はてなキーワード: 絶食とは
http://neo.g.hatena.ne.jp/nisemono_san/20111123/p1
出発点は「私たちは一人である」ということだろう。
しかし、そこ(今のインターネットの主流)にあるのは、「私たちは一人である」ということを知らないか、忘れてしまった人々だ。
我々は罪人になった。インターネットは我々にとって自由の大地ではなく収容所となった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/kano/pesimist.html
鹿野の絶食さわぎは、これで一応はおちついたが、収容所側は当然これを一種のレジスタンスとみて、執拗な追及を始めた。鹿野は毎晩のように取調室へ呼び出され、おそくなってバラックに帰って来た。取調べに当ったのは施(シェ)という中国人の上級保安中尉で、自分の功績しか念頭にない男であったため、鹿野の答弁は、はじめから訊問と行きちがった。根まけした施は、さいごに態度を変えて「人間的に話そう」と切り出した。このような場面でさいごに切り出される「人間的に」という言葉は、囚人しか知らない特殊なニュアンスをもっている。それは「これ以上追及しないから、そのかわりわれわれに協力してくれ」という意味である。<協力>とはいうまでもなく、受刑者の動静にかんする情報の提供である。
収容所と化した場所において、罪人の論理と人間の論理は相容れないものとなる。
我々は模範的な囚人になるか、人間として死ぬかの選択肢が与えられる。
ようするに「消えろ」って事です。
しかも経験値が入らないので、「貴様の経験値すらいらねー」と言う事です。
しかもニフラムはアンデッド系の敵に効きやすいという特徴があるので
「死んだ魚みたいな目ぇしてんじゃねーよ」あるいは単に「お前臭すぎ」
といったメッセージがこめられているのかも知れません
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20111124/1322071507
・なんかよくわかんないけどかっこいい
罪人の嘆きや叫びは、たったこれだけですべて消え失せる。防御も抵抗もしようがない。
罪人殺すにゃ正義も理屈もいらぬ。ただはてブがあればいい。twitterがあればいい。2ちゃんで晒せばいい。
それだけで最も雑魚なモヒカンでさえ罪人を殺すことが出来る。
罪人は彼らが気まぐれでニフラムを執行するのを待つだけの存在だ。
その不毛さと恐怖を飲み込めるなら今のまま生きればいいし、それに耐えられないなら我らが匿名教増田派へいらっしゃい・・・。
より徹底した不毛さの代わりに、恐怖からの解放を望むなら、いまのところ増田派はオススメですぜ。
お前食い方が賢くないっていうかなんかおかしいよ
朝ちゃんと食ってもいいだろ
昼がなんで940カロリーもあるの?
品目の脂分とか考えてる?
なんで無意味にご飯完食してるの?
あと
摂取カロリー1930で痩せないなら
そんなの俺の基礎代謝ぐらいだわ
で、一食400とか馬鹿なこと言ってるけど
1200ったら女でも基礎代謝ギリか切ってるわけだけど
見た目を良くしたい?きたなくなるよ
体温は落ちて免疫低下、
肌はガサガサ髪はパサパサ体の各部が悪くなって老化進行みたいな状態になる
綺麗になった奴や健康になった奴なんか皆無だ
普通のまともな本を読んで、書いてある事は守ろうね
ダイエットは「死ぬまでにしたい」とかじゃなくて今日から実行しなよ
減量はどこかに出かけて行ってやることじゃなくて生活だからね
2体重を週二回、月曜日と金曜日に記録する。(毎日とっても意味が無い)
3カロリーブックを1冊買ってその日食った物のカロリーを大雑把にでも記録する。(これは毎日)
4極端な絶食とかはしない。自分の年齢と体重にあったカロリーはきちんと確保し、そこから100か200削る。
5運動する。自転車とか散歩とか。ジムに入会してスタジオプログラムに参加するのが早い。
かんたんでしょ?
