はてなキーワード: 拡張とは
マイクロソフト(MS)の新作ゲームに李舜臣(イ・スンシン)将軍と亀甲船が登場する。MSは30日、戦略シミュレーションゲーム「エイジオブエンパイアー2」のハングル版拡張パック「征服の時代」を来月5日、一般に発表すると明らかにした。
このゲームは、ゲーマーが直接世界史の中の戦争の英雄となり、有名な戦闘の陣頭指揮をとるという内容。今回の拡張パックには壬辰倭乱当時の露梁津(ノリャンジン)の海戦が登場、ゲーマーが李舜臣将軍となって亀甲船に乗り、日本征服に乗り出すというものが入っている。
「エイジオブエンパイアー」シリーズは全世界のゲーマーの間で人気を呼んでいるソフトで、昨年売り出された2編は販売開始後6ヵ月で250万枚も売れた。しかし、1編で朝鮮を日本の属国と表現、2編では日本・中国・モンゴルを背景に入れているのに朝鮮が入っておらず、韓国内のゲーマーの怒りを呼んだ。MSは今回の拡張パックでは韓国の他アステカ・マヤ・フン・スペインなど5つの文明を追加した。
寝る前にいくつか返信。
http://anond.hatelabo.jp/20080902220835]
たぶんそうだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080902221735]
でもほら、ダイアリーの立ち上げ当時は似たようなもんじゃないかと。
同様の意見としてb:id:hatayasanとかb:id:ululunとかb:id:nakano87とかb:id:te2uとかね。元記事にチェックボックス案もmetaを使う前提でチェックが off なら head に件の meta を入れる
って書いてあるのになぁ。リテラシーって大事だ。
そっちの仕様は別にいいの。自社サービスの機能を使うのにmetaを本文に書かせるのがダメ。
b:id:masayc 技術力を期待してはてな使ってる人ってどれくらいいるんだろうね?俺は、日本”語”でweb2.0ごっこしたいだけで、もし英語が達者ならdiggとdelicious使うけどな。
日本語のWeb2.0ごっこなら、私が唯一中期間使った例で申し訳ないけどドリコムブログの方が優れてた。使ってたの数年前だけど(今はWP)。例えばデザイン編集画面で、ブログの2or3カラムレイアウトに表示する要素をDnDで並べ替えたりとか。DHTMLすげーって感じ。
はてなはWeb2.0の特徴の一つと言われてるマッシュアップとかがろくにできない。はてなのデータを外で使うための機能は多いけど、外のサービスとかをはてなに持ち込めない。Blogパーツ、裏技使わないと自由に貼れないでしょ?
2.0っぽさではてなよりも劣ってるサービスってあんま無いんじゃなかろうかと。むしろ往年のWeb日記の仕様を引きずってるし、メジャーバージョンは1。Web1.9。
b:id:xevra 技術的には指摘の通りだろう。だが経営的にはこれが正解。なぜなら一覧非表示機能を希望し、文句言ってくる人は0.01%程度。この程度のものにリソースは割けない。完璧を求めるのは趣味の領域。jkonは正しい。
今は一覧非表示機能に限った話してないんだけど。上の方のアレもそうだけど、非表示絡みでコメしてる人は何故かピントが合わない。
例えばブログモード使ってる人ってけっこう多いけど、彼らは絶対に記事毎に編集やコメント管理できた方が便利。トラバ先を記憶する機能ってそんなに開発リソース必要ですか。大した事無い機能変更にもがっつりリソースを割かないと改善できないのが問題。
まぁでも確かに、現在のはてダの低い技術ポテンシャルという前提の下では、jkonは正しいね。
b:id:ghostbass なんだって??テーブルの変更なんか必要ないけど?
そうなんですか。考えてみます。思いつかなかったら勉強してみます。Boromさんの案が正解かも。
b:id:EvilGood おそらくそうなんだろうけど、小手先回避なんだろうとは思うが、さきざきサーバーの処理能力が上がって、すべて記法解析でやった方が速度出る日が来そうなんだよな。はてなはXMLDBとか検討してるんだろうか?
はてなが未来を見据えてそういう拡張をしてきたのか、という点はさておき、すべてを記法でやろうとすると記事の編集時の可読性が下がります。本文にmetaとか記事見出しなのに何故か本文にあるとかトラバ送ったかどうか解らないとか。
ユーザーの快適性とか開発の柔軟性とかを犠牲にしてまで、未来の鯖速度を追求するというのはなかなかどうも、説得されないです。
さらに追記。
b:id:skicco はてな記法でごまかしてくれたおかげで、他のブログサービスではできない重複したカテゴリへの登録ができてる。これが可能なのってはてダくらいじゃね?
最近のブログサービスは知らないですけど、WordPressではできます。ところでカテゴリってリストから選べないと Typo りますよね。
ごめん、年1000万の間違いだったかも。倍近く違うじゃん。malaさんが入社したてのころにどっかでこういうの書いてた。うるおぼえ。
b:id:kana-kana_ceo 「普通なら、日記の編集フォームに一つ『ブクマページでブコメを表示する』というチェックボックスを付ける。チェックが off なら head に件の meta を入れる」← なんで、非表示がデフォなんだろう?
一人くらい勘違いする人がいるとは思ってた。非表示がデフォなんて書いてない。デフォでチェックが on にしてあればおk。
チェックボックスのラベルは肯定文で書くのが UI の Tips。「非」表示は否定語。
b:id:al001 "少なくとも"技術力の問題では無いと思うが。面倒とかそういうのであれば分かるけど。 / チェックボックスでオンオフ出来るだけで良いなら、DB弄らずともJavaScriptだけで出来る。
まず後半。またまたご冗談を。クライアントサイドの解決法じゃ meta が body の下にある事は変わらなかろうて。パース後に動かすつもり?
