はてなキーワード: 赤地とは
オリンピックがしれーっとはじまろうとしている。1ヶ月前まではきっとそのうち中止か延期になるんだろうなと思っていたが、どうやらしれーっとはじまりそうだ。
わたしのオリンピックに対する思いは、「延期してほしい」である。生きているうちに自国開催することなんてもうないだろうし、高いお金払って海外に観に行くほどの熱量はスポーツに対してない。ただ、アスリートのすごいパフォーマンスは生でみてみたいと思うし、海外からたくさんお客さんがきて、街がにぎわうのは素敵なことだと思っていたので、ただお祭り好きとして、開催が楽しみだなーと思っていた。
みんなでワイワイ楽しめないオリンピックになんの意味が?アスリートはこの日のために努力を重ねてきたっていうけど、そんなのほかの業種も一緒だよ。
一番納得いかないのは、国と都とJOCの説明である。IOCはやりたいんですね。もうわかった。
①お金的な話
もう機会を逸した感はいなめないが、開催、延期、中止でどれが一番経済的なダメージが少なかったのか。シュミレーションを出した上で、比較検討し、決めてほしかった。
海外からお客さんを呼ばないことで、赤字確定なら、いかに負の遺産を軽くするかが、肝ですよね?ね?
安心安全の基準より、感染者が上回ったら、途中で中止するの?おしえて!菅さん!
③お金の話2
オリンピックをすることで、感染拡大して、結果経済的にマイナスになるのでは??
そのへんのシュミレーションどうなってるの?ちゃんと計算してるんだよね。官僚の人たち。
利権が絡んでいるか知らんけど、結果赤地が膨らむなら、ほんとに中止しないと
なんのためにオリンピックをやるのか?
オリンピックをしたらどうなるのか。
はじめに基準作らないと振り返れないよ!
さいきん、オタクじゃない人も漫画やアニメを見るようになった。そのおかげか、オタクの外見レベルは格段に向上したと思う。
メイクや服などいろんなことに気を遣う人も増えた。母に言わせると、どこにオタクの人がいるの?と街を歩くと言われるくらい。
最近、萌え絵が嫌だとか気持ち悪い。おしゃれじゃない、に近い事も言う人も出てきたとSNSを見ていて思う。
確かにセーラームーンとかピカチュウとかブランドの服とコラボしたりしてくれているおかげで、普段着にも使えるバッグや服、メイク用品が出て見ていて楽しい気分にはなる。
でも言わせてほしい。オタクにとってのオシャレは一般人のオシャレとは違う。
なにがっていうと難しい。どう定義していいか、おしゃれじゃない私がいえるかわからないけど。
あまりにも一般寄りのオシャレになると、オタク心がそそられない。
悪い言い方になると、一般からするとちょっとダサいのがイケていると思うのもオタクなのだ。
だから逆に考えると一般寄りのオシャレにすると、オタクにとってダサくなる。
それなのに、最近はやたらオタクグッズをオシャレにしようという流れが出ている気がするんだ。
萌え絵ばかりあって飽きた、とか別の種類の絵が見たいとかはわかる。
でもオシャレな絵ってなんか違うんだよな。
私の考えが古いだけ?最近の若い子についていけてないだけ?私は精神年齢は幼いけどさ。
私は赤地とか白地とかにピカチュウが浮かび上がっているのは可愛いし、普段使いしてみたいかもと思った。
今日、道を歩いてたらなんかダサいって通りすがりに言われたんだ。流行りおさえた格好にしたんだけど、オタクとしてダサかったのか一般人的にダサかったのか好みじゃなかったのかすらわからん。
本当はコロナで暇になったのでお金はたいて骨格診断してみようかな、って思ってたんだけど、まだいけてない。
資生堂のメイク教室、奮発して行こうと思ったら予約ボタン押せなかった。
一般のメイク教室に行こうと、生まれて初めて調べたけど全部オンライン。
