はてなキーワード: 斎藤とは
111 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/10/22(木) 13:57:48 ID:zMI2zd+y0
今回の郵政社長人事を批判してる奴は天下りの何が悪いのかわかってないよな
例えば昨年の日銀総裁人事で民主党に拒否された武藤敏郎、田波耕治の2人は
武藤は日銀の副総裁を5年務めた事もあって経験・調整力・判断力を市場からも高く評価されていた
田波は大蔵省時代から組織運営能力の高さに定評があり国内外の金融機関に膨大な人脈を誇る
いずれも官僚時代の経験・知識・人脈に裏打ちされたポストにつくという典型的な天下りの構図だ
当然許される事ではない
それに対して今回の斎藤さんは同じく元大蔵事務次官ではあっても
民間の金融機関にも運輸宅配系の会社に携わったこともないいわば素人
今回抜擢されたのも政権交代の論功行賞と小沢さんと親密という人間関係によるものであって
したがって天下り批判には当たらないしダブスタとか言ってる奴は頭がおかしい
160 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/10/22(木) 15:55:34 ID:zMI2zd+y0
>>153
事務次官時代は細川連立内閣最大の実力者であった小沢さん、市川さんだけに根回しをし
他の政治家はおろか大蔵省内の意見すら無視するという独創的な手法で剛腕と呼ばれた人
国民福祉税こそ失敗したけど
国際貢献税として景気がどんどん悪化する中での法人税増税には成功しているし
ノーパンしゃぶしゃぶ、住専処理などの不祥事が発覚すると電撃辞任して後任の篠沢次官に責任をなすりつけるのに成功
おかげで篠沢次官が退職金を全額辞退したのに対して斎藤さんは全額受け取ることに成功した
こういう経緯のため財務官僚はおろか小沢さん以外の政治家にも人脈はほとんどないし
この人が退官するときには退職金を払うなって国会で揉めたぐらいなので記憶力のある国民は大抵この人を嫌ってるけど
これ以上ない素晴らしい人事だよ
http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き
弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。 しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界 と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」というこ と、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野 氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを 容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続 けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含しレイに 抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。 ラストでアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、 彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの 胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後 戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・ なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤 独に耐えかねて泣いているんです。 私はここに最高のユーモアとカタルシスを感じました。こんなに見事な ラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメント を見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。 自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督 が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショッ クを受けてああいったラストにしたのかな(^^;? 無責任な憶測ですけど
あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世 界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけ でなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。 希望はアスカの手,シンジの涙。 そして,『会いたい』という気持ち。
ラストシーンは絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほ んの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩 のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶 望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかも しれない。
ひとつだけ考えられるのは、シンジが物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの かも知れない。 でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって ないんだな…」と思っちゃったとか。
寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人 を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてない から、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラス トシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっち ゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)。
嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。
ラストシーンのアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められな がらもシンジの頬をなでる。 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波 レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に 横たわっているアスカがレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく 包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、 シンジの頬に触れる行為も。 しかし、彼女の最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これ は“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、 さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるの か分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。ま あ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただ しゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん 自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母 性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変 わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意 味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラ ストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼 らなりに成長していくのでしょう。
「不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた 記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感 覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、 とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
シンジとアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も 愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来 てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手 を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、そ の憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いと つぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れて も、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見え ました。 One more final: I need you. もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあ なたが必要である』でした。 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生 きてるんですから。 愛よりも深く。 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、 そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラスト でした。
シンジの内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの 赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さ い。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思え ないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」 これらのセリフは作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人 生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけ れど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた 「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだ というのが僕の理解です。 そうすれば、ラストでシンジがアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で 「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。 現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
オタクの依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタクの依存の代表になっ てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアとニュータイプを指さす少女) 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B) 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想のエヴァを作り上げて固執する。虚 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無 論、綾波やアスカの一部ファンにも言える。 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人 間は嫌悪する現実をファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたが アスカのシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、 頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので 集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる 「こ」の自分を認識し他の存在シンジを認識し 「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在 することを知覚し認識して噛みしめていると感じました。 いやぁすっかりアスカが主役でしたね。 ここまでアスカの映画になってくれるとは 嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。 とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、 一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。 <終劇>
自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。 DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお 湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象 して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで しょう?
シンジはアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する "ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。 そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画でアスカがシンジを否定したのは (自分の勝手な解釈ですが・・) 「シンジがアスカの事を、好きで求めているのではないのを、 アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、 最後に’気持ち悪い’とまで言った」 好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、 シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く 見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。 アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しく ない気が・・・。
また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカ の様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、 これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場 した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの 中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと 私は感じました。 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていた レイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつある ことについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、 ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えた のですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。 あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。 実はその前にシンジがアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作ると いう一連のシーンがあったのである。 しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってし まっていた。(偽りの復活) そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手を のばす。 しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を 撫ぜる。 嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。 更にアスカは言う。 「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」 そうあのシーンは「クララが歩いた」パターンの感動的なラストシーンなの である。 しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシー ンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。 だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット・ 台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。 (笑)
シンジ・監督、アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンは また違った見方が出来ますね。 現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督の真心。 アスカが無反応だったら悲惨ですね。 それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
シンジ・観客、 アスカ・監督ではどうでしょうか? シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。 謎もあまり解明されてないし~ そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識 の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子の意見がありました(苦笑) 2:あのセリフはみやむーちゃんのアドリブ説 庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名 3:怪我のために気分が悪い説 右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです (経験者談) 4:2日目説 ・・・・・・(^^;)・・・・・・ 5:観劇してる人へのメッセージ説 ・・・・・・
「きもちわるい」。 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか? でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。 だけれど、生きている。 それでも、生きている。 生きていなければならない。 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによ る統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃ ないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一 元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平 和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、 人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側 の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼー レの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成 長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙 示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」に は、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや 悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタ ルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の 台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということで ああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見た くないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだ と感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、 「アスカ自身が女になった」 「シンジにとってアスカが女になった」 という二つの意味を同時に持っていると思います。 「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、 触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠のイメージを出す効果、 それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が 表現されていたように捉えられました。