そういや手元で試してみたら、 Firebug でソースを見ると body 内の meta も head の下にあったものとしてパースされるね。
前半は、他の人も同様の事言ってますね。要するに費用対効果の話。
でも、面倒
=費用が高くついてるのはシステムの出来が悪いから。スパゲッティーを紐解きたくないんでしょう。
ブコメ非表示みたいなおそらくほとんど使われないような機能だけがこうやって糞仕様存置されてるってんなら、経営判断って意見も説得力がありますね。
http://anond.hatelabo.jp/20080901083917 の続き
その時の怒りはいつものほにゃりふにゃりしている私からは想像もつかなかったものらしい。
ひとしきり怒りをぶつけると心配する友人もほったらかしその「世界」から「ログアウト」した。
涙が止まらなかった。悔し涙って言うやつだと思う。
なんで謝らせてくれないんだ?何で会わせてくれないんだ?何であんたがそれを言うんだ?関係ないだろう?
そんな感じで泣きながら夜を明かし、次の日の仕事は仕事にならなかった。
その夜、「お姉ちゃん」はやってきた。私に会ってくれた。私の謝罪を受け入れてくれた。
「あいつはちょっと私のことになるとすごくなるときがあるんだよね」と彼女は笑いながら言った。
ちょっと…すごくなるとき…そんなレベルじゃなかったぞ、あれは。
それからしばらくはいつもの通りだった。バカやって楽しんで…を続けることができた。
でも、異質なものは消えなかった。たまにやってくる「別の中の人」。このゲームに興味が湧いたのか「お姉ちゃん」ではない別の器を持って現れるときもあった。
「お姉ちゃん」と同時に存在できるようになった「別の中の人」、でもやっぱり私はその人が嫌いで居て欲しくなかった。
それからまた数ヶ月が経ち、「世界」が大きく変わるという予告がされた。
面積は二倍強、上位職が導入されダンジョンもアイテムの増えるらしい。
その時は、ただ純粋に嬉しかった。
どんな世界になるのだろう、と夢想していたあったある日、「別の中の人」に呼び出しを喰らった。
前例が前例なので恐る恐る指定された都会の片隅のあんまり人が来ない建物にに向う事にした。
そこには「お姉ちゃん」が居た。でも中身は「別の中の人」。最悪だ…。
少しトゲを持ちつつ何の用ですか、と訪ねる。
「実は引退することになりました」
あぁ、貴方が。どうぞ消えてください。貴方なんか大っ嫌いですから…なんて言えるはずもなく。そうなんですか…と相づちを打つ。
「(お姉ちゃんの名前)がお世話になりました」
…え?
え、「お姉ちゃん」が辞めるの?
びっくりして聞き返す。どうやら間違えないらしい。理由はよく覚えて無いけど一身上の都合とかそんなのだったと思う。
え、じゃあせめて「お姉ちゃん」に挨拶させてください。だめ?なんで?
おい、こら!消えるな!!
…
そんな感じで「お姉ちゃん」は私の前から居なくなった。
次の日も、その次の日も「お姉ちゃん」は現れなかった。今度こそ、居なくなってしまった。大切なものを失ったような感じがした
この日位を境に集まりに行くことは少なくなった。
釘バット片手にぼんやり世界を散歩していたら集まりのリーダーから呼び出しを受けた。待ち合わせ場所は北の地方都市。
珍しいことなので二つ返事で現地に向かった。
「実は(お姉ちゃんの名前)とゲーム内結婚することになりました」
一応ヒーラー@聖職者である私に結婚式の神父役をやって欲しいと依頼された。
…は?
そのカップリングは意表を突かれました…じゃなくて、「お姉ちゃん」引退したって聞きましたけど?
「…誰がそんな事言ったんですか?いつもいますよ?」
訳が分からなかった。
「訳が分からない!」
を叫んでいた。叫びたいのはこっちの方だ。
「お姉ちゃん」と頼んでその日は終わりにし、後日リーダーに呼び出されてたまり場に行くと…居た。
…泣いた。
私は神父役という大役を仰せつかりながらとあるミスで結婚式を台無しにしてしまった。
実は結婚式の際にちょっとした悪戯を用意していた。集まり一の悪知恵に定評のある商人が考案したこの悪戯、見事に進めばとても面白い物になり
これは良いだろう、と全会一致で採択された。ただ、これは複数人の連携が物を言う代物で練習無しのぶっつけ本番だった。
失敗しないだろうと思っていたけど、些細な所でミスをしてしまった。しかも致命的な所で。
失敗をした私は逃げだし隠れて泣いた。
暫くしてゲーム内旦那に付き添われ式場に戻ってきた。混乱などあったものの事態は何とか収束していた。
いつもおどけているゲーム内旦那がシリアスに事態を収拾に勤めていたのがとても印象的だった。
「お姉ちゃん」を探したけどもう「ログアウト」した後らしく見つからなかった。
「とりあえず、暫く拗ねて寝たから」と言っていた。
これを意味することは当時分からなく「そうか、謝れなくて残念です」みたいな事言っていたと思う。
暫く「別の中の人」のお説教を聞かされその日はお開き、となった。
後日、規模は縮小されたけど結婚式を再度行い私は無難に神父役をこなしたことを追記しておく。
その年の夏、予告通り「世界」は変わった。
今までの二倍強に面積は増え、上位職が導入され、ボス狩りができるようになった。レアアイテムも出てきて、高難易度のダンジョンも現れ、さらには攻城戦なんて物も現れた。
別に戦闘能力それなりにあればいいや、の世界から戦闘能力の高さが物を言う世界になった。
世界は急にセカセカし始めた。のんびりだった世界は急に戦いがメインに、ギスギスとした世界になりつつあった。
我が集まりのメンバーも徐々に上位職が増えつつあった。一日やってこない人も出始めた。
何だか急に世界が変わりすぎ、私は取り残されそうになった。ゲーム内旦那のおかげでギリギリの線は保てたけどそれでも一日のうちの幾ばくかは戦いにつぎ込まなければならなくなった。
世界が急につまらなくなった瞬間だった。
私は程なくして集まりから抜け旦那と二人で世界を回るようになった。
二人でも楽しいことはあったけどあの時のような強烈な感動のような物は味わうことはなかった。
集まりは北の地方都市の拠点を移し攻城戦をメインに活動するようになった。「ゲーム内で有名になる」という目標は何処に行ってしまったのだろうか?
