「ナチ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ナチとは

2008-08-17

トリ-ナチ-経営学論争への個人的疑問総まとめ

増田では概ね有意義な反応が尽きたようなので、戦闘的でも粘っこくもなさそうな方に試しにトラバ

http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20080814/1218670547

さて不謹慎な表現など多々あるかと思うけど、以下に私的な疑問・論点をまとめます。

時間掛けて経営学医学倫理学歴史学を学んでたら、軽くクリアーできる論点・誤解もあるかも知れないけど、その他も含めてご容赦を。

●論点1 トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。

●論点2 「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスホロコーストを行わなかったのだろうか?

●論点3 「資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。

●論点4 経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?

●論点5 トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?

●論点6 トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。

●論点7 むしろ平時に「かわいそう」の論理を追求する方が、長期的には「かわいそう」な人を増やすのではないか。

●論点1

トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。

たとえば、短い時間で選択を迫られるという意味でなら、(汚い例で恐縮だけど)映画館で上映開始数分前に便意を催し、

そこで素早くトイレを済ませるか、そのまま2時間前後我慢するかなど分単位決断を迫られたりとか、

あるいは語源となる(らしい)コーヒーの選別作業など秒単位決断を迫られる行為が、実は日常でもよくある。

もちろん時間以外の資源をモノサシにする場合も同様に議論を進められるはず。

つまり、時間等の量的な制約をその条件とするのであれば、いわゆるトリアージ以上に「極限状態」とみなせる

選択はいくらでも存在することになり、なぜトリアージだけを取り上げて「極限状態」と呼ぶのかがわからない。

そして呼ぶだけならいいとして、そこに殊更特別な意味を見いだそうとする行為には恣意性が入って来ないか?

明確な基準がなくはっきりしないせいで、そうした疑問が浮かんでしまう。

もし資源制約等々を最初から全部取っ払って、人の命を「切り捨て」るプロセスを指し「極限」と呼ぶのであれば、

蘇生行為の中断や、人工呼吸器の取り外し、あるいは脳死判定?など、(当事者にとっては非日常ではあるものの)

平時の医療行為の中にもそれらは存在する。これらはいずれも倫理学検討に値する問題ではあるんだろうけど、

今回の問題意識とはずれているのではないかという気がする。なぜなら、経営学講義中の「資源制約下の選択」

というトピックで取り上げる事は難しいと思えるから。よってこれも不適。

ここからはさらに妄想。そこで「資源」の意味をもう少し拡張し、技術水準まで含めるとしたら?

現代医療で人工呼吸や蘇生脳死判定が要請される重態の患者でも、実は簡単に救えるほどの医療技術

遠い将来いずれ誕生する事を想定すれば、それらの現場を「極限状態」と呼ぶ事も可能かも知れない。

けれど何事も有限なこの世界で、資源の有無は所詮相対的な問題でしかないから、逆に心臓マッサージも知らない

ような時代まで遡れば、現代医療は「極限」でも何でもなく、相対的にかなり恵まれた状態だとさえ言えるかも知れない。

だからこの妄想理論も、当然すぎるほど当然ながら、使えないよね多分。

●論点2

「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスホロコーストを行わなかったのだろうか?

トリアージ現場では、住所氏名年齢性別人種思想信条宗教経済状態等ではなく、たとえばSTART法に

代表されるように、あくまで症例とその喫緊性を判断材料にして、医療資源の配分が決定されて行く。

そこでの個人は、生存者の最大化という観点から、同じ人間同士限りなく対等に扱われると見ていいはず。

他方、ナチスアーリア人種なんかにとって、異民族共産主義知的身体障害者等の存在有害だと

訴えてたわけで、その排除は平時であると有事であると問わず、進行していたんじゃなかろーか。

不謹慎な言い方をすれば、対等ならざる「異分子」の排除は、保健所動物駆除のように、

生存権私有財産権その他の人権を持たざる者と扱った上で、粛々と進められたんじゃないかなと。

また日本北欧等でも障害者社会的弱者の断種手術が進められたけれど、これらも特に有事であるからと

行われていたわけではないはず。社会ダーウィニズムや通俗的な理解によって「市場原理主義」など(あるいは

原理主義資本主義」?)と呼ばれる淘汰のプロセスは、ある緊急時の必要に応じて進む(進められる)

と言うよりは、むしろ長期的に徐々に着実に進行していくモデルだと考えるのが妥当だと思う。

そして比喩としての「極限」的危機のアピール自体は、かつてのワイマール共和国を含む(民主主義・非民主主義問わず)

あらゆる国家で行われる、支持者獲得の為の常套戦略で、たとえば、核戦争原発メルトダウンの恐怖を時に過剰に煽るのも、

類似の行為と言えるのでは?ナチスに特徴的な行動として取り上げるのは些か困難じゃないかと感じる。

以上の点から、トリアージ差別的な(どころか相手を人間扱いしていない)ホロコーストとなぞらえるのは

間違いであるし、また仮にトリアージが「極限状態」の選択であると仮定しても、ナチズムやホロコーストとの

同質性を認定するのは恣意的だと考える。トリアージの普及推進や例示がホロコーストと地続きである、または

そうした考えを広げるというのは、不謹慎である事を除いても有益な議論とは言い難いはず。

そもそもホロコーストの最たる物である絶滅収容所等におけるユダヤ人殺害は、ナチスドイツ

敗色が濃厚になった戦争後半期にかえって加速していたようで、一般的な意味で言う有事への対応や

資源の最適な配分という意図からは、どうも外れた感が強い。元々戦場の論理とは別物なのでは。

●論点3

資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。

トリアージ現場においては人員物資設備等の制約がボトルネックとなっているけど、そもそも人員物資設備等が

無限であれば、トリアージはもちろん企業経営の探求や経済学考察など、資源の効率的な配分を研究する

学問・営為は生まれなかったはず。経営学経済学をはじめ、多くの人間知的営為はその濫觴において、

現実世界資源の有限性を前提としており、その有効活用目的としているわけだから。

たとえば、市場メカニズム根本を支える価格シグナルは、財やサービスの需要と供給によって決定されるけれど、

供給無限商品の物量だけでなく運搬供給設備やそれらの生産性等も)であればその価格ゼロとなり、

人は欲望の尽きるまでそれらを蕩尽するはずだが、もちろん現実はそうじゃない。一見価格ゼロに見えても

広告販促込みだったりして誰かが費用を負担しており(そのままでは持続可能ではない)、いずれにしても

価格」の存在は、資源の有限性がこの世界に付き物だという事実を、端的に示していると言えるわけ。

またたとえば、かつて環境問題が今ほど注目されなかった時期には、社会的制限が存在しない中で

工場は排煙を垂れ流し放題だったけど、現在では空気ですら無限ではないというのが、環境問題認識する

あらゆる人間の知る所で、その為に各種の環境規制や課税が行われ、少なくとも先進国では、工場経営者も排煙その他の

公害原因の扱いに注意を払うようになっている。逆に各種エネルギー補助金(それは低い技術水準とワンセットだが)を

与えている中国インドなどは、その凄まじい蕩尽によって資源の国際価格高騰や各種公害の原因としても台頭している。

以上のように、資源無限か有限か(≒価格ゼロか否か)は、その資源を効率的に扱うインセンティブを決定している。

そして、およそあらゆる物に価格税金規制が付きものなのは、それらが現に有限だからに他ならず、

経営学経済学トリアージはもちろんとして、多くの人間知的活動はその資源制約によって発展・流転を促されてきた。

よって「資源の有限性を前提にするな」という主張は、現実を無視し多くの知的活動を否定する行為に等しく、場違いな指摘だと考えます。

有限性の前提や資源の効率的利用・効用最大化と言った考えがナチズムへとつながるのであれば、必然的にこの世の

学問・営為・制度・生活習慣は、その多くがナチズムの眷属となり、今回の件を特別批判する意味は限りなく薄まるはず。

●論点4

上と関連して。経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?

経営学経済学は、もちろん共に資源制約の下での効率的利用を目的とするんだけど、後者が主に

社会全体の効用最大化を目指すのに対して、前者は時に社会全体の効用をかえって損なう決定を推奨しかねなかったりする。

既に上で述べた環境問題における企業行動が典型例だし、あるいは独占や寡占の追求、他企業とのカルテル

最近も相次ぐ情報の非対称性を悪用した偽装問題など、企業は時に利益追求という存在意義に忠実なまま、

社会全体の最適化からは逸脱しちゃう場合がよくある。そうした行為には違法な物からグレーゾーンまで何でもあり。

他に経済学概念上でだけで考えれば、ブランド構築・製品差別化特許等の独占的使用販売権の取得等も、

完全競争を避ける狙いから行われる、社会全体の最適化に反した行動とみなせる。もちろんこれらの場合は

消費者社会利益となる場合もあるんだけど。ともかく経営が目指すのは本質的部分最適・部分均衡なわけ。

このように企業はいろいろな経営的実践を通して、市場における競争を避け、超過利潤・独占利潤を得ようとする。

それに対して、各種公害規制や独占禁止政策・不正競争防止、情報の非対称性の排除などを通じて、市場メカニズム

健全な作用を維持し、また時に所得再分配考慮し、社会全体の効用最大化を目指すのが、一般的な意味で言う経済学の使命。

つまり、別々の学問として定立している以上当然なんだけど、経営学的実践における「全体」と、

経済学的・政治的・社会的実践における「全体」とは、多くの場合かけ離れているんだね。

よって、(仮に)経営学的営為の例としてトリアージを取り上げる場合でも、それらが一般的な意味で言う「全体」、

社会国家全体に敷衍されて適用される恐れがあると考えるのは、学問目標を見誤った、飛躍を含んだ主張じゃなかろーか。

●論点5

トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?

既出のようにこの世界のあらゆる物は有限であり、ある選択は必然的に他者の選択を制限してしまうのが世の常。

だからたとえば、日常の買い物で財布の中身と照らし合わせながら商品を決める(予算制約下の最適化行動)裏には、

売り上げ好調で繁栄する勝ち組企業と同時に、売れない商品を作って経営不振に陥り、場合によっては

倒産する「かわいそうな」負け組企業存在があったりする。ひょっとしたら「切り捨て」られたその経営者

自ら命を絶ってしまうかも知れない。その他日常ありふれた選択が、当然のように多くの他者の運命を決定している。

政治上の決定で見ればもっとわかりやすい、再分配は必ず財源を必要とする。

たとえば公共事業を削ればどうしても倒産は増えてしまう。増税だって薄く広いだけで景気を落ち込ませずには居られない。

以上のように考えれば、無視出来ない他者の範囲は空間的・時間的に際限なく広げる事が可能であり、

トリアージだけを取り上げ、その「他者性がない」側面を強調する行為には、恣意性が含まれているのではないかと。

●論点6

トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。

仮に「災害時に被災・負傷し、物的人的制約のある災害医療の拠点に搬送された場合にどのような治療戦略を望むか」

という契約をあらかじめ(被災時に意識を失えば意思の確認が出来ず不公平なので)交わすとすれば、

そして公序良俗に反するという立場から、金銭などの代償を対価とした優遇や、自己犠牲を禁じ手とすれば、

自由かつ平等な個人は、期待生存率を最大にする為=自分自身の為にトリアージを選択する権利を行使するはず。

これが全体主義国家ならマイノリティ放置され、地位や能力のある者の治療を優先させられるかも知れない。

よってトリアージは「みんながひとりのために」でも「ひとりがみんなのために」でもなく、

「ひとりがひとりのために」という個人主義ベースとした選択と考える事も十分可能だと思う。

また自分の命が常に他者の命と可換であるという強い認識が働くから、他者認識がないという批判も的外れとなるはず。

(ちなみに治療従事者自体はロボットだって構わないわけで、その他者性認識を問題にする意義は仮想の話の上では薄いと思われ)。

以上はリベラリズムの基本である無知ヴェールアイデアを多少拝借した物。

無知ヴェールとはリベラリズム上の社会正義のあり方を考える思考実験で、それを被された者は他人はもちろん

自分も含めたあらゆる属性・・・住所氏名年齢性別人種主義主張経済状態等々・・・がわからなくなってしまう。

その状態で、各個人は自身の利益も含めもっとも望ましく公正な社会の条件を考えてみよ、というのが実験の中身。

で、リベラリズム上の議論においては、その条件の下で「格差は最も弱い立場の人々の効用を最大化する目的でのみ正当化される」

という「格差原理」が導出される事になっている。では、トリアージ現場において、それがどのような人々に当たり、

かつその条件の下で選択要請される治療戦略とはどのような物になるだろうか、ちょっくらこれを考えてみる。

まず被災患者を症例・緊急度により以下のように分ける。

A.所与の医療資源技術では、どれだけ治療を施しても亡くなってしまうとされるグループ(START法では黒いタグを付けられる)