クソデブでもないなら無駄な脂肪なんてあって10kgだと思うけど
無理ないやり方で3ヶ月で落とせるよ。
絶食や偏食はしないこと。
実際に、生きるのに最小限ってどの程度あればよいのだろうか考える。
衣・・・肌着7組 Tシャツ1000円、パンツ1000円、靴下500円として17500円。それぞれ30回はいて捨てるとしたら一年に1.7回買い換える計算。29750円/年=2479円/月。
食・・・2000kcal/dayで考える。一ヶ月31日として62000kcalは必要。一番安い食材としてパスタ(乾麺10kg2000円)として62000kcalを満たすためには16.5kgあればカロリーは満たされるという計算。
ウホっ!3300円でお釣り!(乾麺を376kcal/100gとした)
さすがにパスタだけではカラダが持たないだろうから、足りない栄養を考える。
まず必須は塩だろ。でもこれは安い。2kg(100円/1kg)もあれば足りるかな。足すと3500円!
カロリーと塩、あとは水、あとはっていうか水が一番大事かな。
パスタ茹でんとくえないし。
400Lほどでいいかしら?
400Lなんか水道水だったらほぼタダじゃね?トイレ、風呂の水は計算に入れてないけど。
住・・・家賃をとりあえず5万ってしとくか。風呂なしだったらもっと安いんじゃないかな?
トイレはとにかく、風呂は我慢する気になれば大丈夫だと思うな。俺は3日に一度くらいしか入らないでも平気。貧乏な家庭に育った俺の彼女も風呂なしだったって言ってた。
光熱費を電気とガスで各1万もつ買ったとして、2万で住居費は計7万。
2479(衣)+3500(食)+70000(住)=75979円
食住あわせて75979円ありゃなんとか死なないってことだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20100806113719
おれも鬱になったことあるよー。
首つろうとしたよー。
つるって言っても、ドアノブに紐かけて首かけただけだけど。カーテンまとめる紐。
そしたら、視界がだんだんサァーーって、ホワイトノイズな感じで白くなっていったよー。
足が浮かなくても首つれることがわかったよー。
頚動脈を圧迫すればいいんだよー。
脳に血流がいかなくなって、酸素が供給されなくなって、だから死ぬんだ。
あの時はすごく冷静だったよー。
すんだ水のような精神状態だったよー。
ちゃんと準備して計画的だったよー。
首つりしたら排泄物垂れ流しになると聞いたんで、まる2日絶食したよー。
そんでも一応、自分の下にビニール敷いたよー。家の中だからね。
そんな着々と準備をする自分はあほらしいと思ったよー。
けど、準備を進めているときが最も充実した時間だったんだ。
仕事はできないけど、外出もできないけど、これは一生懸命できた。
あれが「フロー」の状態っていうやつだったのかな。
メタボ気味なのをからかいすぎたせいであの人は絶食ダイエットをしようとしているようだ。
いくら歳取ったといっても男の人は一日1500~1800kcalはカロリーを摂取すべき、少なくとも基礎代謝の分は食べないとやせないわ栄養失調になるわ不健康になるわでいいことがないという実体験を交えて話をした。
年下の自分があまりに一生懸命説明しているのが面白かったのかあのひとは終始笑っていたけど本当に心配なんだ。絶食とか。ないわ。
そこから話が弾んで、そのまま周りの人と飲みに行って、やっぱりたくさん話して、いい時間になったから楽しく解散して、駅の方向が一緒だったから帰途についた。東京駅付近の桜並木を指差しながらきれいと笑う。無邪気な顔で笑う。決してかっこよくはない、センスもよくはない、メタボだし、髪型もちょっと変だし。でもそういう無邪気なところも繊細なところもすごくすごくいいと思う。本当に。一緒にいると安心する。緊張したことがない。
