はてなキーワード: フランソワ・オランドとは
結婚って結構男性には重い契約なので、そもそも「結婚しなくても子供そだてられるようになればいいじゃん」となった。今では非嫡出子の割合も増えている。さすがは愛の国。
女性も男性に依存しない国民性なので専業主婦が許されない社会でもある。シングルマザーでも泣き言いわないという(日本人観点だと「良いのか、それで」とも思うけど) もちろん働く女性へのサポートもある。
ただ一方で問題もあって、子供の認知の問題がある。 男性観点だとのらりくらりと認知はしたくない。次の女性に金つかいたいし。
いろいろな女性といろいろな愛の形を作るっていいよね。 それぞれの女性に良さがある訳でさ。
http://www.arsvi.com/0b/950821am.htm
男性の場合、婚姻関係にあるときは通常、妻の子はその男性の子どもになるが、婚姻関係にない場合、自分の子どもであっても認知しないこともできるし、したいときにいつでもできる。「認知」とはつまり、「真実の推定」であり、結婚していればじどうてきに父親になるというのも、そう「推定」されるからである。したがって、親子関係が立証されていても父親の場合は、本人及び第三者によって取り消し可能な物なのである。母親が、あなたはこの子の父親ではない、と裁判所に訴えることもできる。どの人を父親にしたいかという母親の意思によって自体は大きく左右される。母親が父親と認めてこそ父親は父親でいられる、と言える。
婚姻関係を結ばず、純粋に恋愛関係のみで着床、次の女性に移行、生まれた子供は社会と母親が面倒を見る、みたいな事が可能になってる。
ただ日本でこういう事をいうと「根っからの浮気者が与太話 公家レベルのゴミ」みたいな批判が来てしまう。
個人的には男性の結婚へのハードルを下げる少子化対策もありだよな、とは思うんだけど日本で導入は難しいかな、とも思ってる。
仮に導入して「認知しない男が酷い」みたいな批判がでたら運用できなそうだしねー。
余談になりますが2012年、サルコジ大統領を破り、フランス大統領になったフランソワ・オランドさんも2股かけていました。
「英雄、色を好む」というやつですかな。ロワイヤル元大統領候補(4人の子供があるが2007年破局)と女性ジャーナリストのバレリーさん。
(この方は女性力の活用にも積極的で、閣僚にも女性を積極的に採用しています)
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トラバどうも
婚姻契約があっても少子化対策なんてできますよ。女性が家庭に、男性が仕事にいくインセンティブつければいいだけなんだから。封建道徳の高貴さを失いすぎなのはフランスが市民革命にはやったからだよ。
そうですね。 私もフランスの少子化対策が日本に適用可能とは思いません。 多分、導入した後、女性から反対がでるかな、と。
ただ割と少子化対策としてフランスが取り上げられるケースが散見されるのですよね。先進国の中では成功していると思います。
私も日本人女性とフランス人女性はだいぶ異なると思っています。
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専業主婦のいないフランス!? http://www.olive-x.com/news_ex/newsdisp.php?n=92615
フランス人女性たちが、専業主婦にならず、働く理由である。政策的なフォローはもちろん、独自の考え方があるらしい。まず、家事一般への評価が日本より低いというのだ。料理上手はフランスでもいちおう自慢に
なるらしいが、家事一般は誰がしても同じという考え方もごく普通。
「パスタしかゆでられず、ほとんど料理はできない」といっても別段、女の価値が低くなることはないという。だから働いていて家事ができなければ誰かに頼むというのもなんらのためらいがないらしい。
高所得層ではまれに専業主婦もいるが、夫が「妻子をやしなう」といった感覚は日本より薄く、
一方、日本の場合、専業主婦の幸福度も高く、また日本人女性は男性に経済的な安定を求めているので、
フランス的な緩いパートナー制度(PACS)を導入しても、女性の幸せが増えるのかビミョーな感じもします。
アムールの国の国際結婚 離婚 http://www.newsdigest.fr/newsfr/features/4054-mariage-et-divorce.html
「昨日まで、人前でも『愛している』と言ってベタベタしていたカップルが、次の日には『もう好きじゃない』と言う姿をよく見る。日本人からすると、それは愛じゃないのではないか、と感じる」と語るのは、フランス人との離婚を経験した日本人女性。
特に夫婦や家族間において、日本の「愛」は情に似た貢献的な愛情であり、必ずしも「恋」の要素を必要としない。
しかしフランスで「アムール」は相手を思う、燃えるような感情を持つ。この感覚が人生にとって大切であり、それによって自分を高めていく。
離婚後子供を引き取った彼女は言う。「離婚後、元夫の兄弟に会うと、必ず新しい恋の状況を聞かれる。
息子と一緒にいるだけで幸せだから、新しい恋をする気はないと言うと、けげんな顔をされる」。
当然のごとく、元夫には新しい恋人ができているという。
2012年5月8日、S.P.筆、パリにて。(The Economist)
少なくともそれが、エリゼ宮殿で選挙スタッフが聞かされたことだった。
フランスの政治家というものは、私の理解では、真に政治生命を終えるということがない
(フランソワ・オランド大統領の閣僚として挙げられている名前を見てみるといい)のだが、ともかくサルコジはそのつもりらしい。
さてそれでは彼は、歴史の教科書でどのように書かれることになる政治家だっただろうか?