youtube見ながらやってみたけど、youtuberが持っている感覚がまるで伝わらず別のメイクになるだけだった。
話が逸れた。
だからあんまりオシャレを狙うとオタクの需要から外れるじゃんってこと。
最近萌え絵とかに文句を言う一般の人が増えたけど、一般受けデザインにしてオタクの需要を減らしたいのかな?って思ったんだよ。
もちろん、性的な~とか色々思うところはあるんだろうけどさ。
普段何を「見て」いるんですか
似たようなパッケージとはいえ品名しか文字が入ってないし、麦茶が飲みたくなった時に「緑茶」「麦茶」「ほうじ茶」の中から麦茶を選ぶのはそう難しくないと思うんですけど。
今日の夕飯にジューシーな唐揚げを作りたい!って思ってスーパーに行くと大体「国産若鶏むね肉」のすぐ近くに「国産若鶏もも肉」が置いてあると思うんですけど、緑茶と麦茶、50%一致した並びの文字の認識に難がある人は正しく国産若鶏もも肉を買ってジューシーな唐揚げを食べられているんですか。何回かに1回もも肉とむね肉を間違えて買ってきてパサパサした唐揚げを食べてるんですかね。
スーパーに行くと赤地に白文字の牛乳の近くには大体白地に青文字の牛乳が置いてある訳だけど、なにを基準に選んでいるんでしょうか。「いつも買っていない方」の牛乳は脳内でどう処理されてるんでしょう?
デザイン的な問題ではなく、ただ単に文句を言いたいだけなんだろうなあ…
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一般的には明確に違うパッケージデザインになってる商品のパッケージから情報量が減ったことを比べてるあたりをズレてると言われてると思うんですけど(名推理)」
→もともと似たようなパッケージの肉をラベルの文字の差でちゃんと認識出来るなら、パッケージデザインの中で特に重要なのは文字であってその他の部分はシンプルにしても問題ないのでは?→問題ある人はどこで判断してるのか気になったのです
話は変わるけど無印良品もラベルのデザインは統一されてるんですけど商品の色とか質感で判断してるんですかね?(自分はパッケージの文字を最初に見るからわからない)
20歳の頃、黒い服ばかり着ていた。
モノトーンのファッションが流行していたこともあって、黒い服は無難な選択だった。
黒を中心にグレー、白などをあわせて少しおしゃれな大学生を気取っていた。
そんなある日、確か雑誌の表紙だったと思うが、全身黒い服をまとった緒方拳さんの姿を目にした。
黒で統一しながらも、質感の違う黒を見事に組み合わせて着こなす、その姿に私は釘付けになった。
当時、緒方さんは60歳くらいだっただろうか。髪は全体的に白くなっていたが、経験と自信とほんの少しの茶目っ気を感じさせる彼の魅力を最大限に引き出しているのは間違いなくこの黒い服だった。
これだ、と思った。
これこそが自分の目指すべきスタイルだと、私は天啓に打たれたような気持ちになった。
と、同時に思った。
これからずっと死ぬまで黒い服を着続けるのだろうか。それはそれで何かつまらない。
そうだ、黒い服は自分の中の北極星にしておこう。昔の船乗りが道標としたように、自分も道に迷ったときはこの黒い服を思い出したらいい。そして年齢を重ねた頃に戻ってくればいいのだ。
こう考えると、今、黒い服を着ていることがなにやらもったいないようなことをしている気持ちになってきた。どうせいつかは黒い服を着るのだから、今は様々な色合いの服を着たほうがいい。
こうして、私のクローゼットにはベージュやカーキや紺の服が徐々に増えていった。一方、黒い服はどんどん減っていき、やがて一枚もなくなった。
今、私のクローゼットは赤や緑や黄色の服で溢れ返っている。先日は赤地に白のストライプのスキニーパンツを古着屋で買ってしまった。
夜空を見上げても星の姿はどこにもない。
目に入るのは色とりどりのネオンと