最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系の神話 洪水で生き残った 兄妹の話(日本のイザナギ、イザナミの話でもこういう始まりのものもあります) の方を連想しました。 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。 私はシンジと一線を引くセリフと取りました。 (ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・) この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないの かな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。 とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。
気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという 意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。 ラストのセリフは、生々しい接触も含めてアスカがシンジを受け入れ始める、 という言葉ではないのか、と思うのですが。 少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。 庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。 ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、 おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、 ファンに対して文句を言ったんだと思います。
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身 をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムとエヴァが 禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体 を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。 ・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムとエヴァなのですね。 自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じ こもって出ることができなかった)シンジとアスカだけは結局補完されることなく、 荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカはシンジを拒絶するかもしれな い・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きな ジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落とし ちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡 単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わ ってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこ で、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示 して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、 ONE MORE FINAL なんだとおもいます。)
補完中にシンジはアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。 彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。 そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。 理解不能ですからね。 それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。 「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、 これっぽっちも示されないのに。 根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。 単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。 (この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?) 目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。 そりゃ、あたりまえです。 自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、 現実に厳然と、そこにいるわけですから。 ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。 「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。 なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、 彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。 苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。 シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で 「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、 彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで 息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。 「詩編 The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、 「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に 通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、 (目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのです が。