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最近は新聞でも目にするようになった「空き寺」「兼務寺院」「後継者不足」が問題として取り上げられているけど、こんなの実はそんなに問題なんじゃないんです。
最も問題なのは、「空き寺」には誰が住職の籍を置いていて、「兼務寺院」は誰が兼務しているのかということと、「後継者不足」なんて実はしていないってことなんです。
宗門大学や大きな寺にはアルバイトの在家出身の僧侶なんて多くいるのに、なんで「後継者がいない」なんて言えるんでしょうか。
この場合の「後継者がいない」という場合の多くは「自分たちの子がいない」という意味だと思っています。
在家出身の僧侶はたくさんいるけど、そういう人たちに後継者として寺を任せたくないのが本音なんです。
というのも前述のように「寺」は「家」で、僧侶の財産になっているので血の繋がっていない知らない人に任せたくないんです。
何故こういうことが言えるかといえば、以下のようなケースが少なくないからです。
「寺なんてやりたくない」という子供が出ていった…バンドで食っていくとか、失敗したときの保険をかけて夢を追えるいい環境です。
だから「在家出身の僧侶」を養子として迎えて後継者として書類を残します。
バンドで食っていけないし、もうまともな職も就けないと悟った30歳児が保険を申請します、つまり「親父…俺が悪かった、俺…僧侶になるよ!」と寺に戻ってきます。
現住職は迎えた次期後継者に対して「養子縁組解消してください」…なんてはっきりと言わないで、寺に火を付けようとした、不真面目で浪費家だと言ったイジメによって追い出しにかかります。
自分から出ていってくれないと書類を残している分、不利だからです。
しかし、折角掴んだチャンスを在家出身の僧侶も安々と手放すこともなく、ほぼほぼ裁判沙汰になります。
回りの寺は在家出身の者より昔からの付き合いで住職の味方に付くので、次期後継者は環境的に出ていかざるを得なくなりますが。
こういう昼ドラの脚本家も恐れ慄くことが繰り広げられているケースは本当に少なくありません。
つまり「後継者不足」=「自分たちの血のつながりのある人がいない」という言葉に置き換えて問題がないと思います。
繰り返しますが、在家出身の僧侶は本当に多いですが、そういう人が幸せに寺に入るケースは極めて稀ですし、ましてや妻帯しないで寺に入るなんて、茅ヶ崎海岸でダイヤモンドを見るけるレベルの話です。
上述のような「子供がいる寺」は、なんとか後継者の問題を仏事ではなく民事的に解決します。
子供がいない寺の場合は、そもそも在家出身の僧侶が呼ばれることはなく、親類の寺が兼務することになります。
兼務なので常駐するわけではないので「空き寺」と呼ばれる状態になります。
さらに「空き寺」の寺宝(文化財という意識がない)を自分の寺に持ち帰って、本当に何もなくなる「廃寺」状態になります。
室町時代の仏画を自慢し始めたかと思えば「これ兼務してる寺のやつやけど、キレイでええやろ?」なんていうことが横行していまして、倫理が欠損しているのも大概なレベルです。
どんなに小さなお寺でもいいので、地方の過疎地域のお寺でも、アイデアで乗り切ろうと考える若手僧侶は存在します。
しかし「檀家」が10件でも、兼務寺院の住職にとっては「固定資産(檀家)」なので、そういう若手僧侶に住職の話はほぼほぼありません。
おかしいですね。本山にとっては「空き寺」が問題のはずなんですけどね。
3ヵ寺を兼務していて「忙しい」という割には、絶対に1ヵ寺も若手や在家出身者に住職権を渡すことはありません。
これを執着と言わずしてなんと言ったらいいのか分かりません。
それは何度も言われていることかもしれません。
言葉は悪いですが、団塊世代が年功序列的にトップになってからカウントダウンが加速したように思います。
権力の偏重が激しく、「寺」が相続されるべき「財産」になっていて、正直悔しい思いが一杯です。
真面目じゃダメなんですよ。世の中も、お寺の世界も。資本がないとスタートラインにも建てないんですよ、世の中も、お寺の世界も。
