とにかくチヤホヤされたい
もし弱者男性が女に生まれて冒頭に掲げた様な感覚で生きているならば、寄り添ってくれる男は居ると思う(たとえブサイクでも)
世の中巧くいかないな
公開アカのときは全通しなきゃ、同担より積まなきゃ、推しにエゴサされる用の文章考えなきゃ、って金も時間も使いまくってたけど
同担からも推しからも見えないなら現場は行きたい範囲でいいし、欲しい分だけ買えばいいし、感想ツイートもしなくていいから早く寝られるし、使った金と時間に後悔がなくなった
恋人バレしても笑って許せるよできればして欲しくないけどね
公開アカ時代の交流も、推しにいいねもらうのも楽しかったけど、鍵アカで別ジャンルの少人数オタクたちとだけ繋がってる今の方がむしろ楽しいな
いえとらすじしんとぅらん
単に感想をいう奴の語彙力が足りないだけだと思う。
例えば俺はアニメオタクなんだけど
でも例外で見れる作品もあって、じゃあ何で見れるんだろう?って掘り下げていくと面白い
30歳くらいまで子供舌だったんだけど、最近ようやくビールも美味しく感じるようになった
そういう変化も面白い
すごくわかる
彼氏は欲しいと思ってない物をあげたくないみたいだけど、
こっちは欲しいか欲しくないかが問題なんじゃなくて、自分の事を考えた結果がプレゼントになってる物が欲しいんだよね。
何あげたら喜ぶのかな、とかそういうのを考える事を放棄されてるみたいで少し寂しくなる
途中お気持ちのような部分がありますが、こういう人もいる、というぐらいのノリで読んでもらえると嬉しいです。
私は時々絵を描いて、SNSにあげたり、人に見せたりしている。
そうすると、「味のあるイラストですね」
そのような曖昧な言い方をされるたびに、心の奥に引っかかるものがある。
ちょっと待って。
それ、どういう意味で言ってるの。
素直に褒め言葉と受け取っていいの?
褒めるところが見つからなかったの?
もしかして「下手くそ」って遠回しに言われてるんじゃないのかな。などなど。
感想をもらうときは、「○○なところが好き」とか、もしくは単に「好き」とかいう言い方だと有難いなと思う。もしかしたらマイナスな感想を持つ方もいるかもしれないけれど、それはそれで「色が不気味」とか「何を伝えたいか分からない」などと具体的に言ってくれれば有難い。「下手くそ」とだけ言い捨てて行かれるのはさすがに怖いなと思うが。
ちなみに、アニメの絵とか、流行りの可愛い女の子の絵柄ではない。(デフォルメの動物画や静物画・抽象画じみたものが多い)だから、タイトルのような感想をもらうことは仕方ないとは思っている。というか、コメントをもらえるだけで有難いと思え、という方もいると思う。無個性、と言われるよりはましじゃないかと。実際、もらえること自体はとても嬉しい。
それに、実は私は絵では個性を出したい方だ。だから、色や線の描き方はこだわるし、そこを具体的に言ってもらえると「そこに目をつけてくれたかー!」と小躍りして喜ぶだろう。
でも、どうしても邪推してしまう自分がいる。本当に、面倒臭くてひねくれていて申し訳ない。
長々と書いたが、皆さんは実際「味がある」「個性的」という言葉をどういう感覚で使っているのだろう。一番知りたかったのはそこなので、もしよければ教えていただきたい。
魔女の母「ダメよそんな小さな資格じゃ。お母さんの弁護士資格をもっていきなさい!」
ジジ「重要事項説明はもっと慎重におごそかに行うべきだと思うんだ」
キキ「契約してくれてありがとう。でも契約してくれと言った覚えはないわ」
キキ「私修行の身なんです、宅建がなくなったらなんの取り柄もなくなっちゃう」
そんなもんない
その人がそういう考えだったんじゃない?
「数学は理解していれば覚えなくていい」みたいな言説を声高に主張する人は、自分がどのように数学を習得してきたのかを無視して「自分はその場で公式を導出できる賢い人間です」ということをアピールしたいだけだと思う。
数学(ないし様々な抽象的概念)を理解することの本質は、雑多な公式や解法や証明のパターンについての記憶を高密度な情報に圧縮することだ。
人が数学を勉強するとき、まずは必要な定義や公式を「暗記」してそれを使って様々な問題を解いたり証明したりしていく。そうやっていくうちに、脳が情報の間の有機的な繋がりを学習し、「理解」という高密度に圧縮された情報を獲得する。
だから、圧縮前のデータを脳に入れる「暗記」の部分は「理解」に必須のステップだ。一度「理解」に辿り着いたら「暗記」した内容の多くは不要になるかもしれないが、それは「暗記」というプロセスそのものが不要ということとは本質的に異なる。
実際、人類がまだ「理解」に辿り着いていない事象を研究している数学者たちは、教科書や論文に出てきた数式とか証明のパターンとかをめちゃくちゃ記憶している。そういうのが脳内にあるから、「このパターンはXを証明するときの流れに似ているから、同じように証明できるな」とか「この式と似たやつはYの導出の途中でも出てきたし、深い繋がりがあるのかもしれないな」とか考えられるようになり、そういうことを繰り返すことで人類の数学への理解は一歩一歩進んできたわけだ。
この辺を深く考えずに「数学に暗記は不要」と言っているのだとしたら、少し考えが浅いのではないかと思う。
ということをこれを眺めていて思った
でも、お金はプレゼント認定できないらしく、もらったお金で買う予定のものをプレゼントするって言われ。
ほしいものないから貯金するって言うと、そういうお金じゃないし、自分のお金でやりなさいよって言われ。(それは本当にそう)
じゃあデートや旅行資金のためにプールしておこう!って言うと、それは別予算なのでこのお金でやることではないってなる。
本気で金だけよこせとは思ってないから現金支給拒否で構わないし、贅沢な悩みの自覚はあるんだけどさーーー誕生日だからさーーーー!ワガママ言いたくなっちゃうよーーー。