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあ ったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、てい う訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉し くて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出 て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思っ たのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあと のアスカのセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチ みたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)
TVシリーズを見る限り、アスカはシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだ けど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったこと がしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジの腑抜けさに我 慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァのパイロットとしての ライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。 シンジの方は、ミサトさんもレイもアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、 考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中 で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・ ・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのため に現世に戻ったのですから。 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じ もしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」と いうことであれば、先がどうなるかは・・・
しかし、あのラストは必然とはいえ悲しい物がありましたね。 アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であ り、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれども あそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。 少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」 というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在 を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。 月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、 もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、 見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、 こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、 エヴァ=庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・ そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって 事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言 ではないだろうか。
私はあのラストシーンは 「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、 全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになった シンジ君」に成長した、と言う風に考えています。 「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい 時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、 とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは 現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。 (日常性を出したと言った方がいいかもしれません。) まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。 私はいい出来だったと思ってます。
アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。 敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
シンジが心象世界とラストシーンでアスカを求めて首を締める シーンはレイプのメタファーじゃないかという意見がありました。 確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんで すよね。
そしてラストの台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も) に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世 界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカがシンジを好きだ とは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、 目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、 我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジがアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴で しょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると
三沢さんが逝ってしまった。
悲しいが、プロレスラーとして本望だったのかなと思う。
まだ若すぎる死に信じられないという気持ちが大きいが・・・。
しかし、対戦相手だった斎藤選手を責めるような似非ファンにがっかりした。
肉体と肉体がぶつかり合って己の力を競う場で「若手と年配では違う、使い分けできないのはレスラー失格」やら
「プロレスの中でプロレスを忘れた。若気の至りで済まされるのか?」やらと、
