はてなキーワード: 女装子とは
少々長くなりますのでご了承ください。
新たなる代用語として充てられている感はあるが、
それでも依然として、
同性愛・性同一性障害・ニューハーフ・トランスジェンダー/トランスセクシャル・インターセックス(両性具有者)
といったセクシャルマイノリティと混同している人が目立つ。
各々の定義は、とりあえず現在はwikipediaに記載された定義が最もベターだと思う。
(実態と異なる部分も少なからずあるが、うまく区分けされまとめられているように思う)
ニューハーフという定義だけは曖昧で、厳密にはLGBTのセクシャルマイノリティには当てはまらず、
性自認が男であろうと、恋愛対象が女性であろうと、性ホルモンを投与してなかろうと女性の恰好や仕草をして
それを売りにして"水商売・風俗産業"に従事する者達を指す言葉なのだが、
近年は「将来的に女性として生きる事を目指していて、性ホルモンを投与していて見た目も女性らしく見える人」を指す言葉でもあるようなので、
広義的にLGBTのセクシャルマイノリティに分類しても良いかと思っている。
仕事のためや趣味だけでニューハーフをやっている者もいるので、LGBTに含まれないニューハーフがいるのも事実だが。
ここで、その「LGBT」とは?
セクシャルマイノリティの区分けを大別して国際的に以下のように区分される。
T・・・トランスジェンダー/トランスセクシャル (性別変更者)
※セクシャルをセクシュアルと呼ぶ事もあるが、
さて、現実世界で男の娘と定義されるようになったかつての女装子達。
一般理念としては、「身体の性別が男性で、性同一性障害ではなく性ホルモンも投与しておらず、
ただのファションの一環としてや性的嗜好により女性の服装を纏ったり化粧をする者」という定義だと思う。
しかし中には性同一性障害の人で、女性化の一歩として女装から入る人もいる。
まだ性ホルモン等もやっていないので周りから見れば女装にしか見えない。
本人に性自認を聞かない限り判断はできない。
そういう人は外観から見れば女装者だが、正しくは「性同一性障害のトランスジェンダー」という区分けになる。
性同一性障害であろうとなかろうと、性ホルモン投与を始めたり、
身体の手術を行えば、「ニューハーフ」という区分になる。
(ここで、ニューハーフとは水商売・風俗産業に従事する者という定義に当てはめれば、
性ホルモン投与を開始しても、一般職だったり学生だったり無職であればニューハーフではなく
「トランスジェンダー」という区分になる。広義的な意味ではニューハーフという区分でもいいかもしれない)
トランスジェンダーは、まだ完全に工事が終わってなく女性化の途中段階の人で
トランスセクシャルは性転換手術も完全に終えた人を指す。法律と性器の外観以外にこの2者に大きな違いはない。
(同じトランスジェンダーの中でも性ホルモン投与が始めたてで身体の肉付きがまだ女性的になっていない場合は見た目の違いは顕著な事も多い)
同性愛とは周りからの判断で決まるものではなく、本人の性自認によって委ねられる。
本人が「自分は男だ」と自認していて、かつ同性を好きになる事が同性愛。
本人が性同一性障害などで「私は女だ」と認識していて男性を好きになる行為は
本人にとっては「異性愛」。これらは「性的指向」と呼ばれるもので、
見た目や仕草に決まりがあるというわけではない。
冒頭で書いたように、女装を嗜んだり、女言葉を使ったりしていても
当事者が「自分は男だ」と自認した上で男性を好きになる事は同性愛であるし、
まだ見た目は男のままでも、性同一性障害であるなら異性愛という認識になる。
「幼い頃から自身を女性だと思っていて、それまで男として暮らしてきてもいずれ女性の恰好をして性ホルモンや性転換などの治療を受け、
なおかつ24時間女性として暮らす事を望む者」という事が精神医学のガイドラインで決まっていて、恋愛対象が男か女かは特に問われない。
実状としては性同一性障害にも関わらず親との関係や環境上の理由により、男の姿のまま一生を全うする者もいるので
