はてなキーワード: 「した」とは
トレードで、4万円を1ヶ月で22万円にした。
月利500%以上だから、このままの利率でいけば、とんでもないことになるぞとワクワクした。
冷静でいられなくなりそうだったので、その場で無理やり酒をあおり、強制的に自分を寝かせて、あーだこーだ考えるのは翌朝以降にした。
とりあえず、元本を失わなくてよかったし、なんなら元本より増えているわけだから、1ヶ月で4万円を6万円にしたと思えばいい。
そもそも、たかだか4万円のお試し投資だ。仮に元本がすべて消し飛んだところで、痛くないわけではないが、そこまで大したことでもない。
4万円を1ヶ月で22万円にしたこと、その割合を維持したらどうなるか想像したこと、そして増えた22万円を一瞬で6万円にしたこと、それぞれいい経験になった。負けたときに、負けを取り返そうと躍起になることを防ぐために、寝ることにしたのはベスト判断だったと思う。
くだらない経験ではあるが、このことを忘れないようにしていきたい。
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"4万円を1ヶ月で22万円にした"
"1時間で22万円が6万円になった"
書いたあとに気づいたが、増やしたときは自分が「した」と言い、減らしたときは自然に「なった」と言っている。
自分の不利益、損失だけ他人や環境のせいにするのはよくない。改めよう。
正しい。
なぜなら不可能故に諦めることも選択の1つと成り得るからである。
例えば俺が君に対して、蕎麦とうどんのどちらかを御馳走してやろうと持ちかけたとする。
例えこのような選択であっても君は自由意志による選択を行っている。
しかし食べた直後にアレルギー反応によって苦しみ最悪死ぬ場合があると分かっている。
だからこそ理由があるために「選択をしない」という選択を「した」のである。
「林檎を食べろ」とそそのかす。
それに従い林檎を食べたら、君は選択していなかったことになるのか?
では俺のことに反発して、反対にオレンジを食べたらどうだろう?
それは俺のことに反発させられた末の決定であって、選択したと言えるのだろうか?
(それなら林檎を食べさせたい場合、オレンジを食べろというだけで俺に操られていると言えるのか?)
そして、食べない。
これも、林檎もオレンジも選びたくない末の選択だと言えるのだろうか?
全て選択したと言える。
ここでの違いがあるとすればそれぞれの選択肢を選んでいたにも関わらず、
自分で選択をしたということにして認知するかどうかの違いである。
全て他人である俺の思惑通りとしてしまった場合、君に一生選択権はない。
俺が食べさせたり食べなかったのを見届けてから、俺の思惑通りになったな、と勝利宣言すれば君に一生選択したという事実は無くなる。
できないことも選択であると認めることで可能性は広がる。
燃え上がる恋から、ゆったりした愛情に変わっていくように、性欲も変化します。
惚れ込んだ相手と交わる気持ちよさは、例えるなら仲のよい老夫婦のようなコミュニケーションなのです。
新たな相手と交わる興奮は、あなたを思いやる愛情に変わります。
それは自分が偉いのではなく、彼女が自慰を認めてくれるからで、しかもオナホを認めてくれているからです。
性欲の処理を考えた際、オナホのコストパフォーマンスの高さは驚くべきものです。
短時間で性欲を処理するためだそうです。
でもまぁセックスというのは、時間もかかるし、お互いにとって一大事業なんですよね。
どうも昨日のエントリでこれ【「会話ベタ」を治すので、2分だけ僕に時間を下さい。】書いたものです。
そのエントリの冒頭で、共感なんてクソくらえみたいなことを書いたのですが、今日はそれについて。昔は僕もめっちゃ会話が苦手で、自分のことコミュ障だと思ってたし、悔しくてよく自己啓発本てか会話本とかを読んでいました。勉強(笑)してました。wそこに必ず出てくるのが、「相手の話に共感しよう」というフレーズ。お!なるほど!と思いもちろん意識はします。
俺「うん、うんそうだよな!俺もそう思う!思う。思ぅ…(リスカしょ..)」
…でも、会話が続かない。
なぜなら、俺は指◯が好きじゃないからだ。なんで好きでもない◯原を好きだと言わねばならないのか…。でもここで気がついたことがある。それは、本来「俺もそう思う」必要なんてないということ。ここが、会話ベタな人が陥りがちな罠だと思う。
