はてなキーワード: 弁別とは
家の軒下に母猫と子猫たちがいついてしまって、結局親族と協力して雄猫と併せて飼うことになった。
3匹のうち2匹は母猫と同じ真っ白な猫で残り一匹が黒い猫。
飼っている雄猫は黒と灰色の鯖トラだから、やはりうちの猫が生ませた子供たちではないかということだった。
子猫に近づこうとすると母猫が威嚇するという。
父猫は子供たちの面倒を見ることはしないでもっぱら母猫が子猫たちといつも一緒にいる。
いつの間にか他所のはちわれ野良子猫が紛れ込んできて、母猫はこの他の猫の子供にも授乳して世話をするようになった。
本能のままに行動する動物の姿を見ていると、やはり人間が知恵や理性で以て男女共同参画とか制度を作ったところで、
子供を育てるのは雌の役割で雄の仕事は種付けなのだなあと今更ながら実感させられる。
一応制度的に餌を提供する義務を負っている人間の男はまだ誠実なほうではないのか。
まあ雄にとってはどんな子供も自分の子供である決定的な証拠はないのだから、自分の資源を犠牲にしてまで子供に投資する気にはならんのだろうな。
人間の男が責任果たさずやり逃げしたがるのもこういう動物的本能から来る自然な行動原理なのかもしれん。
ちょっと驚いたのは、母猫が自分が生んだわけでもない子供にも授乳して実子同然に育てるということ。
自分の遺伝子が入っていない子供でも、赤子なら自然と母性本能が湧いて育てようとするのか。
自分の子供と他人の子供を弁別するだけの個体識別能力を動物は持っているのだろうか、どれぐらい識別できるのか、識別したとして実子とよその子との間に扱いに差は生じるのだろうか。
人間は下手に賢くなった分母性とか父性とかを出し惜しみするようになって、
結果として種族全体としての存続にとってはその知性がマイナスに働いているのかもしれない。
自己所有の資産ではなく、誰かの資産に「住ませてもらっている」場合は
それは自己資産ではないので生活保護の受給対象になるよ。(その代わり、家賃補助は出ない。家賃ゼロの住居に住んでるって解釈だ)
あんたが誰かの家に居候しながら生活保護を受けようとしたら、当然受けられる。河本はそのケースだ。
換金可能な自己資産がある場合は、田舎に住んでて車がなければ生活できない!みたいな場合を除いて、生活保護はムリだ。
逆に、「可処分資産は全部売らなきゃならない」もルールで、柔軟に対処すれば総支給額が減る状況が仮にあったとしても
役所はそれを把握していたら絶対に生活保護は出せない。受給条件上の瑕疵は絶対にハネられる。
役所は融通が利かなかった結果河本の母親に「生活保護を出してしまった」んだよ。柔軟さではなく、お役所仕事の結果だ。
だからよ。
この先「扶養義務制度の強固化」が起きた時に、間違いなく俺ターゲットだろうがっつってんの。
俺はガキ二人作って両方に最高の教育を受けさせると心に決めて生きてんだよ。
ところが、この先年収の上昇が順調に推移した場合、間違いなく俺はシバかれる対象になっちまうだろ。
運が悪いことに順調なんだよこちとら。
何故なら、それは母親の問題だからだ。あのババアがシバかれるなら理解出来る。
生活保護を受給する主体が叩かれるならわかる。しかし、今回バッシングのメインは河本だろ?
それも「扶養義務を果たしていなかった」というところで。国家の財政が悪い以上、この先収入があって扶養をしたくない人間が
危機感を覚えるのは当たり前の話だろうが。
仮に河本が仕送りをしていたところで、それは収入を隠していたババアの問題だろ。
ところが、矢面に立つのはいつだって稼ぎ頭だ。冗談じゃねえよ。
馬鹿が問題を正しく弁別しないまま感情論で叩いてるだろ。この先、扶養義務の強化は確定路線じゃねえか。
アホか。大迷惑だ。
そういう話ではなく。
オッサンが加齢臭をまき散らしながら、何の根拠もなく自分の世代になかったものを「悪」と決めつけて
「若いモンはダメだ」と言ってる姿勢を「そういう風に老いたくない」と元増田は表現してるんだと思うよ。
全く同感だ。俺も、あんたのようなバカな親になりたくはない。
このiPadが「絵本」だったらどう思うかね。iPadで遊べる子なら絵本も読めるだろう。
あるいは、もしかしたら活字も読めるかもしれんね。まぁ、読めるだろうな。
あんたの視線から言えば、これも忍耐力の点からして問題だろう。
とすれば、これは「iPadチルドレン」の問題ではなく、「暇つぶしアイテムを与えられたガキ」の問題だろうよ。
もしくは素敵な理屈づけによって「iPadは大問題!絵本は問題なし!」となるのかもしれんけどな。
「空気清浄器が原因で免疫力が低下しアレルギーになる!」(自分のガキ殺しそうだなこのオッサン…。人の親になる前にアレルギーくらい理解しろよ)
から始まるトンデモ理論。そして、若い世代のものを理解しないマインド。問題を適切に弁別せず、結論へと飛躍するアホ思考。
蒙碌老害のサンプルみたいなもんだろ。つーか、馬鹿は親になるな。
ガキがiPadで遊ぶことより、いい年した人間がアレルギーを全く知らないことがよっぽど心配だよ。
ipadチャイルド(笑)は自分のガキを殺しはしないだろうが、無知はガキくらい楽勝で殺すからな。
ついでに、四つや五つのガキを「長時間黙ってじっとする」ようにしつけるのは、ブン殴らん限りムリだ。
最近すごく思う。それは日本人は「ディベート」と「ディスカッション」の2つのものをまとめて「議論」と読んでしまっている。
で、基本的にネットとかの文脈だとほとんどのその「議論」は「ディベート」のことを指していることが多い。ほとんど「口喧嘩」的な意味合いだ。
2つはどう違うのか。
様々な意見を出しあって、一つの意見を建設するもの 議題例「日本の電力政策はどうするのがよいか」
一つの議題について2つの立場に分かれて意見を戦わせるもの。議題例「日本は原子力を放棄すべきか否か」
長くなるから例は割愛するけど、これを分けるだけで大分ネットの殺伐具合が減ると思うんだ。特にTwitterとか。何か異なった意見を返しただけで人格否定された気になる人とかよくわからないんだけどどんな知的コンプレックス抱えてんだあれ。それはともかく、割とこの2つの弁別をクリアにしていくとその場でなすべきコメントの質が見えてきて多少有意義っすよ。