もともと趣味が似ていて、あのひとがしばらく遠ざかっていた趣味に関して私が好きだと言ったから話をよくするようになった。またその趣味を再開するらしい。もともと気が合うけれど話がどんどん弾む。気付いたら、本当は違うはずなのに同じ電車に乗ってずっと話していた。最寄の駅につかないでくれとずっと祈っていた。でもそういう時に限って電車は飛ぶように早く見慣れた街にたどりついて私を吐き出してあの人を連れ去ってしまう。また次の日になれば会えるとわかっているけどさびしい。
知ってるんだ。私はあの人をすごく好きなんだ。あの人がどう思っているかは知らない。みんなと話しているときは目を合わせてくれないけれど二人で話しているときはちゃんと合う。その瞳の中には柔らかい光が宿っている。その心のように柔らかく優しくあたたかい光が宿っている。傷つきやすいその光は丁寧にくるまれてなかなか見ることができないけれど、でも知っている。あの人は本当に優しくて、とても頭がよくて、とても繊細な心を持っているということを。
どうかいなくならないでほしい。そばにいてほしい。そしてもっと話してほしい。あなたの話を聞かせてほしい。聞きたい。何重にも隠された心の中を、大切に守っているその思いを、知りたい。あなたを守りたいだなんて、多分笑われるってわかってるけど、本気だよ。好きだ。大好きだ。あなたのことが本当に。願わくば少しは私のことをよく思っていてくれますように。そして心の底から、誰かがあなたのその美しい心を踏みにじったりしませんようにと祈っている。
夜と霧
ヴィクトール・E・フランクル
収容所で集団を対象に精神的ケアをほどこす可能性はきわめて限られていた。これには言葉よりも効果のあるものがあった。模範だ。たとえば居住棟の班長の中に公正な人物がいたが、その毅然とした、見ているだけでも勇気づけられる存在は、ことあるごとに彼の統率下の被収容者に深く広く影響をおよぼしていた。存在、それも模範的存在の直接の影響は、言葉よりも大きいものだ。だが、なんらかの外的根拠を挙げて内的な共感をよびさますときには、言葉も有効だった。わたしは集団に話をし、外的状況を伝えて一居住棟のすべての被収容者に心の準備をさせ、精神的なケアに役立てたことがある。
あれは最悪の日だった。今しがたの点呼で、古い毛布を帯状に切り取ることも(即座にゲートルを作るのによく使った手口だ)、ほんのささいな「窃盗」も、今後すべてサボタージュと見なし、即刻、絞首刑をもって罰せられる、という布告がなされた。さて数日前、飢えかけた被収容者がじゃがいも倉庫に忍びこみ、数キロのジャガイモを盗むという事件が起こった。浸入は露見し、被収容者たちは、「侵入者」が誰か、知っていた。収容所当局は、このことをどこかから聞きおよび、違反者の引渡しを要求してきた。これを拒めば、収容所の全員に一日の絶食を課すという。もちろん、二千五百名の仲間は、ひとりを絞首台にゆだねるよりは断食のほうがましだと判断した。
この断食日の夕方、わたしたちはむき出しの土の床の居住棟にごろごろしていた。気分は最悪だった。ほとんど口をきく者もいない。なにか聞こえるとすれば、とげとげしい言葉だった。そこへ、停電が追い討ちをかけた。悪い雰囲気はここに極まった。居住棟の班長は賢明な男だったが、全員が耳をそばだてるような短い話をした。ここ数日に病死したり自殺したりした仲間のことを語ったのだ。そして、死因はさまざまでも、彼らの死のほんとうの原因は自己放棄だと言い、これについて、そしてどうしたら精神的な崩壊でつぎの犠牲者が出ることを未然に防げるか、少しばかり解説してもらいたいのだが、といって私を指名したのだ。
私は、心理学の視点から解説をしたり、居住棟の仲間に精神医として話をして、いわば医者としての立場から魂を教導するなどとんでもないという気分だった。寒さに凍え、空腹で、ぐったりとし、またいらいらしていた。だが、わたしは力をふりしぼって立ち上がり、このまたとない機会を利用した。なぜなら、今話をすることは、かつてないほど必要だったからだ。
医師、魂を教導する