B.放置すれば亡くなってしまうが、治療を施せば助かる可能性のあるグループ(赤、または黄色のタグを付けられる)

C.治療の必要が無い軽傷か無傷のグループ(緑のタグを付けられる)

そして以下のように選択可能な治療戦略が提示されているとする。

1.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、医療資源を人数分で割って全員に割り当てる「平等戦略

2.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、各人へのくじ引きで割り当てを決める「機会均等戦略

3.最も重症で生存の見込みのないAは一番「かわいそう」だから、そこに医療資源限界まで注ぎ込む「蜘蛛の糸戦略

4.Bに医療資源を注ぎ込む、いわゆる「トリアージ戦略

5.まずCに医療資源を注いじゃおうという、文字通りの「贅沢戦略

これら5つの内であれば、各人は全体最適など考えずとも(それを考えるのが完全な悪というのもおかしいんだけど)、

個人の利害に触発されて、自由かつ平等な権利の下に、最も自らの期待生存率の高い4のトリアージ戦略を選ぶはず。

ではその場合の「最も弱い」人はどの患者グループなのか、その効用はどうなるのかを不謹慎な表現も交えるかもだが次に検討

もし医療資源を注ぎ込んでも「ほぼ」助からない黒いタグ、この場合グループAの患者だとすれば、どのような治療戦略においても

「ほぼ」死亡という結果に終わり、効用は「ほぼ」不変=「ほぼ」常に最大だからトリアージを選ぶ事は「ほぼ」許容される。

次に死亡状態とみなされる人ではなく、助かる可能性はあるが治療を必要とする赤や黄色のタググループBに含まれる患者

「最も弱い立場」とするならば、トリアージによって最も手厚く医療資源を配分される事になるから、やはり許容範囲となるはず。

グループCの緑のタグ患者検討するまでもないとします。

問題はもちろんグループAについての「ほぼ」の取り扱い。技術水準の問題として閑却する事も話の上では出来るんだけど、

(前にネタのした時は確実に生存率を判定出来ると仮定したので簡単だった)、現実トリアージではそうは行かない。

ただ、いずれにしても確率的な選択を強いられるのであれば、やっぱり4のトリアージ戦略しかないと思うんだけどね。

あと検討の順序が逆だったり、戦略や条件の設定の重複・恣意性等あるけど、まあ素人なんで大目に見てくださいな、と。

基本的には無知ヴェールまで降りて議論するまでもなく、最初の期待生存率+公序良俗の「治療戦略選択契約」の話で

大体OKと思うし、そこで「全体主義的」なる批判はシャットアウト可能だと考えてます。よってここらでこの論点終了。

字数制限でhttp://anond.hatelabo.jp/20080817193711へと続きます。目障りでごめんなさい。

2008-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20080813012003

そもそも、経営学は「全体」について考える学問じゃないんと思うんだよね。

たとえば、一時流行った「ブルーオーシャン」なんて、要するに「独占寡占は美味しい」という話だし、

経営学的発想とは、いかにして競争を回避し超過利潤を確保するかという課題への取り組みでもあるわけ。

それに対して、時に独占へ介入するなどして経済競争的に保ち、社会全体の効用の最大化を目指す

というのが一般的な経済学の姿。とりあえずこの両者は別物で、だからこそ別々の学問として定立している事がわかる。

経営学社会全体について語る物」という誤解から、トリアージだからホロコーストだみたいな

品のない暴論が飛び出したんだけど(まあ仮に全体について語る物であったとしても噴飯物妄想だよ)、

要は「トリアージ経営学として社会全体に敷衍し全体主義社会へ」という決めつけは、最初から矛盾を孕んでいたんだね.

誰かさんセリフを借りれば「ちゃぶ台返し」的に、立論の第一歩から間違っていたわけ。

この騒動の流れ的に言えば、通俗的な女性イメージや、トリアージという命の係わるデリケートな問題を

公開の記事にした点で(あるいは実名blog顧客侮辱するという失策をした点で)、件の先生が各方面へ

お詫びに追い込まれたりして、その点は既に決着がついているから十分だと思うけど、そこへ何を勘違いしたか

「あ??こいつなんか弱ってそう、俺様知的関心のいい餌食だやっちまえ」的な勢いで、マニア的な屁理屈

大した検討もなしに相手をナチ呼ばわりした馬鹿者がいたという話だね。

知的誠実さどころか新書レベルの知識もなしに、よくまあ他人様をナチ呼ばわり出来るなと呆れるばかりだけど、

実際海外掲示板だと相手をナチ呼ばわりした時点で議論のルーザー認定されるとも聞くし、まあそんな事はどうでもいいか。

http://anond.hatelabo.jp/20080813012003

追記部分は致命的な指摘。

この騒動が結局、人文崩れの連中のズリセンに他ならないとバレちゃった。

リネタみっけておおっぴらにズリセンこいてる所を「気持ち悪い」と言われて憤慨。

以降、いかに自らのズリネタが素晴らしいかを蕩々と説くが、「マニアックすぎて理解不能」と

ますます煙たがられる。そこでまた逆上。挙げ句「お前はあたまがわるい、ググれよカス野郎」と来たもんだ。

で、そうやって自分と異なる価値観なり来歴の他者を想像容認出来ない部分が、T4だのラインハルトだのといった

感性と通底しているんじゃないかという指摘も(なにせ経営学トリアージネタにした瞬間にナチ呼ばわりする

論理が許されるんだから)十二分に可能だろう。何とも茶番にふさわしいオチ。暇な人は吊し上げてやれば?

2008-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20080812022507

ホロコーストを語るなっていうのでは無いが、

それはホロコーストと同じです!!

と言わんばかりのあれは、おまえホロコーストいいたいだけちゃうんか。

と思いましたよ。

hokusyu氏あたりの書いた記事をちゃんと読んだ上でそう思ったんならしょうがないけど、俺は牽強付会には思えなかったけどね。

たとえば最近ずっと言ってる「例外状態の常態化」の話をしたかったんじゃないのかな、彼は(違うかもだけど)。

なんでもナチ呼ばわりすれば絶対悪として叩けるだろう、というような安い了見で書いてるものには見えなかったなあ。普通に、価値中立的に論じても通じるようなナチスドイツの傾向との類似性を客観的に指摘しているように俺には読めました。

なんでもかんでも「おまえホロコーストいいたいだけちゃうんか」と返せばすむのであれば、それは「ホロコーストを語るな」って言ってるのと同じだよね。俺にはHALTAN氏の物言いはそう見えます。そういう物言いがまかりとおるのは危ないんで、批判はしておくべきかなあと思いました。

Apeman氏がよくやるよと思うくらいの粘り強さであぶりだそうとしているのは、そういう問題じゃないかなと。

これも人によって解釈は違うのかもしれないけどね。それはまあ仕方ないかな。

ま、本気で「野球スクイズ」と同レベルに根拠のないものとして読めているのだとしたら、まあなんというか、貴方と僕の話している日本語はあまりにも違うものなんだろうなあと思ってあきらめます。

もうすこし慎重な話の進め方をしないと、多くの人に違和感を感じさせるだけだと思うのです。

どのくらい多くの人が違和感を抱いたのかは分からないけど(サイレントマジョリティ?)、違和感を抱かなかった人も普通にいるんで、まあ参考にしてください。

おだやかに議論が出来てよかったです。自分の考えを深めることが出来ましたし、お互いにお互いの考えをかなり歩みよらせることに成功したと思っています。僕もだいぶ考えを柔らかくしましたしね。この辺で限界だと思うけどね。

2008-08-11

あのさ、続きやる為に2chスレ誘導するんじゃなかったの?

他人に要求しておいて自分は平気でそのルールを破るなんて中々面白い人だね。

http://anond.hatelabo.jp/20080811045938

無い知恵絞るのをやめて、他人様のblog↓(それとも本人?)のアイデア拝借したんだろうけど全く駄目。

http://b.hatena.ne.jp/entry/8708498

色んな例で述べたように時間も有限な資源の一つなんだよ。1日48時間ほしいなんてセリフよくあるよね?

もし時間無限なら、全ての患者にいくらでも労力を割くことが出来る(まあ時間寿命までだから患者も苦痛はあるが実質死ないんだけど)。

経営判断も同様。周到なマーケティングシミュレーションに際限なく時間を掛けられのであれば、事業リスクは大幅に低下する。

しかし現実はそうではないから、相対的に効率的で相対的に迅速で相対的に効果的な判断の方法が要求されてくるわけ。医療でも経営でもね。

つまり、これらは相変わらず資源の有限性に促された、経営学的・経済学資源の最適配分の実践に過ぎない。

トリアージはそうした資源の有限性への対処という課題を、印象的に切り取ってみせる希有な例。

何より件のエントリーブコメでも、筆者の含意をちゃんと理解した初学者以前のギャラリーが沢山いたんだしね。

というより、トリアージ現場で本当に足りないのは時間じゃないんだよ。

君を含む多くの人が「救命医療・人命に関わる問題にリソースを」と主張するように、マンパワーの頭数から訓練・研修のチャンス、

機械・設備や資金、従事者のケア等色んな物が足りない。そういう大状況があって初めてトリアージのような限界的な現象が生まれるわけ。

もし災害発生と同時に十分な医師コメディカル派遣し、被災者医療拠点へ高速輸送・収容、物資設備の供給も十分という

状況であれば、全員に平時と同じだけ治療を施せる。しかし当然そうした是正には有限なリソースパイの再分配という壁がある。

言ってみれば、今も国民自身の選択として日々命の「切り捨て」が進行中なんだよ。

結局、依然としてトリアージ的発想はこの世の現実ちゃぶ台返しどころか釈迦の手の平なんだね。

抽象的な考えを苦手にしている(具体例の知識にも乏しいが)のはこれまでで十分理解したけど、相変わらず酷いよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080810210828

>だから「有限」と「足りない」は違うw

じゃあ不老不死でも病気なるみたいなバカ話に戻る?

