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はてなキーワード: 圓生とは

2024-04-25

anond:20240425202936

圓生師匠相手によって評価が全く変わる人

6代目三遊亭円楽師匠楽太郎)がまだ本名の會泰通くんで付き人だった頃の話。

いつものように交差点信号を待ってたら肩をトントンと叩かれ、振り向いたら圓楽師匠師匠三遊亭圓生が「若旦那、どちらまで?」と気さくに声をかけて「じゃ」と立ち去ったというエピソードがある

大師匠なんてすごい人だろ?声をかけられてスゴイビックリしたよ」とは生前円楽師匠が振り返ってた。

どうやら孫弟子かわいいらしく、會泰通君にふつう惣領弟子に使う「太郎」を付けて楽太郎命名したのは圓生師匠

anond:20240425202936

師匠、御乱心!』は昭和53年落語協会から圓生一門が脱会した分裂騒動の内情を圓生弟子円丈が明かす暴露本騒動黒幕として兄弟五代圓楽人格までけちょんけちょんにこき下ろしているのはもはやコメディなのだが、敬愛する師匠言動に振り回され、周囲からどんなに罵倒されても圓生呪縛から逃れられず愛憎入り混じった感情に苛まれる円丈ら弟子たちの姿が哀しい。

とにかく爺さんとオッサンオッサンが信念と理想とドデカイ”情”でもつれ合ってる様が良い。

単なる上司部下ではない師弟という特殊関係性がどこまでもぐねぐねと人を結び続ける一方で、各々が矜持としてるもの面子が断絶を生んでる。

この本では主犯圓生でそれを可能にしたのが先代圓楽っていう描かれ方になってるけど、悪いというよりも全員「下手」なせいで事態悪化していってる。

ただ腹の内を晒して「ついてきてくれ」と言ってくれるだけで良かったのに……!が出来る/出来ないって些細だけでど大事ことなんだよなあ。

怒りや憤りを根底に書かれたものではあるけど、他者に対しては「俺はこう思った」がメインになってる&語り口も相まってどこかカラっとしているから、げんなりするような描き方は無い。作中にもある「(師匠を)憎んではいない。恨みもしない。ただ許しもしない」というのが全てなんだろうと思う。

先代圓楽の嫌われエピソード、具体的なエピソードよりも”弟弟子は誰も圓楽を「あにさん」と呼んでいなかった”っていうのがなんか一番なるほど感があった。

でもその圓楽には分裂騒動後もずっとついていった弟子達がいるわけで。そっちにもそっちの「物語」があるんだろうなあ。

https://open.spotify.com/episode/3N7RKG3gA8bwUXHC7pTuix?si=mt4njloFSb69bUSrwuvlXw

神田伯山がラジオで『師匠、御乱心!』を紹介してる回。聴いたら本のことがだいたいわかります

2022-10-03

anond:20221003161413

6代目円楽は騙し討した側というのはおいておくにしても

5代目圓楽は留め名にする時に署名させられた側だった。にもかかわらず鳳楽にというのは事実揉め事しかならなかった。

5代目圓楽圓生の世話をできてないというのは広く知られてるがそれなら楽太郎円楽をくれてやる必要があったのかと。

師匠の世話はしなかった人間が、自分の世話してくれた弟子自分名跡譲ることがどうなのか襲名披露でよくわかってたこと。

anond:20220930211254

こういうのを信じちゃう人もいると思うけど、円楽だまし討ちをした側だし、脱退後の圓生の面倒を見ていない。圓生止め名にしたのは、圓生奥さん意向。それを敬意も礼儀もなく、勝手にくつがえして鳳楽に襲名させようとしたのが起因だよ。

2022-09-30

圓生になれなかった男

倫理観が終わってるから訃報を見てすぐ伊集院光さんのツイッターを見に行ってしまった。

三遊亭円楽さん。

あのタイミング脳梗塞で倒れたのは本当に最後最後で運がなかったというか、何もなければ師匠の先代圓楽とその世代噺家たちの負の遺産である団体並列の解消……というか円楽一門会立川流落語協会復帰を成し遂げて、将来的な落協と芸協の統一にもめどをつけられたのに、と思うと無念だろうなと思いますね。

