これはアクセサリーの価値があまりわからない20代喪女の意見なんだけど、
私は男性側?の意見と同じでその人が一生懸命選んでくれたのかもしれないし、プレゼント貰えるだけいいじゃん、文句をわざわざツイッターに書くなんてって思う
でもツイッターだと「要らないものを要らないと言って何が悪い?」って意見が多いのね
アクセサリーだとよくわからないから、たとえとしてもし自分が2回程度食事した男性からシルバニアファミリーをプレゼントされたら?って考えてみたけど
アンケートが社内で回ってきた。
年末年始休み終わりに休日出勤をしないか、というアンケートだった。
しかし、私は不参加にした。
いつもだったら参加してたが、自分以外の参加者も居るようだったから、やめた。
年末年始に都心から帰省する家族もいるし、このご時世、接触者は減らすのが吉だ。
アンケートの結果を見ると、自分以外の社員は半日なり一日なり出社するようだった。
なんで、こっちが罪悪感を感じなきゃいけないんだ。
で、何人までとか決めとけよ。
そんなに人がいたらそれは普通の勤務日だろ。
罪悪感を人に感じさせてるってことに気付けよ。
非常に面白かったが、やはり政治学・法学・倫理学という片方の視点からこの問題を論ずるのは限界があるとも思う。
生物学や医学、環境学、自然科学といった視点も取り入れないと包括的な議論はできないし、
さらに本件は人類の農耕史と狩猟の歴史にも関わってくるうえ、仏教・ユダヤ教・ヒンズー・イスラムといった視点も必要になる。
かろうじてホッブスの契約の概念などが出てくるが、これもやはり近代以降の西洋哲学上の定義のひとつにすぎず、
それだけをもって菜食主義を議論するは素材が少なすぎると言わざるを得ない。
人間を中心にすえた議論においては、菜食の可否は議論の俎上にすら登らないのが当然だし、
4歳の娘と産まれて3ヶ月の息子がいる
要らなかったら誰かにあげてー、が出来るのはあげる方も気が楽だしね