はてなキーワード: アラブ人とは
※ネトウヨの妄言なので、ネトウヨが嫌いなら読まない方が良いと思います。
(追記:当初、私自身が認識していたより、酷いことをいっているようです。ですので、読むと不快になる可能性が高いです。
基本的に、読まないことをお勧めします。削除しても、逃げたということで非難されそうなので、残しておきたいと思いますが)
連中の場合は、"情"が絡んでくるから厄介なんだと思う。
特に韓国人なんかは、"情"によって団結して、日本人を超えるみたいな考えもあるみたいだけど、事実は全く逆だと思う。
韓国人には"恨(ハン)"という概念があるんだけど、単に、"恨み"とかそういう次元を超えているらしい。彼ら曰く。
何が言いたいかというと、彼らは呪縛されている。つまり、呪われている。
具体的には、例えば、朝鮮半島は"半島"という地形が大元ではないかと思う。
三方を海に囲まれ、残りの一方が大陸につながっている。朝鮮半島の場合、日本に海上封鎖され、大陸から攻められたら終了。
同じような例として、スペイン内戦がある。スペインは、自国のあるイベリア半島につながっているフランスから攻撃を受け、イギリスに海上封鎖されるという逃げ道のない状態だった。その結果、血で血を洗う内戦。かなりのトラウマもの。ピカソがゲルニカを描いたり、ヘミングウェイが参戦したりしている訳だが。今だにそのトラウマは残っていて、最近だと、映画のパンズラビリンスはスペイン内戦を扱っていたのではないかな。
だから、"半島"というのは、基本的に呪われた地であり、韓国人は文字通り、DNAレベルで呪われている。<丶`∀´>←2ちゃんねるなんかで使われているこの顔が、その証拠で、大陸人(モンゴル系)に支配された証拠をDNAレベルで刻みつけられた。そう考えると、少し、背筋がゾッとするのではないだろうか。
(追記。上の記述は、一応、撤回しておきます。デリケートな問題ですし。ご不快になられた方、すみません)
ヨーロッパ大陸も、ユーラシア大陸から突き出た"半島"という見方も出来る。シベリアの遊牧民がたびたび攻めてきて、その結果、白人達はおかしくなってしまったという話もある。
映画の300(スリーハンドレッド)なども、白人対ペルシャで、ペルシャを禍々しく、妖怪かなんかみたいに描いている。アレは、白人のトラウマそのものだと思う(アラブ人はそれに反発したみたいだけど)。
それが、大航海時代の悲劇につながった。
300(スリーハンドレッド)に限らず、指輪物語(ロードオブザリング)も、スタ-シップトゥル-パ-ズも、バックトゥザフューチャーも、ロッキーも、白人は、"我々"と"彼ら"に分けたがる。
"我々"とは、キリスト教徒の白人、"彼ら"とは、宇宙人、未来人、ちょうの・・・いや、でも遠からずで、"自分たちとは違うもの"、滅ぼすべき敵、我々を支配するもの、我々が支配するものだったりする。
その役を、例えば、宇宙人や妖怪やロボットや、日本人なんかがやる。だから、白人が描く"彼ら"は醜く、異質で、おかしな存在だ。
(もっとも、"敵"を自分たちの写し鏡だとして考えると、白人はそのことを無意識的にも感じていると思う)
だから、日本人は、本当の意味での異世界、"ファンタジー"が描けないし、日本のファンタジー作品の住人は、容姿はどうあれ、中身は日本人ということになる。
白人の場合は、クトゥルー神話がその代表例だと思うけれど、本当に異質に描こうとする。
あと、白人でも、キリストを信じない共産主義者は、"彼ら"な訳で、80年代のハリウッドには腐るほど例がある。
(あっさり書きすぎたので、追記。多分、魂の存在を信じない唯物論者ということだからだろうか?日本人でも、唯物論者を理解出来ない人が多いかも)
それで、最初の話に戻ると、中国人は、儒教に呪縛されている。共産党全盛期に、共産党員が父親に笑ってしまうほど頭が上がらなかったという目撃談もある。
中韓人がなぜ、"情"に頼り出すかというと、彼らは彼らの世界しか持って無くて(中華思想。韓国も小中華思想)、主観(自分たち)しか存在しないから、他人の目を意識するということがあまりないので、構造と一体化してしまい、呪いに人格そのものが乗っ取られてしまうからだと思う。その結果、彼らは物事がよく見えなくなり、直情的になる。
でも、そんなに悲観的になる必要もなくて、最近は、中韓人も欧米の目を気にするようになってきたから、少しずつ状況は改善しているんでは無かろうか。
(中国のソース開示要請なんかを見ると、恨みはまだかなり残っているようだけど)
追記:
REV えさの付け方が甘め
反応早いッスね(笑)どの辺がそうだったか、ご指摘いただけると助かるんですが。
(もっとも、REVさんはいけずな方なので、教えていただけないとは思いますがw)
(再追記:ご返答、ありがとうございます。確かに、"支配された証拠"というのは誤解を生みそうですね。
結果的には、元々、朝鮮半島に住んでいた民族とは違う証拠にはなると思いますが)
yukitanuki ネトウヨの人なら賛同するのだろうか
どうでしょうね。私の個人的な発言なので、賛同する人もいるし、賛同しない人もいるでしょう。
私をレイシスト呼ばわりするひともいるだろうな、と思って書きましたし。
でも、呪いの構造を自覚しないと、不幸からは脱出できないと思うんですよ。これも個人的な経験ですが。
呪いと一体化して、人格を乗っ取られ、周囲に不幸をまき散らす例を何度も見てきましたし。
もっとも、日本語で書いた訳だから、彼らに私の考えを強制している訳でもないですし、する気もないです。
物知らずの面汚しでサーセンwwwww
私の妄言は、mobanamaさんの正論で粉砕していただけると嬉しいです。
なんとなく、語感がかっこよかったので使ってしまった面はあります。
ご指摘、ありがとうございます。
(以下、再追記)
サーセンwwwwww
これからも、みっともなく生きていきますよ!
