はてなキーワード: バウリンガルとは
犬の言葉を人の言葉に翻訳することはできない。なぜなら、犬の言語は失われてしまっているから。きょうはこのことについて話そう。
犬の鳴き声を翻訳するアプリを検索すればいくつも見つけることができる。かつては、バウリンガルという翻訳機がもてはやされた。そういったものを見る度に、僕の心には疑問が浮かび上がった。本当にそんなことが可能なのだろうか、と。
あなたは言葉を誰に教わっただろうか?親兄弟、友達、そして学校の先生だろう。言葉はコミュニティの中で生まれ、育てられていく。コミュニティなしでは言葉は生まれ得ない。これは誰もが同意してくれることだと思う。
もしあなたが生まれると同時に森に捨てられ独りで成長したら言葉をしゃべっていただろうか?唸り声は出せるかもしれないが、複雑な情報を伝える言葉は生み出せなかっただろう。
さて犬はどうだろうか?彼、彼女らは言葉を話すコミュニティで暮らしているのだろうか?そんなことはない。多くの場合、誰も言葉を教えてくれない。したがって、彼らは言葉を持たないのである。
言葉を話す人と一緒に暮らしてるって?もちろん、人は言葉を話すし、犬も数十単語であれば意味を理解しているとされる。でもそれは人語であって犬語ではない。もし犬が人語を喋るのであれば、そもそも翻訳もいらないではないか。
かつて犬がオオカミとして群れで暮らしていたとき、そこには犬の言葉があった(正確にはオオカミの言葉か)。彼らが群れを離れ、人と共に歩む道を選んだ時、犬の言葉は失われてしまったのだ。
もし犬と意思疎通を図りたいのであれば、失われた犬語の再建が欠かせない。オオカミの言葉から犬語を作り、人が犬語を話す練習をして、生まれたばかりの子犬に犬語を教えてあげよう。そうなれば、翻訳機は本当の意味で翻訳機となり、我々は意思疎通を図れるようになるだろう。
追記:ムツゴロウ動物王国みたいに数十匹の犬が群れで長年暮らしている環境であれば、ある程度の言語は生まれているのかもしれない。
聖書をラテン語に翻訳したヒエロニムスさんが亡くなった日が由来となってるそうです。
ずっと犬の種類を書いてきた今年の九月でございますが、まぁ別に猫の種類でもカブトムシの種類でもよかったかもなあとは思っております。
バウリンガルなどで生き物の考えが読めるようになってきた昨今、あえて直接的な考えを理解しないことで進ませている物事の多さを感じている今日この頃です。
なんでも好きと嫌いではやっていけませんからね。
それでストレスを感じるようならある程度の距離感は必要ですもの。
それもそれでコミュニケーションの上で重要なものですよね、きっと。
ということで本日は【適切な距離感よいか】でいきたいと思います。
何かしらの危機感感じちゃってる増田なのかな?もしくは同業の嫉妬?
ただのガジェットだと思ってりゃいいのに
バウリンガルで本当に犬の気持ちがわかると思うわけじゃないでしょ