一概にどうと言えない。
しかしそういった者の中で男性が恋愛対象の性同一性障害者は、周りからは「同性愛者の男性」であると思われても仕方のない部分もある。
また、中には性同一性障害ではないのにも関わらず、自己判断で性ホルモンを投与したりいずれ手術に望む者もいる。
そういう者もトランスジェンダー/トランスセクシャルに分別されるが、精神医学上では「異性化願望症」と判断される。
ちなみに、性同一性障害の当事者からは、そういった異性化願望症の当事者を嫌悪/排他する傾向にある。
元々は、「普通の男性なのだが見た目が美少女にしか見えない少年」
といった意味であるようなのだが、創作世界から現実世界に派生し、
一部では、綺麗で女性らしい見た目であれば
性自認も恋愛対象も関係なく一律に男の娘と呼ぶとする者もいるが、
いったいどこまでを定義していいのか、当事者達にとっても悩ましい問題である。
そもそも、創作世界においての萌えに限定しては混同してもいいのかもしれないが、
現実世界においてのセクシャルマイノリティや性的嗜好を一括りするのは禁忌であると思う。
なぜならば現実世界においてセクシャルマイノリティの分野はデリケートな問題であるからだ。
当事者間においては、趣味で女装を嗜むだけの者にとってはニューハーフと同一視されたくない、
ニューハーフや性同一性障害のトランスジェンダー/トランスセクシャル者にとっては、
趣味で女装をしているだけの者と同一視されたくないというデリケートな思いがあるからである。
近年においては、ニューハーフ職に属していないトランスジェンダーやトランスセクシャルも大勢いる。
そういったニューハーフに属していないトランスジェンダー/トランスセクシャルと女装少年を同一視して男の娘と区分してしまっている傾向はある。
はたから見れば、どちらも同じく男性に生まれ女性の恰好をしたり生活をしている者と見えてしまうのだが、
それでも性同一性障害などで性ホルモン投与をしたり女性として暮らしている当事者と、ファッションや趣味だけで女装を楽しんでいる者とは大きく異なる。例えこの両者が、見た目がすごく綺麗な女性である前提としても。
または現実世界でも「セクシャルマイノリティではないし女装もしてないが女性のような顔つきをした者」だけに限定して使う事が望ましい。
1歩譲って、女装を嗜む者も含んでもいいと思うが、現在、現実世界でメディアに男の娘と区分されている者の中に、
性同一性障害者や、性ホルモン投与者などがいるなら、男の娘という区分からは外して分けて考えるべきなのだ。
そういう者はトランスジェンダーであり、いくら綺麗でも女装を嗜むだけの者とは異なる。
困った事に、セクシャルマイノリティの当事者の中でも、綺麗な女装男子といっしょになって「自分は男の娘」だと呼称している者もいるということ。
見た目が綺麗で女性的だという褒め言葉的な称号の名の元には同じなのかもしれないが、
見方を変えれば、あなた方が性同一性障害で苦労しようが、性ホルモンや外科手術によって頑張ろうが、
世間にとってはいつまで経っても、ノンケだけどただ女装を嗜んでいる者達と同一視されてもしょうがないという事。
逆に言えば、ただファッションとして女装を楽しんでいる者も、セクシャルマイノリティの当事者といっしょになって男の娘だなんて言ってるうちは、
あなた方も、「男が好きなの?」「女として生きてくの?」「手術するの?」「性同一性障害なの?」と言われてもしょうがないという事。
少し誤解があるようだけど、「やってみたい」というくくりが恣意的で大雑把過ぎて、結果として不必要に人を一刀両断にしすぎるところがある。どれもこれも一緒くたにしてしまっているから現実に適用するには無理があると思う。
あることを「愛好すること」と「実行したい」の間には距離があり、「実行に向けて具体的に行動する」というのはもう場合によっては全然別のことだったりする。端から見ると区別がつかないことが多々あるわけだけれども。