一度物やサービス資源使用に何故価格なり税金なり規制が付き物だったりするのか、

そして時にそれらが高低強弱上下に変動するのか、理由を考えた方がいい。

まあ「あたまがわるい」から難しいかも知れないけど。

ご都合主義乙。

翻訳すると「反論出来ませんごめんなさい」という事だよね。

前の「お前は原理主義資本主義者だ!」とかいう意味不明逃げ口上と同じだ。

逆選択Wikipediaに載っているはずだから、迷惑も顧みず必死に暴れる暇が有れば調べておくべき。

一応経済学経営学勉強したいなんて殊勝な事言ってたんだしさ。FRBの声明はどこかの経済記事もされていたはず。

企業の全てが利益の最大化を単一目的としてはいない、と書いたんだが。

>本店をつぶしたほうが利益が出る場合でも、本店をつぶさないことがある。

>それは君の中の企業像であって、オープンソースのような形である程度共存共栄を図ってる企業もあるよ。そりゃ競争原理は働いてるけども。

経営陣の倫理観の話では絶対にありえないと思い込みたがる君の世界観不思議だ。

そこはお仲間とおぼしきサヨクの皆さんが全否定してくださって(企業利益追求が本業ではないとの

分裂勘違い劇場さんの言明に対し、山ほどある食品偽装を前に企業モラルに何を期待しているの?具象的にも

抽象的にも企業利益追求が本業、みたいな反論)いるから、安心して論破されたと認めていいよ。この助言は二度目。

例外は原則を覆さない、あるいは一見例外的に見えるような現象も実は原則に沿ったものだったりする、だってさ。

たとえばそちらが必死に拘泥して得意になっている「一見」利益にならない本社の維持でさえ、

従業員モラルブランド価値、地域地盤といった経営上の判断が必然的に絡んで来る。

限界的な例を考えれば話はもっと簡単。もし利益を追求しない事によって恒常的に売上高比数百%を

上回るコストを強いられる場合、その企業は赤字、ひいては倒産を強いられる「倫理的」選択を自ら進んで行うだろうか?

もちろんそういうダメ企業は潰れる方が世の中の為になるし、そうなるのが現実でもあるから、どっちでも構わないんだけどね。

まあ君は自称ネオリベらしいから、倫理を専ら企業任せにして公害なり偽装なりが横行しても何も気にしないんだろう。

>ということにしたいんだろうなあ。なるほどそんなごまかし方があったのか。

何なら迷惑顧みずに説明力の例をブコメから大量引用しようか?そうやって意固地に現実を認めないから、

ここのリソースを食いつぶして迷惑掛ける結果になっているんだけど、少しは反省しようよ。

>(追記)書き忘れてたけど、「自分の知能の希少性を思い知る」という表現は、希少性という単語の使い方をちょっと間違ってると思う。

それはそっちが自分で認めたように経営学経済学一般を知らないからだよ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%8C%E5%B0%91%E6%80%A7

述語というのは文脈により意味を変えるの。なんでそうやって恥を上塗りしたがるのか理解に苦しむ。

でまあ、そちらの必死の抵抗にもかかわわらず、流れは最初から何も変わってないから、まとめ的には↓のままでいいね。

http://anond.hatelabo.jp/20080810205804

トリアージ的な、資源制約下の選択という問題はこの世界普遍的な現実です。

・一般的に言えば、トリアージ的な資源の最適配分の積み重ねが「かわいそう」な人を(短期的にも長期的にも)最も少なく出来る。

資源制約下の最適分配・資源の効率的運用という経済学的・経営学課題の例としてトリアージは有効。

企業の効率追及を、行政政治の再分配と混同して語るのは間違い。

トリアージからナチズムの危険を導出する事は妄想

・「不謹慎」などと言い出した側が、個人に徒党を組んで見苦しい粘着を続けるのは自家撞着。


それにしても、あれだけ経済学経営学に対する無知や理解力の無さを晒し上げられてフルボッコされたのに、

未だに虚勢だけは一人前というのが凄い。たぶん「自分はいわゆるはてなサヨクの一員だ」的なペラペラ

帰属意識に支えられているんだろうけど、素直に彼らに通報して助けを求めた方が格好付くかも知れないよ。

ただ指摘済みのアイデア剽窃の試みは完全に失敗したようだし、目利きの能力もなさそうなのが何ともね。

まあ壊れたレコード状態で生産性ゼロの君だから、このまま頬被りにするのが一番じゃないかな。

苦情を受けて移転を提案した以上、この件でのこれ以上の無駄で見苦しい蒸し返しは控えるべきだよ。

どうしても無意味な悪あがきを続けたいなら、黄金律に従って2chスレ立て誘導するんだね。

2008-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20080809220141

 まあ、自分も本気でApemanがファシストだなんて思っているわけではないし、自分自身累進課税の引き上げも悪影響を及ぼさない範囲でなら賛成だ。

あれは、Apemanが良くやるごまかしを彼自身に適応してみただけ。

ナチスドイツはいろいろなことをやったのだから、自分の気に入らないこととナチスがやったことを結び付けようとすればほとんどの場合できてしまう。

それを利用して相手をファシスト呼ばわりするのがApemanの手法なわけだ。(養老孟司禁煙運動はナチだといっているのを思い出せばわかりやすいだろう)

 ただし「金持ちからふんだくる」という発言がそれほど害のないものだとは思えない。

こういった社会の特定の階層に対して敵対心をあおる発言をする人は信用できない。

 「災害発生時にトリアージをする」のと「金持ちからふんだくる」のではどちらがよりナチに近いだろうか?

自分はどう考えても「金持ちからふんだくる」方にしか思えないのだが

http://anond.hatelabo.jp/20080809172358

素早い反応ご苦労様。耳に痛い批判にピリピリされているここ数日のご様子、お察しします。頻繁に増田もチェックしているのですね。

自分に文句をつけるとしたらそれはHALTANのような少数派に違いないと思いたいんですね、わかります

あなたの頭の中では「トリアージを喩え話に使った」ということが「理想とする組織ナチと通底する」ことと同義なんですか?日本語わかりますか?

身内で思い込みのキャッチボールをしているうちに、すっかり幻想が前提になってしまったようですが。暑いですがご自愛下さい。

http://anond.hatelabo.jp/20080808004521

全体最適ナチ」どころか、「合目的性はナチ」なんてタグも必要になってきたな。

2008年08月09日 K416 追記2部分。hokusyuさんは経営学全般を指してナチスだって言ってる(経営学全般を批判してる)のではなく、ある経営学者が理想とする組織ナチスと通底する部分があると言ってる(ある経営学者を批判してる)ような。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080808/p1

そうなるとどんな組織目的意識して活動する点でナチに通じることになると思うが...。それだとある経営学者ではなくどんな経営学者(含むドラッカー)が論じる組織は全部ナチに通底するだろ。

あなた、それ本気で言ってますか? そうすると、fuku33先生ナチス呼ばわり!? 問題というのがまた出てきてしまうんだけどねえ・・・。以下はid:K416さんが何をなさっている方なのか存じ上げたうえでわざと書きますが、たまに医療哲学とか医療史とかやっている先生には、医学史の抑圧的な暗い側面への傾倒が過ぎて、余りに単純な反医学主義に陥っていく方がおられるわけです(もちろんその辺りはK416さんが御専門でしょうから、「それは偏見だ」「そんな絵に描いたようなアホな研究者はいない」という反論もあることでしょうし、それはそうなんでしょう) ただ万が一、hokusyuさんが「ある経営学者が理想とする組織ナチスと通底する部分があると」本気で思っておられるとすれば、自分が脳内偏見を持って作り上げている「絵に描いたようなアホな研究者」そのものだなあ、と拙のような「あたまがわるい人間は独り善がりに笑ってしまうのでした。

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080808/p1

いやいやHALTAN、「正気で言ってますか?」と聞いたほうがいいよこれは。

もともとこの一件は、誰かを叩く快感を満たしたい、吊るし上げたがり屋たちがスケープゴートを見つけたと思ったらその認定の穴をつつかれていると見えるな。

NakanishiB 2008/08/08 11:34 >しかしなんですかこのまるで他人事みたいな態度は

魯迅を援用すれば「フェアプレイにはまだ早い」ということではないでしょうか。22世紀ごろにはフェアプレイでやってくださると思います。だとしたら水に落ちたときも覚悟してほしかったものです。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080805/p10

リンチされるときは往生際よくしろ、とでも言いたいのかね。正義の味方は大したもんだね。

Wallerstein 2008/08/09 06:59 上の私のコメント中の「あたまがわるいタグ、については、「あたまがわるい」メソッドに訂正させていただきます。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080805/p10

この「訂正」は意味がないだろ。最初にタグをつけてHALTANを馬鹿にした側にブーメランが帰ってきただけで、「あたまがわるい」と罵った側が自縄自縛になっただけで、それをさも相手が卑劣な「メソッド」を使ったかのように言っちゃいかん。Wallersteinは暑さでどうにかなったのか、単に言い方を訂正するのではなく、最初の自分の言い分を撤回しなさいよ。最初に「あたまがわるい」という貶め方をして議論を成立しなくした側に苦言を呈するならともかく。言葉遣いの問題ではなく、ロジックの問題だろ。

普段キャッキャウフフしてる身内で固まって庇いあっても、後から言い分の無理が無理でなくなるわけではないんだからさ、まあ、頑張ってくれたまえよ。

2008-07-24

エホバの証人と、いわゆる二世と、背教者と。 まとめ+ブクマコメントにちょっと回答してみる

##追記;

##当ブログの後半に、自分なりのまとめも書いておきましたので、良かったらどうぞ。

##昨日書きたかったけど眠たくて落ちてしまい、書けなかったことを書いたので。。。

##これを読む人達に、一番伝えたいコトだったんで。

を書いた増田だけど。

ブクマが沢山ついてびっくりした。

でも、良く考えれば、エホバの証人って自分を語る人は少ないはず。だって、自分が書いたように、宗教討論なんて避けるからね。

「あなたの信条を聞きたい」って人には喜んで話すけど、「俺の信条を聞いてよ、君はどう思う?」って言ってくる異教徒には警戒モード、防衛モードに入り、あわよくばその場で心の中で「神よ、試練に耐える力を私に下さい」と祈り始める(※本当です。二世なら解るよな?な?)人達なので。


それを、変とも思わないし、当然って思ってる。そういう概念なんだから、しょうがない。

だから、おいらみたいに、ドロップアウトしようとしてる人、もしくはした人しか、こうした場で話すことはないだろうと思う。

もし、現役でこうした場で話す人がいるとしたら、かなりの幹部とか、そういうバリバリの人で、あなたの家の近所にいるかも知れない身近な人は出てこないよ。

特に女性は公の場で語るのは非とされとるんで、女性なら尚更。まず聞けないだろう。

まぁ、それはさておき、ブクマコメントに自分なりにちょっとコメント返ししてみたい。

コメ返し対象ブクマコメントは下記の二つに寄せられたコメント


「討論すること自体が、JWアイデンティティー違反」というのが、実に日本的で面白い。アメリカ発祥なのに。

討論ではなく説得(証言と言う。証言?なぜ?それは、エホバの証人=エホバの証言ってこと)はOKというスタンスなので、言い方によっては結果的に討論に応じるってことはあると思う。

例えば、「あなたが何を信じているか聞きたい」と言えばきっと証言にやってきます。

で、一通り話を聞いた後に「自分はこう思うんだけど・・・どうかな?」と言えば答えると思う。

ただ、その場合でもエホバの証人は「回答できない時は、調べてきますので今は答えれないと言って沈黙せよ」と教えられてるので、やっぱり突っ込んだ話はできないかもだけどね。

目的が「エホバの証人の話を聞く」ではなく「エホバの証人と議論したい」と判断されれば、来なくなっちゃうし。

彼が典型的かどうかはともかくとして、資料として。追記:速攻でお返事が来ていてビックリした

追記:公開後に読み直しで修正している中、たまたまついているのを見つけたので、ついでにお返事書かせて頂きましたw

JWって結構明確に、リーダー(幹部)系と一般信者に分けられた扱いがある。

で、自分は幹部系で一時期はエリートか?みたいな勢いがあった。

自分みたいに若いうちから幹部系に持って行かれそうなタイプは、自分みたいに考える人も結構いるようです。

ただ、そう考えながらも慣れたら苦痛じゃないしって淡々宗教やめない人も多いです。

自分の場合、好きな子がおかしくなったとか、そういうのなければやはり淡々とやっていたかもとは思います。

10年もやってりゃ、何でも習慣化して無意識にできちゃいますからね(家々に訪問する奉仕活動=布教活動とか)