こうして、わたしは語りはじめた。まず、とらわれのない目には、お先まっ暗だと移ってもしかたない、と言った。また、わたしたちはそれぞれに、自分が生き延びる蓋然性はきわめて低いと予測しているだろう、ともつけ加えた。収容所にはまだ発疹チフスはひろまっていなかったが、生存率は五パーセントと見積もっていた。そして、そのことを人々に告げた。わたしは、にもかかわらずわたし個人としては、希望を捨て、投げやりになる気はない、とも言った。なぜなら、未来のことはだれにもわからないし、つぎの瞬間自分になにが起こるかさえわからないからだ。そして、たとえあしたにも劇的な戦況の展開が起こるとは期待できないとしても、収容所での経験から、すくなくとも個人のレベルでは大きなチャンスは前触れもなくやってくることを、わたしたちはよく知っている。たとえば、とびきり労働条件のいい特別中隊への小規模な移送団に思いがけなく編入されるとか、同じような羨望の的の、被収容者を「幸福」で舞い上がらせるようなことは、いつも突然起こるのだ。
わたしは未来について、またありがたいことに未来は未定だということについて、さらには苦渋に満ちた現在について語ったが、それだけでなく、過去についても語った。過去の喜びと、わたしたちの暗い日々を今なお照らしてくれる過去からの光について語った。わたしは詩人の言葉を引用した。
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」
わたしたちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。そして、わたしたちが経験したことだけでなく、わたしたちがなしたことも、わたしたちが苦しんだことも、すべてはいつでも現実のなかへと救いあげられている。それらもいつかは過去のものになるのだが、まさに過去のなかで、永遠に保存されるのだ。なぜなら、過去で<ある>ことも、一種の<ある>ことであり、おそらくはもっとも確実な<ある>ことなのだ。
そしてわたしは最後に、生きることを意味で満たすさまざまな可能性について語った。わたしは仲間たちに語った。横たわる仲間たちはひっそりと静まり返り、ほとんどぴくりとも動かさなかった。せいぜい、時折かすかにそれとわかるため息が聞こえるだけだった。人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をもふくむのだ、とわたしは語った。そしてこの真っ暗な居住棟でわたしの話に耳をすましている哀れな人々に、ものごとを、わたしたちの状況の深刻さを直視して、なおかつ意気消沈することなく、わたしたちの戦いが楽観を許さないことは戦いの意味や尊さをいささかも貶めるものではないことをしっかりと意識して、勇気をもちつづけてほしい、と言った。わたしたちひとりひとりは、この困難なとき、そして多くにとっては最期の時が近づいている今このとき、だれかの促すようなまなざしに見下ろされている、とわたしは語った。だれかとは、友かもしれないし、妻かもしれない。生者かもしれないし、死者かもしれない。あるいは神かもしれない。そして、わたしたちを見下ろしている者は、失望させないでほしいと、惨めに苦しまないでほしいと、そうではなく誇りをもって苦しみ、死ぬことに目覚めてほしいと願っているのだ、と。
そしてしめくくりとして、犠牲としてのわたしたちについて語った。いずれにしても、そのことに意味はあるのだ、と。犠牲の本質は、政治的理念のための自己犠牲であれ、他者のための自己犠牲であれ、この空しい世界では、一見なにももたらさないという前提のもとになされるところにある、と。もちろん、わたしたちのなかの信仰をもっているものには、それは自明のことだろうし、わたしもそのひとりだ、と。
