「「した」」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 「した」とは

2017-08-20

トレードで、4万円を1ヶ月で22万円にした。

自分天才だと思った。

月利500%以上だから、このままの利率でいけば、とんでもないことになるぞとワクワクした。

しかしあるとき、1時間で22万円が6万円になった。

冷静でいられなくなりそうだったので、その場で無理やり酒をあおり強制的自分を寝かせて、あーだこーだ考えるのは翌朝以降にした。

とりあえず、元本を失わなくてよかったし、なんなら元本より増えているわけだから、1ヶ月で4万円を6万円にしたと思えばいい。

そもそもたかだか4万円のお試し投資だ。仮に元本がすべて消し飛んだところで、痛くないわけではないが、そこまで大したことでもない。

4万円を1ヶ月で22万円にしたこと、その割合を維持したらどうなるか想像したこと、そして増えた22万円を一瞬で6万円にしたこと、それぞれい経験になった。負けたときに、負けを取り返そうと躍起になることを防ぐために、寝ることにしたのはベスト判断だったと思う。

くだらない経験ではあるが、このことを忘れないようにしていきたい。

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"4万円を1ヶ月で22万円にした"

"1時間で22万円が6万円になった"

書いたあとに気づいたが、増やしたとき自分「した」と言い、減らしたとき自然に「なった」と言っている。

自分不利益、損失だけ他人環境のせいにするのはよくない。改めよう。

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2016-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20161005192648

チョイスがいい悪いとかじゃなくて、これでガチでいけるのか?っていう話ですよ

教化「した」10本とか、誰か紹介してくれないんですかねぇ

2015-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20151207145132

正しい。

なぜなら不可能故に諦めることも選択の1つと成り得るからである

 

例えば俺が君に対して、蕎麦うどんのどちらかを御馳走してやろうと持ちかけたとする。

そこで君は蕎麦アレルギーだった場合消極的うどんを選ぶ。

えこのような選択であっても君は自由意志による選択を行っている。

実際には蕎麦を食べることだってできるのである

しかし食べた直後にアレルギー反応によって苦しみ最悪死ぬ場合があると分かっている。

からこそ理由があるために「選択をしない」という選択を「した」である

 

まだわかりにくい場合は、オレンジ林檎を俺が差し出して、

林檎を食べろ」とそそのかす。

それに従い林檎を食べたら、君は選択していなかったことになるのか?

では俺のことに反発して、反対にオレンジを食べたらどうだろう?

それは俺のことに反発させられた末の決定であって、選択したと言えるのだろうか?

(それなら林檎を食べさせたい場合オレンジを食べろというだけで俺に操られていると言えるのか?)

そして、食べない。

これも、林檎オレンジも選びたくない末の選択だと言えるのだろうか?

全て選択したと言える。

ここでの違いがあるとすればそれぞれの選択肢を選んでいたにも関わらず、

自分で選択をしたということにして認知するかどうかの違いである。

全て他人である俺の思惑通りとしてしまった場合、君に一生選択権はない。

俺が食べさせたり食べなかったのを見届けてから、俺の思惑通りになったな、と勝利宣言すれば君に一生選択したという事実は無くなる。

君が自分意志で選んだと主張しない限りは一生、そうなる。

 