ただ、習慣化するってのもある意味自我が死んでると自分は考え始め、そう思った時から急激に多大な精神的苦痛を感じるようになりましたけど(自分と同じ経験は時々聞きます)

今の時代にそれで信者は増えるのだろうか/あのパンフの絵はいつもすごいと思うが、組織としては係わりたくないなぁ。

神の組織である以上、減るはずがない。減るとしたらサタンによる試練がはじまったという証拠である。つまり、聖書にある終わりの日が近いという予言成就しようとしている!って解釈するんで、どう転んでも良い教理になっとる。

面白い。頭ええなぁ。 / 宗教ってコミュニティの媒介的役割が大きいから、居心地の良さで内政が変わるのよね。JWがだんだんと居心地のいい場所に変質していくのであれば、それはそれで、、、うーん、どうなんだろう。

二世で脱退ではなく残るが側を選ぶ人は、一般人より組織に友達が多いってのが大きな理由の人も実際いる。ただ、そうなればそうなるほど、友達のために宗教辞めたくても続けないとあかん。

一旦信者になった後、辞めますと脱退届け(断絶と言う)を出すと、宇宙論争を知らないゆえに悪魔の側にいる一般の人より、宇宙論争を知りながら悪魔の側を自らの意思で選んだ一番最悪な奴、という解釈に基づき、徹底的な排他を受けます。

それがどれぐらい厳しいかっていうと、断絶した人と、信者は一緒にご飯を食べに行くというのも許されない。それが発覚すればその信者も警告もしくは追い出される。

で、これは親子の場合でも、可能な限り、断絶した子とは接触を避けるようにといった教理なので、二世の社会人でもない子供は恐ろしくて脱退など絶対にできないのです。

社会人になっても、幼い頃から仲良くしてた人、みんなが自分をシカトするかと思うと恐ろしいという、人間関係の恐怖心から残っている人も結構います(ソースは自分調べ)

ちなみに、組織のほうからクビにされることを排斥といいます。

行われる制裁は全く同じです。つまり、みんなで一斉にシカト攻撃。

断絶や排斥者は数年すると、「戻ってこない?私が悪かったですと認めれば復帰認めるよ」と、声をかけにいく仕組みも設けられています。

信者だけど心はJWという人は結構多いです。あと、優しい性格の人が多いのでみんなからの一斉に拒絶されることに本気で参る人もいます。

信者だけど心はJWという人は、何かにつけて不安定になっています。毎日毎日が罪悪感。

普段は意識してないけど、911テロ事件をハルマゲドンの到来だと確信して、慌てて、神の側につくので助けて下さい!みたいな問い合わせが組織本部にあった・・・というのも有名な話。

ちなみに、排斥になるよーな人は3割ぐらいは、この宗教は嫌いだけど、宗教の中にいる人達はみんないい人なんだよなーって浮ついた心で居る時に、出来心で・・・とか、

うっかりミス☆(いや真意は知らんが)みたいなので、いきなり翌日に排斥措置とられて真っ青って人もいます。

そういう半端者は排斥システムで本当に参るので、以後は真面目に・・・ってこともなく、二回目する人も結構居る。

多分、不倫するようなタイプの人は何度もやっちゃうと思う。知らんけど。ごめん、この行はテキトーに書いた。


がんばってこの試練を乗り越えればみんな楽になって幸せになれる、っていう論法はありとあらゆる組織に共通だよなあ。

いや、その理解はちょっと誤解がある。これは自分の書き方がまずかった。面白く読ますためにちょっと歪曲してた。

「がんばってこの試練を乗り越えれば」ってのは結果であって、目的ではないんです。

詳しくは、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03を参照してください。

最も、それでも結局はそゆことだろ?って言われたら、そうだねぇとしか言いようないけどさ。

現役でも目的と結果を勘違いして、マゾになる変態がいるのも一言付け加えときます。あれは見ていて最悪だった。

苦しいのは当然だ!アハハ!ってのはさすがにJWでもいかれた奴にしかいないよ。

比較的フラットな二世視点がいい。これがJW現実だとか思い込むのは危険かも知らんが、もっとこういうこと書く人が増えてくれるとうれしい。

残念ながらJWの教理上、増えることはないです。カミングアウトしはじめてる時点でそいつはもはやJWではない。形だけの奴ですよ。よってこれも、読書感想文みたいなもので、リアルタイムではないということを付け加えておきます。

「こだわっているのって、それほど深いダメージを与えているからなんだろうなぁと。」認知してもらう事によって、正しさの確証を得たいのか。/刷り込みによる葛藤、とかについて。

そう、それをテーマにしたかったんだけど、歴史とかがテーマじゃないけど比率的に多くなってしまって・・・こうした考察を得てもらったのは当初の目的だったので嬉しい限り。結局、自分自身、その一人と言えますしね。

教団批判はサタンしわざとされ耳を閉じることを強制される。洗脳を解く行為を防止してるんだな。思考停止っていうのが宗教の一番のマイナス面だと思う。

知らない方が幸せという言葉もあるので、プラスであるとも言えるのではないかと。実際、脱退したために一般社会の厳しさ、複雑さ、面倒さについていけず、エホバの証人にも一般の社会人にもなれない元二世も結構いる。ああ、こう書くとやっぱりマイナス面ばかりかなあ。

でも、どうして今の世は不条理なんだろうって鬱な人が希望を持つのが宗教の役割の一つではあると思うので、こういう仕組みは(宗教という性質上)しょうがないようには思います。

デメリット問題点は同意だけど、プラスマイナスだけで簡単に片付けれない所が宗教にはあると思う。

中にいる人の証言は貴重。 / 「素直な人とのみ話しなさい」衝撃を受けた。過激に聞こえないが効果的に信仰(妄信?)を続けさせる方法。怖い

他の具体例が、当ブログの上記で述べてる「断絶」というシステムです。

脱退自体は自由にできるようになってるんだけど、その場合の心理的制裁が半端ない。自由意志は尊重してますよ、責任は求めますがという側面は一番二世を悩ませてる性質です。自分もこれにはほんとうに克服するのに苦労した。

合わせてお読みあれ。

エホバの証人2世の方による内部事情お話 / 同級生にも二人ほどいたな。この話によると一番スパルタな時期に育てられた子だったんだなぁ…。

今度、見かけたら優しい言葉をかけてあげてください。

宗教組織末期症状について。リベラリズムの懐柔性がうかがえる。

補足というか寝ぼけて中途半端に書きました。「リベラリズム」自体は初期より歪んだ形で持ってます。詳細は 当ブログの「断絶」の話とか、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03とか。

具体的に言うと、以前より開放的に見えるけど、一方でますます抜けたくても抜けれない二世が増えているというほうが正確だったのかも、です。詳細は上記の通り。

エホバの証人現代史日本人って宗教に関しては現世救済主義だから、来世の話をされても感があるんだろうな。

現世救済主義は一時的に信者を増やすのには有効ですが、質の悪い信者ばかり集まります。

それで、今の世に救いはないと明言し、天国希望持てと言ってしまう宗教もあるのかなと。個人的感想ですが。

2世への指導が親の愛から来るものってところが悲劇的だなぁ。のびのびと育ててくれた俺のとうちゃんかあちゃんに感謝だ。ちょっと実家電話してくる。

幸せな家庭に嫉妬した。ウラヤマシス

JWじゃなくて、創価学会の2世会員だが、新興宗教の「二世会員」の悲しさというのが伝わってくる。

自分の親友だった学会員も二世ですた。JWとは違う形で葛藤しとったのは印象的でした。そっちはそっちでいろいろおありのようで。

W2人と宗教論争したこともあるよ?/聖書を知らない方が選択肢も多くて幸せで、知ったら伝道しないと破滅…JW呪いビデオを見た人なのか。/ナチ云々は怪しい→http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%a8%a5%db%a5%d0%a4%ce%be%da%bf%

そうやね!「リング」に出てくる呪いビデオって例えはいいね。書いたのは全体的な傾向とか、自分なりの考察感想なんで、全てのJWがそうだとは言いませんよ→宗教論争。

ナチの件は自分はどうでもいいので検証してません。事実であるかどうかも興味ない。テキトーですんません。

勉強になった。信仰はあっても欲望は普通の人と同じなんだね。理屈では通じないってのも勉強になった。

法律とかだって理屈で通じないもん、けっこーあるでしょう。

ましてや宗教なんて屁理屈の固まりだと思う。

そしてそれを自分の精神基盤としている人間には当然、理論で話し合うのは難しいのです。

相手の話を聞いて、相手の価値観(もはや異国の異文化同士の交流と同じ)を理解しないと、話が全く噛み合ないと思う。

常識と思っている概念が、概念の外だったりするので。

あと、別に宗教やってる人間が、サイボーグな訳じゃないっすよw

人間誰だって中身は同じです。欲望を自己否定したり抑圧する人と認める人、その行為を平気な人と苦しむ人、そのあたりの個人差じゃないかな。

自分の意志とは無関係に自分の表情が形成されてしまうのって、怖いよなぁ。口の両脇をつり上げる笑顔ってのは、本来威嚇の表情だった、って何かで読んだ気がする。…鎌やんだっけかなぁ(汗

表情だけならいい、感情(罪悪感、恐怖心、不安感、多幸感)までプログラミングされるのは経験してほしくはないけど、経験した者にとっては本当、恐ろしい体験です。二度と味わいたくない。

出た人なのね。

正確には現在進行形過去形はまだ早いかも。

「新しい世界を見せてあげたらいい」。書き手には,彼女がそういう役割をしてくれたのだろうか。彼女を大事にしてあげて,幸せになってください。


彼女は結果として得た世界の一つであって、役割ってもんではないかも。勿論、新しい世界は見せてもらってるけど。

自分の場合は、医者に薬もらって休職するぐらいまで自分の精神構造を一回バラバラにした。一ヶ月寝たきりになった中で自分の精神を再構築して、客観的に見れるようになった。

役割という言葉を与えるべきなら、その時、自分が壊れそうになっても自分と向き合った、あの時の自分だと認識してるよ。

最も、二度とあんな精神崩壊寸前の経験なんてしたくないけどね。

小さい頃から、この生き方が「真理」ですと言われた場合、そうではないと考えると今迄の自分は何?という自我崩壊になる。

神か悪魔かの二択しか世界にはありません。

と言われて悪魔主義になる奴なんてのは、なかなかいない。普通に生活して幸せに生きたいって思う人間ならね。

でも、そもそも、神か悪魔か?っていう概念、何よりも二択しかない?二択?何の?この世界って何?

そのレベルまで自分の人格を分解しない限り、幼少から育てられたエホバの証人子供は、無意味な罪悪感から脱却できない。

増田トラバくれた、元二世のお二人(http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 と http://anond.hatelabo.jp/20080723111359)はどちらかというと軽症だっただけと言える。

ただ、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 は、役に立ったと思ったり(いや、本当に役立ってるのでしょう。良かった良かった)

オフ会開いて共有してみたいと思うあたり、まだ完全には脱却できていないと推察します。

何かのきっかけで、完全復帰はしなくとも、気持ちが囚われることはあるはず。

あと、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951が文中で書かれた「高校でグレちゃった子」の話。

こういう子は、しばらくすると懺悔して復帰する可能性が高いです。

行動すればするほど、心に埋め込まれた精神の規定を成す概念が自分自身を締め上げていくはずだから。

遅かれ早かれ、何らかの行動起こすんじゃないかな。

それか、それを否定したくてもっと自虐に走るかも。

ちなみに、俺はJWの中で好きな子つうか、仲良くお互いにしてた子もいたよ。

男でも本当にいい友達とかおった。

でも、自分の育つ時代が一番、最悪なあのスパルタ時期でさ、みんなおかしくなっちまった

頭良くて学校でも成績優秀な子が、どうしていきなり停学になるような不良行為を起こすんだい?