やたら血が上ってるだけの感情論が凄くファンとして情けなく感じる。
若手も年配も危険である事は変わらんという簡単な事すら理解できないのか・・・。
レスラーたちは常に危ない橋渡ってやってきてるんだと。
三沢さんが逝ってしまったのは、昔から見てきた一人のファンとして悔しい。
俺が三沢さんを見始めたのは1990年からだからファンとしては若輩だろう。
それでも悔しい。まだまだこれからの活躍を期待していた。
自分の対戦中に倒れ、そのまま逝ってしまったら・・・言葉にならないほど悔やむだろう。
それを誰かが責めるという事はできない。
プロレスってのが何であるかを理解できていれば責めるのはお門違いだと気づくはず。
三沢さんのファンである人たちが今するべきことは、斎藤選手を咎める事じゃない。
三沢さんの冥福を祈る事、そして三沢さんを忘れない事じゃないだろうか。
俺はそう思う。
出てるよ!斎藤ちわわだよ!!!
「海賊」といえばこんな感じだな。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090117/stt0901170020000-n1.htm
■先日(1月10日)、産経新聞主催で開かれた全国学生論文大会・土光杯のトリテキ(テープ起こし)に動員された。22日の新聞に、優秀作品の要旨が載るので、詳しくはそちらを見ていただくとして、ちょっと印象に残ったのが賞外の「地方議員となって地域から日本をかえる」という内容の論文を発表した池田裕文さん(東北文化学園大2年)。質疑応答タイムで、弊社の斎藤勉編集局長に「今の国会議員で誰が好きですか?」ときかれて、「麻生首相」と答えていた。
斎藤「なんで?」
池田「今までのようにただ座って人の話を聞いている首相より、批判されようと、こうしてみようか、ああしてみようかと、ちょっと意見が出せるところが憧れ」
■ 尊敬する政治家、優秀な政治家ではなくて、好きな政治家は?という問いがでてしまうあたり、そうか、政治家って人気商売なんだ、とあらためて思った。そう、選挙で誰を支持するか、というのは結局、好きか嫌いか、印象なのだ。だから、内閣支持率2割をきった麻生首相が歴代の首相に比してどれだけ劣っているか、といえば、理由をあげて、きちんと説明できる人は少ない。単に印象が悪い、というだけ。
■小泉純一郎元首相は、産経新聞・FNN合同世論調査では、麻生氏より上位の人気を誇る政治家。でも、考えてみれば、今、麻生政権の対応が遅い、不足していると野党から批判を受けている派遣切りや雇用対策の問題は、2004年の小泉政権時代の労働者派遣法改正がねっこにある。あのとき、派遣労働が新しい雇用スタイルなのだと、これぞ構造改革なのだという主張に、世論も納得したはずだった、よね。当時、日本にいなかった私はあまり、当時の世論の動向を把握していないのだけれど、そう聞いている。でも今、あのときの労働者派遣法改正を批判する人は結構多くて、舛添厚生労働相は派遣法の見直しを主張している。
■というわけで、政策がいいか悪いかは、実は首相や内閣の人気にはあまり関係ないようだ。私のまわりには、派遣法改正も郵政民営化も結果的には失敗だった、と思っている人が多いが、小泉さんは好きだという人も多い。やっぱり、海外の政治家と比べても見劣りしない、不思議なかっこよさがあった、と感じている。これも印象。
■そもそも政策の善し悪しなんて、一週間や二週間ではわからない。何カ月後か、何年後か。結果が出ているころには政権がかわっていることも。麻生政権が打ち出す経済・景気対策については、定額給付金がやり玉に挙がっているが、逆に言うと定額給付金以外は、ケチのつけどころがみつかっていない、ということかもしれない。
これほんとのやりとりなんだろか。
池田「今までのようにただ座って人の話を聞いている首相より、批判されようと、こうしてみようか、ああしてみようかと、ちょっと意見が出せるところが憧れ」
「漢字が読めないから」という理由で首相に悪印象を抱かない学生をいぶかしがる新聞社のお偉方。もしくは茶化すような口調だったのかも知れないな(活字からはその場の雰囲気は伝わってこないので)。彼女なりに政治家の評価を見定めようとしているのに「でも漢字読めないよw?」と茶々を入れているシチュエーションを想像して吐き気がした。お前らよく「若者の政治離れがどーたらこーたら」と偉そうなこと言えるよな、と。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%B0%8F
斎藤氏が沼津という土地に移り住んだことには、ローマが東へと貿易を求めてきたことにルーツがあるので、学術的にみても、天皇家側との婚姻関係もあり、沼津の商家が本家であるので掲載の必要があり、関連がないと間違われることのないようにお願い致します。とくに、大衆に知らせる必要性があり、「ビートルズ」や他アーティストとの関連性があるためです。 --斎藤ローマよしあ 2008年6月19日 (木) 01:59 (UTC)
えーと・・・斎藤ローマよしあさんに色々と聞きたい点があるのですが・・・。
- 「ローマから貿易と日本国の建設のために渡来した」とする論拠の史料は何ですか?
- 「斎藤」の姓を使用するのに何(あるいは誰)の許可が要るのでしょうか? 斎藤氏の始まりは、藤原利仁の子・叙用が斎宮頭に任じられたことがきっかけで、「斎宮頭の藤原」、すなわち「斎藤」になったとされているようですが([1]、[2])・・・。
- 斎藤家とスキピオ家を関連付ける論拠となる史料は何ですか?
- 「天皇家側との婚姻関係」とありますが、具体的に誰が、天皇家の誰と婚姻したのですか?
- 「ビートルズや他アーティスト」とどういう関連性があるのですか?
- Wikipediaの方針文書はお読みされたのでしょうか? 「大衆に知らせる必要性があり」とありますが、ウィキペディアは宣伝をする場所ではありませんし、信頼できる情報源により検証可能であることが求められますし、世間に未発表の「独自研究」を載せてはならないという方針がありますが・・・。
以上の点、お答え下さい。--松茸 2008年6月19日 (木) 04:44 (UTC)
第一の重要な発言の証拠としては、私は、沼津の本家の斎藤の娘です。 1.現在の史料文献は今だにございませんが、斎藤家は、イタリア語で「SAIO」「ITO」という言葉がありますように、イタリアが当時使用していた言葉が名前です。とくに、世界史のローマに関する史料をみていただければ、すぐに発見できます。現在、イタリアにもSAITOという言葉を名前に取り入れられている方々が数多くみられるようです。 これは、藤原氏の言語が「WA」という言葉にみられますように、イタリアでは、外来語である「W」が使用されているだけではなく、「FU」という日本語がラテン語にないことでも簡単に判別できます。それは、フランス語やドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語、英語における人名などにおける解釈において、単純にラテン語で完全に構成されている違いからも明らかです。それは、日本語の「あいうえお」の母音式教育にみることができます。 2.なぜ、藤原氏が「斎宮」に任じられたのでしょうか?「宮」という言葉は、中国語で「宮殿」の意味で、藤原氏は中国系ではないはずなので、どちらかといえば、漢字教育を広めた天皇家、つまり藤原氏の敵軍にあたるわけで、藤原氏の「まつりごと」ではありえないはずです。 3.単純に当時のイタリアで権力や海外への影響力が大きかった家で、文化的に判断しても、他の家では考えられないということで判別できます。 4.婚姻に関する資料につきましては詳しくはわかりません。 5.答える必要はありません。 --斎藤ローマよしあ 2008年7月1日 (火) 05:34 (UTC)