できないことも選択であると認めることで可能性は広がる。

2014-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20140207001159

性欲は処理するもので、セックス愛情を持ってするものです。

たいていの男からすると、セックス前の愛撫は正直面倒です。

膣よりもオナホの方が気持ちよかったりします。


燃え上がる恋から、ゆったりした愛情に変わっていくように、性欲も変化します。

惚れ込んだ相手と交わる気持ちよさは、例えるなら仲のよい老夫婦のようなコミュニケーションなのです。

新たな相手と交わる興奮は、あなたを思いやる愛情に変わります


自分風俗浮気経験もありません。

それは自分が偉いのではなく、彼女自慰を認めてくれるからで、しかオナホを認めてくれているからです。

性欲の処理を考えた際、オナホコストパフォーマンスの高さは驚くべきものです。

それに風俗という選択肢は消されました。


彼女オナニーをしているそうです。

時間で性欲を処理するためだそうです。

それを聞かされた時に、自分もなんだか寂しい思いをしました。

でもまぁセックスというのは、時間もかかるし、お互いにとって一大事業なんですよね。

なもんでお互いにオナニーを認めることにしました。


今のところお互い隠れてですが、セックスするときに「オナニーした?」って聞き合うこともあります

それで彼女「した」ちょっと照れながら言ったりすると、けっこう興奮します。

2013-11-24

「会話ベタ」は「共感」を意識しないほうが良いというお話

どうも昨日のエントリでこれ【「会話ベタ」を治すので、2分だけ僕に時間を下さい。】書いたものです。

そのエントリの冒頭で、共感なんてクソくらえみたいなことを書いたのですが、今日はそれについて。昔は僕もめっちゃ会話が苦手で、自分のことコミュ障だと思ってたし、悔しくてよく自己啓発本てか会話本とかを読んでいました。勉強(笑)してました。wそこに必ず出てくるのが、「相手の話に共感しよう」というフレーズ。お!なるほど!と思いもちろん意識します。

友「俺、AKB好きだわ。まじサシコ可愛いわぁーー」

俺「うん、うんそうだよな!俺もそう思う!思う。思ぅ…(リスカしょ..)」

…でも、会話が続かない。

なぜなら、俺は指◯が好きじゃないからだ。なんで好きでもない◯原を好きだと言わねばならないのか…。でもここで気がついたことがある。それは、本来「俺もそう思う」必要なんてないということ。ここが、会話ベタな人が陥りがちな罠だと思う。


本来、共感なんて「出来たらするもの」だ。相手の感じ方・意見自分と一致「した」時にするもの自分と相手のそれが合わない時に、でも無理やり合わせてそれをするのは単なる「同調」であり迎合共感って相手の感じ方・意見自分のそれとを一致「させて」、自分のそれをねじ曲げてするものではない。

から、昨日あんなことを書いた。自分の心には嘘をついちゃいけない、じゃないと自分がなくなってしまう(というよりどうしたら自分が出るんだろう)…と思って自己主張がしやすい話し方、人に媚びない話し方(マインド)をずっと模索していて、今俺がとりあえず辿り着いたベター方法から。たえずああやって相手を傷つけない・尊重する形で場を楽しみつつ自己主張してみる。小出しにしつつ。共感はした時に表す。顔をひきつらせてまで無理にしない。…で、それを繰り返してるうちに色々考えられるように、自分意見を持てるようになってくる。そこに関して、俺も本当にまだまだだけど。

そして、普段はノリを出せばいいけど、逆に真面目な話とかの時はトーンを落として、ノリを消せばいい。そしたら、余計に「言葉だけ」が相手に伝わるから。(もちろん「落としたトーン」というニュアンスが含まれるんだけどね。)


…ただ、こんなことを言っておきながら、相手のため・場のために共感「する」というのは有効だとは思うよ。テクニックとしての共感とでもいうか。ただ、可愛くもない◯◯を可愛いー!!なんて言えるのはお世辞・社交辞令さらりと言える人だけ。これも必要スキルではあるけど。

でもここで、勘違いしないでほしいのが、特に女のいう「可愛いー」がいつもいつもこれをしてるからというわけではないということ。そこには感受性の違いがある。自分感受性で人のそれを推し量るのはやめた方がいい。同じだと思わない方がいい。感受性の違いって簡単にいえば、「笑いのツボ」みたいなもんだ。浅い奴は何を言っても笑う。本当に面白がって。そういうこと。

更に、言葉にするから表情にするからその感情が換気されるという側面もある。だから、とりあえず大げさに笑ったり、ウケるwとか言ってみるといいよ。こういうのリア充DQNの話し方とか思って敬遠ちゃう人は、外国人イメージしてみるといい。そして、感受性を高める努力は絶対に大切。笑う、運動する、映画とか見る、知識を得る、人と話す、話してるのを見る・聞く・それを真似るとか。とりあえずこうなりたいなって人がいたら、その人の言葉(の調子、昨日で言うニュアンスでの相槌、感情の込め方)とかを真似してみるといいかも。