俺は、俺の好きだった子や、可愛がってた子、遊んでくれた年上のお兄さん達、が否定したいけど否定もできず、

そして自分を責めるという行動にしか走れずに混乱していく様を何度も見たよ。

自分の場合は、あまりに親が厳しくしたせいか、叱られる時に、叱られる自分と、叱られる自分を見つめる自分を作るようになった。

教理にも納得する自分と、納得できない自分、色んな所で自分が体の中に二人いるそんな精神構造になった。

これ、二世ではけっこう「自分もー」って言う人、いるんだけどね。

ただ、大抵の人は、客観的な自分を肯定しないんだよね。

それを何とか殺そうと努めて、結局、自己否定になり(そりゃそうだ、その精神だって自分だもお)おかしくなったり

それは私が不完全で救いを必要する人間だからなんだわとかいう変な自己解釈(俺の両親とかキモいから解らんがきっとそうだと思う)しちゃったり。

自分の場合は、その二つなっている自分は結局、どちらも自分であり認めなければならない。

おかしいのは俺か?違うんじゃないか?と、考え始め、しかし二人の自分を一緒にしようとすると、この考えは教理に違反している!という罪悪感と、俺はこう思っているんだ!と叫ぶ自分が脳内で騒ぎ立て、まともにまっすぐ歩けなくなるぐらい苦しんだりもした。

つらいから、酒とか女の子に逃げた時もあったし、家出もした。

もっとも、学校卒業しなきゃ負け、と思い、10日でノコノコ返ったけど。そんなヘタレさ、どうせ。

自分はおかしくない、俺が思うことを俺がその通りに行動するのはおかしくない。これが人間

それをいちいち、正しいか、正しくないか?と考えて誰も見ていないのに、勝手にビクビクしたり、これは聖書ではNOとあることだ・・・と脂汗が出るのは、俺が信じているからではなく、そのように作られてるからだ。

そうやって、自分で自分にカウンセリングリハビリして、死ね!クソ宗教!とようやく言えるレベルにまでなった。長い苦労だったよ。

だからって、必死になって幸せになりたいと思わない。

俺の仲良しだった良い奴ら、同じ宗教というきっかけで知り合えたいい奴らは、本当、みんな社会的にドロップアウトしたり、「僕も信じてないけどさ・・・行く所ないじゃん」とかいいながら、今日宗教活動してる。

俺をこんな目に合わせたのは・・・誰だ?

とか、思って叫んだ日もあったよ。親を蹴り上げて、会衆を燃やしてしまえとか本気で考えた時もある。

でも、そんなことをしたって、何か変わるか?変わらない。

失われた時間、失われた人間関係、無くした友達、好きだった子はもう目の前にはいないんだ。

俺はもうこんな歳だ。社会的にも働き盛りであるべき年齢。

俺がここで止まっても、世界は崩壊しないし、誰も困らない。

明日は淡々とやってくる。

だから、俺はだだっ子のようにぐちぐち言わず、自分で考えて自分で行動して、自分で生きていきたい。

だが、俺は一生、親の愛情としてあなたにああいう教育したのよと言う両親を、憎む事も否定することもできず、振り上げた拳をどこにも持っていけないまま、生きていかなければならない。

俺は、ここでみんなに知って欲しい、知って欲しかったんだ。

あの家にピンポンしてくる変な宗教団体の陰で、俺みたいな奴が一人、世界中に何百万人もいる教団のたった一人の小さな存在だけど.

こうやって、静かに戦ってた奴がいたんだぜ?ってことをさ。。。

ただ、すごく疲れる人生だった。

正式に脱退できたら、彼女と祝いたい。

そして、しばらくゆっくりしたい。。。

俺は、彼女がどういう選択するかも兼ねて、彼女にも教理を他の信者を通して学んでみてもらったんだよ。

彼女は「納得できる部分というか精神的に高い志をもとうしてるのはいいんだけど、自分の望まない話になるとシャットアウトするね」とさらっと言ってくれた。

それで、俺の心の最後のつっかえはとれた。

彼女が入信していれば俺はまた苦悩してただろう。

賭けには勝った。もう俺は大丈夫だ。そうさ、俺だってね俺は一人じゃない、俺を認めてくれる人は欲しかったんだよ。

でも、JWの複雑で独特な背景を好奇心で見てはくれても、俺自身を見て、俺の背負ってきた人生の一部がどんなもんか?みたいな視点から見てくれる奴は、彼女だけだった。

貴重なかけがえのない存在なんで大事にしたい。

俺はこの決断、こういう道を葛藤なしですんなり選べるようになるまで本当に苦労したんだ。

その自分の中に埋め込まれた変な宗教精神構造のせいで、それを取り除くのが精一杯で、友達を作るのも途中で辞めていた。

恋愛するぐらい余裕ができたのもほんの数年前だ。それまで、自分は生きてるのか死んでるのか、俺は何?俺は誰?俺の本当の気持ちはどこ?って自問自答してたよ。

宗教は否定しない。

でも、誰もそれを強要してはいかん。

何より、子供に必要なのは自分で考え人生を選んで行くための能力と機会を与えるべきだ。

籠の中に突っ込んでも死ぬだけだ。

まぁ、そんな感じ。

言いたい事言えてすっきりした。

これが多くの人の目にとまると思うとすっきりする。

いい時代になったよ。

ネットなければこんな声、絶対に残せなかったから。

2008-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20080605234752

弱者男性の共通のスケープゴートが欲しいだけなんじゃないかと思う。ナチも利用した古典的手法だけど、人間が結束するのは共通の敵を持ったときって言うよ。本来の敵(既得権者)に攻撃の先が向かわず、都合がいい矛先なんじゃないの。大体、女(若く美しい女だけでブスと年増は目に入ってない)をチヤホヤするのは男性の欲望のせいなのに、自分達の欲望のためにそうやっておいて、優遇は許せないとか吹き上がっているのはなんなんだと思う。とことん女は蚊帳の外で、なにが来ても受け身でしかいられない世の中だと思う。そりゃ利用するだけしてやろうって考えでもしないと、やってらんないわ。

2008-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20080527211846

なるほど

これ、気に入りました。

ナチュビュってもっとおねーさんな服ばっかかと思ってた。

ありがとうございます。

2008-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20080525131911

そりゃ安倍北朝鮮問題だけで名を馳せてトップに上がった人だから「いわゆる右翼政権」ではあったのだろうけど、根本的な問題は単純に内政ズタボロだったことでしょ?

今までの政権と比べて明らかに図多ぼろというほどでもなかったはず。失業率とか犯罪件数から見て。年金問題だって今までの積み重ねで問題になってるわけで阿部政権のみってわけでもないし。右翼が本当に必要とされてるなら今までの政権と同じ程度の落ち度で大敗するはずもない。右翼は必要とされてないからささいな落ち度で負けたと見るのが妥当。

格差問題に関しては、小泉だって折り込み済みだよ。

彼はとにかく構造を一旦ひっくり返すことに徹し、壊しちゃいけないモノまで巻き込むことを恐れずに、まずそうなものはとにかく派手に壊す戦略をとった。だから後から問題が発生するのも小泉的には想定内。本当に壊しちゃいけなかったモノだけは後からみんなが騒いで修理してくれるという期待の上でのぶっ壊しなんだから。

いくらなんでも小泉過大評価しすぎだろ。後先なんて考えてなくて政局に勝つことぐらいしか考えてなさそう。政策なんかほとんど理解してなかったんじゃないかという風にすら思う。肝心の改革だって構造をひっくり返すというほどのことはしてない。してたらもっとひどいことになってたかも。

悪く言えば無責任だけど、長い目で見ると悪い戦略じゃないよね。実際俺は小泉はかなり良くやったと思う。後任の安倍福田が、そのケツを持つにはあまりに無能すぎただけで。

長い目で見てどういうメリットがあったのか謎。短期的に痛みを伴うことをすれば将来見返りがあるなんてのはほぼ幻想

で、小泉バリバリの小さい政府論者だったわけだけど、当時マスコミはもの凄い勢いでマンセーしまくったよね。

いろいろな方向から結構叩かれてたと思うけど。靖国参拝叩いてたし、改革が骨抜きとか逆に景気対策が足りないとか。

一言で言えば、違うよ。っつか清々しいほど潔い思いこみだなw

マルクス主義自体は、自由市場において金持ちは何故貧乏人を搾取出来るのかとかそういう分析がメイン。今となっては古臭いし学術的価値は低いけどね。

マルクス主義じゃなく、マルクスレーニン主義といえということ?

で、その解決方法については後世に諸派があっちこっちに発生して、過激な奴もいれば穏便な奴もいる。それだけの話。

その中でギロチン送りにするやつは暴力的だよねといってるだけ。すべての左翼レーニン主義とは思ってない。社民主義とかもいるのはわかってる。

それに、自由主義者がどれだけの暴力をもって自由を勝ち取ったと思ってんのよ。

だからといって暴力をどんどん容認してたらだめでしょ。だれそれは暴力振るってるから自分もしていいんだといってたらずっと荒れたまま。

敵のない正義なんて無いと思うけどな。

その綺麗な正義ナチズムや共産主義と敵対せずに済むわけ?

自分は基本的に正義というのはきれいごとと思ってるから。汚くていいなら、もう正義じゃない。抵抗勢力レッテル張って人気取りするようなやり方が正義という人もいるんだろうけど。

2008-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20080428201117

こういう「反政府は許せない」なんていう留学生はむしろ特殊な存在だと思う。ソースは自分の経験。

海外経験のあるエリートの方が体制に対して批判的な感想を持っていることが多いと思う(もちろん、表立って反政府活動するか、といえば話は別だが、「いつまでも共産党独裁じゃなく、いずれ中国民主化しなければ」というようなことは常々言っている)。

そんな彼らでも、チベット問題については中国政府と同じような立場に立っている。

これをどういう風に考えるべきか。

以下の言葉は何度でも参照される必要があるだろう。

ナチズムにたいする攻撃はドイツにたいする攻撃であると感ずるので、ナチでない人間でさえも、外国人の批判にたいしては、なおナチズムを擁護するというようなばあいが多くみられる。

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』

2008-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20080429013122

2ちゃんねらーもこの弱い羊と何ら変わらない、強いものの提灯を持っているだけにすぎなかったりするってことがわかる。マジで2ちゃんねらーは「動物農場」読んだ方がいいよ。

まとめサイト見て判断するのもつられすぎと思うが(自分の見たスレでは捏造朝日たたきが主流だった)、それはともかくこの場合強いものの提灯持つなら労働者をこき使う経営者擁護するはずでは?