comzoo 「日本人の性格」も「天皇」「武士道」「菊と刀」「敗戦」「戦後民主主義教育」とやらの呪いにまみれておるではないか。
その通りだと思います。
でも、日本人が、日本人のことばかり研究している現状に問題があるとは思いませんか?
外の文化と比較することによって、ある程度、相対的で、客観的な視点が得られると思います。
我々のどこが特殊でどこが外の人種と一緒なのか、それを考える必要があると思います。
(さらに再追記)
念のため書きますが、「呪いにかかっていること」と「不幸であること」は別です。
私の使っている「呪いにかかっている」というのは、「構造的に呪縛されている」ということであり、「不幸である」とは、自身の主観的な問題です。
ですので、「呪いにかかっている」からと言って、「不幸である」とは限りません。
相対的/客観的に、自分が/他者が「構造的にどう呪縛されているか」を認識することによることで、対処方法やその呪縛から逃れる方法も考えることが出来ると思います。
私が寮生活をしている頃、スウェーデン人の友人がある雑誌の記事を持ってきて私に噛み付いてきたの。そこには、六本木で売春するスウェーデン人女性のインタビュ―が載っていてね、“1ヶ月で1年分の稼ぎが入るからやめないけれど、こんなに自分が安っぽく扱われた事はない。”ってその女性が証言しているのに激怒してるんだ、その私の友人は。『どうして日本人は売春を容認するの!?そのスウェーデン人を安っぽく扱うことに日本人として恥って観念を覚えないの!?』ってね。
“売春は法律で禁止されてるよ、日本でも。たとえばそれがフィリピン人の売春婦だったら、ブロ―カ―に騙されたってケ―スが考えられるから同情するけどさ、そのスウェーデン人は稼ぎがいいから 安っぽく扱われるのを承知で自ら売春してるわけじゃん。なんで日本人として恥を覚えなきゃならんのよ?”
周りにいた他のスウェーデン人も中に入ってきて一斉に私を非難しはじめたじょ。
『日本人は人種差別主義だ、スウェーデン人を安っぽく扱って平気でいる!』
わたしゃ慣れっこだったから、みんなのように取り乱すことなく、冷静でかつイヤミたっぷりに反撃したよ。
“じゃあさ、みんなに聞くけど、みんなロンドンやパリで売春するスウェーデン人について、どう思う?ストックホルムの売春婦はどう?みんな売春婦に対して軽蔑するか、さもなければ無関心でしょ?ところが、体を売る相手が日本人やアラブ人の男だったら なぜ急に態度が一変してスウェ― デン人売春婦に同情するの?”
一同、気まずい顔をして黙り込む。“普段内緒にしていた あなたたちスウェーデン人の潜在意識がここで顔を出していると私は感じるよ。つまり、あなたたちはスウェーデン人で白人、黄色ヤロ―(=gulingar)やアラブヤロ―(=blattar)よりも優位な人種だと信じている。それなのに、下等な人種に仕えるスウェーデン人の存在が許せない、黄色ヤロ―のクセに高慢だって思っているんでしょ?私はあなたたちこそ、立派な人種差別主義者だと言いきれるわね。どう考えているのか、私に説明しなくてもいいのよ、ただ、あなたたちの心に尋ねてみて、あなたたちは私達黄色ヤロ―を低く見ているから、そこまでヒステリックに反応するんでしょ?”