偶に拠点に行っても狩りで居なかったり攻城戦やボス狩りの話であんまりついて行けなかった。
「お姉ちゃん」とは二度三度会ったきりでその後会っていない。
それから二度三度「世界」は拡張され、ゲームとしては面白くなったのかもしれない。
javaなんておさわりでしか触ったことが無いけど、どれもわからん。面接とおらんわw
Enum と 可変長引数 はなんとなく察せられるが、拡張for構文 はなんのこっちゃ?
http://journal.mycom.co.jp/column/java/016/index.html
for (int target : integers) {
これをみるかぎり、foreachみたいなもんか?
可変長引数はみてみたが、Javaみたいにチームで開発するんだったらまあいいんじゃないかな。
はてな界隈では、Javaって、あんま人気無いみたいだけど、ちょっと書かせてよ。
SIerでお仕事してると、派遣とか常駐とか言う形で、色んな会社に行って、違う会社の人とお仕事するんだけど、「経験年数n年(n>3)です」っていう人達が、恐ろしく使えなくてびっくりすることがしばしば。
特に、Java 5以降の機能
辺りを全く知らなかったり。 って言うか、Javaの極々基本的な知識である
が全く出来ないんだよね…。
そういうのを知らなくても(出来なくても)業務をこなせちゃう(?)のが、Javaの言語特性だとは思わないけど、こういう人達だらけなんだよね…。 PMが新しい人を採用しようとして、ここら辺の知識を割りと厳し目にテストしたら、候補が10人居たのに全滅で、プロジェクトのスタートが遅れてしまったりして、もう大変。
かな。
増田では概ね有意義な反応が尽きたようなので、戦闘的でも粘っこくもなさそうな方に試しにトラバ。
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20080814/1218670547
さて不謹慎な表現など多々あるかと思うけど、以下に私的な疑問・論点をまとめます。
時間掛けて経営学や医学や倫理学や歴史学を学んでたら、軽くクリアーできる論点・誤解もあるかも知れないけど、その他も含めてご容赦を。
●論点1 トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。
●論点2 「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスはホロコーストを行わなかったのだろうか?
●論点3 「資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。
●論点4 経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?
●論点5 トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?
●論点6 トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。
●論点7 むしろ平時に「かわいそう」の論理を追求する方が、長期的には「かわいそう」な人を増やすのではないか。
●論点1
トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。
たとえば、短い時間で選択を迫られるという意味でなら、(汚い例で恐縮だけど)映画館で上映開始数分前に便意を催し、
そこで素早くトイレを済ませるか、そのまま2時間前後我慢するかなど分単位で決断を迫られたりとか、
あるいは語源となる(らしい)コーヒーの選別作業など秒単位で決断を迫られる行為が、実は日常でもよくある。
もちろん時間以外の資源をモノサシにする場合も同様に議論を進められるはず。
つまり、時間等の量的な制約をその条件とするのであれば、いわゆるトリアージ以上に「極限状態」とみなせる
選択はいくらでも存在することになり、なぜトリアージだけを取り上げて「極限状態」と呼ぶのかがわからない。
そして呼ぶだけならいいとして、そこに殊更特別な意味を見いだそうとする行為には恣意性が入って来ないか?
明確な基準がなくはっきりしないせいで、そうした疑問が浮かんでしまう。
もし資源制約等々を最初から全部取っ払って、人の命を「切り捨て」るプロセスを指し「極限」と呼ぶのであれば、
蘇生行為の中断や、人工呼吸器の取り外し、あるいは脳死判定?など、(当事者にとっては非日常ではあるものの)
平時の医療行為の中にもそれらは存在する。これらはいずれも倫理学的検討に値する問題ではあるんだろうけど、
今回の問題意識とはずれているのではないかという気がする。なぜなら、経営学講義中の「資源制約下の選択」
というトピックで取り上げる事は難しいと思えるから。よってこれも不適。
ここからはさらに妄想。そこで「資源」の意味をもう少し拡張し、技術水準まで含めるとしたら?
現代医療で人工呼吸や蘇生や脳死判定が要請される重態の患者でも、実は簡単に救えるほどの医療技術が
遠い将来いずれ誕生する事を想定すれば、それらの現場を「極限状態」と呼ぶ事も可能かも知れない。
けれど何事も有限なこの世界で、資源の有無は所詮相対的な問題でしかないから、逆に心臓マッサージも知らない
ような時代まで遡れば、現代医療は「極限」でも何でもなく、相対的にかなり恵まれた状態だとさえ言えるかも知れない。
だからこの妄想理論も、当然すぎるほど当然ながら、使えないよね多分。
●論点2
「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスはホロコーストを行わなかったのだろうか?