僕のような丁稚の弱小者は本山にとっては単なる搾取対象でしかありません。
これが仏教なのかと、経典や論書を読んでは枕を濡らす毎日です。
感傷に過ぎましたが、「空き寺」などの問題の根源は、世襲制に基づく寺の「私有財産化」にあると思っています。
追記
極論に過ぎている部分があるので補足しておきます。
もちろんイレギュラー(本来的にはレギュラー)な場合も多くあります。
そもそも「寺」は宗教法人法に則った「法人」なので、多くは代表役員(主に住職)と役員(檀家総代等)で構成されます。
イレギュラーケースとして、代表役員に在家者を置き、従業員として僧を置く場合があります。これは伝統仏教では少ない形態です。
法人運営は在家者が行い、仏事に関しては僧侶が行う、これで何か問題があるのか分かりません。
そもそも代表役員は事務を総理するのであって、僧侶や聖職者である必要はなく、住職という名称と代表役員はイコールではありません。
思うに、会社法のように株主の過半数で取締役などを解任するなどの方法が宗教法人法にはありません。
代表役員として不適格であれば、役員を寺から追い出すくらいの規則が法律によって決まっていてもいいように思います。
本来は宗団内でそれくらいの「律」があれば法律的に定める必要のない問題のない話なんですが、法律にそんなことが決まっていないという主張によって不祥事をしても代表役員に居座ることができるという算段です。
仮に法改正されれば、葬儀や墓地の年間使用料などで私服を肥やしてばかりの代表役員を解任でき、少欲知足でやる気あふれる若手を迎えられる可能性だって出てきます。
在家の人も抑圧された僧侶なども多くの人が助かるwin-winになりそうな気がするんですけど、そもそもそれくらいの自浄作用を宗団が持っていないのが問題なんですよね。
仏法に明るく、自分をよく戒め、よく人に施し、人とともに悩み、人に慕われる僧侶が住職や門跡、管長あるいは長老なんじゃないのか…。
現代の僧侶間の不条理、在家と出家者との軋轢を解消できないのだから仏教は間違っているのかもしれない。
しかし日本文化を地下水脈のように育んできた仏教を疑うよりも、それにあぐらをかいて運用している人こそを先ずは疑うべきではないのかと思い直したって。
あとで特高弾圧史読んでみるかなあ/1955年に教祖永原仲が詐欺で逮捕された「大日教団」なるものもあったみたいで、調べるの面倒くさそう。 - type-100 のコメント / はてなブックマーク
触れるか迷ったけど、探してるときに
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1178/main.html
ここの議事録に、読売事件と一緒に大日教横領事件の件がちらっと出てるね。
オウム真理教の件で宗教法人法改正とかが話題になった頃っぽくて、のいほいさんが大好きな百地章さんが登場している。
noiehoie on tumblr • 百地章先生について
本日の朝まで生テレビに、日本大学の百地章先生がご出演されるそうです。
まあ、90年代後半から朝まで生テレビは、「オワコン文化人の年金支給所」みたいになってるんで、あの番組に誰が出ようが問題ないといえば問題ない話ではあります。
ただね、百地章先生をオワコンというのは失礼に過ぎる。世の中的には、「最近急に出てくるようになった憲法学者」という理解でしょう。
で、実際そうです。百地章先生がWillや正論などを除きメジャーなメディアに出るようになったのは、ここ最近、とりわけ安保法制に関して「たった三人しかいない集団的自衛権を合憲とする風変わりな憲法学者」の筆頭として菅官房長官が百地章先生の名前を挙げて以降のことかと思います。
「書いたものといえば、紀要の類と講演の書き起こしぐらいしかなくて学術的功績を見つけるのが難しい(Ciniiの検索結果=http://bit.ly/1LJukEH)にもかかわらず、なんであんな人が比較憲法学会の理事長やってんだ?」とか思ってるそこのあなた! あなたは間違っています。あなたは世間からずれています。だからダメなんですよ。百地章先生を見ならないなさい。