今週号で簡単に触れたように、サルコジ氏がこのような最後を迎えたことは極めて特異なことだった。
彼はヴァレリー・ジスカール・デスタンに次いで、史上二人目の再選を果たせなかった大統領となった。
彼がいさぎよく敗戦を認められなかったというわけではない。
彼は日曜日の夜、ややぎこちなくはあれど栄光ある演説を行い、オランド氏を「尊重」するよう求め、氏の幸運を祈った。
しかし、サルコジ氏の敗北のあと、私の脳裏をよぎったのは「もったいない」の一言だった。
フランス人は彼を大統領に選んだ理由を忘れてしまったのではないかと思えた。
今回のオランド氏を超える53%の得票率で執務に入った彼は、
ジャック・シラクによる停滞した12年のあと、大統領職に新鮮な空気と(相対的には)若さをもたらした。
彼は徹底した反保守主義者であり、それがために人気を集めた。
実のところ彼はパリの Pont de Neuilly で生まれ育ち市長ともなったのだが、
彼には見慣れない姓と移民の出自があり、アウトサイダーのような雰囲気があった。
話し方も、ほかの政治家とは違っていた。
彼は、国立行政学院で解読不可能な言語(フランス人は la langue de bois 木の言語 と呼ぶ)を教え込まれたような人ではなかった。
彼は、彼以外の上流階級な政治家が語ろうとしなかったことを語った。
フランス人はあらゆることをアメリカのせいにするのをやめなければならない、
フランス人はマイノリティを、音楽やスポーツだけではなく、正規の職業に就かせなければならない、と。
執務においてはエネルギッシュで、勤勉で、大胆な人物だった。
彼が引き起こした改革の旋風のなかでもとりわけ、大学への自治権付与、定年の引き上げ、
起業の規制緩和、地方裁判所の仕組みの合理化はしっかりしたものだった。
外交の業績を見れば、多少の過ちはあったとはいえ、彼がフランスの声を世界に届け続けたのは明らかだ。
金融危機があった以上、失業率の上昇と負債の拡大について彼だけを責めることはできない。
大統領選におけるサルコジの悲劇の原因は、彼最大の敵に帰着されるようである。
彼はあまりにも多くの方面に手をつけ、フランス人を混乱させ、振り回し、疲れさせた。
彼は自分のエネルギーを一貫性ある方向に向けることができなかったように見える。
自分のやったことに完全に納得すると、その次に正反対の立場を熱く擁護するのである。
当初減税を志向しながら、最終的には税を引き上げることになった大統領候補。
労働時間週35時間制を批判し続けながら、それを法律から取り除けなかった政治家。
富と成功へのコンプレックスからフランス人を解放しようとしながら、「富裕層の大統領」と揶揄されて終わった大統領。
フランス版コンドリーザ・ライズを誕生させると約束しながら、重要閣僚にマイノリティを一度も入れずに終わり、
最後の大統領選で極右票を稼ごうとあからさまな「移民過剰論」を展開した指導者。
こうしたすべてを通じて、サルコジ氏は自分の衝動をコントロールできていなかった。
他国の指導者(シルヴィオ・ベルルスコーニ)を侮辱した件も、
(農業フェアで通行人に捨て台詞を言うほどに)単に自分の怒りを抑えられなかった件もそうだ。
彼の政治的業績がもっと素晴らしければフランス人はこのような過ちを許したかもしれない。
だがそれほどではなかった。
彼のいきさつは、実務よりは見せ方、用意周到さよりは拙速さ、秘策よりは透明性の人の物語だったと言えるだろう。
フランスの劇作家ヤスミナ・レザは、サルコジ氏のとどまるところを知らない欲望を「失われた時間との戦い」と表現している。