し~~~ん!(笑)
気まずい沈黙の後、言い出しっぺのスウェーデン人の友人が口を開いた。
『ごめんなさい。私は当然のようにスウェーデン人は有色人種よりも優性だと思っていた。そんな絶対条件があったからこそ、優性な私達を買う 下等な劣等人種が憎かった、プライドが許されなかった。普段、教会で人類平等とか、人種差別反対とか言っておきながら恥かしいわ。』
今思えば、何もこの善良な友人をここまで問い詰めることはなかったよな。私もかなり苛々していたんだろうね、普段はめちゃトロいのにさ。彼女、涙目になっていた。彼女は偉いよ、とても素直で自分で一番認めたくない部分をちゃんと認めたからね。きっと自分が知らないうちに差別していたという事実がショックだったんだろうな。でも、そこでショックを受けるスウェーデン人には救いがあるよ。それを恥としているんだからね。ほとんどの国の人は、自分がどこの誰よりも優れている、他は下等だって思っていることに恥なんか感じないもんね。
~動物臭ことってどんなこと? 他人を気にしないこと~
動物はそこらに糞尿を垂れる。なぜならば,「他人」という概念がないからだ。
当たり前のことを書くけど,「人間は何故服を着るの?」ということは大切に問題だ。
全裸であれば,他人に不快感を与える可能性があるからだ。肉体は,よほど清潔にしていなければ匂いもするし,不潔感もある。
現代のように毎日シャワーにあびれる環境ではなく,昔のようにこまめにフロに入れない時代であれば,皮膚病もあるし,とにかく清潔ではなく,相手に不快感を与える。それが「清潔にされた特別な美女」でない限り。
このため,人は衣類を着用する。
衣類を必要とする理由は,自分のためではなく他人のためだ。
あなただって,もしも無人島に一人しかいなくて,助けに来る気配もないとする。まわりには動物しかいない。気候が温暖であり,岩場やとげのある植物もないようなところだったら,それでも衣類を着るだろうか?
いま貴方はどんな部屋にすんでいる?
頻繁に友達や恋人が訪れる部屋ならば,掃除が行き届いてるいることだろう。部屋が不潔であることは,来客に対して失礼であるからだ。
しかし,誰もこなければ部屋は汚くなる。
他人という存在を知覚し,理解するからこそ,つまり「社会」という概念があるからこそ,言葉遣いも正確になって誤解のない表現をつかい,几帳面になり,物事にたいして正確になる。
他人を意識するからこそ,他人に共感するからこそ,他人の権利や心情を理解し,他人の権利を侵害しない。つまり,違法な行為をしない。
動物には「他の者」という概念がない。世界には自分一体だけだ。だから,誰にも関心を示さないし誰からも関心をもたれないと思っている。
従って,他人の権利という意識もないから,女が欲しいとおもったら犯すし,空腹になれば盗むし,感情的になれば殴るし,違法な行為をする。
能動的にしなくても,自分の義務を全うしない。法律に何がかいてあっても,「ただの紙」と思う。
人間であれば,常に他人の目を意識する。だから,感情的になるような不愉快なことがあっても,社会秩序と自分の権利義務の範囲で行動する。
動物と人間の違いは,「他人の目がある」という意識があるかないか,ということにある。
だから,私たちは,不潔な格好をしていたり,いつも「へらへら」とわらっている気色の悪い表情の者や,円滑に会話することすらできないほどの無知,その他の「反社会的行為」が起きる。
結論をいうと,人間は犯罪をしないし,動物は「躾」や「鎖」がない限り,必ず犯罪(違法行為)をする。
動物には意思がない。だから,いきなり性行為を強要したとしても,「嫌だ」という意思がないのだから強姦にならない。
従って,動物同士には,窃盗も強姦もない。「とられたら嫌だ」とか「おかされたら嫌だ」という意思がないからだ。
しかし,これを人間相手にしたとき深刻な被害が生じる。
他人の心(犯されたくない,殺されたくない,傷つけられたくない,盗まれたくない等)は,そもそもそこに心があるからこそ,「読みと力」が発達する。
相手の意思を確認する能力,それが共感能力であり,これは人間の前頭葉にあるミラーニューロンによって機能する。
言葉とは,相手の表情や筋肉の動きからではなく,より的確に「相手の心」を把握する手段だ。だから,人間だけが言語を発達させた。
「他人と連携するため」に。
だから,法律も守らないし,法律という意識がそもそも存在しない。他人の所有権という概念を理解できない。そして,たいてい,言葉がろくに話せない。
単語を発することが出来るが,オウムのように何かを模倣して繰り返すか,コピーのみできる。どれも「不適切」な用法で。
だから,人間社会は言葉を話せない者,聞けない者を人間として認めない。
(ただし,その人が幼児または動物にかこまれて半生を生きたため言語能力が発達していない場合除く)
動物世界では,反対に言語を自由にあやつる者を「動物として認めない」。
さて,以上までは社会科学の立場から論じた。
自然科学の立場から,「動物」を論じることが今,世界中で起きている。
事の発端は,「恐怖の大魔王」が世界を滅ぼすという予言のあった1999年,人類の起源そのものをかえてしまう発見がポルトガルであったことだ。
人間(サピエンス)と,旧人(ネアンデルタール)の混血化石が発見されたことだ。
2002年,米ワシントン大のアラン・テンプルトン博士が,人類の常染色体の10座標から,原人,旧人の血統を発見した。
2008年,この研究発表に対して様々な反論がくわえられたが,ついに断念,人類の「混血」が確定した事実となった。