そして、下ネタ言っても許されるキャラになれるくらいまで、ニュアンスを操れるようになれば、多分その時はそこまで自分のこと会話ベタっては思わなくなってるよ。無理無理…っていうじゃん? でも下ネタってただ言葉にしたらキモいんだよな。そこをどうキモくなく、楽しく伝えられるのか、そういうニュアンス込められるのかっていうのは、試金石であり研磨石だと思う。

2013-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20130831135023

南京事件とき中国側が武器を取って抵抗しなかったか? と言えば、それはもちろん「した」市民はともかく兵隊はそこにいて、すなわち武装していた。

からあなたのあげる例は、事例として適切ではない。

「友人のサヨクくん」がどう考えていたかは知らないけど、「最初から一切抵抗しなければ、そもそも戦闘行為は発生しない」という意見は、論理的には特に間違いではない。

もちろん、それが「国民国家」として取れる意見ではない(「国家」の自己否定になるから)ことは理解するけど、「一介の民間人」の意見としてなら、ありえない意見だとも思わない。誰もが「国民国家国民」としてのみ語り、そういう人々だけで構成される社会というのは、とても恐ろしく危ういと思うし、また、「国民国家としての意見」のみがリアルであるという考え方にも首肯できない。人は、一人の人間として、たとえば国家を捨てるという選択もできるし、それは間違った選択とは限らない、普通に「アリ」なことなのだから

だいたい、議論というのは互いに一定の前提条件を共有していなければ成立しない。あなたが「サヨク」の人とは議論にならない、と考えるのは、あなたの見ている「世界」が狭く、彼らがどのような「前提」で喋っているかからない、共有できていないからではないだろうか?

もちろん、これは、あなたの周りの「サヨク」の人にも同じように言える。「世界」が狭い、だから「議論」できない。それは、とても貧しく残念なことだ。

からあなたあなたの周りの人間も、「議論」と称した優越感ゲームに浸るだけでなく、まずもっといろいろなこと(出来事や、ものの考え方自体)に興味をもち、知ろうとするのがよいと思う。

2009-06-04

修士課程で挫折した人のお話

大学院生チラシの裏 長文ごめんなさい

「した」と言うより「している」が正しい。

修士課程、まったくうまくいっていない。

原因は全て自分にある。

家族尊敬している先生方、同期、先輩方に迷惑をかけてしまっていて

正直、そろそろ楽になりたい。

これから修士に進む or 修士に進んでいる人達
何かしらの参考になればと思い、2年間の体験談を残してみる。

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自己紹介

Fラン文理系大学修士2年生

私の大学では学部3年次に研究室配属、3,4年次は大学生活の中心が研究室での過ごすことになる。

  

大学院に進んだきっかけは学部研究室時代にいた修士の先輩方に憧れて。

教授との議論、後輩への指導、自分も「ああなりたい」と思った。

先輩たちと過ごした夜~朝にかけての研究時間はとても楽しかった。

  

けど、話は簡単には進まなかった。

学部時代にお世話になったA教授は他大に引っこ抜かれる事になり、

修士に進むには他の研究室を選択しなければいけなくなった。

A教授を追っかけて他大を受験してみたが、撃沈。

様々な縁があり、学部と同じ大学で、A教授学生時代先生のB教授の所で引き取ってもらう事になった。

  

  

修士1年

新しいB研究室に所属になり心機一転

まずは、B教授、B研の学生の信頼を得ようと努力した。

でも、何もかもが空回りだった。

失敗1.スケジューリング

まずスケジューリングから失敗した。

私の修士課程1年生の一週間のスケジュールはこんな感じ

授業:週9

ゼミ:週6

バイト:不定期

私の大学では1年が前期と後期に分かれており、

修士1年前期中に修了単位分を取ろうと思った私は授業を多く取った。

しかし、修士の授業は専門性が高く、ほぼ毎回、発表資料を作らないといけない為、

私はだんだんと、授業に追われるようになっていった。

  

また勉強会ゼミが週6つあり、(ひとつ大体1~3時間

その中の1つ「3年生の勉強会」は私の担当

毎週毎週のテキスト作りのお陰で徹夜連続だった。

元のAゼミに出なければいいじゃないか。と他研究室の同期に言われたが

自分研究をA教授に見ていただいている事もあり、

そんな事はできなかった。

  

そんなこんなで自分研究が疎かになった。

情けない話だ...