上記二つの事件に何かしらの問題性があることは認めるけど、事実をねじ曲げてまでバッシングすることは別問題。

青学のは魚拓とかも残ってるので捏造ともいえないと思うが。

それを言っていたことを忘れてバッシングする側に回ろうとするなら、賢い為政者がその気になればどんな社会だって作れそうだよね。ナチズムも太平洋戦争国民の圧倒的な支持によって成り立っていたものだし。なかなか賢い国民って生まれてこないんだな。

為政者がどんな社会でも作れることの例として戦前日本を持ち出すのって違和感がある。戦前為政者は敗戦して処刑されるような状況は望んでなかっただろうし、国民がおろかなら思い通り動かせるというよりあおられすい国民のほうが為政者には厄介なんじゃないかな。今の中国政府だってもっと冷静になってほしかったりして。無関心で選挙でも寝ててくれる有権者のほうがいいってのが某元総理の本音だろうし。

アサヒる朝日新聞を支持する2ちゃんねら

休みたいならやめればいい」急成長の日本電産社長

http://www.asahi.com/business/update/0423/OSK200804230044.html

この記事って朝日新聞が初出なのね。

日本電産の永守重信社長は23日、記者会見で「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と持論を展開。10年間で売上高が6倍超という成長の原動力が社員の「ハードワーク」にあることを強調した。

ん?

休みたいならやめればいい」なんていってなくね?

まあ、ハードワークをプッシュしているのはよくわかるけど、タイトルのようなことを言った訳じゃない。朝日新聞記者勝手に作っただけ。まさにアサヒった、ねつ造した。

もし言っているというならこの記者会見の全文のソースを提示してほしい。言っていたら信用する。

これに対して2ちゃんねるでは「また朝日か」というおなじみの書き込みであふれると思ったら、

休みたいなら辞めろ」発言は言語道断日本労働組合総連合会会長日本電産社長を批判

http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51181739.html

朝日新聞が書いた『休みたいなら辞めろ』発言などしてない!」・・日本電産社長が反論

http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51182360.html

を読んでもらえれば分かる通り、朝日新聞を全面支持。

誰も発言の信頼性に疑問を抱かず、批判しまくり

中国や左寄りの発言でねつ造したときには「また朝日か」というくせにwwwwww

つまりは、別に2ちゃんねるの一部のユーザー(このくくりが正しい訳じゃないのは分かるけど)は「ねつ造が悪い」とかいう正義感にかられて「アサヒる」という造語を生み出した訳じゃなくて、自分が信じる主義主張に即しているか即していないかだけでしか判断してないってことになる。即していればねつ造しようが何しようがおk、グッジョブということになる。

そしてこのニュース

光市事件の死者は1.5人」 問題発言准教授青学が処分へ

http://www.j-cast.com/2008/04/28019573.html

「書き方は悪かったと反省しておりますが、私は幼児を0.5と数えたわけではありません」

とも釈明した。「証拠」としてブログの「コピー」を示したが、その部分が書き換えられていたため、「反省してない」としてネットユーザーのあいだで騒動がさらに拡大した。

つーか、ソースすらねつ造してバッシングの対象にしているしwwwww

ちゃねらーって自分が正義だと思っていれば何したってありだと思っているんですかね。

こういう事件が起こるたびにジョージ・オーウェルの「動物農場」という小説で(読んでいることを前提に話を進めるから知らない人は500円払って買って)、人間を農場から追い出したブタ指導者を支持して「四本脚はよい、二本脚は悪い」と言っていた羊たちが、ブタ独裁者となり、ついには人間のように二本足で歩き出すようになると「四本脚はよい、二本脚はもっとよい」と転向したことを思い出すんですよ。2ちゃんねらーもこの弱い羊と何ら変わらない、強いものの提灯を持っているだけにすぎなかったりするってことがわかる。マジで2ちゃんねらーは「動物農場」読んだ方がいいよ。

上記二つの事件に何かしらの問題性があることは認めるけど、事実をねじ曲げてまでバッシングすることは別問題。それを言っていたことを忘れてバッシングする側に回ろうとするなら、賢い為政者がその気になればどんな社会だって作れそうだよね。ナチズムも太平洋戦争国民の圧倒的な支持によって成り立っていたものだし。なかなか賢い国民って生まれてこないんだな。

2008-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20080410091902

ある幸せなニーメラー主義者の、死を前にしたときのメモ

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私はニーメラーの言葉引用した。

(ナチ連中共産主義者を攻撃したとき、私はニーメラーの言葉引用した。)

私は共産主義者ではなかったけど。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私はニーメラーの言葉引用した。

私は社会民主主義ではなかったけど。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私はニーメラーの言葉引用した。

私は労働組合員ではなかったけど。

////////////////////////////////////////////////////

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私はニーメラーの言葉引用した。

私はユダヤ人などではなかったけど。

////////////////////////////////////////////////////

そして、彼らが私を攻撃したとき、

私のために皆がニーメラーの言葉引用してくれた。

青少年ネット規制

津田大介:「青少年ネット規制法」成立はほぼ確実 その背景と問題点

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0804/09/news096.html

やれやれまたこの言葉の重みをかみしめるニュースが来ましたよっと

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、

(ナチ連中共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)

私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、

私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、

私は労働組合員ではなかったから。

////////////////////////////////////////////////////

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、

私はユダヤ人などではなかったから。

////////////////////////////////////////////////////

そして、彼らが私を攻撃したとき、

私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

マルティン・ニーメラー

2008-04-03

中国プロパガンダとそれに対する反応

「ダライ・ラマは親ナチ」 中国大使館員が米議会工作 - MSN産経ニュース

はてなブックマーク - 「ダライ・ラマは親ナチ」 中国大使館員が米議会工作 - MSN産経ニュース

ブクマではやたら中国が「と」扱いされてるが、にされてるが、記事を読めば

ワシントン中国大使館議会対策を担当する書記官が米議会スタッフに対し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がナチスと深いかかわりを持ち、ヒトラーの友人と親交があったという情報を添付した電子メールを送っていたことが2日、分かった。

ということで、とりあえずナチのカギ十字の由来が「卍」なんてことが根拠ではないようだ(全文が判明するまではわからないが)。

ヒトラーの友人と親交があった」という部分で、これはハインリヒ・ハラーのことを言っているのだということがわかる。

ハインリヒ・ハラーヒトラーの友人、ハインリヒ・ハラーダライ・ラマの教師、よってダライ・ラマは親ナチ」という印象操作を行おうとしたものだと思われる。

これでも根拠はかなり弱いものだろうが、ブクマ想像されているほどには無根拠というわけではない。

ハラーのほかにもダライ・ラマBruno Beger - Wikipedia, the free encyclopediaMiguel Serrano - Wikipedia, the free encyclopediaのような、ナチネオナチとも交友関係を持っている。ついでに言うと麻原彰晃とも。(ピノチェトととも親交があったらしいが、はっきりしない)

もちろん、ダライ・ラマナチ以外とも親交があるし、当然ナチ以外との親交の方が圧倒的に多いはず。

……まあ、こういう風にダライ・ラマの交友関係を暴露して、そのカリスマ性を削ごうとしたんだろうが、逆効果になったということだろう。

中国大使館レベルでもこれか」と呆れる気持ちはわかるが、ただ、言論の自由が保障された先進民主主義国家である日本でも、かつてオウム擁護をした知識人が叩かれたり、政治家統一教会やら創価学会の関わりが取りざたされるようなネガティブ・キャンペーンが行われることは忘れてはいけない。

中国が「ダライ・ラマナチスと深い関係がある」という話を聞いて、条件反射のように即座に「トンデモ」と決めつけるのは、中国に対する偏見があることが理由の一つだろう。それから、このようなブクマの仕方は、実はオカルトが好きな自身の内面を投影しているんじゃないだろうか。

2008-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20080327225947

キモイから」なんて弱い動機付けホロコースト並みの迫害が起こるわけないだろw

それにナチの末路を考えてみ。あそこまで派手な不正義だとどのみち長続きせんて。

2008-03-25

映画南京の真実」の支援者6000人突破

チベット人虐殺の隠蔽などで最近話題の中国ですが、

中国日本に対しては日本人南京大虐殺をしたと主張しています。

すでにそれが事実だとした映画外国で上映されてしまっていますし、製作中のものもあるようです。

現在、この中国の嘘をあばく映画南京の真実」が製作中です。

この3月には支援者が6千人を突破しました。

十分な制作広報のためにも、支援してみてはいかがでしょうか?

(1口1万円ですが、数千円程度でもOKのようです)

http://www.nankinnoshinjitsu.com/

日付支援者数(名)支援金(円)
07/12/285,420232,288,990
08/01/155,522235,157,791
08/01/315,669243,663,722
08/02/155,792248,725,398
08/02/295,902254,790,635
08/03/145,978259,446,940
08/03/246,017260,376,940

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。 ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。 ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。 ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した。しかし、それは遅すぎた。』(マルティン・ニーメラー)

2008-03-14

児童ポルノ

児童ポルノ法問題については一言で終わる

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、

(ナチ連中共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)

私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、

私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、

私は労働組合員ではなかったから。

////////////////////////////////////////////////////

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、

私はユダヤ人などではなかったから。

////////////////////////////////////////////////////

そして、彼らが私を攻撃したとき、

私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

マルティン・ニーメラー

2008-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20080304231527

非モテ反社会的で劣った存在だから抹殺すべきというのがモテの主張。

これはマッチョというよりナチズムだ。

2008-01-23

三月精sbnd書店ごとの特典

ゲーマーズ

今ならもう一冊ついてくるらしい画像*

現在は修正済み。表紙絵のポストカード*

Amazon.co.jp

予約すると発売日から二ヶ月後に発送してくれる

24日以降の注文は普通に配送

虎の穴

厚紙の紙ジャケット。絵柄はサニー *

elndとは違い書き下ろし……らしい

Animate

特に無し

melonbooks

特になし

BK1

特に無し

7&Y

特に無し

HMV

特に無し

WC

らくがき帳(罫線などは全くはいっていない白紙のノート)

マンガ

メッセージペーパー。絵柄はルナチャイルド *

2007-12-07

いまさら.

ハイデガー(笑)ナチ(笑)ホロコースト(笑)ユダヤ人(笑)アメリカ(笑)日本(笑)官僚(笑)大学(笑)教授(笑)愛人(笑)白い巨塔(笑)財前(笑)田宮(笑)ミニ四駆(笑)ミニ四ファイター(笑)モーター(笑)F1(笑)スポンサー(笑)電通(笑)博報堂(笑) NHK(笑)ワープする宇宙(笑)イギリス(笑)ノーベル賞(笑)ワトソン(笑)分子生物学(笑)バイオテクノロジー(笑)遺伝子組替(笑)ダウン症 (笑)種なし(笑)ブドウ(笑)ワイン(笑)ソムリエ(笑)野菜(笑)オナニー(笑)精液(笑)口(笑)下(笑)正直 (笑)報い(笑)復讐(笑)赤穂(笑)塩(笑)水中毒(笑)自殺(笑)飛び込み(笑)JR(笑)民営化(笑)簡保(笑)生保レディ(笑)熟女(笑)ロリータ(笑)ショタ(笑)ホモセクシャル(笑)坂口憲二(笑)ファンツアー(笑)温泉(笑)自分へのご褒美(笑)スイーツ(笑)(笑).