トリアージの現場では、住所氏名年齢性別人種思想信条宗教経済状態等ではなく、たとえばSTART法に
代表されるように、あくまで症例とその喫緊性を判断材料にして、医療資源の配分が決定されて行く。
そこでの個人は、生存者の最大化という観点から、同じ人間同士限りなく対等に扱われると見ていいはず。
他方、ナチスはアーリア人種なんかにとって、異民族共産主義知的身体的障害者等の存在が有害だと
訴えてたわけで、その排除は平時であると有事であると問わず、進行していたんじゃなかろーか。
不謹慎な言い方をすれば、対等ならざる「異分子」の排除は、保健所の動物駆除のように、
生存権や私有財産権その他の人権を持たざる者と扱った上で、粛々と進められたんじゃないかなと。
また日本や北欧等でも障害者・社会的弱者の断種手術が進められたけれど、これらも特に有事であるからと
行われていたわけではないはず。社会ダーウィニズムや通俗的な理解によって「市場原理主義」など(あるいは
「原理主義的資本主義」?)と呼ばれる淘汰のプロセスは、ある緊急時の必要に応じて進む(進められる)
と言うよりは、むしろ長期的に徐々に着実に進行していくモデルだと考えるのが妥当だと思う。
そして比喩としての「極限」的危機のアピール自体は、かつてのワイマール共和国を含む(民主主義・非民主主義問わず)
あらゆる国家で行われる、支持者獲得の為の常套戦略で、たとえば、核戦争や原発メルトダウンの恐怖を時に過剰に煽るのも、
類似の行為と言えるのでは?ナチスに特徴的な行動として取り上げるのは些か困難じゃないかと感じる。
以上の点から、トリアージを差別的な(どころか相手を人間扱いしていない)ホロコーストとなぞらえるのは
間違いであるし、また仮にトリアージが「極限状態」の選択であると仮定しても、ナチズムやホロコーストとの
同質性を認定するのは恣意的だと考える。トリアージの普及推進や例示がホロコーストと地続きである、または
そうした考えを広げるというのは、不謹慎である事を除いても有益な議論とは言い難いはず。
そもそもホロコーストの最たる物である絶滅収容所等におけるユダヤ人殺害は、ナチスドイツの
敗色が濃厚になった戦争後半期にかえって加速していたようで、一般的な意味で言う有事への対応や
資源の最適な配分という意図からは、どうも外れた感が強い。元々戦場の論理とは別物なのでは。
●論点3
「資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。
トリアージの現場においては人員物資設備等の制約がボトルネックとなっているけど、そもそも人員物資設備等が
無限であれば、トリアージはもちろん企業経営の探求や経済学的考察など、資源の効率的な配分を研究する
学問・営為は生まれなかったはず。経営学や経済学をはじめ、多くの人間の知的営為はその濫觴において、
現実世界の資源の有限性を前提としており、その有効活用を目的としているわけだから。
たとえば、市場メカニズムの根本を支える価格シグナルは、財やサービスの需要と供給によって決定されるけれど、
供給無限(商品の物量だけでなく運搬供給設備やそれらの生産性等も)であればその価格はゼロとなり、
人は欲望の尽きるまでそれらを蕩尽するはずだが、もちろん現実はそうじゃない。一見価格ゼロに見えても
広告販促込みだったりして誰かが費用を負担しており(そのままでは持続可能ではない)、いずれにしても
「価格」の存在は、資源の有限性がこの世界に付き物だという事実を、端的に示していると言えるわけ。
またたとえば、かつて環境問題が今ほど注目されなかった時期には、社会的制限が存在しない中で
工場は排煙を垂れ流し放題だったけど、現在では空気ですら無限ではないというのが、環境問題を認識する
あらゆる人間の知る所で、その為に各種の環境規制や課税が行われ、少なくとも先進国では、工場経営者も排煙その他の
公害原因の扱いに注意を払うようになっている。逆に各種エネルギーに補助金(それは低い技術水準とワンセットだが)を
与えている中国やインドなどは、その凄まじい蕩尽によって資源の国際価格高騰や各種公害の原因としても台頭している。
以上のように、資源が無限か有限か(≒価格がゼロか否か)は、その資源を効率的に扱うインセンティブを決定している。
そして、およそあらゆる物に価格や税金、規制が付きものなのは、それらが現に有限だからに他ならず、
経営学・経済学・トリアージはもちろんとして、多くの人間の知的活動はその資源制約によって発展・流転を促されてきた。
よって「資源の有限性を前提にするな」という主張は、現実を無視し多くの知的活動を否定する行為に等しく、場違いな指摘だと考えます。
有限性の前提や資源の効率的利用・効用最大化と言った考えがナチズムへとつながるのであれば、必然的にこの世の
学問・営為・制度・生活習慣は、その多くがナチズムの眷属となり、今回の件を特別批判する意味は限りなく薄まるはず。
●論点4
上と関連して。経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?
経営学と経済学は、もちろん共に資源制約の下での効率的利用を目的とするんだけど、後者が主に
社会全体の効用最大化を目指すのに対して、前者は時に社会全体の効用をかえって損なう決定を推奨しかねなかったりする。
既に上で述べた環境問題における企業行動が典型例だし、あるいは独占や寡占の追求、他企業とのカルテル、
最近も相次ぐ情報の非対称性を悪用した偽装問題など、企業は時に利益追求という存在意義に忠実なまま、
社会全体の最適化からは逸脱しちゃう場合がよくある。そうした行為には違法な物からグレーゾーンまで何でもあり。
他に経済学の概念上でだけで考えれば、ブランド構築・製品差別化、特許等の独占的使用販売権の取得等も、
完全競争を避ける狙いから行われる、社会全体の最適化に反した行動とみなせる。もちろんこれらの場合は
消費者や社会の利益となる場合もあるんだけど。ともかく経営が目指すのは本質的に部分最適・部分均衡なわけ。
このように企業はいろいろな経営的実践を通して、市場における競争を避け、超過利潤・独占利潤を得ようとする。
それに対して、各種公害規制や独占禁止政策・不正競争防止、情報の非対称性の排除などを通じて、市場メカニズムの
健全な作用を維持し、また時に所得再分配を考慮し、社会全体の効用最大化を目指すのが、一般的な意味で言う経済学の使命。
つまり、別々の学問として定立している以上当然なんだけど、経営学的実践における「全体」と、
経済学的・政治的・社会的実践における「全体」とは、多くの場合かけ離れているんだね。
よって、(仮に)経営学的営為の例としてトリアージを取り上げる場合でも、それらが一般的な意味で言う「全体」、
社会や国家全体に敷衍されて適用される恐れがあると考えるのは、学問の目標を見誤った、飛躍を含んだ主張じゃなかろーか。
●論点5
トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?