だけど、「自分なんかより努力している、苦労している大学院生はいる。」と自分に言い聞かせ

徹夜根性、土日、休日返上アタックで何とか前期は持ちこたえていた。

  

  

失敗2.新しく入った研究室での人間関係

新しく入ったB研究室にはC先輩がいた。

B教授からとても信頼されている先輩だった。

何時の頃からか、そのC先輩に嫌われている事に気づいた。

嫌われているといっても、仲が良かった期間があったわけではない。

私の思い込みかもしれないが、業務連絡以外で私に話しかけることはなかった。

話しかけても、「ええぇ、そうですか」の二言で会話が終わってしまう。

しかし、他の後輩とは楽しく喋っている。

  

所属しているB研究室で浮いているのが自分でわかった。

今までそういう経験がなかった私は非常に動揺した。

そしてB研究室学生よりも、前のA研究室学生達と交流する様になっていた。

元々、A研究室の後輩達は学部生の頃に共に勉強した事もあり、親しい間柄にあった。

  

今さら考えてみれば大失敗だった。

どんどんB研究室で浮いていった。

  

  

失敗3.報連相の欠如

夏に入り、後期が始まった。

後輩の卒論も本格的に始動し、更に忙しさを増した。

そんな中、自分研究がまったく進んでいない事に気づいた。

テーマすら形になっていない。何とも情けない。

そして、報連相が欠けていると注意された。

    

自分としては驚きだった、自身の休みを削ってでも後輩を指導できる様に努力していたつもりだった、

しかし、報連相、特に「相談」が欠けていたのは確かだった。

自分の力で何とか乗り越えようとしていた。

自分研究室で浮いているという気持ちから報連相が疎かになっていたかもしれない。

  

ここら辺から徐々に大学にいるのが辛くなってきた。

  

11月に入って、研究室全体でOB,OG研究発表する機会があった。

いそいそと発表資料を作っていた私だったが、前日になって、その企画を運営している後輩から

大学院生はA0のパネルを作って発表よろしくお願いします」と言われた。

詳しく聞いてみると私以外の先輩方は既に用意しているらしい。

正直、唖然とした。

ここら辺で何かが切れた。

「私って何の為に大学院に進学したんだっけ」と自問し、

結局その会にはバックれた。

それから大学に行かなくなった。

何もかもがどうでもよくなった。

その後は引きこもり

  

修士2年

修士1年前期に大量に授業取っていた事と

B教授のご配慮があり、修士2年生に上がれることになった。

恥ずかしい話だが、「私は心を入れ替え頑張ります」と言い努力していたが、

すぐ鬱になってしまった。

  

そしてそんなこんなで6月になり、

思い返せば修士2年間、何もしていない。

修士だから何かをしなくてはならない」と思い込んでいるわけではないが

本当に何もしていない自分に嫌気がさす。

努力すらしていない自分にとてもイライラする。

鬱という言葉を利用して逃げているだけかもしれない。

  

そんなこんなで私のくだらない人生はお終い。



最後に

これから修士過程に進む学生さん、進んでいる学生さん

私が偉そうに言える言葉ではありませんが、

是非、自分の将来のスケジュールをしっかりと作ってがんばってください。

こんな所で言うのもおかしな話ですが

id:next49さんのblogには何かと心の支えになりました。

ありがとうございました。

2008-01-01

有名な話だよな

MS-DOSの前身たるQ-DOSマイクロソフトの自社製品ではなかった。しかしそれを買い取って自社製品「した」技術の売買も立派なビジネスですよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080101143847

2007-10-22

通報「する」じゃない

http://anond.hatelabo.jp/20071021231401

通報「した」って書いてあったから、今さら自己弁護したりカワイソキャラ演じてみたって遅いんじゃないの。

しかもまだ懲りてないようだし。

あんまり増田中の人を舐めないほうがいいような気がするけどな。

2007-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20070501121507

「された」って書くと被害者面しててやだな。って思って「した」って書いた。

その人とキスするのは嫌じゃなかったから。

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