混血の頻度は,西欧がもっとも低く,ついで東欧,中央アジア,東アジア,の順となっている。
ネアンデルタールは,人間に似た形をしているが人間ではない。共食いが大好きだし,空腹になればまず子どもや妊婦を殺して食べる。
感情的になればすぐ相手を殺すし,つまるところ他の動物となんら違いはない。
ボスの座をめぐって,殺し合いをするチンパンジーの習性と全く違わないし,子どもの脳(栄養価の高い)を食べて空腹を満たすチンパンジーの母親となんらかわることはない習性を持つ。
言語ははなせないが,石器などから人間の真似をすることはできる。勿論,劣化コピーとなる。
旧人はお互いに交流しないと連携しない。だから,交易はない。たいてい,近親相姦によって子孫を増やす。
遺伝的に等しいので,近親相姦をしても問題がないのだ。
進化の速度がはやい人類は,劣性遺伝があるので,近親相関は奇形児の生む確率が高い。しかし,旧人は進化の速度が遅くて均一しているので問題ない。
勿論,「旧人との混血なんて無いはずだ」と感情的にただ叫ぶ者もまだ世界には多い。
だが,考えてもみてほしい。
人間であるあなたは,「全て人間だ」つまり自分と同じだと思えるだろうか。「全て」に対して。
人間の「裸の理性」(思いつき)によって為されたことは失敗し,長い歴史と時間の積み重ねによって得た英知が,「偏見」にあると論じた。
確かに,一つや二つ異常をみたところで,人は先入観を抱かない。
歴史的に連続した「異常」によって,偏見が形成される。偏見は,すぐにはつくられない。
もちろん,偏見の中にも,時代の変化によって不適切なものが含まれてくる。その場合は,再び時間の経過によってその事象が偏見の中から削除される。
あなたは,今までの人生の中で,明らかに「人間ではない存在」を多く見たり,或いは新聞やニュースの伝聞で聞いているはずだ。
犬は犬に対して異常とはおもわない。しかし,人間が犬の行動をもし「人間がしていたら」と思うと,「異常だ」と思う。吠える,噛む,糞尿をたれる。
しかし,「あれは犬だから」と認識することで自然だと考える。だが,もし犬が形態的に人間とあまりかわらない形をしていて,かつコピーされうような人間の言葉をある程度再生できる能力を有した状態で,「犬の行動」をしたらどうなるか。
「異常」とあなたは感じるだろう。
なぜならば,人間の中には,吠えたり噛んだりする者はいないからだ。
参考までに,一つの「事実」を示そう。
「プレ・ネアンデルタール」というのがいる。これは人間とそっくりだ。何故ならば,人間から分離して別の進化(まはた退化と呼ぶべきか)を遂げてから間がないからだ。
そして,旧人には渡航能力がない。まだ島と大陸が同じだったとき,または氷河期に海面が凍結していたときに徒歩で移動した。
従って,原則,アフリカとユーラシア大陸にしか旧人はいなかった。
イギリスや日本にも徒歩で移動できるが,島であればそこにいるだけの旧人を殺してしまえば,後から「次は来ない」。
以前まではの内容は,いままで散々日記に書いてきた。過去4年間にわたって書いてきた。
ここからが,「旧人と接しつづけた人間は,どうなったか?」という新しい考察だ。
人間は猿から進化したといっても,その「進化した様子の化石」がいまだ発見されず,「失われた輪」であり,想像の産物に過ぎない。
一方で,神などの知的な存在が人間をデザインしたという説も,具体的な根拠がない。進化論もID論も物証がない。
「彼らが,次の旧人ではないか」と。
次の,というのは現時点で彼らの中にホモサピエンスがいることに違いはない。しかし,明らかに彼らは島嶼部の人類と形態的にも試行的にも異なる。
専門的なことをかくが,島嶼部の人類および「アダム」の時代とされる初期のホモサピエンスの頭示数は81以上-86未満であるのに対して,大陸の人類は頭示数が86以上であり,サピエンスと形態的に変化しているのだ。学術的には「過短頭」と呼ばれる。
もはや,目でみて「大陸の人間だ」とわかるようになるまで形態的な差が生じてきている。
ここで私は考えた。
もし,生まれたときから旧人と共に生活し,それが何世代にもわたってしまえばどうなるのか。
恐らく,心を持つこと自体不毛であり,精神的につかれてしまう。他人をおもいやる気持ちをもっていても相手は自分を尊重しない。
愛しても愛されない。守っても守られない。盗まなくても盗まれる。犯さなくても犯される。傷つけられなくても傷つけられる。殺さなくても殺される。
この時,「他人を思いやる気持ち」(共感能力)を持つ人間は,精神的に疲弊して,やがて死んでしまうのではないか。死ななくても,子孫をつくる気力さえなくなってしまうのではないか。
こうして,人類の中にも,旧人と共に暮らしてきた者は,「共感能力をなくす」つまり,退化するということで,旧人に対応したのではないか。
動物に対応する方法は二つあって,動物を殺して統制して飼い慣らすか,或いは自分自身も動物になってしまうことだ。
能力の高い人間は動物を統制して対応し,能力の低い人間は同化したのではないか。その際に,全てを捨ててしまったのではないか。
つまり「人間性」を。
朝鮮人,シナ人への偏見は,「非人間性」を持つ。それは今更説明しなくても報道をみればわかる。
彼には明らかに退化している。人間としての機能が退化している。「他人を思いやる心」が無い。共感能力が無い。法がない。
退化することで,自然淘汰を免れ,旧人と共に暮らす進化ベクトルをおせんだのではないか。
ここで一つの答えがある。
どうして,プレ・ネアンデルタールは人間から分離してしまったのか。後期型ネアンデルタールは明らかに人間と違う形態をしているが,初期型ネアンデルタール,つまりプレネアンデルタールは人間と極めて似通っている。まだ分離して間がないからだ。
このため,「進化している」と当初勘違いされた。実際,ネアンデルタールは80万年前に人類から分離して「退化」したのだ。
なぜ退化したのか。
そこには「原人」がいた。原人にふれた人間が,「他人を思う心」をなくすことで適応し,それが旧人へと「退化」したのではないか。
彼らは知能の問題から,人間と動物を見極める能力を有さない。だから信じては裏切られ,ということを繰り返し,そのうち考えることも信じることもやめて,機能そのものを遺伝から削除した。
退化した。
それが生きる術だった。
島嶼部の人間は,旧人を殺せば次はこないため,人間同士で生活し,人間特有の機能をそのまま進化させた。
協力すること,信じること,愛すること,理解すること,尊重すること。
アルフレッド・セイヤー・マハンによれば,シーパワーとランドパワーはあきらかに区分することが出来るとする。
それは地政学上の問題では論じることの出来ない,思想・思考の違いがある。
ホモサピエンス,つまりアダムの子孫が住む地域は,日本,イギリス,台湾,およびこれらのイギリス人の子孫が入植した地域に限られる。
自分が信じても相手は信じてくれない。自分が誠実にしても相手は適当。与えた分だけ相手に着服される。
そんなことを繰り返していては,自分が死ぬ。だから,死ぬ前に彼らを殺すか,或いは自分自身が「彼らと同じになる」しかない。選択肢は二つしかない。
私は,旧人を殺すことが正しいと思う。
それは私の生育環境に人間が多かったことが原因していると思う。
私のこの意思は,ここに矮小ながら発信している。
あにたは私の意思に共感するだろうか?
もし共感したならば,もっと私を知って欲しい。私の考えや発想を暗記するほどに知って欲しい。そして私の目的をより理解してほしい。
それがあなたの利益になるのだから。
一体だれが,愛のない世界,他人の協力のない世界に生きたいのだろうか?
「他人を信じ合い,協力すること」でビルがたつ。製品が出来る。
これを壊すことなく,維持発展させるには,旧人・原人を皆殺しにすることだ。
最近は「DISりたい奴の文章を勝手に増田に転載してブックマーカーに叩かせる」という手法がはやってるらしいので、某所で見かけた電波文を載せてみました。
チキンと言うかね。パレスチナ問題は、font-daさんが思ってるほど簡単じゃない、というかそうすっぱり割り切れる問題じゃない。
イスラエルは確かに問題だ。やってたことはまさに虐殺だった。しかし、font-daさんが言うまさに政治的に見ようとした瞬間にさ、パレスチナの人々とひとくくりにできっこないし、それにイスラエルにアラブ人が多いのは常識だと思ってたんだが。それとか、ファタハが裏でイスラエルとつるんでハマスの幹部殺害に一枚かんでるらしいだとか、そういう部分がきれいさっぱり抜け落ちてるように見える。
そういう話と村上春樹と絡めて語るのは、僕はどうかと思ったがなあ。なんというか。片想いの相手に想いをぶつけてるみたいだけども、という感じかな。文学の政治性が、しらないうちに倫理性にすり替わってる。それで辞退しろといわれてもね。
行動をというのは簡単だ。チキンだと馬鹿にするのもいいだろう。村上春樹が実際どうするのか知らないけども、でもあのエントリもずいぶん勝手な議論だなあとは思ったね。
ちょっと前「世界の各国ジョーク集の特亜の扱いが酷すぎる件について」が話題になった。こういうのって本当なのか疑問だったので、ソース付の
★もし、五人集まれば…
フランス人は…同時にしゃべりだす。
イタリア人は…着ている服について話す。
アフガン人は…金がなければ働く、あれば寝る。
元ソ連諸国人は…オレンジジュースを一本買って、五人で分けて飲む。
アラブ人は…四人が手をたたいて、残りの一人が踊る。
日本人は…五人集まるのは無理。なぜなら、少なくとも三人は忙しいから。
だけは調べたけど、ほんとだった。『イラン・ジョーク集 笑いは世界をつなぐ』のP.67にある。
ただ韓国等だけ扱いがひどいのかは疑問。同じ本のP.38に
ロンドンであったイギリス人と日本人の小林という男が互いに自己紹介をしていた。最初はイギリス人が自己紹介した。
「私はボンドだ。ジェイムズ・ボンド」
日本人の小林は、相手がジェイムズ・ボンドと聞いてびっくりし、声低くこう言った。
「私は林だ。小・林」
というものもある。ジョークなんて相手をからかうものなのだから、その対象の扱いはひどくなるのが普通。上のだってロシア人や元ソ連諸国人の扱いはひどいだろう。扱いがひどいのを中国や韓国に限定するのは不自然だ。
意志と表象としての世界 ショーペンハウアーは、世界はわたしの表象であるという。このことは、いかなる客観であっても主観による制約を受けていることを示している。
【懐疑論の歴史】
『あらゆる言明、判断、認識は主観的で相対的なものであり、「真なるもの」の認識は不可能。』(アカデミア学派)
アカデミア学派はストア派の「絶対知」に反対し、人間の認識の限界の強調を行った。— あ (@phirosophia) 2016年3月7日
コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である。
The greatest problem in communication is the illusion that it has been accomplished.
George Bernard Shaw
伊藤博文も塙次郎を暗殺したり、長井雅楽暗殺を画策したり、英国公使館を焼き討ちしたりと、安重根なんか足元にも及ばないテロリっぷりだったね https://t.co/N5rHoGk4Ik 「暗殺者を尊敬すべき人物とは、、厳重抗議を期待。」まずは日本政府に厳重抗議だ!(・∀・ )— PAN太 (@panta_rhei2004) 2013, 7月 1
文久2(1862)年に山尾庸三と伊藤博文が塙保己一の息子を暗殺したということが、大正時代に新聞報道された。その新聞名を知りたい。 | レファレンス協同データベース
英雄か悪党か‥コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン(前編)
「そういうわけで、彼らはインディアンたちの手を切り落として、それが皮一枚でぶらぶらしているままにするでしょう、そして、『ほら行け、そして酋長に報告して来い』と言って送り返すのです。 彼らは刀の切れ味と男ぶりを試すため、捕虜のインディアンの首を斬り落とし、または胴体を真っ二つに切断し、賭けの場としました。彼らは、捕えた酋長を火炙りにしたり、絞首刑にしました。」
500年前にスペイン人がインディアスで行った悪行の数々・・・
米シアトル市、コロンブスデーの祝日を「先住民の日」に変更 | 世界のこぼれ話 | Reuters
コロンブスが北米に上陸する以前の年代にバイキングが持ち込んだとされる鉄釘をイングスタッド夫妻が発見し、これによりコロンブスの「新大陸発見(西洋人視点)」説は覆った。
NHK世界遺産 | 世界遺産ライブラリー [ランス・オ・メドウ国立歴史地区]
〈十字軍の遠征〉ではなく〈フランクの侵略〉: ボロだけどボロボロじゃない。
Amazon.co.jp: アラブが見た十字軍 (ちくま学芸文庫): アミン マアルーフ, Amin Maalouf, 牟田口 義郎, 新川 雅子: 本
赤穂浪士は現在の感覚で言うとテロリストですか... - 歴史 | Yahoo!知恵袋
赤穂浪士はテロ集団? - 大石たち討ちいりを行った赤穂浪士をテロ... - Yahoo!知恵袋
浅野内匠頭と赤穂浪士が葬られていることで有名であり、現在も多くの参拝客が訪れる。
義士祭が催される。
1964年にNHKで製作された大河ドラマ『赤穂浪士』は当時の大映の看板俳優・長谷川一夫を大石内蔵助役にして、
Twitter / panta_rhei2004 伊藤博文も塙次郎を暗殺したり、長井雅楽暗殺を画策したり、英国公使館を焼き討ちしたりと、安重根なんか足元にも及ばないテロリっぷりだったね
はてなブックマーク - 韓国大統領 安重根の記念碑設置への協力を習主席に要請 「尊敬すべき歴史的人物」 - MSN産経ニュース
はてなブックマーク - 首相「伊藤博文は偉大、尊重すべき」 - MSN産経ニュース
明治維新はテロリスト達の極悪政権ですか? - 明... - 歴史 | Yahoo!知恵袋
結局明治政府ってテロリストの塊 - 幕末維新って新しくもなん... - Yahoo!知恵袋
文久2(1862)年に山尾庸三と伊藤博文が塙保己一の息子を暗殺したということが、大正時代に新聞報道された。その新聞名を知りたい。| レファレンス協同データベース
品川御殿山の英国公使館焼き討ちに参加し、山尾庸三とともに塙次郎[注釈 2]・加藤甲次郎を暗殺する
初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣
自宅兼和学講談所の前で知人の加藤甲次郎と共に何者かに襲撃され、翌日死去した。
なお、大正10年(1921年)の六十年祭の折に
襲撃者
隊長:高杉晋作
副将:久坂玄瑞
伊藤博文と山尾庸三が塙忠宝を斬殺したこと | tomotake kinoshita
Amazon.co.jp: 伊藤博文はなぜ殺されたか―暗殺者安重根から日本人へ (三一新書): 鹿嶋 海馬: 本
google:安重根 テロリスト 暗殺者http://www.google.com/search?q=%b0%c2%bd%c5%ba%ac%a1%a1%a5%c6%a5%ed%a5%ea%a5%b9%a5%c8%a1%a1%b0%c5%bb%a6%bc%d4&ie=euc-jp
google:安重根 英雄 義士http://www.google.com/search?q=%b0%c2%bd%c5%ba%ac%a1%a1%b1%d1%cd%ba%a1%a1%b5%c1%bb%ce&ie=euc-jp
安重根義士記念館http://homepage2.nifty.com/hashim/seoul/seoul017.htm
安重根200ウォン普通切手http://www.kyokyo-u.ac.jp/koukou/kyoka/shakai/kankokushi/antoitoh/anntoitoh.htm
韓国海軍の潜水艦「安重根艦」が進水http://www.chosunonline.com/article/20080605000018
BoAら安重根義士記念事業会に5000万ウォン寄付http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1094718568/
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
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十銭をもって一円の十分の一。十銭をもって一銭の十倍。夏目漱石
「『空気より重い空飛ぶ機械』は不可能だ。」ロード・ケビン、英国学士院総裁
「ギターバンドはもう流行らない」と言われて、大手レコード会社デッカのオーディションに落ちたビートルズ
「君にそんなことができるはずはないよ」とあなたに言ったのは誰ですか?その人は、あなたの限界を定める資格を持つほど、大きな成功を収めたというのでしょうか?ナポレオン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9E%9A%E8%88%8C%E5%A4%96%E4%BA%A4
イスラエルの政治家。1977年から1983年までイスラエルの首相を務めた。
エルサレムのキング・ダビデ・ホテル(当時パレスチナを統治していたイギリス軍の司令部が所在)の爆破を行った。
一般市民を含む91人が死亡したもので「テロリズム」を国際的に認識させる結果となった。
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2087827/742814
大統領(第11代)
1961年11月、ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という軍事組織を作り最初の司令官になる。
それらの活動などで1962年8月に逮捕される。1964年に国家反逆罪終身刑となりロベン島に収監される
「監視カメラ」と「防犯カメラ」とは、全く同じものを指している。どちらの語を使用するかは、本人のイデオロギーによって決めることである。
くまもとのへろ:監視カメラと防犯カメラ - livedoor Blog(ブログ)
朝日、毎日は「監視カメラ」で、まぁ予想通り。
パレスチナの地をユダヤ、アラブの2国家に分割する国連総会決議を
マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって、形式が異なる。
ある国では美徳とされている事が、他の国では不快に思われることもある。
例えば日本ではげっぷをすれば不快に思われるが、アラブ諸国では食後にげっぷをするのが礼儀とされている、など。
他には日本では食事の際に飯椀を食卓に置いたままで食べるのは「犬食い」と呼ばれ批判されるが、
痛いニュース(ノ∀`):毎日新聞記者「韓国の電車内は携帯電話自由でとてもにぎやか。日本でも思う存分通話してもいいのでは」
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
知人・知り合いから友人・友達になる基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達から親友・心友になる基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達・親友・心友と仲違いする基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達・親友・心友と絶交する基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達か知人・知り合いか
親しいか親しくないか
親切か不親切か
常識か非常識か
大陸到達か新大陸発見か アメリカ大陸の発見 - Wikipedia コロンブスが北米に上陸する以前の年代にバイキングが持ち込んだとされる鉄釘をイングスタッド夫妻が発見し、これによりコロンブスの「新大陸発見(西洋人視点)」説は覆った。 ランス・オー・メドー国立歴史公園
侵略か入植か 入植でなく侵略ーオーストラリア:情報浴ーブロードバンド:So-netブログ
同じか違うか
区別か差別か
良いか悪いか
美しいか醜いか
偉いか偉くないか
凄いか凄くないか
長いか短いか
大きいか小さいか
重いか軽いか
高いか安いか
高いか低いか
多いか少ないか
伝統か因習か
尊いモノか鰯の頭か
朝起きたら自分にこう言い聞かせる。
おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、
こういう連中を避けて通ることはできない。
この連中の性質は、ひとえに善と悪について理解していないことによる。
「すべては主観である。」犬儒学派のモニモスが言ったことばだが、このことばの意味は明白だ。
そしてこのことばを真実である限り受け入れるならば、その効用も明白である。
人生は一瞬にすぎず、
人の本質は流転し、
その感覚は鈍く、
その肉体は腐敗しやすく、
その魂はとらえきれず、
その運命ははかりがたく、
その名声は不確実である。
一言で言えば、肉体に関するすべては流れであり、魂に関するすべては夢であり煙である。
はかない。
人の一生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却される。
であれば、ぼくたちを導くことができるものは何か。
完全に我々の力の範囲内にあるものは我々の思想しかない。デカルト
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
聞く耳を持ってくれるかどうかはわからないけど、一応書くだけ書いてみるぞ。
今のおまえさんの様子を見ていると、俺はなんとなく20世紀のユダヤ人の歴史を連想してしまうんだ。
イスラエルを建国した当時、ユダヤ人と言うのは確かに虐げられた民族以外の何物でもなかった。でも、それから60年間の歴史を見通して、現在のイスラエルはどうだろうか。むしろ他人を虐げる側に回って、しかもその行為を
「かつて自分達は虐げられていたから、自分達の生存のためには全てが許容される」
という形で正当化しているのではないだろうか。
現在のイスラエルの全てを肯定して無批判に包み込むだけが、イスラエルとそれに関係する全ての人を救う道だとは、俺にはとても思えない。イスラエル政府がパレスチナ・アラブ人を扱うやり方が、ホロコースト体験によって全て正当化されるとも思えない。
はしごたんに対しても、俺は同じことを思う。俺はおまえさんの過去を追体験することなんて出来ないが、それを軽んじる気は全くない。でもそれは、おまえさんの過去に関わっていない人を攻撃の的とすることを正当化するのだろうか?
まあ、イスラエルの話は脇に置いておくとしてもだ。
そんなおまえさんを誰かが全肯定して包み込んでくれるなら、確かにその時は気持ちがいいかもしれない。救われた気にだってなるかもしれない。それを否定はしない。
でもさ……その後どうすんの?
もしその後を考えずに、その場その場の救済だけに人生の全力を集中するとなれば、例え一晩であれ二晩であれ、おまえさんはMasaoに人生の全ての重みをかけた救済を求めるってことになるんじゃないの。そんなむちゃくちゃヘビーな荷物を他人に負わせて、いったいどうすんのよ。
それに、その一日か二日が終わった時、おまえさんは相手(Masaoであれ誰であれ)に背負わせた人生の重い荷物をもう一度背負いなおして、帰りの電車に揺られて帰らなきゃならないわけだけど、一度降ろした荷物をもう一度背負って、家路につくことが出来るの?
はっきり言って、いまのはしごたんにそれが出来るとは、とても思えない。一度重荷を降ろして身軽になって救われたと感じた人が
「さあ、これで救済の時間は終わったから、また重荷を背負って帰りなさい」
と言われて、はいそうですかとはなかなか言えないと思うぞ。
イエス・キリストは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28新共同訳)と言ったけど、もしその数日後にイエスが「さあ、私はこれでいなくなるから、また重荷を背負って家に帰りなさい」なんて言おうものなら、多分その途端に教団は分裂して、その後のキリスト教なんて生まれてなかったろうな。
実際には当のイエスが処刑された後でさえ、遺された人々は復活神話まで作り上げて、重荷を軽くしてくれた神の子の下になおも留まり続けようとしたんだ。この時に遺された使徒たちによる伝道がその後のキリスト教会発展の土台を作り上げたんだけど、早い話が、イエス本人がいなくとも重荷を恒常的に降ろしておけるような場として、教会システムを整備したわけだ。
要は、一度降ろした重荷をもう一度担ぎ上げることは、誰にだってなかなか出来ることじゃないってことだよ。はしごたんに限った話じゃなくてさ。
自分で自分の感情を完全にコントロールするなんて、神ならぬ人間の身にはたぶん無理だと俺は思う。俺自身だってそうだし。
今は“その後”の感情をコントロールする自信があるのかもしれないけど、俺は今現在の自信をそんなに当てにしない方がいいと思うな。
まあ、少し考えてみてよ。
http://anond.hatelabo.jp/20071004000332
最初の2、3日はまだ旅に慣れなくて楽しめなかった。
次の5日間は旅に慣れてすごく楽しくなる。
そして最後の3日間は早く日本に帰りたくなる。
旅の最初の頃は
「広大な土地の上を俺は実際に移動しているんだ!」
ってリアルな実感が沸いて来て、すごく刺激的だったけど
目的地に到着
↓
観光
↓
↓
移動手段を確保する(ビザ等)
↓
流れてゆく景色を見ながら移動
↓
次の目的地に到着
というプロセスに慣れるに従って
そのワークフローがとても単調な流れ作業ののように思えてきた。
エルサレムで嘆きの壁に触れた瞬間は
本当に表現しようの無い感情が腹の底から沸きあがって来たし
現地で知り合ったバックパッカーと共にする旅は本当に楽しかった。
でもそれは一時的な現実逃避で
人生の長いスパンにおいては例外的な出来事のように感じていた。
アラブ人は確かにその場所で生活していて
でも僕はただそのうわべをなぞってゆくだけの旅行者に過ぎない。
そして旅を続けるにつれ、
確信めいた実感が浮かび上がってきた。
もしかすると、いつかそのうち
それとは反対に、国外には決定的に関わりを持ちようがない僕自身のリアルを形成するかもしれない。
それはまだわからない。
でもその時にが来るのを待たなければ
大学生の頃はただうわべをなぞってゆくだけしかなかった異国のリアルに
いくら海外で旅行してたって、旅行者という枠を壊せないと感じた。
この場所から9000キロ隔てた中東で生活しているアラブ人のリアルに近づいてゆくことになると思った。
二つのリアルはいつか交わるかもしれないし、交わらないかもしれない。
だから、それまでは自分自身のリアルに取り組むしか無いし、そこには明確な最終地点もまだ存在しない。
現時点での未熟な俺の脳みそが、現時点での未熟な「目標」を捏造することによって、未だ想像もできないような最終地点の可能性を制約してしまうことはとてもつまらないことだと思う。