既出のようにこの世界のあらゆる物は有限であり、ある選択は必然的に他者の選択を制限してしまうのが世の常。
だからたとえば、日常の買い物で財布の中身と照らし合わせながら商品を決める(予算制約下の最適化行動)裏には、
売り上げ好調で繁栄する勝ち組企業と同時に、売れない商品を作って経営不振に陥り、場合によっては
倒産する「かわいそうな」負け組企業の存在があったりする。ひょっとしたら「切り捨て」られたその経営者は
自ら命を絶ってしまうかも知れない。その他日常ありふれた選択が、当然のように多くの他者の運命を決定している。
政治上の決定で見ればもっとわかりやすい、再分配は必ず財源を必要とする。
たとえば公共事業を削ればどうしても倒産は増えてしまう。増税だって薄く広いだけで景気を落ち込ませずには居られない。
以上のように考えれば、無視出来ない他者の範囲は空間的・時間的に際限なく広げる事が可能であり、
トリアージだけを取り上げ、その「他者性がない」側面を強調する行為には、恣意性が含まれているのではないかと。
●論点6
トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。
仮に「災害時に被災・負傷し、物的人的制約のある災害医療の拠点に搬送された場合にどのような治療戦略を望むか」
という契約をあらかじめ(被災時に意識を失えば意思の確認が出来ず不公平なので)交わすとすれば、
そして公序良俗に反するという立場から、金銭などの代償を対価とした優遇や、自己犠牲を禁じ手とすれば、
自由かつ平等な個人は、期待生存率を最大にする為=自分自身の為にトリアージを選択する権利を行使するはず。
これが全体主義国家ならマイノリティは放置され、地位や能力のある者の治療を優先させられるかも知れない。
よってトリアージは「みんながひとりのために」でも「ひとりがみんなのために」でもなく、
「ひとりがひとりのために」という個人主義をベースとした選択と考える事も十分可能だと思う。
また自分の命が常に他者の命と可換であるという強い認識が働くから、他者認識がないという批判も的外れとなるはず。
(ちなみに治療従事者自体はロボットだって構わないわけで、その他者性認識を問題にする意義は仮想の話の上では薄いと思われ)。
以上はリベラリズムの基本である無知のヴェールのアイデアを多少拝借した物。
無知のヴェールとはリベラリズム上の社会正義のあり方を考える思考実験で、それを被された者は他人はもちろん
自分も含めたあらゆる属性・・・住所氏名年齢性別人種主義主張経済状態等々・・・がわからなくなってしまう。
その状態で、各個人は自身の利益も含めもっとも望ましく公正な社会の条件を考えてみよ、というのが実験の中身。
で、リベラリズム上の議論においては、その条件の下で「格差は最も弱い立場の人々の効用を最大化する目的でのみ正当化される」
という「格差原理」が導出される事になっている。では、トリアージの現場において、それがどのような人々に当たり、
かつその条件の下で選択要請される治療戦略とはどのような物になるだろうか、ちょっくらこれを考えてみる。
まず被災患者を症例・緊急度により以下のように分ける。
A.所与の医療資源・技術では、どれだけ治療を施しても亡くなってしまうとされるグループ(START法では黒いタグを付けられる)
そして以下のように選択可能な治療戦略が提示されているとする。
1.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、医療資源を人数分で割って全員に割り当てる「平等戦略」
2.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、各人へのくじ引きで割り当てを決める「機会均等戦略」
これら5つの内であれば、各人は全体最適など考えずとも(それを考えるのが完全な悪というのもおかしいんだけど)、
個人の利害に触発されて、自由かつ平等な権利の下に、最も自らの期待生存率の高い4のトリアージ戦略を選ぶはず。
ではその場合の「最も弱い」人はどの患者グループなのか、その効用はどうなるのかを不謹慎な表現も交えるかもだが次に検討。
もし医療資源を注ぎ込んでも「ほぼ」助からない黒いタグ、この場合グループAの患者だとすれば、どのような治療戦略においても
「ほぼ」死亡という結果に終わり、効用は「ほぼ」不変=「ほぼ」常に最大だからトリアージを選ぶ事は「ほぼ」許容される。
次に死亡状態とみなされる人ではなく、助かる可能性はあるが治療を必要とする赤や黄色のタグ、グループBに含まれる患者を
「最も弱い立場」とするならば、トリアージによって最も手厚く医療資源を配分される事になるから、やはり許容範囲となるはず。
問題はもちろんグループAについての「ほぼ」の取り扱い。技術水準の問題として閑却する事も話の上では出来るんだけど、
(前にネタのした時は確実に生存率を判定出来ると仮定したので簡単だった)、現実のトリアージではそうは行かない。
ただ、いずれにしても確率的な選択を強いられるのであれば、やっぱり4のトリアージ戦略しかないと思うんだけどね。
あと検討の順序が逆だったり、戦略や条件の設定の重複・恣意性等あるけど、まあ素人なんで大目に見てくださいな、と。
基本的には無知のヴェールまで降りて議論するまでもなく、最初の期待生存率+公序良俗の「治療戦略選択契約」の話で
大体OKと思うし、そこで「全体主義的」なる批判はシャットアウト可能だと考えてます。よってここらでこの論点終了。
字数制限でhttp://anond.hatelabo.jp/20080817193711へと続きます。目障りでごめんなさい。
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_________________ここから下は古い情報▼__________________________________________________
今、自分のブログをスクラッチしているので、こちらで。→2008/9/28 スクラッチ完了!BLACK-OUT.CSS公式ページ
作りました
要は、LynxのようなシンプルWebに世界がなればいいのになと思っている方。
そして、どんなサイトでも目線は左右に動かしたくない!スクロールは上下だけで済ませたい!
