はてなキーワード: 大阪弁とは
もう留年が確定して半期遅れての就職になることが決まっている。
就活、何すればいいんだろう。
やりたい仕事なんて思いつかない。
物語を作ったり、文章で人の心を動かしたりは好きだった。
ネットで少しはファンができるぐらいの成果がある。
でも、まともな職につかなくてはいけない。
このご時世、作家なんて職業がろくに食えるものじゃないことは知っている。
じゃあなにを?と思うけど、本当にそれ以外やりたいことが浮かばない。
教えるのがうまいと言われていて、
実際に担当した小学生を全員第二志望以上の私立中学に受からせ、
でも、心の底では子供は勉強なんてしなくていい、遊べと思っている。
中学入試や高校入試で無駄にハイレベルな学校を目指させるのは、
子供の心をすり減らすだけだ。
同級生が心をすり減らしてきたのを目の当たりにして、敵意が消えない。
一日でやめた。
同時に二つ以上のことを理解できなくて、なにをどう運んだかが分からなくなって、
最初に大阪弁で怒鳴り散らした先輩は最後には呆れて「自分、初めてか」と聞いた。
腕が震えて腕をボールペンで突き刺すのに忙しくてしゃべれなかった。
これぐらい平気だろうと思っていてなめていた。甘かった。
働いたことがあるのはそれぐらいだった。
話がそれた。
就活どうするかだ。
たぶん、頭でものを考えたり計画を立てて準備する仕事が向いている。
逆にその場その場で機転を利かせる仕事は絶対に避けるほかない。
でも、自分の性格からして極限まで甘えてギリギリになって就職先が見つからないと思う。
こういう文章を書くだけで何もしない甘えたガキの俺は、十年後に後悔して自殺するだろう。
もういっそブラック企業に身売りして根性叩きなおしてもらった方がいいんだ。
それ以外方法がなくなるまで甘えてしまうだろう。なんで生きているんだ。早く死ねよ。
とりあえずリクナビとかマイナビに身投げしてみよう。大学から帰ったら。
ああもう、小説だけ書ければいいんだ。それ以外は全部余分なんだ。
でも、そういうわけにはいかないんだ。
きっかけは些細なことで、本屋で大阪弁について書かれた本を立ち読みしてたら、大阪出身である著者は若い頃東京の大学に入ったとき東京の言葉が気持ち悪くて全く馴染めなかった、みたいなことが書かれていたこと。「東京の言葉が『標準』で関西弁はじめ地方の言葉は『訛り』」みたいな感覚が当たり前だったから新鮮だったし、興味を惹かれた。
それ以来東京弁という言葉についてなるべく先入観抜きで考えるようになったんだけど、いつの間にか「東京弁ってなんか田舎臭くないか!?」という疑念が膨らんできた。反対に関西弁にはなんだか都会的な雰囲気を感じるようになってきた。
なぜそう感じるのか、その理由について自分なりの仮説を書いてみたい。
関西弁は基本的に、その時代時代の都(平城京とか平安京とか)の言葉が周辺に伝播するかたちで形成されたものだと思われる。当時は大都市というのは首都ぐらいしかない。つまり都市の強い影響の下で形成されてきた唯一の日本語なのではないか。
言葉は常に変化するものだけど、都では代々都市で暮らしている人たちの生活感覚の中から生まれる、都市生活者の感覚にマッチした表現が定着していくし、そうでない表現はすたれていく。たとえば、人口密度の高い都会ではコミュニケーションにトゲがない方が都合がよい。だから言葉のサウンドが柔らかくなる。東日本でいうところの「じゃ」「だ」のような音は関西では子音や濁音が省略されて「や」になっているし、東で「〜っつって(と言って)」「買った」というところを西では「〜ゆうて」「こうた」というように、やはり子音や促音が避けられ、半母音や長母音になる傾向がある。この方が音の響きとして角が取れているし、反対に関東弁や東北弁はゴツゴツしていてがさつな印象を与える。
あと、直截的に表現せず、遠回しに伝えるやり方(「ぶぶ漬け」が実話かどうかはおいといて、ああいう話はその象徴だと思う)が発達するのも同じ理由かも。村上春樹(関西人)が雑誌のインタビューで「関西の人は十言いたいことがあったら五、六ぐらいだけ口にするけど、東京の人はそうじゃないからはじめはびっくりして、なんだここは、とおもった」と言っていた。
で、一旦「東京弁が標準」っていう思い込みがなくなって、「東京弁というのは単なる関東方言のひとつで、言葉それ自体に都市性が含まれてる日本語は関西弁くらいしかない」ぐらいの認識になると、「おめーふざけんじゃねーよ」「これまじすげーじゃん」とかいう東京風の言い回しがやたらダサく田舎臭く聞こえてきて困る。でも東京にしか暮らした事がないから東京弁喋るしかない。
では、世界最大の大都市であった江戸の言葉もなんらかの「都市生活的要素」を含んでるかというと、結果としてそうなったとは思えない。江戸の言葉がそうなったのは、逆説的だけど江戸が世界最大の大都市だったからだと思う。京都が中世の都市なら江戸はまあ近代都市というか、地方から人が流入して人口が爆発的に増えた。つまり、都市生活者が新しい表現を生み出し、その表現が定着して行くよりも遥かに速い勢いで、地方の農村から人が移住して来てめいめいが地元の言葉を持ち込んだので、結果として都市的な性質を獲得する事はなかった。そしてその流れは東京遷都と高度成長でさらに加速された。東北関東甲信越から農家の次男坊三男坊が大挙して上京してきたから。
東京は物質的には巨大都市だけど、言葉の文化でいうと「巨大な農村」なのかなと、そんなことを思うようになった。だから関西人がテレビで無理して東京弁喋ってるの見ると、なんだか妙な気分になる。わざわざそんな田舎臭い言葉、使わなくても。
例えば岩手から大阪に来た人に大阪弁を押し付けた所で岩手の人は大阪弁をいきなり使いこなせない。
かと言って、大阪に来てこちらが内容を理解出来ない/聞き取れないレベルで岩手弁を話されると、
ちょっと待てよとなるし、関西の人間が岩手弁を話すのはもっと斜め上過ぎる。
理解していただけた?