元々、円楽一門の協会離脱は、当時の落協会長の小さんがおこなった理事会制度の整備などの改革真打昇進人事を巡って、前会長だった圓生自分に話を通してない、メンツを潰されたとブチ切れていたのを利用して、かねてから団体設立を目論み野心満々の若手幹部だった圓楽談志が大物の圓生を焚きつけて離反させたってのが内幕で、その圓生離脱1年後の79年にあっさり心筋梗塞で死んじゃったのと、圓楽談志が新団体での地位を巡って仲たがいしてそれぞれ円楽一門会立川流を作る形で離別したことで「落協・芸協と五分の新団体を作る」という当初の目論見は完全に失敗したまま今日に至るんだけど。

当代円楽は、先代が亡くなって襲名して以来、四団体統一に向けてずっと動いてたわけですよ。それは彼が談志歌丸に可愛がられていて、立川流と芸協(そもそも歌丸小遊三昇太笑点一派の力が強い)の双方に影響力を発揮できる立場だと自覚していたからで、三遊派本流で先代圓楽対立していた円丈・円窓(いずれも圓生弟子圓楽の弟弟子に当たり落協所属)に接近して「三遊落語まつり」を共催するなど関係強化を務めたり、芸協に客分として加入して寄席に出たりと外堀を埋め続けてたんですね。

その総決算となるはずだったのが円楽の七代圓生襲名で、つまりすべての元凶である圓生の名を継いで、その名前円楽一門会の落協復帰もしくは芸協加入を宣言し、分裂を解消することが目的だったわけです。やっぱり序列メンツ世界から、「圓生が始めたことは圓生としてケリをつける」って建前が必要だったんでしょう。

圓生」の名は先代圓楽時代には政争の具にされて、圓楽自分弟子の鳳楽に圓生を継がせようとしたのに円丈と円窓が反発して、それぞれ圓生襲名に名乗りを上げるという異常事態が起こったことで留め名になってたんだけど、円丈と円窓の許諾を得るかその死を待って円楽圓生を継げば、その禍根も水に流せる……って目論見だったんでしょうね。

で、円丈師が亡くなったのが去年の11月、円窓師はつい先日、9月15日に亡くなったから、何もなく健康だったらば上記プランはつつがなく進められ、来年にはスムーズ圓生になれてたはずなんですよね。

から円楽さんの死は、東京落語界の業界再編の目がなくなったっていう、けっこうデカ事件ですよって言うね。

2022-04-30

理科実験でふざける男子を注意する落語好きの女子

ちょっと談志(男子)~、先生の話は木久扇(聞くよう)にしなさいよ。薬品志ん朝(慎重)に扱わないと肌にかかって圓生(炎症)になっちゃうよ。一朝(一生)痕が残っても知らないよ」

2021-10-24

実際問題として、(六代目)神田伯山が弟子に「伯」の字を含んだ名を付ける事は可能なのか?

2006年に死去した六代目神田伯龍の遺志で「伯龍及び、伯の字のつく名は、止め名とされている。」という事実無視している事にならないか?と考える。

この事実を踏まえるならば、伯山は自分弟子に対しては「山」の字の付く名を与える事は出来ても「伯」の字の付く名は一切与えてはならないと解釈するしかない筈。

本人は直接この事に対して見解を述べているわけでは無いが、類似の「7代目圓生襲名問題」等の言及を見るに、「止め名」に対しては批判的なスタンスを取っている。

(代々受け継がれたてきた名跡を当代の勝手な都合で「死蔵」してしまう事は演芸界にとって良くない事...etc)よって、おそらくは「講談師としての伯龍先生尊重するけど

止め名」という処しには講談界の行く末に際し責任を持つ立場にある者としては賛同しかねる。」というスタンスだと考えられる。ゆくゆくはこの件について一言及あるやも

知れない注目している次第である

2021-09-04

実際問題として、桂宮治柳家金語楼襲名する事は可能なのか?

