はてなキーワード: 内積とは
それはさすがにレベル低過ぎじゃね???
俺が学生の頃は「あの子と内積とりたい」とか(ディラックのブラケットを思い浮かべること)、数少ない女の子に群がる男を見て「ボーズアインシュタイン凝縮してる」とか、そういうのが普通に日常会話だったが。
今は社会に出てるので線形代数あたりのネタが多いな。内積も当然線形空間ネタなんだが、なんというか、ディラック記法を踏まえた文脈かどうかの違いが本質的。物理系のヒルベルト空間は必然的にその上に作用する作用素とセットだから。
そもそも例えじゃなくて文化資本の格差を時間の関数と見たときの厳密な表現だぞ。
他の科ならわざわざ数学に例えるなんてひくわぁ
文系ならそうだろうけど、理系でそれ言うと自分の馬鹿さ加減を宣伝してることになるぞ。
まともな理系の知識持ってる人間だったら「2階微分」で意味不明と思うなんて有り得ないよ。
うちの会社とか、どう逆立ちしても入社すらできないだろうなあ。
しかしこういう「勉強ダセェw」みたいな子、10年ぶりくらいに見たな…。なんか懐かしい感じ。どういうバックグラウンドの子なんだろう。
そもそも空間に内積が入ってるというのは、内積から自然に誘導されるノルムや距離や位相がある空間だということだ。
ノルム、距離、位相だけでは記述できない、内積によって規定される構造というのは、角度であり特に重要なのは直交という概念だね。
直交性というのは、その(線形)空間の中である意味「お互いに独立」な要素を決める。
n次元ユークリッド空間なら、n本の直交なベクトルを定義することができて、空間中の点はそれぞれのベクトルの方向に、「他のベクトルの方向には影響を与えず」独立に動かすことができる。
逆に、平行なベクトル同士では、互いに完全に影響を与え合う形でしか動かすことができない。平行性も内積によって定義される性質であり、これを従属と言う。
n本以下の平行でない適当なベクトルの組を持ってきたときに、内積を使って直交したベクトルの組を得ることもできる。グラムシュミットの直交化とかで。
空間中の直交なベクトルの組を見出すということは、空間の性質をかなり詳しく知るということになっていて、そのための演算として空間に定義された内積は超重要。
ベクトルに関する操作は、和、スカラー倍、ノルム、そして内積くらいしか高校では使っていない。内積という操作を禁止すると何ができなくなるかを考えてみるといい。
ちなみに内積は標準内積と呼ばれる高校で習う定義に限るものではなくて、内積の公理を満たす演算ならなんでもいい。
これは逆に空間にどういう構造を入れるか?というユーザの意思や物理的要請から決まるもの。内積の定義が各点で変わるような空間もあって、これは空間が曲がっているということに対応する。
ユークリッド空間みたいに平坦で内積が一様な空間というのは特別な空間ということだな。
また、線形空間という概念は実はユークリッド空間に限ったものでもなくて、空間の元に対して和やスカラー倍、単位元や逆元が定義されていて、いくつかの性質を満たせばよい。
これは例えば関数をたくさん集めてきた関数空間についても成り立つことがあって、そこに内積を定義することでユークリッド空間のベクトルの議論と完全に同じ話をすることができる。
時に落ち着け
良い所とか、価値というのは、お前さんが思っているほど、少ない種類しかないわけではないんだ。
例えば、いつも、笑っているというだけでも価値がある。
他には、好きなことをやり続けていることにも価値がある。
友達の誘いに、お、それいいねぇーってよく考えずにホイホイついていく そういうヤツだけでも価値がある。
もしくは、話を否定せずにさいごまで、ウンウンって聞いてやることができるだけで、価値がある。
毎週ジャンプを買って、学校に持ってきているというだけでも価値がある。
どうでもいい話を即席で、10個位言えるということにも価値がある。
え?そうじゃなくて、頭の良さとか、運動とかで、良い所を出したい?
しかも、そのあと、その価値は他でも使いまわせるという便利な価値だ。
伸ばし方がわからない?