標準語や東京の言葉は発音がややこしくないから他の地方出身の人でも簡単にマスターできるんだが、
関西はなまじ歴史の蓄積があるから言語だけじゃなく発音まで絡んでくるでしょ。
で、他の地方の人に大阪弁を強要して、大阪に来た他の地方の人が適応しようとして大阪弁を使おうとする様が痛々しいんだよ。
意外と参入障壁が高いんだよね。関西弁って。
関西弁を話さない/話せない人を排除してたら関西地方のローカルぶりに拍車がかかっていくだけで。
東京は国策で金とモノが集まるんだから、多少のジャイアニズムを振りかざしても他地方の人は東京に集まらざるを得ない現実がある。
そのぶん、東京は他人に配慮できないDQNが多いけど、それは割り切るしかない。金とモノがどうやっても東京に集まってしまうんだから。
文脈から外れきってる訳ではない。
他の地方から仕事で大阪に転居した人に大阪弁を押し付けるのは亀○一家やト○ーズ雅みたいな風貌をしたデリカシーのない馬鹿。
まあ、どんな環境においても俺らのやり方に染まれ!って言い出すのは大体馬鹿なんだけど。
相手に配慮して標準語を話す関西人と大阪マンセーしてホルホルする関西人の間には知的水準の隔たりが生まれ、
同時に両者からそれぞれ紡ぎだされていく文化水準も異なってくるだけの話だよ。
ホントなんなのこれ?このマンガに登場する女キャラクター達のオタ妄想との親和度ときたらお釈迦様ですら眉をひそめるほど。
・カッコよくてデキル女というキャラで売ってるけど実は方言丸出しで特撮にはまってるデカパイ←ギャップ萌えって奴ね。ギルティ!
・ゲーム大好きで明朗活発、オシャレにも気を使ってる大阪弁←現実なら飯野チックな
・黒髪長髪メガネデカパイやおい大野←ギルティ!ギルティ!ギルティ!ギルティ!ギルティ!ギルティ!ギルティ!ギルティ!ギルティ!!
万事この調子。オタにとって都合のいい女しか出てこない。しかも物語の舞台はゲーム業界。オタにとってはまさに地上の楽園。千年王国。
主人公の男についてはあえて何も言うまい。ただ「いいかげん夢破れたやさぐれ男に感情移入して自慰してんじゃねえよ」とだけ記しておくわ。
書いている内容も共感できるものじゃなかったんだけど(これはいつものこと)
なぜ大阪弁で生徒風なんだw
WEBでも公開されていたので貼ってみる。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2009012902000072.html
はじめてみる方には、これが普通と思われそうなので
古いのも。(1/27,28)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2009012802000072.html
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2009012702000072.html
釣られるけど、元増田の言ってることかなりめちゃくちゃだよ。
標準語がそんなに偉いの?東京に住んでる人だって、もともと田舎もんの集まりじゃない。
そもそも増田がオタオタするんじゃなくて「すみません、私が何かご迷惑をおかけしましたか?
落ち着いて話してくださいませんか?」と穏やかに返せば
おじいさんの怒っている事情も分かったかもしれないじゃないか。
おじいさんにしてみれば、腹立ってるのに余計に腹立つようなことされて、さぞかし不愉快だったろうよ。
地方在住の自分は、怒っている理由を噛み砕いてゆっくり伝える努力はするだろうが、「標準語喋れ」と怒られてるほうが言うのは
筋違いだ。