たとえば鉄道ファンでも「ただ電車が好き」というのと「実際に乗って運転してえ」というのは違うし、「そのためにJR東海入るぜ」ってのは更に違う。F1好きな人が実際に乗りたいと思ってるとは限らないし、実際にレース場いってぶっ飛ばす人は数えるほどだ。男でゴスロリ衣装のファンだとしても女装子であるとは限らないし、実際に購入して身につけて外出する人はむしろ少数派に属する。単なるレストランのファンとグルメとシェフは、たとえばファン→グルメ→シェフとなる人もいれば、全然そうならない人もいるし、それはファッションブランドのファンと評論家とデザイナーでもそうだ。シェフ未満とかデザイナー未満で単なるファン、という場合もあるだろう。でも全てのファンが、できればシェフになりたいとかデザイナーになりたいと思っているわけでは無い。なぜならそれらは『それぞれ異なる方向への嗜好』だからだ。あなたはまずそこを勘違いしていると思う。
更に、考えてみてくれ。あなたの考えのその先…すなわち「『実行すれば』法的に×なことを『想像する人』は×だ」という理屈について。
上の(あなたにおける)「愛好する」と「実行する」の混同と合わせてみれば、たとえば絶滅を危惧されていて法的に採集が禁止されている蝶を『愛好する』ことは、あなたの分類だと『犯罪嗜好者で叩かれるべき』となるわけだ。なぜなら『それを実行するのは法的に×』だから。あるいは、他人の身につけてる貴金属を『ちょっといいな』と思っただけで許し難い罪悪になるわけだよね。他人の持ってる貴金属を『取って身につけるのは法的に×』だから。人ゴミで『こいつらウゼえ』と思ってもダメだ。それを『実行する』人間は死刑に値するから。そうなるともう街の中で『うわ小便してえ』と思うことすら軽犯罪法に違反する可能性があるね。
まあそういう『他人の妻を欲望の眼で見る人間は既に姦淫を為したのである』という考え方があるのは認める。でもそれはほとんど宗教だ。それを現実の人の振る舞いとして期待するのは、明らかに逸脱だし、その発想自体が危険ですらある。そもそもあなた自身、「法が推奨しないことであっても実行しない限り罰しない」という現実の法の運用に反して「実行しなくても社会的に罰されるべきである」と妄想していることになるわけだよね。それは、あなたの定義によれば罪なのでは?
もちろんオレはそれを罰しようとは思わない。間違ったことであっても、それを考える自由はあると思う。社会というのは、そのぐらいゆるく運営されるべきだ。そして、その同じ理由で、あなたの考えていること――他人の「頭の中を取り締まろう」という発想は(及び最近の『児童ポルノ取締の暴走』は)残念ながら社会の運用ルールとしては適さないと思うな。
ゲイにとっていい時代になってきたなあ。ネットさまさま、ニコニコさまさまですよ。
「ゲイというものが存在すること」への認知がこんなに広まるなんて思わなかった。カジュアルになるなんておもわなかった。俺の観測範囲では、10年前はゲイであることが反社会的だったし、ネットワークが超絶限られていて全くコミュニケーションがなりたたなかった。その理由の一つとして「認知されていなかった」のがあるとおもう。オタクやJUNE好き(腐女子とは書かぬ)が認知されていなくて、特殊なやつらとカテゴライズされて日陰を歩んできたように、ゲイはさらに認知されていなかった。一般世間とは別物だった。
俺は地方にすんでいたので、本当に情報が限られていた。ネットもなければ書店にゲイ雑誌もないしね。二丁目のようなコミュニティも(目の届くところに)ない。だからコミュニケーションできる相手もいない。ひたすら偏った情報が、ちらちらとテレビや一般紙から届くだけ。そこからくる情報は「ゲイはエイズもちの病気野郎みたいなもんですよ」というふうにしか聞こえなかった。
インターネットはそんな俺に世界を与えてくれた。仲間がいる。話しがなりたつ。悩みをきいてもらえる。雑誌の存在もしる。
なんてすてき!
オタクならわかる、んじゃないかな、話し相手がいる幸せを! 一人じゃなかったという喜びを!