わたしは、ひとりの仲間について語った。彼は収容所に入ってまもないころ、点と契約を結んだ。つまり、自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願ったのだ。この男にとって、苦しむことも死ぬことも意味のないものではなく、犠牲としてのこよなく深い意味に満たされていた。彼は意味もなく苦しんだり死んだりすることを望まなかった。わたしたちもひとり残らず、意味なく苦しみ、死ぬことは欲しない。この究極の意味をここ、この居住棟で、今、実際には見込みなどまるでない状況で、わたしたちが生きることにあたえるためにこそ、わたしはこうして言葉をしぼりだしているのだ、とわたしは語り納めた。
わたしの努力が報われたことを知ったのは、それからほどなくのことだった。居住棟の梁に電球がひとつともった。そしてわたしは、涙を浮かべてわたしのほうへ、礼を言おうとよろめき寄ってくるぼろぼろの仲間の姿の見たのだ。しかし、この夜のように、苦しみをともにする仲間の心の奥底に触れようとふるい立つだけの精神力をもてたのはごくまれなことで、こうした機会はいくらでもあったのにそれを利用しなかったことを、わたしはここで告白しなければならない。
p.135
anond:20090708030331 への返信ってことでいいんだろうか
原因は仕事。
不安のせいでまた発症
たばこは吸わない
すすめるべきでない
また
欝の時に下手にやめると脳内物質の分泌のバランスが崩れて一気に悪化する危険だってあるのでは
鬱の人はとにかくつらくて早くよくなりたいのだから
極端な療法を薦めるべきじゃあない
89歳になる父親が弱っている。もともとは肺炎だろうが、近所の開業医さんが往診までしてくれて解熱し、痰の量も減った。しかしながら体へのダメージはなかなか回復せず、日に日に食事量が落ちている。
先週、久しぶりに東京へ行く用事があったので寄ってみたが、頬はこけ、声に力もなく、医者である自分じゃなくても死期の近さは感じ取れる。幸か不幸か頭は大丈夫なようで、冗談に反応したり、笑顔を見せたりする。
食事さえ取れればある程度回復するであろうし、今回乗り切ればまた少しは元気になれるだろうから入院したらいいのではないか、と母親に勧めるが、父親は望まないからと自宅療養で過ごしている。たとえ最悪な結果になったとしても看取る覚悟を決めているようだ。否、まだ臨終間際のリアリティがないといったところか・・。
常々、自分は患者さんの家族には、「病気としては安定していて、ただ単に高齢ゆえ食事が取れないだけの状態は、動物として限界なのであり、医療の対象にはならない。」と伝えていた。
しかしながら昨今の状況では、その考えに頭では理解するが、心底納得して覚悟する人は皆無で、大概、中心静脈栄養から胃ろう増設、そして療養型病院へ転院という結果となる。そこで誤嚥性肺炎発症、絶食プラス抗生剤投与、軽快すればまた食事再開で、同じサイクルに突入する。よくある高齢者悪性サイクルだ。それでも本人に意識があればまだ改善を望むが、認知症その他の理由で意思疎通の反応がうすく、家族もまれな来訪になることも多い。一体誰が何のためにやっているのだ、と少しマトモな神経を持った人なら憤りたくなる現状が日本中いたるところにある。
こんな状況をそのまま放置して、よく医療費削減といって真に必要な議論をしないまま論点を進めていくのかさっぱり不明だが、マスコミはじめ外野の声ばかり大きくて、悪者になりそうな議論の先鋒に立つ人も皆無な状況では、あきらめざるを得ない。こうしている今だって、胃ろうが入った人の熱発で呼ばれ、抗生剤投与と経管の中止、補液の指示をしてきたところだ。
世の中の流れに抗えないくせに、それでいて自分の父親は、まだまだ頭がはっきりしていて可逆的な状態にも関わらず、在宅看取りの方向へすすんでいる。たとえ在宅であっても、せめて自分が最後の治療を行い、看取ることができればせめてもの孝行になるのかもしれないが、遠く離れた現状では、近くの先生にお願いするしかない。
正解はわからない。ただ、自分がそういう選択したからといって、他人に強要するようにはならないようにしよう。当事者になってしまうと今後の議論に中立を保てる自信がなくなる・・・・。