本来、共感なんて「出来たらするもの」だ。相手の感じ方・意見が自分と一致「した」時にするもの。自分と相手のそれが合わない時に、でも無理やり合わせてそれをするのは単なる「同調」であり迎合。共感って相手の感じ方・意見と自分のそれとを一致「させて」、自分のそれをねじ曲げてするものではない。
だから、昨日あんなことを書いた。自分の心には嘘をついちゃいけない、じゃないと自分がなくなってしまう(というよりどうしたら自分が出るんだろう)…と思って自己主張がしやすい話し方、人に媚びない話し方(マインド)をずっと模索していて、今俺がとりあえず辿り着いたベターな方法だから。たえずああやって相手を傷つけない・尊重する形で場を楽しみつつ自己主張してみる。小出しにしつつ。共感はした時に表す。顔をひきつらせてまで無理にしない。…で、それを繰り返してるうちに色々考えられるように、自分の意見を持てるようになってくる。そこに関して、俺も本当にまだまだだけど。
そして、普段はノリを出せばいいけど、逆に真面目な話とかの時はトーンを落として、ノリを消せばいい。そしたら、余計に「言葉だけ」が相手に伝わるから。(もちろん「落としたトーン」というニュアンスが含まれるんだけどね。)
…ただ、こんなことを言っておきながら、相手のため・場のために共感「する」というのは有効だとは思うよ。テクニックとしての共感とでもいうか。ただ、可愛くもない◯◯を可愛いー!!なんて言えるのはお世辞・社交辞令をさらりと言える人だけ。これも必要なスキルではあるけど。
でもここで、勘違いしないでほしいのが、特に女のいう「可愛いー」がいつもいつもこれをしてるからというわけではないということ。そこには感受性の違いがある。自分の感受性で人のそれを推し量るのはやめた方がいい。同じだと思わない方がいい。感受性の違いって簡単にいえば、「笑いのツボ」みたいなもんだ。浅い奴は何を言っても笑う。本当に面白がって。そういうこと。
更に、言葉にするから表情にするからその感情が換気されるという側面もある。だから、とりあえず大げさに笑ったり、ウケるwとか言ってみるといいよ。こういうのリア充・DQNの話し方とか思って敬遠しちゃう人は、外国人をイメージしてみるといい。そして、感受性を高める努力は絶対に大切。笑う、運動する、映画とか見る、知識を得る、人と話す、話してるのを見る・聞く・それを真似るとか。とりあえずこうなりたいなって人がいたら、その人の言葉(の調子、昨日で言うニュアンスでの相槌、感情の込め方)とかを真似してみるといいかも。
そして、下ネタ言っても許されるキャラになれるくらいまで、ニュアンスを操れるようになれば、多分その時はそこまで自分のこと会話ベタっては思わなくなってるよ。無理無理…っていうじゃん? でも下ネタってただ言葉にしたらキモいんだよな。そこをどうキモくなく、楽しく伝えられるのか、そういうニュアンス込められるのかっていうのは、試金石であり研磨石だと思う。
南京事件のとき、中国側が武器を取って抵抗しなかったか? と言えば、それはもちろん「した」。市民はともかく兵隊はそこにいて、すなわち武装していた。
「友人のサヨクくん」がどう考えていたかは知らないけど、「最初から一切抵抗しなければ、そもそも戦闘行為は発生しない」という意見は、論理的には特に間違いではない。
もちろん、それが「国民国家」として取れる意見ではない(「国家」の自己否定になるから)ことは理解するけど、「一介の民間人」の意見としてなら、ありえない意見だとも思わない。誰もが「国民国家の国民」としてのみ語り、そういう人々だけで構成される社会というのは、とても恐ろしく危ういと思うし、また、「国民国家としての意見」のみがリアルであるという考え方にも首肯できない。人は、一人の人間として、たとえば国家を捨てるという選択もできるし、それは間違った選択とは限らない、普通に「アリ」なことなのだから。
だいたい、議論というのは互いに一定の前提条件を共有していなければ成立しない。あなたが「サヨク」の人とは議論にならない、と考えるのは、あなたの見ている「世界」が狭く、彼らがどのような「前提」で喋っているか分からない、共有できていないからではないだろうか?