2007-11-08

ウォール伝「生成ユーモアの企て」 を 整形してみる。

ウォール伝「生成ユーモアの企て」http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108

2007-11-08 生成ユーモアの企て。CommentsAdd Starmimisemi2007-11-08

アルファブロガーアワードってのにノミネートされたらしいんだけど、最初、ブ
ログへの書き込み見たときにまたなんかの詐欺サイトかと思ったよ。前のmyspace
でのライブに出ませんか?と同じ類かと思ってたら、割とちゃんとしてたっつーか、
推薦してくれた人がいたみたいで、なんだか驚きっていうか、今日社会学のテス
トがあってって昨日も書いたけど、今書いてるのは午前なんだけど、一応、学校行
く前に教科書でも読んでおこうかとか思ったんだけど、ノミネートされてて驚きだ
ったからこの時点で思ったフレッシュなことをとりあえず書いておくね。

まず推薦した人のセンスというのは恐らくアングラ系に理解がある人なんだろうな
って思ったわけだけど、別に俺がアングラぶっているわけではなく、基本的に色々
カイテルとそれがアングラ志向みたいになっちゃうんだよね。ようはメインストリ
ームじゃないことっつーかストリームすらないようなことばっか書いてるんで逸脱
していくっていう、まぁその結果がアングラっていうカッコつきのワードで表され
るわけだけど、何を書きたかったのかすでに忘れたよ。

あ、そうそう。推薦者に「推薦していただいてありがとうございました」なんてメ
ールなり書き込みをするのは白々しいので、やりたくないんだよね。前のはてなス
ターと一緒で、もう心が張り裂けそうなぐらい感謝しているんだが、あんま直接本
人に言いたくないっていう。ってことで推薦してくれた人がこれまだ懲りずに見て
たら、耳蝉はこのことだけでまた明日から頑張って算数とかをやる気力が湧いたっ
て思っててください。

人との係わり合いっつーか特にネットでの係わり合いは極力避けているのにも関わ
らず、知らない人がこういうことをしてくれると嬉しいんだよねぇー。すげー自分
勝手。ところであとこの期待ね。おーなんか凄いことになってるじゃん!とかさ、
あ、その前に、「ニューヨークコミュニティーカレッジに通う著者」って言葉さ、
いやー文字ってのは凄いよね。こうやって文字で現れると実態と乖離したイメージ
というのが文字から生まれてくるというか、読み手に連想させるんだよね。なにや
ら凄い感じじゃん。

まぁコミカレ自体は凄くないけど、ニューヨークってワードがコミュニティカレッ
ジの質を高めてるっていうか、オクラホマコミュニティーカレッジだとあんまス
テータス高い感じしないけど、ニューヨークってのがね、コミカレの響きを高めて
るっていうか、まぁそういうのがあるわけだけど、実際は「モトニートかそれ以下
みたいな引き篭もり生活をしていた著者が、死か無理な渡米かの二択を自分の中で
勝手に迫られて渡米というか亡命を決意しつつ、なんだかんだでニューヨークのコ
ミュニティカレッジに通いながら、特殊学級の算数のクラスと読み書きのクラスを
受けている生活の中で綴るポスニートダイアリー」みたいなね。

ただ脳を掃除するっていう表現はさすがだなって思った。ちゃんと読んではるなっ
て。前にも書いたけど精液が溜まりすぎると玉が膿んだような感じになるから一刻
も早く抜きたくなるじゃん?それと一緒で脳が膿むんだよね。色々溜め込みすぎる
と。だから吐き出さなきゃいけない。音もそうなんだけどね。

あ、んでね、いつも書くようだけど、留学生っつってもピンきりで、今なんて恐ら
く昔みたいな、50年代とか60年代とかに留学してたようなエリート中のエリートな
んてのは本当に少ないと思うわけねっつーか昔はそういうエリートしか留学できな
かったわけだけどっつーのも奨学金とかね、そういうことで。

ただ今ってのは割とカジュアルに誰でも留学できるんで留学自体がたいしたことじ
ゃ無くなっているわけ。ただ留学とか「ニューヨーク」みたいなカッコつきのワー
ドに象徴されるようなイメージだけが先行しているものってのはね、そういった昔
から継承されてきたステレオタイプの賜物なわけですよ。留学=賢いとかエリート
とか金持ちみたいな。ただ今なんて違法でバイトしつつ英語学校に通っている日本
人なんて少なくないし、VISAがキレても惰性で違法バイト続けてはや10年みたいな
人もいるわけ。

ようはね、クローズアップ現代だかで見たんだけど、就職氷河期世代ってのがよう
は年齢差別とかさ、日本って雇用っつーか社会が最悪だからっつーかまぁいいや、
仕事が無くてさ、んで中国行って電話オペレーターとかやってる人とかいるらし
いけどさ、時給が日本円で300円だったかな。ただまぁ中国語をマスターするっての
とキャリアアップってのもあって日本無駄バイトしてるよりマシってことで行
ってる人も多いんだろうけど、こういうの見るともうすでに日本先進国だなんて
いう幻想はもうなくなったなっていうのを実感するよね。

それこそ本国仕事が無いとか未来が無いんで海外に出て条件が悪くてもまだマシ
ってことで仕事をしている発展途上国から来た労働者とかとあんま変わらないわけ。
こういう人達って。俺も同じだからね。元々日本というか日本社会が大嫌いで亡命
したという理由が一番だけど、でもまず俺みたいなもんに仕事があるわけないから
さ、だったら同じ苦労でもこっちで苦労したほうがマシだってことなわけで、状況
的には独裁政権の国から自由を求めて逃れてきた移民なんかと本質的には変わらな
いわけですよ。

まぁ俺の場合、親のサポートがあるからこういったシリアス移民たちと俺を一緒
にするのは失礼なんだけどね。そういう意味だとあれなのよ、ニートが上京して専
門学校通うみたいなのをニューヨークでやってるってだけ。俺の場合。だから全然
たいしたこと無い。エリートでもなんでもないし、こっちの大学なんて高校レベル英語が出来れば誰でも入れるんだから。卒業するのは大変だけどね。ってことで
留学=なんか凄そうっていうイメージはなくしたほうがいいよ。

こういうイメージが流布してるから短期留学でもなんか得られるんじゃないかとか
いって来る人が多いけど、何にもならないよ。基本的に留学の先にあるのは似たよ
うな資本主義社会で、言語英語ってだけです。そこでまぁ行動的な人は何かを
得るかもしれないけど、それはあくまで主体あってのもので、主体性が無くて、た
だなんとなく留学っつーと凄そうだからっつって留学しても何にもならないわけ。

こうやって勝手留学に対して変な幻想を抱いちゃうってのは、留学を売り物にし
ている代行業者とかによるイメージ捏造もあると思うんだけど、やっぱなんつー
かそれ以前にジェネラルに留学っていうこと自体に個々が勝手幻想抱いてる気が
するのよね。ただ実際はね、来てみて、それがニューヨークであろうがロスであろ
うがイメージと全然違ってたっつって心身がダメになって帰るって人も多いらしい
し、何も見つけられないまま英語学校にずーっといるって人も多いし、ようはね、
状況自体が何かを与えてくれるなんてことはどこの世界にも存在しないってことな
わけよ。

主体性のないやつが違う環境に行けば環境によって様々なことが変わっていくとか
ね、そんなことは起こりえないわけよ。あくまでそれは主体性があった上での前に
書いたようなソーシャルインターアクションによってパーソナリティが変わってい
ったり認識が変わっていったりするわけで、そこに何らかの働きかけが無いとまず
無理なわけ。勘違いしてる人達ってのは行けばそういった経験が得られるんだって
凄まじくパッシブなままなんだよね。そんなんじゃ無理。

だから中身が何も無いまま自分探しっつって世界放浪してもダメなんですよ。自
分が無いと何も得られない。ようはその環境から感化されるような感覚とか思考と
かっていう人間の意志が無いとダメなわけで、ようは日本で拾った石をエジプトと
かアメリカとかイギリスに送ったところで、石自体に何も変化がないのと同じなわ
け。

この石状態ってのがスッカラカンな石人間留学先で起こるわけ。ただこれは師匠
2っぽい言い方すると自明の理なわけよ。まぁ留学に限らずだけどね。もっと狭い
話でもいいや。どっかのサークルに参加するとかコミュニティに行くとかさ、それ
で変わるかもしれないっつっても、主体性が無きゃそれは、その辺で拾った石をな
んかのサークルに置くだけで、石自体に何の変化も起こらないでしょ。逆に人間っ
てのは変な期待するから、そこでイメージと違ったとか、なんか予想してたのと違
うとかって思うわけだけど、そりゃてめーが石だからなんだよってことに気がつか
ないとダメよね。逆を言えば意志さえあれば環境なんて二次的なものなわけ。

だから前に書いたことでちょっと思うことがあったんだけど、俺ってどうやら人里
はなれた山というのに桃源郷的な幻想を抱いてるんだなっていう風に思ったわけ。
こんなくだらないゲームはやめて、とっとと隠遁生活を送りたいって書いたけど、
隠遁生活なんて別に山に行かなくても送れるんじゃないかと思ったのね。

ようは心の中に桃源郷的なイメージを持っていれば、自分の部屋が桃源郷になりう
るでしょ。別にそれは瞑想しているときでもいいんだけど、頭の中にそういったイ
メージがあれば、実質、環境がどうであれ隠者的な生活は送れるんじゃないかと思
ったのね。まぁ環境も大事だよ。ナチ政権下で心に桃源郷を持ってようがそりゃキ
ツイよ。

まぁなんつーかそこそこの環境なら別に心の持ちようっつーか、ようはその個人の
世界観によって自分の世界なんていくらでも変わるじゃんって思ったわけで、んだ
から別に山に住まなくても、山にいるようなイメージを心に持っていれば、それは
山に住んでいるのと同等じゃないかってことなわけね。ようはそこで人生なんても
のにはもう達観して挑むしかなくて、心に桃源郷を描くことに人生を費やせば、色
々と克服できることって結構多いと思うのね。

それはくだらない人間関係についてかもしれないし、煩悩かもしれないし、精神病
かもしれないし、不安かもしれないし・・・。結局こういったことを解決するのっ
て内面的な力しかありえないわけだよね。薬とか環境の変化でどうにかなるもんじ
ゃない。何しろ人間ってのはもう文明社会に生きているわけだから、社会からは逃
げられないでしょ。桃源郷社会存在しないなら、自分の心に作っちゃえばいい
だけの話だよね。

まとめると、ようはこれってのは青い鳥と同じなわけで、幸福なんてのは外的なも
のの中には存在しないわけで、そういったものを無理やり作っちゃうのが幻想なわ
けだけど、青い鳥の「本当の幸せというのは鳥かごにあった」っていうのに準える
と、本当の幸福ってのは心にありってことなわけで、まぁ基本的には師匠1の教え
に行き着くわけですな。心っつーと深そうだけど、ようは気の持ちようだよ。認識
ね。基本的には。あーダメだ。話が逸れた!もうあと1時間ぐらいしか無いから教
科書読むわ。

いつもこんな感じね。寸前というよりかは寸前の寸前ぐらいにならないと動き出さ
ないのね。俺。あ、そうそう。パリ症候群とかさ、あと日本馬鹿芸能人がハリ
ウッドデビューとかアメリカで活躍するみたいなことに幻想を抱いているのも、今、
書いたことの良い例ね。良いっつーか悪いっつーか。事実とは関係ない幻想という
ものに振り回されるほど不幸なことはないから、とっととそんな幻想捨てちゃった
ほうがよっぽど幸せになります。

ところでアルファブロガーって影響力のあるブログの書き手のことを指すらしいけ
ど、なんか今回俺のブログノミネートされたやつは2004年から開催されてるやつ
らしいんだけど笑っちゃったのが、Wikiで見てみたら「日本ではFPN(フューチャ
ープランニングネットワーク)というサイトが「アルファブロガーを探せ」という
企画主催しており、ここで選出されたブロガーを指すことが多い一方で、この企
画自体の知名度の低さの問題が指摘されている。また評価の正当性、選考の手法な
どにも疑問が投げかけられることもある。さらに、このサイトが選出したブログに
は社会問題となりうる虚偽に満ちたブログも含まれている。」だってさ。