と、強く考えておられる方むけの情報です。
私はテキストブラウザのLynxを時々使っているのですが、これでサイトを見るとシンプルに見れるのですごく良いんですよね。
ただ、LynxはFlashとか画像が見れないし、マウスが使えないのはいざって時にちょっと不便。
で、Firefoxをテキストブラウザ化できないかなあと、ふと思いまして、思いつきで作ってしまいました。
私めもwebデザイナーやっとるんですが、上記のように、昨今のwebデザインなんて普段はなくていいって思っている奴でして。
仕事じゃ3カラムのサイトとか作りますが自分はそんなん好きじゃないです。色がサイトごとに違うってのも理解できない。
必要なのは情報であってデザイナーのデザインなんてどうでもいいんですよ。
そんな訳で、どんなサイトでもテキストブラウザ状態で閲覧できるFirefox用の拡張cssを作りました(やっつけだけど)。
ただ、ニュースサイトで画像が見れないと困る時もあるので、普段は小さなサムネイルで、カーソルを合わせた時だけ大きく表示されるようにしています。
@このcssはコンセプト実証モデルです。思いつきで作ってるのでちょっと問題もあります。フィードバックとか意見など頂けると嬉しいかも。
@将来的には、グリモンでjsも組み合わせてもっとコンソールのような感覚でブラウジングできるようにしたい
@(参考用)私のよく見るサイト・・・ニコ動、wikipedia、スラッシュドットジャパン、2nn.jp(2ch)、mixi、はてなでホッテントリに上がっているブログ各種
ちなみに、こんなん使うな、既にこんないいのあるわいってのをご存知の方は教えてくれると嬉しいです。
それなりに探したのだけど、見当たらなくて・・・だから自作したので。
/* * ---------------------------- * black-out.css * author zamamin.com * build 2008.8.09 15:03 * version 0.0.31 * fix @namespaceを書いてなかったので追加 * ---------------------------- * */ @namespace url(http://www.w3.org/1999/xhtml); /* 全てのエレメントをリセット */ body,body * { background-image:none !important; background-color:#000 !important; border-color:#333 !important; text-decoration:none !important; color:#aaa !important; /*<- テキスト色 */ font-size:16px !important; /*<- 文字サイズ */ font-weight:normal !important; padding:0.15em !important; margin:0 !important; line-height:1.25em !important; text-align:left !important; text-indent:0 !important; font-family:Arial,Helvetica,Verdana,'ヒラギノ角ゴPro W3','Hiragino Kaku Gothic Pro',Osaka,'メイリオ',Meiryo,'MS Pゴシック',sans-serif !important; float:none !important; clear:both !important; position:relative !important; width:auto !important; height:auto !important; } body { background-color:#000 !important; padding:0.5em !important; } body * p, body * div, body * h1, body * h2, body * h3, body * h4, body * h5, body * h6{ margin-bottom:0.3em !important; float:left !important; clear:both !important; } /* リンク色 */ body * a, body * a *{ color:#a50 !important; } /* アクセス済みのリンク色 */ body * a:visited{ color:#a50 !important; } /* カーソルを合わせた時のリンク色 */ body * a:hover, body * a:hover *{ color:#0aa !important; background-color:#609 !important; } /* 画像は普段は小さくサムネイル表示。鬱陶しいので薄く表示 */ body * img{ opacity:0.3 !important; height:15px !important; width:15px !important; } /* 画像はマウスカーソルもっていけば原寸サイズになる */ body * img:hover{ opacity:0.9 !important; height:auto !important; width:auto !important; } button, input, select, option, textarea{ color:#f00 !important; padding:0.05em !important; height:auto !important; } /* テーブルのスタイル */ table{ border:none; } table td, table th{ border:none; border-right:1px dashed #999 !important; border-bottom:1px dashed #999 !important; } /* for 2ch(暫定) */ body * dt{ font-weight:bold !important; } /* 二コ動 */ embed#flvplayer{ height:540px !important; width:952px !important; }
とりあえず時系列で並べてみた。
そもそもプログラムを開発する上で必要なPS3用のコンパイラが最近まで提供されてこなかったのだ。
そこで、昨年11月から、「セル」の製造元であるIBM自体が、状況の改善のために、開発支援環境の提供に乗りだしてきた。「セル」向けに最適化されたコンパイラが今月からやっと提供される。
スクエニが実際いつ頃からPS3用の開発環境を導入したのかについては不明だが、MGS4の古い情報からある程度「上限」を推測出来ると思う。開発環境提供開始の直前のニュースにこんなものがある(太字部分は引用者注)。
「東京ゲームショウ2005」コナミブースレポート 全世界初の「METAL GEAR SOLID 4 (仮)」実機映像を公開
映像に引き続き、PS3の開発機材を会場に持ち込みリアルタイムでゲームを動かすという実演が行なわれた。「MGS4 (仮)」はまだまだ開発を始めたばかりで、開発中の物をそのまま持ってきたという。イメージ的には前述のトレイラーの一部、銃を構えたスネークの部分を切り出したという感じ。リアルタイムで動かしているということを証明するために、スネークが銃を構えている場面で映像を止め、ズームイン、ズームアウト、カメラワークの変更などを実行した。
正式提供開始一ヶ月前の時点で実機である程度作り込めているわけだから、SCEIのFF13への期待度を勘案すれば、導入時期はMGS4とあまり変わらないと思われる。よって、FF13は開発環境導入から発売予定日まで最長でも5年未満と推測される(ついでに、一部で噂されてる「MGS4の開発費は70億円説」の真偽を判断する目安にもなるんじゃないかな)。
これが長いかどうかを判断する目安として、前作FF12の開発期間を調べてみる。ファミ通の攻略本によれば、インタビューに応じているスタッフの「プロジェクトへの参加時期」で最も古いものがディレクター二名の「2000年12月」だった。また、その翌月の「2001年1月」と紹介されているスタッフも複数名(いずれも技術的な分野を担当している人達)いるようなので、FF12のプロジェクト開始時期は推定2000年12月前後、期間は約5年と推測される(FF12の発売日は2006年3月16日)。実はFF13と大差ない。
だが、期間だけ見れば同等でも、細かい事情を見ていくとFF12とFF13では状況がかなり違う。FF12の場合、既にPS2は発売中なので当然ながら開発環境は整備済み、FF12プロジェクト開始時期(推定)時点で既に4本ほどソフトをリリースしており、ノウハウもそれなりに蓄積されている状況だったはず。開発環境導入前後という、ノウハウに乏しい時期からプロジェクト開始して、それ自体の難度も非常に高いというFF13とは事情が大きく違う。おそらく導入後はノウハウ蓄積に結構な期間を費やしているはずで、実際、2006年10月のファミ通増刊号では、その時点でのFF13の進行状況は「13%」と明記されていた。それから約3年で残り87%を進めるとなると、実質的な開発期間は「推定5年」よりもかなり短いという見方も成り立つと思う。
とすれば、もしかしたらFF13はFF12並みのボリュームは期待できないのかも知れない。また、海外ではXbox360版も出るとの事で、必然的にメディアはDVD-ROMでも破綻しない程度の容量に抑えられているはず。同じジャンルであるロストオデッセイが4枚組なのを考えれば、少なくともこれを大幅に超えるような事は無いと思われる。。
まとめるとこんな感じか。
FF12 | FF13 | MGS4 | |
---|---|---|---|
開発期間 | 約5年 | 5年未満 | 約3年 |
プロジェクト開始時点での 開発ノウハウ | 有 | 乏 | 乏 |
開発難度 | 並 | 高 | 高 |
容量 | DVD一枚(3.75GB) | DVD四枚分(約30GB)以下? | BD一枚(47GB) |
こうして見てみると、FF13開発にかかってる「手間」が見えてくるんじゃないかと思う。まあ、投入する人員の規模がFF12やMGS4と桁違いなのであれば、これらの推測は当てにならないだろうけどね。スクエニは据え置き機向けの完全新作は聖剣伝説4(2006年12月発売)以降殆どリリースしてない(それ以降はFF12IZJB、FF11の拡張ディスク、KH2FM+だけ)から、人的リソースを集中させている可能性もあるし、あるいは「大人の事情」で早めの発売予定を発表して、あとからズルズル延ばす作戦なのかも知れないけど(FF12も最初に発表した発売予定から2年近く延期してるし)。
東京都の付属品みたいな扱いを受けているところが千葉県の萌えポイントじゃないのか?
FireFoxは便利便利といわれながら、拡張を入れてあげないとなかなか便利になってくれない駄々っ子っぽいところに萌えるわけなんだけど
全部「萌え」の使い方として間違っているとは思えない。
このスレに限らず「方言萌え」みたいなのがリアルでも結構見かけたりするからうんざりする。特に俺は大阪出身なので、大阪弁キャラにがめつい人間が割り当てられていることによく腹が立つのだが、それと同じ箇所を逆撫でされた気分だ。
ちょっとこれを読んで欲しい。
有標とは特殊と考えられるものであり、無標とは基本的ないし自然と考えられるものとすることもある。この概念を有標性(markedness)という。例えば英語のlionは雄雌どちらのライオンも表すが、lionessは雌だけである。前者が無標で後者が有標である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC_(%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6)
概念の拡張になってしまうが、要するに「方言萌え」ってのは方言を無自覚に有標扱いしてるってことなんだ。要するに「特殊」視してることなんだよ。これは差別以外の何者でもない。そしてその背景には、関東方言を基準につくられた標準語を「基本的ないし自然」だと考える関東エスノセントリズムが存在する。
どんな言語も人間の言語であり、どんな言語の話者にもいろんな奴が存在する。たとえば徳島弁に萌えるとか言ってる奴は、徳島には嫌な奴は存在しないとでも思ってるのだろうか。
元々、何を方言と呼んで何を言語と呼ぶかというのはかなり政治的な問題だ。東北弁と九州弁は、イタリア語とスペイン語以上にかけ離れているかもしれない。
要するに、標準語と方言はどちらも言語学的にはお互い様なものなのだ。どちらかに特定の要素を読み込むのは単なる偏見に過ぎない。
まあ、どのくらいの数のブラウザオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないブラウザの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、ブラウザのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にブラウザを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、インストールに過大な負担を伴うCUI用、音声出力のブラウザは避けたい。
できればプリインストール、入ってなくてもGUIインストーラ付きのブラウザにとどめたい。
あと、いくらブラウザ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
Sun好きが『HotJava』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ブラウザ知識はいわゆる「青いE」的なものを除けば、フォクすけ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ブラウザ戦争以前」を濃縮しきっていて、「ブラウザ戦争以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。機能もOSと一体だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなブラウザ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ブラウザオタとしてはこの二つは“独自エンジン”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のMac OS Xオタが持ってるCocoaへの憧憬と、元Dave Hyatt監修のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもMac OS Xな
「容量的なださカッコよさ」を体現するユニバーサルバイナリ
の二つをはじめとして、オタ好きのする機能を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「Safariだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜のUIがその後続くかわからないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
日本ならFlash上でIMが使えなくて、それがブログで非難されてもおかしくはなさそうなのに、
アメリカでそういうのが後回しにされること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりブラウザはWebサーフィンのためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「Konqueror」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるAppleの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも「RSS」を付ける、っていうネーミングセンスが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
Safari RSSという名前を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
MozillaやOperaだったらきっちりSafari 2と名付けてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて「RSS」を名前に付けてしまう、というあたり、どうしても
「自分のソフトウェアを形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえAppleがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でNN2見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
NN4よりも前の段階で、ネスケの哲学とか独自拡張路線とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がパッケージでこの時代に売っていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくブラウザ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる火狐でしかMozillaを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
Operaの「タブ」あるいは「マウスジェスチャ」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない標準議論を毎日続ける」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそもじら組版『和ジラ』最終リリースは日本語パック抜き以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化したIE専用サイトをdisる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はBork Editionにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうTim Berners-Lee風味の妄想をこういうかたちでブラウザ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にロリ狐を選んだ。
IE4から始まってロリ狐で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ふぉくす子以降のブラウザ擬人化キャラの影響を
受けた作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
【香港6日時事】中国系香港紙・文匯報は6日、黒竜江省の関係筋の話として、2004年調印の中ロ国境協定に基づき、アムール川(中国名・黒竜江)の大ウスリー島(黒瞎子島)の半分などが9月にロシアから中国へ引き渡されると伝えた。これにより、かつて武力紛争にまで発展した中ロ間の国境問題は完全に解決する。
同紙によると、中国の国家発展改革委員会や黒竜江省政府などが現在、引き渡しの手続きについてロシア側関係当局と協議中。ロシア側では「引き渡しは8月にも可能」との見方があるが、実際には、同月は北京五輪が開催され、中国政府が多忙なため、9月になるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080706-00000077-jij-int
「中国は領土拡張の野心を持っている」、「奴ら中華思想により自分を世界の中心だと考えている」、「中国に国際条約を守る気なんてさらさらない。日本は中国の侵略に備えるべきだ」なんて言っていたネトウヨはなんて反応するだろうな?