なるほどね。
最初は戦後の名前を引き合いにだしてるのか思ったが、グーグル先生で調べてみるとどうもそれとは違った「大日教」が存在したようだ。
同じbotのつぶやきには「大日教祖杉本と信者某との質疑応答」とあるので、教祖の名前が違うからだ。
あとは戦前の「天津教」皇祖皇太神宮天津教 - Wikipedia
(現 皇祖皇太神宮天津教)が戦後の一時期は「宗教法人大日教」という名称だったのでこれかと思ったが、教祖名も違う。
とにかく、一次ソースが気になる。
んで、色々とネット上の情報だけで調べてみた結果、@hukei_botは「昭和特高弾圧史」からの抜粋であることは間違いなさそうだ。
Googleブックス(書籍検索)で「昭和特高弾圧史, 第 4 巻」を引き出し、書籍内検索で「杉本」と検索すれば同じ内容が引っ掛かる。
現在のGoogleブックスは著作権のある書籍は全文表示ができないから(開始当時は見えちゃった気がする)ブツ切りのような情報しか得られないのが難点。
同じく「特高外事月報」と合わせて見ると、全日教教祖は1942年当時60歳、起訴時東京在住、滋賀県出身の大日行者、杉本金治郎というのが裁判記録らしきものから分かる。
108 ページ
... は神去り給ひてより其の誠が大日如来に包摂せられ其の如来は宇宙に瀰漫せる大
自然の誠にして人類並に一切の物を創造し且永遠に之が霊的及現実支配を為たりと
称し、大日教なる教理を創説し爾後之が宣布に努め来たりたるものなる処、該教理たる
や大 ...
「特高外事月報」
59 ページ
... 知得したりと構し、大日教なる教理を創説し衛後之が宣布に努め来たりたるものなる
慮、該教理たるや大日如来は宇宙に瀬夏せる大 ... 四月頃道了奪が大日如来なることを
CiNiiでも引っ掛かった。
CiNii 論文 - 内務省による宗教弾圧 : 創価学会の場合を事例として
CiNii 論文 - 宗教法人法の改正をめぐる問題点 : 宗教団体に対する管理の要素の導入の有無と是非(松本保三先生退職記念号)
1942年の治安維持法違反・大日教事件として記録されている。
しかしまあ、通常のGoogle検索では引っ掛かららんのだね。
戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表) - Wikipedia
↑これにも出てこなくって、忘れられた宗教みたいだ(前述の竹内文書教のせいもあるだろう)
疲れたのでこれまで。
(追記)
(追記2)
↑当時60歳というのが厳しいだろう。
宗教団体法とか治安維持法について知っていたけど、ちょいちょいググってみて、改めてこのあたり軽く考えてたな、と思ったりした。
追加の情報としては
28 ページ
明石博隆, 松浦総三 て、此の大日もその為に行を積んでゐるのである、その修行も半ば
「大平山大日教」ともいう様子。「大日教」が「大日経」の意味で使われる事が多いからかな。
https://www.google.com/#tbm=bks&q=%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%95%99]
こいつの情報なんざ持ってる奴なんてどこにもいねえよ、ていうかどうせ訊きたいのはこういうのが出てきた理由や背景の事だろ
簡単に書く
死んだ先代の義務は男の跡継ぎを残す事だった、が果たせなかった
そうなりゃ娘の義務は免許持ちの旦那でも婿養子に貰って跡継ぎ面せず妻に徹する事だった、が果たせなかった
娘ってのは役員総代味方に付けときゃ戦えると思ったんだろ、宗教法人法規定上はそれでまあ正しいさ
総代役員会決議で宮司就任を打診するのはいい、それが容れられなきゃ本庁離脱って判断もわかる
だが当の相手が県神社庁長だったから、そもそも提出されたものなんざどれも受理されなかったってわけだ
庁長に宮司として乗り込まれたりかと思えば関係ない暴力沙汰でケガしてみたり挙句の果てに身分剥奪だろ
一定以上の規模の裕福な神社の宮司しかなれないとはいえ、任期で持ち回りにすぎない庁長がここまでできた背景はといえば