義兄がモラハラマンだったけど24時間常にモラハラってわけではなかったよ
「なんで俺の牛乳プリン勝手に食うんだよ」「え?でも2個あったから1個私のかなと思って」「俺が2個食う予定だったんだよ」って嫁を殴りつけて
しばらくして反省するのか「ごめん悪かったよ」って言いながら風呂上がりの嫁の髪をドライヤーで乾かしたりするらしい
躁鬱の波が激しいかんじかな
たとえば遊園地に行ったとき絶叫マシンに乗るかどうかは個人の自由だ。SNSで不快なユーザーの発信を受け取らないようにするのも自由だし、嫌いなテレビ番組を見ないのも自由だ。
嫌なものは、それが法律で義務化されていたり、それをしないことで他者の権利を侵害するのでない限り、しない権利がある。
政治だって同じだ。一定数の人は日本の政治には辟易としている。
国会の会議やマスコミの報道では連日、政策の内容と何ら関係のない政権批判が繰り返されている(これ自体が国民の知る権利を侵害していると思う)。
いい年こいた大人同士が一般企業の会議や取引であればまず相手にされないような幼稚な言動の応酬をしている様を見るのは、気分を害する人がいるのも当然である。
そんなものを真剣にフォローするくらいならば、趣味や仕事に熱を入れようと思うのは自然であるし、当然認められるべきことである。
政治に無関心でいることは当然認められる権利であって、そうすることによって当人が不利益を被ることはあってはならない。よく、
などと嘯く連中がいるが、見当違いも甚だしい。これは「税金から給与を貰っている人は、国民が承認したこと以外に金を費やしてはいけない」というくらい滅茶苦茶な理屈だ。
増田でたまにモラハラに関する記事出てくるけど、モラハラを知らない人たちって、「モラハラする奴は四六時中ひどいモラハラしている」と思ってるんじゃないかな、とブコメとか見てちょっと思う。
まとめ系とかスカっと系とか、目につきやすい記事に出てくるのは「分かりやすいモラハラ」=程度が激しい、「死ね」みたいな分かりやすい暴言が多くて、モラハラ人間が側にいない人からしたら「なんでモラハラする人と結婚するの?」って疑問を抱くと思うんだけど、実際は創作実話みたいな分かりやすいモラハラより、分かりにくかったり、絶対量が少なかったりする(これってモラハラ? という些細な出来事が続くとか、頻度が週に一度とかでとりあえず生活に支障がないとか)モラハラのほうがはるかに多いんじゃないかな。で、それがある閾値を超えたときだけ、はてブやらSNSやらに表出される。
進撃ラベルとかは、ええんか?
ついに歴史改変し出した
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