かなり批判的。逆にちょーメジャーしょこたんブログみたいなのがノミネートさ
れるようなコンテストだったら俺のブログなんてノミネートされないだろうからね。
「虚偽に満ちたブログ」ってまさしくウォール伝も含まれるな。基本的にこういう
のを一般向けに開催していたら、まず個性的なのはノミネートされなくて、ようは
アカデミー賞みたいなそれこそ虚偽に満ちたアワードになるわけだけど、逆に俺み
たいなちょー逸脱したブログみたいなのがちゃんとノミネートされるなんて、なか
なかいいんじゃない?幅が広くて。ネクロマンティックとスパイダーマンが同時に
出展されるような映画祭って素敵じゃん?無いけど。

ようはたぶんこれってアルスエレクトロニカみたいな感じなんだろうね。えー?
Cosmosが受賞したのぉー??っつって国際的にアワードの価値が疑われるっていう、
ウォール伝はそんなCosmos的な存在かもしれないけど、逆を言えばCosmosみたい
なのが賞を取るアワードってのもアリなんじゃない?とは思うけどね。

あとラッセーラのソヴァージュもなんか受賞したんだよね。えらいアワードだよな。
それこそ評価の正当性やら選考の手法に疑問が投げかけられるわけでしょ。アルス
エレクトロニカ。世間の評価ってこんなもんだもんね。しょこたんブログと並んで
ノミネートされてたら、「他のノミネートブログが凄いね!」っつってなんつーか
比較で凄いっていうアホな評価になるわけだけど、他がさっぱり有名じゃないわけ
の分からないブログとかばっかだったら「たいしたことねーアワードだ」ってこと
になるわけ。大半の人はこんな感じ。

内容も見ないでこういった表面的なところで評価するわけね。映画アワードとか
もそうでしょ。ちょー有名監督ノミネートされてたりしたら、その比較として凄
いみたいなさ、まぁ大日本人みたいなもんか。正式に出展されたわけじゃなくて、
オルタネイティブ部門みたいなので、ようはネクロマンティックみたいなのでも個
性があるっつって選考されるような枠に選ばれただけなのに「カンヌ」って名前だ
けで人々が勘違いするわけ。

で、誰もディティール見ないんで勘違いしたまま、みんな「カンヌ正式出展作品」
だと思い込んだりしてるわけ。アホだなぁーって思うね。マジで。まぁーでもあれ
かねーやっぱ客観的に見てもCosmosみたいなのが賞を取るアワードって何?って思
っちゃうのは分かるけどねぇー。スーパーデラックスってさ、俺がまぐれでアート
リンゼイライブの時にDJした思い出の場所なんだけど、あんときのDJはヒドかっ
たな。

選曲はいいんだけどミックスがヒドかった。イカに現場慣れしてないかっつーね。
あと10分ぐらいある曲かけちゃったもんだから、勝手に客が飽きてるって思い込ん
で、いきなり別の曲かぶせてミックスしたりとか、ようは精神病的強迫観念すらも
ミックスに影響してたりしたんだけど、まぁーでも楽しかったなぁー。

なんつーか「選曲良いですね」って言ってくれたお客さんが何人かいてさ、人との
係わり合いも悪くないなぁーっつかさ、あの時の経験がある一つの決定的な認識を
与えてくれたんだよね。

ようは独りよがりでやってるようなオナニー音楽をやっているのなら評価なんて
求めないっていう、ようは人に「良い」って言われたいっつーか人と何かをシェア
できるようなものを作りたいんだったら、俺は音楽を作るなんて諦めるべきだって
思ったわけね。だから俺は前者を選んでいるわけだけどっつーか選んでるっつーか
前者しか選択肢が無かったんだけどね。人と何かをシェアできるような音楽なんて
俺には作れるわけがないから。

そんな意味でもウォール伝は明らかに前者的な態度でやってるんで、そもそもアワ
ード的な概念と繋がりがあるわけないんだよね。やってるっていうよりかは勝手に
出力したものをネットに乗っけてるだけだからね。やってるって概念すらない。た
だ今回やっぱ嬉しかったのは、こんなブログでも推薦してくれる人がいたっていう
ことと、何よりこんなブログエントリー主催側が許してるってことだよね。

まぁ逆を言えばこんなブログエントリーを許してるから社会的な認知が得られな
いのかもしれないけど、まぁそんなもんクソ食らえでいいと思うけどね。まぁただ
他のエントリーは大半がまともな人が書いてるちゃんとしたブログばっかりだった
んで、まぁ俺のブログはネクロマンティック的な役割を果たせれば十分なんじゃな
いかと。

「幅の広いアワードですわね」っていう。でもあれだね、過去にはきっこさんとか
選ばれていたらしいけど、他のも色々見てみてもなんつーか社会的に見れば「反道
徳的」なものも含まれるわけで、ようはエントリーの傾向が左翼じみているとかさ、
そんな批判も聞こえてきそうだけどいいんじゃないかと。

当たり障りの無いメジャーブログ選出したところで面白くもなんともないからね。
まぁこのアワードを擁護するわけじゃないけど、ブログって極めて個人的な考えと
か経験を出力できる凄まじくインディビジュアル媒体なわけじゃない?これは逆
にメディアじゃありえないことなわけだ。

そういった媒体キャラクターを利用してアメリカなんかではブログソーシャル
クリティーク的なことをしていたりっていう、ようは社会へのコミットメントとい
うか人への影響力があるようなブログもあるわけじゃん?それがまぁアルファブロ
ガーの書くブログということなんだろうけど、日本ってこういうの少ないと思うん
だよね。俺がアルファブロガーだとはとても思えないけど、ただなんつーかせっか
くネットっていうセンサーシップのない媒体があるわけだからさ、もっと個々が色
々なことガンガン書いていくべきだよね。

色々な意見があっていいわけだけど、そこで議論が生まれればもうそれだけで価値
があると思うんだよね。とりあえず色々なことをネットを使って語りつくすってい
うね、そういうことが出来るわけだから、個々がどんなトピックでもいいからガン
ガンやっていくべきだよね。それこそメディアじゃ放送できないようなこともブロ
グならいくらでも書けるわけだからさ、ガンガン書いていかないと。

それこそWilliam F. OgburnのCulture lagじゃないけど、日本ってテクノロジーの発
達が凄まじい割に、ノンマテリアルカルチャーの部分がテクノロジー進歩につい
ていってない感じがするんだよね。

ようは人間側とか社会システム側がテクノロジーを活かしきれてないっていうか、
テクノロジーありきの社会構造みたいなのを提唱できてないっつーか、本当はテク
ノロジーの進歩なんて社会自体を変えてしまうような可能性があるわけだけど、イ
マイチ日本ってのはこういうところに鈍感なような気がするね。

そういう意味だとアメリカは割とこういうところにケイパブルなのかもしれないね。
だからさっき書いたようなアルファブロガーみたいな存在が出てきたりyoutubeだとか
googleだとか、それこそ社会的に影響があるようなものがガンガン出てくるし、ユ
ーザーも使い方に多様性があるんだよね。でも日本って使い方に多様性が無いんだ
よね。ホント、個人的な欲求を満たす目的だけに使われている気がする。

具体的な例が無くてアレだけど、言ってること分かるでしょ?やっぱいつまで経っ
てもアメリカの後追いじゃダメなんだから、やっぱ民度上げていかないとダメだと
思うわけね。まぁ一概には言えないけど、経済とか文化とか教育レベルではアメ
リカとの大差はそこまで極端じゃないんだから、国民のあり方によっては、それこ
そアメリカから独立できるわけよ。でも独立しないのってさ、まぁ色々と政治的な
こととか経済的なこととかがあるにしても、やっぱ民度が低いんじゃダメだよね。

少なくとも俺がアメリカに来てこっちはレベルが高いって思うこと自体がアウトで
しょ。それってアメリカレベルが格別高いわけじゃなくて、日本レベルが低い
ってことなんだからさ、そりゃマズイよね。あーまた話が拡散バズーカーしてきた。

あ、んでね、今はもう夜なんだけどっつーか今日社会学先生がなぜか来なくて、
みんな帰っちゃったのね。っつーかこっちでは15分経ってもプロフェッサーが来な
い場合は授業は無しってことらしいんだけどっつーか

まぁそんなのが一般的なのかどうかは分からないけどさ、ただなんつーか生徒が独
自に当日の出席票を作って後日先生に渡すとかさ、なんつーか15分経ったからもう
次行こうってああいうクイックなディシジョンメイキングはさすがだなって思った
ね。日本だったら生徒がざわざわしててみんな座ってるだけだろうなって思ったも
ん。こういう差を見るとアメリカ凄いなって思うのと同時に日本レベル低いなって
思っちゃうわけだけどっつーかまぁ安易な一般化はできないけどさ、これってもう
モノの考え方の差なのかなって気もするけどね。

日本は周りの様子を見て慎重で、アメリカではとっとと独自に決断して次行っちゃ
うっていう。周りの様子を見て慎重でっつーとポジティブだけど、まぁ頭使わない
ってことでしょ。周りに流されてばっかっていう。普段から思考力が鍛えられて無
いからすげー流動的なの。すべての行動が。これって個々がどうのってより、もう
社会の特徴っつーかさ、社会によって個々の人格とか考え方とか習慣ってのがカス
タマイズされるから、そういったアホアホな行動パターンってのが社会によって作
られている部分もあると思うんだよね。

それは言語と一緒でアホアホなパターンが身につきやすい日本社会に生まれた人で
も、アメリカとか他の国で育てばその国らしい人間に育つっていう、ようは日本人の
DNAとか性格がどうのって話じゃなくて、社会の話なんだよね。ってことでこの話
題の流れから行くとやっぱ話が教育になるわけだけど、まぁそれは前に散々書いた
からいいや。

っつーかオナニーしたいんだよね。帰ってきてからメシ作ってさ、で、アルファブ
ロガーにメールしてこれ書いて今に至るわけだけど、オナニーが無いわけよ。外に
出ると色々なインフォメーションが頭に刷り込まれるからズリネタも増えるでしょ。
俺の眼鏡ってそういう意味だと妄人メガネなわけだけど、妄人と違って俺は自分自
身で妄想ネタを色々と収集してこれるから便利だよね。

あ、そうそう。今後はあれなのかな、書くたびにケツに「クリックお願いします」
みたいな、よくブログにあるさ、ブログランキングとかの投票のあれあるじゃん?
あれのテンプレートみたいなのをペーストするべきなのかな?まぁ一ヶ月ぐらいだ
しいいかな。俺的には読んでいる人に投票を求めるなんて反革命的だなーって思う
んだけど、やらないってのもアレだから、とりあえず投票ページのURLだけ書いて
おくね。

https://www.sixapart.jp/inquiry/alphablogger/alpha_vote.html

あと選挙期間内は政治家みたいに一時的な注目を集めるためにセンセーショナルな
ことを毎日書き連ねていくべきなのかな?で、ベストなんたらに選ばれたあかつき
にはとっておきの音源をアップしちゃいますよみたいな、特典つけるとかね。ファ
ンキーキンキーアップするとか。

まぁいいや。このことは忘れよう。無駄に期待するとダメだったときに残念だし最
終試験まであと二ヶ月切ったしブログどころじゃないんだよね。過剰にブログに注
意をフォーカスするのも嫌だし、そういったことをすると俺の中の革命度が下がっ
ていきそうだからやめたほうがいいよね。ってことで今までどおり時間があるとき
に更新していきますので投票ヨロシク。っていう落ちはどう?って感じで落ちを書
いたりさ、投票ヨロシク(結局、頼むんかーい!)とか一人ノリ突っ込みするとか
ってよく文章であるけど、最近アメリカでも一人ノリツッコミ存在することに
お笑い普遍的な価値を見出しましたね。

生成文法ならぬ生成ユーモアみたいなのが人間にはあるのかもしれないね。ユーモ
アといえば今日学校の手前ぐらいでマサさんの波が来たんで、テスト今日じゃ
なくて良かったかも。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん