ある作品が面白いかどうか判断する、審美する、というのはれっきとした能力であり技術であり
「俺が面白いと言った作品を、つまらないと言っている奴がいる」とは
なんなら、相手が実際に「お前らは見る目が無い」と煽っていることもある。
もはやこれはプライドの問題であり、自己の能力を賭けて、「見る目がないのはお前の方」を言葉による闘争で証明しなければならない。
感想は感想であって個人差があります、という世界観だとわからんかもしれん。
俺は、面白さとは数直線上に並ぶ厳然たる優劣をもつ概念であり、感じ方の理解力差はあっても個人差はないと信じている。多かれ少なかれ他の奴もそうじゃないか。
※当然だけど、既婚者・浮気目的は除外(隠れるメリットがあるといえばあるけど)
どうせ会ったら見せるんだし、先送りにしてるだけだよな
俺もちょっと隠してたけど、よく考えたら別に隠す意味ないなと思ってノーマルカメラで全部晒したら返って信用されるのかマッチ率上がった
オレンジ色の中に熱を蓄える化学物質が入っていて電子レンジでチンしたら何時間も熱を保ってるやつ。
昔はスーパーとかドラッグストアとかで大量に売ってたけど最近見ないからもう生産中止なのかなと思ったけどググったらまだ売ってる見たいだな。
どこも取り扱ってないって人気ないのかな。
うーん、なんというか、俺は俺が見たいものが流行ると良いなと思ってるんだよね
私の感覚では、どこかの個人が「この作品は駄作だ」と書いていたら、それは「私はこの作品は駄作だと思った」という意味だと思っていました。みんなはどう解釈してるの?
なんかネット見てると、「この作品は駄作だ」と書いてあったら、「この文章は『この作品は駄作だ』ということが普遍的な事実であると主張している」って解釈してる人が多そうなんだよね。
私の感覚では個人が意見書いているのだから「この作品は駄作だ」って書いてあっても「私はこの作品は駄作だと思った」でしかないと思うのですが……?
駄作と断定してるのが許せないとか怒ってるのもよくわからないです。個人の感想なのだから、それはその人が断定的に駄作だと思ったということでしかないし。断定してるのは断定するくらい強い気持ちでその人がそう思ったということでしかないですよね。別に普遍的事実として断定しているわけではないですよね。誰も普遍的事実の話なんてしてないんですよ。
たとえば、「このシャインマスカットはまずい」と書いていたら、「私はこのシャインマスカットはまずいと思った」という意味ではなくて、「このシャインマスカットは普遍的な事実としてまずい」と書いてあると解釈するってことですよね?
「お前がまずいと思っただけだろ!」「おいしいと思ってる人もいる!」「not for me!」とかって反論するんでしょうか?