「これはロシアが譲ったから上手くいっただけ」とか「そのうち反故にするさ」、「非文明的な国同士だからできたこと」なんて言うかも知れんな。
ご紹介いいただいたgreasemonkeyをインストールすると、特定IDの「このエントリーを含む日記」を非表示にすることができるのですか?
舌足らずでした。
現状のままでは出来ません。しかし、たぶん若干の変更で対応できます。
このグリモンには、非表示にする条件を設定するためのインターフェースがありません。設定は直接スクリプトファイルを書き換えて行います。いうなれば雛形みたいなものです。
ですので、若干でも、javascript、正規表現、xpathが理解できる人が対象です。
ちなみに、具体的に書き換えるべき変数は、itemxpathと、filters配列です。
というわけで、上記は敷居が高いのですが、rikuoさんのまとめ記事の方で、幾つかその他の方法が上げられています。いずれも、コメントに対するものですが、含む日記に応用できるものがあります。詳しくは記事を読んでいただくとして、
以下、書き換え用自分メモ
A、ねぇよ。Youtube見ろ。
Q、iPhoneにはモバイルスイカとかお財布機能ありますか?
Q、iPhoneでドコモやAUの友達と携帯メールのやりとりは普通にできますか?
Q、iPhoneのカメラにはオートフォーカスや手ぶれ補正ありますか?
A、オマエの携帯にはあるのか?あるなら、解約後も使えるだろ。無いのか?デジカメ買え。
Q、iPhoneはブルートゥースが付いているそうですが、ワイヤレスで音楽聴けますか?
A、できねえ。Appleは有線で聞けってよ。
A、ねえよ。つーか、なんに使うんだ?アドレスやTelNo.ならQRコード使え。
Q、iPhoneの電池交換は自分でできますか?
A、自分ではできん。そんなのショップにやらせろ。
Q、iPhoneは片手で操作できますか?
Q、iPhoneのキャリアであるソフトバンクってどんな会社ですか?
A、ハゲが社長。
Q、iPhoneの無線LANを使う場合、どこかの無線LANサービスに加入するのですか?
A、当たり前だろ。
Q、ソフトバンクの3G回線って基地局が少なくエリアが狭いと聞いたんですが。
A、docomoに比べたら全然マシ。
さっき金曜ロードショーでマトリックス2作目を見たんだが、「これってスピリチュアルな世界じゃないか」って思った。
劇中ではやたらと運命が強調され、登場人物は運命と自分の選択との葛藤に翻弄される。これ、西洋的、アラン・コーエン的スピリチュアルそのもの。[isbn:978-4478910146]を斜め読みしたところによると、彼は、自分の正直な選択は必ず意味深い結果に繋がるという運命思想を持っている。ただし、同時に「前世など、あなたを規制するものは何もない」とも断言してる点には注意ね。神秘主義というより、自己啓発に近い雰囲気がある。
また、マトリックスの中では物を浮かせることが出来る人間がいたり、抽象的な言葉ばっかり使ってつかみ所のない言葉を乱発する預言者がいる。青白いヒーローにはソウルメイトもいる。スピリチュアルな夢世界そのもの。そして何より、マトリックスという「この世界を超越した存在」を肯定し、かつ旧来の宗教によるような「超越した存在」への絶対的な善という扱いをしない。
つまりマトリックスは、「スピリチュアル的世界観を、仮想現実とコンピュータネットワークというサイバーパンクで解釈いたしました」というご提案だったわけね。
一方、日本でのスピリチュアリズムは、三輪・江原に代表される「先祖」「前世」「守護霊」とのつながりを基調とした封建社会的なものが主流で、運命と個人を直接つなげるような個人主義的な西洋スピリチュアリズムはあまり受け入れられていない。マトリックス的なスピリチュアリズムは、日本的スピリチュアリズムとは明確に相反していると言っても過言じゃない。
幸い、1作目の時点では、サイバーパンク物としてのマトリックスは攻殻機動隊と特に比較され、その手のファンには受け入れられた。だが、2作目ではやたら運命と選択が強調され、新たなサイバーパンクのご提案や世界観の拡張もなく、抽象的な長台詞とCGで埋められた時間には我慢の限界があった。
こうしてマトリックスは、1作目の大ヒットとは縁遠く、単なるシリーズ物の定番の一つに成り下がったわけだ。
と、映画を見ながら思って、若干スピリチュアルにかぶれたうちのかみさんに、「これってスピリチュアルだよね。運命とかwww」などと話し掛けていたら、少し不機嫌そうな顔で「なに?この映画嫌いなの?」と言われたので、「いや、そんなことはないんだけど…」とだけ答え、それ以降黙ってしまうしかなかった。
お陰で、今夜は増田日和だ。
ちょっと軽くなったかな。
今入れたばかりなんで、もう少し使ってみないことには何とも言えないけども。
やっぱりまだ対応してない拡張が多い。
しかしNightly tester tools 入れれば大半は無理やり動作可能。
ただ、tab mix plus とbbs 2ch reader が全く動かないから注意。
普段からこの拡張を常用してる人は結構不便かも。
だれか、tab mix plusを使わずに、ブックマークをクリックすると新規タブで開けるようにする設定する方法知らない?