まあ、ここまでならありがちで共感も得やすい話なんだ。ネットで個人がつながったおかげでできたはなしだ。
TV発の秋葉原ブームでオタクがカジュアルになったり、腐女子という言葉が出来てJUNE好き/BL好きが認知されたじゃないですか。
「本来の姿」からは大きく外れて、にわかが増殖して、元々オタクやJUNE好きをやってきたひとはいい迷惑を被っていたりするとおもうんだけど、それでもこれまでの完全な日陰よりは俺は幸せだとおもうのだ。社会に認知され、居場所ができたというのは、長期的にはよいほうに向かう兆しだとおもうんだ。それが軽い嘲笑混じりだとしても、犯罪者扱いや存在しなかったことにされていたのに比べれば、とくに思春期の人にとって、生きるよすがになるとおもうのだ。
ふたば、2chと経てニコニコで阿部さんやパンツレスリングが定番ネタとなっているのは、「世の中にはゲイってのが存在してるんだよ」と認知が広がる意味で、とてもうれしい。だってこれまでTVに出てきた同性愛者は、オカマばっかりだったんだもん。ゲイ=オカマだとされてきたんだもの。実際には女性的な口調や女装子よりも、そうでないタイプのほうが遙かに多いのに。そしてTVは性愛にまつわる話しはタブーだったんだよ。性的指向として男性に魅力を感じても病気じゃないですよなんて話しは、ニュースバリューがないからほとんどでてこないんだもの。
最近はじまったユーザー生放送は「ゲイです」「腐男子です」「ちょいバイかもw」という放送が複数あって、楽しい。キワモノでなく、腐女子と同じ程度には居場所があるものとして存在しているのが、嬉しい。もちろん女装子にも、居場所ができてたりする。
ホームページや、ブログや、SNSは個人をつなげてくれたけれど、それはマイノリティが身を寄せ合うだけだった。
ニコニコはエンターテイメントを軸に、マジョリティにたいしてPRできた感がある。
あなたには仲間がいますよ。確かに少数派ですが、異常者ではないですよ。マイノリティとしてコミュニティに認知されていて、コミュニティに居場所がありますよ。
嬉しい。
私は女装子です。年齢はぎり20歳前半なので女装"子"とは言えないかもしれませんが。
で、そんな変態である私が、2009年にやりたいことを列挙していきます。
まあ当然ですね。参考資料はもちろんCanCamなどの女性雑誌。心理的にも女性になりきることを目標としているので、俗に言う女装指南本では生ぬるいのです。
ある先輩のお姉さま(女装者ね)が言うには、女装趣味は「女をひとり囲う」くらいお金が掛かるものです。私は残念なことに昨年末で失業したのでまずは就職しないとね。
実際に同じ趣味の方々と交流を持つのは自分自身のレヴェル向上にも繋がるし、何よりいろんな人と出会うのが楽しいのです。ちょっと油断すると貞操を奪われかねないので注意が必要ですが。(この世界、やっぱりバイセクシャルの方は多いです。)
小説などの感想を淡々と書くのに飽きたので、いっそのこと女装系ブログにしてしまおうかと思います。課題は、いかにはてなっぽさを失わずに女装のエッセンスを取り込めるか。難しそうですがやってみる価値はありそうです。はてなーで女装をやっている人はあまりいないので、そういう物珍しさで読者の目を引ければいいなーと楽観的に考えております。
はてなグループついったー部に女装部なるものがあり女装に対する理解がある程度あるものと考えて、ここは打って出ようと思います。
女装している様子をUstreamで配信したら、どういう反応が返ってくるかなーという実験です。女装系ブログで動画配信、なおかつLiveでやっている方は私が知る限りではほとんどいなかったので。その様子をさらにTwitterやはてなハイクで実況、というのも面白いかもしれません。
いろんなwebサービスをつまみ食いして得た知識と女装を悪魔合体させて何か面白い事ができればいいかな、と思っています。クロスドレッサーという言葉が生まれ、女装に対する世間の認識が多少広まったとはいえ、やはり大多数の人に嫌悪感を与えてしまう可能性は高いです。そのためにも見る人を不快にさせない女装を目指すのと、嫌がられたらすぐに退散するといった謙虚な気持ちは常に持ち続けたいものです。まあ、まずは就職しようね私。
http://anond.hatelabo.jp/20081229191606