そしたら、ヒントをあげよう。
運動は反復練習だ。意識しないとできないことを、意識しなくてもできるようにする。
というだけで、だいぶチはう。
例えば、ベクトルの話だったら、つまり、線を伸び縮みさせるというアイディアだ。とかね。
他の内積とは、副産物のようなものだよ。そのアイディアさえ、わかれば、平面の領域を求める問題だとかもイチコロだ。
比較したがるのは世の中の常だが、世の中が目をつけにくい価値はかならずあると思うんだ。
今のは、比較される前提で話をしたが、比較されることに対して、無視を決め込むという手もある。
その場合は、自分の信じるものをみつけて、それを盲信することだ。
こいつはちょっと博打だが、まちがいないのは、何を言われても、あいつはアホだ。としか思えなくなる。
アップルのjobsとかは、人として、ダメダメだったけど、何言われても、うっせーバカみたいな気にしなかったし、やりたいようにやってたよね。
高校生なんて、人生を24時間に例えたら、日の出すら拝めていない。
がんばれ。
この場合の位置エネルギーは、重力の事を言っている(正確には違っても、広義で読み替えて問題ないと思うんだが)何が問題なの?
厳密に言わないとダメとか、べつに授業じゃないんだから、意味が伝わればOKでしょ。
相手の言いたいことを類推して、読み替える能力がないの? あと 間違いを訂正する場合は それはXXっていうんだよ。と正解をいってね。 どういうことを言いたいのかがわからん。
どうでもいいけど、重力加速度 g ベクトルで そのエネルギーはその内積・量だから。ってことらしいんだが。
文章から把握して、重力加速度 g からくる 力 の事を言いたいって思って 補足したんだが・・・ なぜ、用語定義が違う。って 怒られなきゃならんのだろう。
えらく時間がかかったんだけど。どのくらい時間がかかったかと言うとたっぷり20年かかったんだけど。ブラケット記法で考えるのが多分一番近道だよな。
状態1をあらわす<φ1|があって、状態2をあらわす|φ2>がある。で、状態1から状態2に遷移する確率は<φ1|φ2>であらわされる。
これがブラケット記法。ただし、結果は複素数なので本当の確率は結果の絶対値であらわされる。そこはあんまり本質ではない。問題は状態1をあらわす<φ1|が行ベクトルだってこと(状態2は列ベクトル)。ベクトルの長さは無限大。それぞれの要素は複素数。二つのベクトルの内積をとるから、結果はスカラー(複素数)確率になるけど、じゃ、遷移する(内積を取る)前って何なのよってことになる。
で、上の|φ2>を観測された状態(たとえば右の穴を通った)と考えると、観測することによって、古典力学で理解可能な「右の穴を通る確率」に落ちてきた。確率はスカラー。でも、観測する前は確率に対応する複素数を無限個もつベクトルってことになる。
俺の理解だと「じゃぁ何かい」って言ったのがシュレーディンガー。
<φ1|を、観測前のブラックボックスの中の猫の状態と考える。|φ2>は観測後に猫が死んでいる状態とする。猫が死んでいる確率が<φ1|φ2>であらわされるのはいい。スカラー確率だから。だけど、観測前の猫が<φ1|ってのはどういうことだ?ベクトルの要素の数が無限だということは、猫は無限個の「ありえる状態」の重ね合わせってことかい?そんな馬鹿な話はないだろう。
これがシュレーディンガーの猫のパラドックス。中年に差し掛かって量子力学に手を染めたシュレーディンガーが、青春時代から量子革命に首を突っ込んだ世代についていけなかったことをあらわすエピソード。ていうか、これがまっとうな感性だよな。
古典力学では式のそれぞれの項に実世界と連結する意味がある。たとえばa=f/mって式は加速度を求める式だけど、その計算に必要な質量と力は、ちゃんと実生活にあるものとして理解できる。だけど、ブラケット記法では、左のブラ、右のケットに対応する古典物理学的な意味がない。実生活からの体験で理解できない。ブラケット演算を行って初めて理解可能な確率が出てくる。シュレーディンガーの抗議は量子実体を古典的物理的な体験で理解できないとする姿勢への抗議だった。
そうだよ、重ね合わせになってる。変に思えるけど、そうなってる。理由は知らない。
量子実体は古典的には理解できないよ、と。これはその後「量子力学は料理本だ。背景の原理は知らなくていい。正しい結果が出るのだから」というCookbook派の中心教義になる。
もう少し突っ込んで考えると、我々は量子力学においては遷移確率としてか事象を捉えられないことになる。遷移しないものは認識できない。観測しないものは古典力学的実体を持っていない。こう考えると
我々が観測しないとき、事象は存在しないのと同義だ
という極論が出てくる理由もわかる。
…と、理解しているんだけど、これでいいかな。