名前は「しもべえ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%82%82%E3%81%B9%E3%81%88
女子高生の主人公ユリナがスマホに謎のアプリをインストールし、それを起動すると謎のおっさん「しもべえ」が現れる。
しもべえは何故か献身的にユリナを助け、ユリナはそんなしもべえと共に友情や学業に奔走しつつしもべえの謎にせまる…ってお話。
しもべえはなんでも出来るような超人で、ユリナは様々な面で助けてもらう。
たとえば用心棒や力がいることなどの肉体的なことから勉強の補佐や料理など知的・精神的労働、さらにはうっかり持ち合わせがなかったときにはしもべえは現金まで差し出してくれるのだ。
うーん、しもべえとは何か。とっても気になりますね!
しもべえって名前は明らかに下僕の僕(しもべ)から来てる。しかも実態は奴隷に近い。
ご主人様が呼びたいときに相手の都合は関係なく即座に、無償で、やってきて苦労ごとを助けてくれる。
この令和たる現代にまさかの下人、奴隷をストレートにお出しするとはびっくらこいた。
そういった超人的お助けマンが最近はいなかったというわけではない。
でもたとえば「家政夫のミタゾノ」や「メイちゃんの執事」のように彼らは職業的プロフェッショナルなのである。
彼らは最低限のラインとしてギブとテイクの関係にあるし、きっち自らの職業、職務にプライドがあるはずだ。
一見可愛い語感で上手く役割を表すことに成功しているようにみえる「しもべえ」も、行動と合わせてみるとやばべえなネーミングである。
家族に手料理を差し出すだけのただのCMにざわざわ一部界隈がざわめく昨今。
そんな中で男子高校生があれもこれも無給・無言で都合よく助けてくれる美女のおばさんを手に入れるドラマが放送されたらどうなるだろうか。
やばべえだと思うけどな。
多分だけど情報にうとい、しもべえの批判も入ってこない自分すらぽつぽつと目に入ってくる程度には苦言がわいてくると思う。仮にもNHKのドラマだし。
しもべえが無事終わる程度にやばくないって思われてそうなのはつまり視聴者たちがちゃんと話を理解していてスーパーマン的文脈だったり「なぜ助けてくれるのか」という謎を考え捕らえているからだと思うんだよね。
可燃性がありそうな内容がおじさんだからスルーされていそう。という想像。もち想像だけど。はそれはそれで男性性が女性よりないがしろにされてる部分が感じられてもやもやする。
どうしてユリナは心身および金銭的にしもべえに助けてもらえるのか。
もちろんその謎は解ける。
でも、じゃあ○○だから呼べばすぐ来てくれて過失をフォローしてくれて文句も言わず献身的なのが肯定されるのか?
たとえば無償の愛。無償の愛を注ぐ立場でいるからユリナを助けるのは当然だろ。
まあそれでもいい。わかるよ。大団円だ。
でも最初にしもべ扱いしてたからその立場が暗にしもべと同等みたいに感じる部分がほんのすこしだけ感じる。
また男女逆にして実はしもべえは主人公の妻だったんだよ!(どうやったらそうなる)とすると、
なーんだ妻だから献身的に大変なことをこなしてお金も工面してとあんなに都合がいい存在だったんだね!納得!愛だね!
…うーん、その場面では流れで感動するだろうけど冷静になるとキモくない?
とにかく「しもべえ」と最初に名づけてしまったことで、主人公が図らずも初期に幾度か頼って便利に扱ってしまったがゆえに、しもべえの行動を納得させる何かがそれが僕的にふるまうことを世界が許容しているかのようなメッセージを孕んでしまっているのではないだろうか。変な人がみればみんなが嫌いそうな役割の固定化にすこしばかり寄与してしまわないか。そんな杞憂を刺激する作品だった。
もうまったく問題はしもべえというそのネーミングセンスである。漫画はともかくそれをそのままお出ししたNHKのセンスである。
そもそもなぜわざわざこれをドラマ化しようと思ったのか。たった6話で特に賞をもらったわけでもなさそうな原作を。
とかく、自分にはなにもわからないまましもべえは無事放送を終えた。
でもちょっと素直じゃない増田にはひっかかったものがあった。でもそれはおそらく増田だけの特異なものだ。
放送終了から二ヶ月と少し。これをもってしもべえのことは忘れることにする。ジェンダーだのなんだの、一人で考えるのもネットを見るのもどちらも実りは少ない。