いいんでない? 世の中には同じ人と離婚再婚をするカップルだっているんだし。私、この間25年前のカレシとヨリ戻したところだし。別に女装子じゃないんだけど、男子校で女装して舞台出てたとかで、顔の可愛い男だった。当時は俳優志望でアルバイトしながら研究所に入ってたんだ。でも、実際に同棲してみると、家事いっさいやらなくてがっかり。生活費を稼ぐのも家の中を整えるのも私じゃ気持ちがもたなくて1年3カ月で同棲は解消した。その後、黙って俺に付いてこいタイプの男と結婚して専業主婦やってた。最初は共稼ぎするつもりだったんだけど、予想外に子どもの世話が大変で、そのうち夫の給料が上りだしたんで、生活できるからいいかー夫は家に居てもらいたがってるしねーと甘えてた。で、今年の1月に夫が亡くなり、3月に元カレと同窓会で再会。元カレは他の人と結婚したんだけど、結局、離婚したのだとか。今は夫の代わりにいろいろやらなくてはならないんで、しんどいことも多いけど、元カレが精神的に支えてくれるから、なんとか乗り切ってる。元カレはさすがに今は職業もってるけど「妻子を養う」という方向には進まなかった。自分の食い扶持を稼ぐ程度。生活できなくて別れたカレなんで、ヨリを戻してみると、やっぱり、この人と一緒に居るのが一番安らげるとは思うんだけど、養ってもらえるわけはなく……。結婚するかどうかは未定、というか、このまま恋人同士でいて「生計を別」にしておけばうまく行くんじゃないかと思う。やはり、いくら好きでも適切な距離ってのがあるんじゃないかな。
元増田も、もしかすると、離婚してから(やっぱりあの人と居たかった)とか思うかも知れないけど、幸せになるチャンスは何度もめぐってくるから。相手が死なない限り、やり直しだって出来るかもしれないから。そのとき最善の選択が出来るよう、(私にとって幸せとは何か)ということをいつも考えておくことをお薦めする。
私の旦那は女装子です。
そのことは結婚前から知っていました。いや、正確に言うと、知らなかったけど違和感がありませんでした。もともと顔立ちがたいへん可愛らしく、背もそれほど高くない華奢な骨格。私服はスカートこそはかないもののとてもユニセックスで、実際女性に間違われることも日常茶飯事でした。
私はそんな彼とまるで姉妹のように仲良くなり、やがて付き合うようになりました。その時の私にとって、彼と一緒にいることがとても自然なことだと感じたからです。それが恋愛感情だったのかどうか、今となってはわかりません。
風変わりな彼を、でも、私はちょっと自慢に思っていたのです。決して男らしい人ではない。でも、男だからって彼を好きになったんじゃない。私はそういう垣根を越えて彼を愛している。…そんな風に、思っていたのかもしれません。
そうして年齢的なものもあり、私と彼は結婚しました。彼は変わらず可愛らしく、姉のように母のように私を慕ってきました。私も自分なりにかいがいしく彼を支え、2人の生活はとても楽しいものでした。
ある日、彼が言いました。
「子供が欲しいね。」
私も答えました。
「そうだね。」
でもそこで、私は想像することができませんでした。私と彼の間に子供がいる風景を。幼子に向かって彼を指し「ほら、パパだよ」と呼びかける姿を。
ようやく気づいたのです。結婚とは、「父」と「母」になる可能性をもたらすものなのだと。最初から「子供は要らない」と明確な意図がある場合は別として、自分と共に「父」となってくれる人を伴侶として選ばなければいけないのだということを。
私の中の「父」のイメージは、男らしく、いざという時に身体を張って妻と子供を守れる強さを持った人。子育てによってその強さを得るのでしょうが、可愛らしい妹であり娘である彼は、あまりにそのイメージからかけ離れていました。
自分があまりにも典型的な「男親」を求めていることにショックを受けましたが、気づいてしまって以来、彼との将来を考えることができなくなりました。彼の長所であった女性らしさがすべて、伴侶としての欠点にしか見えなくなってしまいました。
彼は何も変わっていない。それは悪いことじゃない。自分の事が何も見えていなかった私が悪いんです。結婚とは何か、そこに自分が何を求めているのか、真剣に考えないまま前に進んでしまった私が。
___ ./ \ .| ^ ^ | | .>ノ(、_, )ヽ、.| <コミック世界の女装キャラを見て淡い夢を抱いている __! ! -=ニ=- ノ!__チェリーボーイや腐った女子は、もっと現実を直視した方がいい。 /´ ̄ ̄ .|\`ニニ´/ `ヽ { .|__  ̄ ̄ヾ } i;;',,, r---イ /|,、_,, ,',;:',i .l;';',;,, } /;\ / ヽ / ,;,;;',;l .|;;',;, } ./;;;,, \ / ;;;;;;ヽ ,,;;','i i;',, / /;;,',';; ノ--, ',',;;::',',゛i ,,';';i i;,'; /./,',',';;" / \ ',',',;;,'i ,;',i / / i 、 / ヽ ',;::'、| \ ヽヽヽヾ丿 〈 ヽ'' {//// ```` ト, i | 、 i´´´ |',',;; } ! ',',;;i |,','、 / ヽ',',','| !;;', / !,',;,;'|