したがってこれは、問題点ではない。
またしても、本エントリの標題である疑問に立ち戻ってしまう。なぜ「なにが悪いか」を書かないのだろう?
ここから先は、再び推測である。
冒頭に挙げたFXMC氏のエントリを読み返してみると、「ライトノベル論壇杯に改題しろ」という主張がある。さらに、興味深いコメントのやりとりが入った。
>hatikaduki 2009/02/03 11:25 偏向や内輪性も含めて「ライトノベルサイト」杯という言葉で表現しきってると思うんですけどね。
>耳障りが良すぎるのが隙につながるのかも知りませんが、「論壇杯」てのも不正確な感じが。
>FXMC 2009/02/03 21:03 「耳障りが良すぎる」をダブルミーニングで取っていいなら、その表現は完璧ですね。
>同じモノでもどこから見るかで違った姿が見えるものです。「私から見える像」をあらわす言葉としては【論壇杯】で十分。もちろんhatikadukiさんから見える像、個々の参加者の目に映る像、主催者の自己認識、全て異なります。ただ、あんまり見栄えのいい姿ばかり見てる/見せてると、勘違いしたりされたりしちゃうから、見たくないだろうところに私が鏡を向けてみせただけ。
>どのみち、私ごとき弱小サイト主が他人になにかを強要することはできませんので、あとは主催サイドや第三者がどういう判断を下すか丸投げです。
最初読んだときは「ライトノベル論壇杯に改題しろ」という主張はスルーしていたが、どうやらこのコメントを読むに、「ライトノベル論壇杯に改題しろ」という主張はかなりFXMC氏の主張のコアな部分であるらしい。まとめっぽい文章もあったのでこちらも引用する。
>私としてはね。分野別に分けるとか、細かい制度を改善したところで「中二病と内輪ネタが好きな論壇の人たちの内輪の企画」であることは変えようがないし、別に変える必要はないと思うのですよ。ただ、「中二病と内輪ネタが(略)の企画」が、【ライトノベルサイト杯】なんて御立派な看板をつけて、「開かれた企画ですよー」ってな建前で行われてることに、開かれたイベントという理想と内輪の馴れ合いという実態の乖離や、政治利用を許すスキがあるというだけで。だから「中二(略)企画」だと誰の目にも明らかなように、【ライトノベル論壇杯】なり、【ライトノベル平和賞】なり、勘違いも政治利用もしようのない名前に変えてしまえといっているのです。
どうやらFXMC氏は、ラノサイ杯に投票する人々は、様々な要素によって「中二病と内輪ネタが好きな論壇の人たち」に限定される、と考えているらしい。明記されてはいないが、kim-peace氏が主催する以上は、『平和の温故知新』を読んでおり、さらにkim-peace氏やその周辺の人々を嫌っていない人間、という層にも限定される、と考えている可能性が大きい。そして、こちらは明記されているが、自分のような人間は投票しづらい、とも書かれている。これのどこが「開かれた企画」なのか、とFXMC氏は糾弾しているらしい。
しかし、前述のとおり、kim-peace氏は「『サイト持ち&ラノベ読み』であれば誰でも投票できます」という投票資格について伸べているのであって、けっして「『サイト持ち&ラノベ読み』の総意をとります」などとは伸べていない。要するに開かれた企画という言葉はkim-peace氏発のものではなく、FXMC氏が独自に使ってこれに独自の解釈を加えているだけであり、「開かれた企画」云々に関するFXMC氏の言及はすべて無意味である。
すると、残るのは「ライトノベルサイト杯」という名称そのものへの批判である。
最後の推測は、こちらの文章から導いた。
>私のように「論壇外」のサイト主や、サイト持ちでない一般読者、さらにラノベ原作アニメだけ見てる人たちなんてのはまったく参加してない、論壇の方々による論壇のための賞で、これを一般化することは論壇の方々が主催してる限り不可能だ。全く真っ白な方が主催したとしても、それが受け入れられた時点で「論壇関係者」になってしまう。こうやって語っている私だって【親藩】【譜代】ではなく【外様】であるというだけで、この構造からは逃れられない。
>(皆さん、避けようがないトートロジーになってるの気づきましたか? ラノサイ杯は論壇関係者のための賞だ。投票した奴はみな論壇関係者だ。だって投票してるから。別に非難してるわけじゃなく、投票を集めるというやり方自体が「避け得ない構造上の問題」としてこういうトートロジーを発生してしまうのだ。任意投票の投票者は、必ず母集団に対して偏向を生じる)
(文中の太字強調は筆者による)
まとめると、FXMC氏の主張は次のようなものだと考えられる。
kim-peace氏のサイトを読んでいて、自分でもサイトを持っていて、企画に賛同して任意投票を行う人間のみの集団であれば、賛同しないサイト持ち、サイト持ちでない一般読者、さらにラノベ原作アニメだけ見てる人たちなどは参加できない。すなわち、
○「ライトノベルサイト杯」と題すると、「すべてのライトノベル読みから投票を集めている」との誤解を招くから、名称を変更せよ。
なぜ最初からこう書かないのか。疑問は再び、本エントリの題名に戻るわけである。
この前友だちとみんなで旅行に行ったとき、
車の中でCharlie ParkerやBill Evans Trioかけまくって盛り上がってたんだけど、
何か一人がジャミロクワイの角生えたやつ持ってきてて
「何これ?かけてみよう」ってことになった。
で、かけてみて、みんなで大笑い。
「やめろー!テンション下がるー!」
「まあ、おもしれーからかけておこうぜ」ってずっとかけてたんだけど
とにかく次の曲が出てくるたび、あまりのヘボさにみんな大爆笑。
そのジャミロクワイの角持って来てたやつは一人
居心地悪そうにひきつった笑いしてた。
で、ようやく次にClifford Brownかけたんだけど、もう最高に盛り上がった。
やっぱこれだよな??って思ったな。
「これ、窓から捨てていい!」って言ってまた大爆笑。
可哀想だからやめといたけど。
時代はかわるけど、古いのを知らずに新しいものを聴く理由はないと思うんだ。温故知新。