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2022-09-30

圓生になれなかった男

倫理観が終わってるから訃報を見てすぐ伊集院光さんのツイッターを見に行ってしまった。

三遊亭円楽さん。

あのタイミング脳梗塞で倒れたのは本当に最後最後で運がなかったというか、何もなければ師匠の先代圓楽とその世代噺家たちの負の遺産である団体並列の解消……というか円楽一門会立川流落語協会復帰を成し遂げて、将来的な落協と芸協の統一にもめどをつけられたのに、と思うと無念だろうなと思いますね。

元々、円楽一門の協会離脱は、当時の落協会長の小さんがおこなった理事会制度の整備などの改革真打昇進人事を巡って、前会長だった圓生自分に話を通してない、メンツを潰されたとブチ切れていたのを利用して、かねてから団体設立を目論み野心満々の若手幹部だった圓楽談志が大物の圓生を焚きつけて離反させたってのが内幕で、その圓生離脱1年後の79年にあっさり心筋梗塞で死んじゃったのと、圓楽談志が新団体での地位を巡って仲たがいしてそれぞれ円楽一門会立川流を作る形で離別したことで「落協・芸協と五分の新団体を作る」という当初の目論見は完全に失敗したまま今日に至るんだけど。

当代円楽は、先代が亡くなって襲名して以来、四団体統一に向けてずっと動いてたわけですよ。それは彼が談志歌丸に可愛がられていて、立川流と芸協(そもそも歌丸小遊三昇太笑点一派の力が強い)の双方に影響力を発揮できる立場だと自覚していたからで、三遊派本流で先代圓楽対立していた円丈・円窓(いずれも圓生弟子圓楽の弟弟子に当たり落協所属)に接近して「三遊落語まつり」を共催するなど関係強化を務めたり、芸協に客分として加入して寄席に出たりと外堀を埋め続けてたんですね。

その総決算となるはずだったのが円楽の七代圓生襲名で、つまりすべての元凶である圓生の名を継いで、その名前円楽一門会の落協復帰もしくは芸協加入を宣言し、分裂を解消することが目的だったわけです。やっぱり序列メンツ世界から、「圓生が始めたことは圓生としてケリをつける」って建前が必要だったんでしょう。

圓生」の名は先代圓楽時代には政争の具にされて、圓楽自分弟子の鳳楽に圓生を継がせようとしたのに円丈と円窓が反発して、それぞれ圓生襲名に名乗りを上げるという異常事態が起こったことで留め名になってたんだけど、円丈と円窓の許諾を得るかその死を待って円楽圓生を継げば、その禍根も水に流せる……って目論見だったんでしょうね。

で、円丈師が亡くなったのが去年の11月、円窓師はつい先日、9月15日に亡くなったから、何もなく健康だったらば上記プランはつつがなく進められ、来年にはスムーズ圓生になれてたはずなんですよね。

から円楽さんの死は、東京落語界の業界再編の目がなくなったっていう、けっこうデカ事件ですよって言うね。

 
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