その質問にお答えします。 斎藤家の人間ではないものが、文献にあるからと、偽った史料により出自を強制的に変更させることはできません。斎藤家の本家の娘が発言しているのに、それが、史料ではないと話すような人はこの世の中で生きていけるのでしょうか?マスコミの出版物などにおいても、斎藤家本人の発言は証拠であり、誰かのインタビューが文献になかったからといって、ウィキペディアでの「藤原氏」などと偽り、当の藤原氏に迷惑をかけるような行為は許されないものです。斎藤の姓を名乗ることに許可がいるかというのは、ラテン語であり、それは、斎宮が仕事の名前で、神宮の仕事の職の名前を姓にするという行為は歴史上考えられないためです。しかも、斎藤実盛は軍人ですし、軍人が輩出されているということは、歴史上、斎宮職の人間ではないと、常識的に判断できます。もし、その斎藤家の娘の言葉に理屈を述べたいという方がいらっしゃるなら、かなり、精神的におかしい状況になっているので、精神科医にみてもらってください。
何度も申しましたように、末裔でございます。事実、私の家には、曾おじい様は、沼津市三園町自治会館にもかざってある写真がありますように、貴族院時代には、市長のような仕事をしておりました。静岡県の斎藤家の項目にも載ってある資料がありますが、そちらの寺院等には少し訂正すべき点がありましたが、この祖祖父が何よりの証拠となるでしょう。ちなみに、沼津市で有名な人物に、水野家、桜井組などがあります。銀行関連や、音楽関連やテレビなどで目にしたりされたのではないかと思われます。かつての御用邸もそばにあります。おそらく、日本と一切関係ないお方が、勝手に記述を変えてしまっているというような印象ですね。この国の教育制度で、そのことが理解できないとなりますと、大変に問題ですね。 漢字の「斎」の文字の使用に関してですが、この文字は、中国の文献資料にもでておりますように、ローマ・システム関連の文字であることが何よりの証拠でしょう。 斎宮歴史博物館には、きちんと事前にメールして記述が間違っていると伝えてあります。根拠は、以前の記録を参照してください。東京大学にも連絡いたしました。イタリア大使館にはすでに連絡済です。出版を考えていましたが、学術雑誌などには、今後、検討いたします。そのもの出身の言葉による歴史は、学術員の研究より優れているものです。それは、どこの国でもおなじです。それにまだ、異論ああるというのは、インディアンや果てアフリカ人、アボリジニ、ローマ人の歴史を否定するようなものです。逆に、あなたは、どちらの何様なのでしょうか?警察にも連絡してありますよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
まあ、どのくらいの数のルポオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、 その上で全く知らないジャーナリズムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持って る」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、日本のノンフィクションのこと
を紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にルポルタージュを布教する
のではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、財布的に過大な負担を伴う単行本で2000円超えるようなのは避け
たい。
できれば文庫、単行本でもブックオフでよく見かける程度にとどめたい。
あと、いくらジャーナリズム的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
社会派映画好きが「『市民ケーン』は外せない」「『アラバマ物語』ぐらい見とけ」と言っ
ても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
報道知識はいわゆる「噂の真相」的なものを除けば、毎週週刊文春程度は見ている サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「立花隆以前」を濃縮しきっていて、「立花隆以
後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。児玉隆也は手に入らないし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要
最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」
アレって典型的な「記者が考える一般人に受け入れられそうな事件(そうオッサンが思い込
んでいるだけ。実際は著者が暴走しすぎ)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ジャナオタとしてはこの二つは“妄想”として片付けていいと思うんだけど、率直に言っ
てどう?」って。
まあ佐野さんは『巨怪伝─正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫)『カリスマ─中
内功とダイエーの「戦後」』(新潮文庫)が格段に出来がいいのだが、長すぎるんで。
ある種のウヨが持ってる犯人山口二矢への憧憬と、「あーだこーだ言っても要するにロマン
は欠かせないのよ」的なナンバーをはじめとする文春ノンフィクションを彼女に紹介すると
いう意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも沢木耕太郎な
「愚直なヒーロー」を体現する山口二矢 「庶民的なオヤジ」を体現する浅沼稲次郎
の二人をはじめとして、著者好みのキャラを世界にちりばめてしまっているのが、紹介して
みたい理由。
たぶんこれを読んだ彼女は「魚住昭だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いと
いえば狙い。
この系譜の作品が何故か読売批判に繋がったこと、これが何故か日本推理作家協会賞を受賞
したこと、本当ならデヴィ夫人批判に繋がって、さっさと退場してもいいのに日本国内でそういった動
きがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりスピリチュアルとか怪しいよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『カ
ルト資本主義』(斎藤貴男:文春文庫)でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、
この作品における福本さんのスタンスが好きだから。
怪しいところに自ら入り込んでそれで結局ばっさり斬る、っていう行為が、どうしても俺の
心をつかんでしまうのは、その「人を信じる」ということへの諦めきれなさがいかにもこの
人だなあと思えてしまうから。
精神世界や自己啓発批判についての第一人者だしだからこそこの本に信憑性があるとは思う
けれど、一方でこれが斎藤さんなら罵詈雑言ばかりで題材にする量も半端じゃなくなるし、
『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』(朝日出版社)の森達也さん
だったらきっちり40分のドキュメンタリーにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて一冊の単行本を作ってしまう、というあたり、どうして
も「「人を信じる」ということを諦めきれない一個人」としては、たとえ福本さんがそうい
うキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。
作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で『のだめ』を見たことのない人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹
介してみたい。
音楽という身近でありながら遠く感じてしまう題材をどうやって料理するか。その一つの解
答が本書だと思う。主張に一貫性がないとかエピソードの取捨選択を誤っているなどの批判
も多いのだが、分かっているようで分からない主題にどうやって近づいていくか、そのアプ
ローチの仕方は単純にすごいと思うし、そこらへんを彼女に感じてもらいたくはある。
在日外国人としての「目」あるいはレヴィ・ストロース的な「世界観」をオタとして教えた
い、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない日常を疑ってみる」的な感覚がジャーナリズムには共通してあるのかなという
ことを感じていて、だからこそ在日というか朝鮮半島の問題が竹島をはじめとして今でも話
題に上るのだろうと思う。
「世界の中の日本人」という感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「気分」の源
は在日問題にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に読ん
でもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう現在進行形の重大事件を当事者との近距離にいるというかたちでノンフィクション
化して、それが常識として受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみ
たい。
9本まで決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に奥崎を選んだ。
立花隆から始まって原一男で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、映像ドキュメント時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
ちなみに、あえて当事者による実録ノンフィクションははずした。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
スタパ斎藤氏も絶賛のASSAを買ったら、驚くほどあっさり目が覚めるようになったぞ!
http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/stapa/19357.html
起床時間の30分前から薄ボンヤリ点灯して、それからだんだん明るくなってくるんだけど、その時間帯って眠りが浅いからさ。
日の光を浴びながら草原でうつらうつらしているという幸福な夢をみるわけ。
で、ふと目が覚めると、ASSAに眩しく照らされているわけ。
でも眠気というか不快感はないわけ。
以前は目覚まし時計4個かけてて起きられなかったのに、これはどうしたことだろう。
どうしてもダメって人は試してみるといいぞ。
斎藤は現時点で人となりって程の人となりは出てないと思うよ。自信家の側面はけっこう覗かせてるけど基本的に「優等生」で止まっているしスキャンダルも無い。
そういう奴を「本当に品行方正で今時珍しい素晴らしい人間なんだ」って語る人たちはテレビの向こうに人間を見ていずに、ある意味二次元キャラを見ているんだなぁ、ってのが俺のひとつ前のエントリ。
決して斎藤が裏では黒いとか裏では酷い人間なんだと言いたいわけではないからね。
ただ二次元優等生的なキャラクターで止まってるわけないだろう?そんな漫画的優等生像を今の時代にリアルな人間に見出すのっておかしくね?って話。
松井に対しては裏で真っ黒だろって思ってる。
ごめん、マジレスでそこまで考えてなかった。
たまたま適当にネット見て回ってたら斎藤を「今の時代に存在してるのが不思議な位の好青年だ」とか言う主張を見つけてその勢いで書いた。
松井に対してもそういう主張をしている人を見かけるから名前を付けたしておいた。
話を広げるとすると
彼らみたいな人たちこそが斎藤のような若者を苦しめて斎藤のようじゃない若者を不快にさせるんじゃないだろうか。
とかそんな感じになるのかな。
松井なんかはむしろそのイメージを徹底利用しようって(俺から見るといやらしい)意識が感じられるしスポーツ選手の理想化を否定も出来ないけどな。
と、この文章を書いているうちに気付いたけど彼らの世代だとそれが自然なのか。要するに長嶋を絶対神的に崇めてた(人たちの多い)世代だもんね。
彼らにとってのスポーツ選手ってのは例えば漫画の中の理想化されたヒーローと同じような意味を持つってことか。
ってのも単純化し過ぎなんだろうけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070628174300
教育学部だったら教職系科目も自然にとりやすいのかなぁとか思ったり。
しかしまぁ、高校野球を見ると西日本の学校を応援してしまう関西人の自分としては、
春のセンバツで、岡山の学校が延長引き分け再試合の末早実に負けた時、
アナウンサーが結局は斎藤を初めとした早実に肩入れしているように思えて仕方が無かったし、
そして、今になって思えば斎藤をある種プロデュースしていたのか?とも。
これはその前の年の慶應高校の時も同様に思った。(そのときの選手で斎藤のようなのは今居ないが)
アナもさることながら応援に来ている応援団があと一人コールなんてやりだすんだから・・・
アマチュアの試合だぞと。
わにとかげぎすの3巻が出た。
知らない人の為に説明すると、わにとかげぎすは32歳で夜間警備員をしている主人公富岡が、深夜、ビルの屋上で流れ星に「友達を……友達を下さい」と希うところから始まるマンガである。作者は稲中の古谷実。
この紹介で分かるとおり、富岡はコミュニケーション能力の低い、世間から隔絶された人間として描かれている。富岡自身もそう言う認識を持っている。
「コミュニケーション能力は高いけれども、それを使いこなせていない人間」
に見えるのだ。
それを一番感じたのが3巻の斎藤との出会いのエピソードだった。
諸々の理由により失業した富岡は、再就職先の同僚として斎藤と言う男に出会う。
この時富岡は始めは敬語なのだが、あるタイミングを境にタメ語に変わる。
説明が難しいのでその会話の一部を抜粋する。
斎「……あいつ浮気してんだぜ」
富「え?」
斎「こないだ酔っぱらって『生まれて初めて顔射した』って浮かれてたよ……黒田さんとつきあってるのみんなにバレてないと思ってるんだ」
富「あの~…」
富「ガンシャって………何ですか?」
(中略)
富「いえ…持ってません…」
斎「もしかしてさ……今時ケーータイですら持ってない人?」
富「うん……持ってない人……まずい?」
(続く)
僕は始め読んだ時、あまりにも自然だった為この変化に気がつかなかった。
っていうか確かめてみたところ、1巻でも同じようなシーンがあった。
富岡さんはいとも簡単に敬語 → タメ語へと転換しているが、僕にとってはそれがとても難しい。
僕は基本的にほとんどの人と敬語である。この前親戚の子供の相手をするときにも敬語を使ってしまい、親御さんに笑われたくらいである。
僕が何故敬語かというと、それは敬語が最大公約数的にコミュニケーションを取る事ができる会話の作法だからだ。
ぶっちゃけていえば、最も失敗がないからだ。
だがそれは、同時に友好関係にある一線を明確に引く行為でもある。
だから普通の人はどこかのタイミングで敬語からタメ語に変わる。
たぶん、ほとんどの人はこんな敬語からタメ語の転換なんて意識せず、無意識的に出来ているだろう。
今のところ僕は、敬語からタメ語に変わると言うのは一種の意思表示だと考えている。
「私はあなたとならタメ語で話したいです。って言うかできたら気軽に冗談を言い合えるような仲に発展したいです」
っていう感じの。
僕はとにかく意思表示が苦手だから、これである程度納得はできる。
でも、どうもそれだけとも思えない。
なんで自分はこんな当たり前の事が上手くできないんだろうか?