圓生襲名問題よりもややこしい話になる予感しかしないのだが。

2020-05-12

落語劣化

野球で王長嶋時代現代の、どちらの競技レベルが高いかといえば多くの人が現代と答えるだろうが

落語圓生志ん生時代から志ん朝談志を経て現代にかけて右肩下がりに芸のレベルが落ち続けてるというのは誰もが納得するところだと思う

映像音源で直接比較出来るから

漫才とかだと現代になるにつれネタが洗練していってレベルが上がっていくのがわかるが、落語真逆

テンポ雰囲気演技力、声質、なにもかも劣化していって聴くに堪えない

それなのに「チケットが取れない落語家」だの枕詞がついて祭り上げられ、

本人もその気になって眉間にシワ寄せて難しい顔で古典を得意げに演じる

これは個人攻撃じゃなくてそういうのが何人も居る

どうにかなるものならどうにかしてほしいけどどうにもならないようにしか思えない

2018-03-14

林家の襲名ごたごた騒動記事トップブコメに「正蔵世間の人が思ってるよりは落語上手くなってると思う」というのが上がっていたけど、あくまでも、パブリックイメージよりは、というだけなんじゃないか

もちろん個人の感想ではあるが、決して面白くはないことはお伝えしておきたい。

三平については落語ちゃんと聞いたことがないから分からないが、笑点を見る限りでは、フラがある分むしろ兄貴よりましなんじゃとすら思ったりする。まぁ、しゃべりが下手な落語は聴いてるのが苦痛、みたいなこともあるから、兄と弟どっちが、というのは分からんそもそも好みの問題は大きいが。

ごく個人の感想として、正蔵のは、聞かせたい噺では平坦で退屈、ゲラゲラ笑うはずの噺ではマクラも滑ればテンポいまいち、泣かせたい噺では眠くなる。しゃべりのもそもそとした癖は直らず聞きずらい。当増田とは相性が悪いというのはもちろんあって小さくはないが、いよ!名人!と褒められるもんではないと感じる。

記事でもふれられていた協会分裂騒動については、落語ちょっと面白いなと思い始めた頃に当増田落語指南から聞いて薄ら知り、そして「うーあ、面倒くさそう…」という感想になり寄席から足が遠のいた。ミーハーな半可通からすれば割とどうでもいいことで、そんなことよりもっと面白い噺を一つでも多く聞かせろ、という感覚であった。若かったし。すまんね半可通で。

そういう中でも、浅草やら小さい小屋やらに足を運んだ結果の感想は、協会真打は、満足納得な大名からこれで真打??までバリエーション豊富!というものだった。なので、圓生性格は相当悪かったらしいね。だから造反されたとかなんとか)の言わんとすることも分からないでもないなーというのは正直言ってある。あれ?つまんねえ、しんきくせえ、といった年だけとった真打落語家とか、割といるんですよ(個人の感想です)。

ミーハーな半可通としては、寄席を通しで見て、わはは、おもしろ!と思えるのと、そうじゃないのと、おもしろくない…(怒)というのの比率は、2:7:1ぐらい。アタリくじが2割というのは、くじなら凄く割が良いが、笑いに来ていて2割しか笑えないというのは、ちょっとこう、困る。ダウンタウン松本が言っていたように「笑いたいのの笑わせてもらえないと、逆に腹が立ってくる」状態になることもある。

最近落語ブームで、東京小屋も賑わって、有名・人気落語家の独演会なんかは瞬間ソールドアウトなんてこともあったり、小さな落語会に若い人が沢山、なんて状態ではあるのだが、もし、落語ちょっと興味あるなという初心者の人がいるなら、寄席よりも、確実に面白いとお約束できる(評判の)落語家の独演会チケットを事前に取って、落語体験をしてほしいと思ったりする、ミーハーな半可通増田なのである寄席あんまり面白くないのが続いてくると、二度目は当分いいかなってなったりするしね。

ブームのおかげで質の良い落語会も増えているし、落語楽しい熱が再燃している最中であったのだが、内輪の騒動ミーハーな半可通に通好みに説明されても鼻白むだけで、いやーこっちはミーハーな半可通なんで、そこまで忖度するつもりもありませんよ、と、また寄席から足が遠のくなぁと思ったりする。

 
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