もちろん、これは、あなたの周りの「サヨク」の人にも同じように言える。「世界」が狭い、だから「議論」できない。それは、とても貧しく残念なことだ。
だから、あなたもあなたの周りの人間も、「議論」と称した優越感ゲームに浸るだけでなく、まずもっといろいろなこと(出来事や、ものの考え方自体)に興味をもち、知ろうとするのがよいと思う。
「した」と言うより「している」が正しい。
修士課程、まったくうまくいっていない。
原因は全て自分にある。
家族、尊敬している先生方、同期、先輩方に迷惑をかけてしまっていて
正直、そろそろ楽になりたい。
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私の大学では学部3年次に研究室配属、3,4年次は大学生活の中心が研究室での過ごすことになる。
大学院に進んだきっかけは学部研究室時代にいた修士の先輩方に憧れて。
教授との議論、後輩への指導、自分も「ああなりたい」と思った。
先輩たちと過ごした夜~朝にかけての研究の時間はとても楽しかった。
けど、話は簡単には進まなかった。
学部時代にお世話になったA教授は他大に引っこ抜かれる事になり、
様々な縁があり、学部と同じ大学で、A教授の学生時代の先生のB教授の所で引き取ってもらう事になった。
でも、何もかもが空回りだった。
まずスケジューリングから失敗した。
授業:週9
ゼミ:週6
バイト:不定期
私の大学では1年が前期と後期に分かれており、
修士1年前期中に修了単位分を取ろうと思った私は授業を多く取った。
しかし、修士の授業は専門性が高く、ほぼ毎回、発表資料を作らないといけない為、
私はだんだんと、授業に追われるようになっていった。
元のAゼミに出なければいいじゃないか。と他研究室の同期に言われたが
そんな事はできなかった。
情けない話だ...
だけど、「自分なんかより努力している、苦労している大学院生はいる。」と自分に言い聞かせ
徹夜根性、土日、休日返上アタックで何とか前期は持ちこたえていた。
新しく入ったB研究室にはC先輩がいた。
B教授からとても信頼されている先輩だった。
何時の頃からか、そのC先輩に嫌われている事に気づいた。
嫌われているといっても、仲が良かった期間があったわけではない。
私の思い込みかもしれないが、業務連絡以外で私に話しかけることはなかった。
話しかけても、「ええぇ、そうですか」の二言で会話が終わってしまう。
しかし、他の後輩とは楽しく喋っている。
今までそういう経験がなかった私は非常に動揺した。
そしてB研究室の学生よりも、前のA研究室の学生達と交流する様になっていた。
元々、A研究室の後輩達は学部生の頃に共に勉強した事もあり、親しい間柄にあった。
今さら考えてみれば大失敗だった。
どんどんB研究室で浮いていった。
夏に入り、後期が始まった。
テーマすら形になっていない。何とも情けない。
そして、報連相が欠けていると注意された。
自分としては驚きだった、自身の休みを削ってでも後輩を指導できる様に努力していたつもりだった、
しかし、報連相、特に「相談」が欠けていたのは確かだった。
自分の力で何とか乗り越えようとしていた。
自分が研究室で浮いているという気持ちから報連相が疎かになっていたかもしれない。
ここら辺から徐々に大学にいるのが辛くなってきた。
11月に入って、研究室全体でOB,OGに研究を発表する機会があった。
いそいそと発表資料を作っていた私だったが、前日になって、その企画を運営している後輩から
「大学院生はA0のパネルを作って発表よろしくお願いします」と言われた。
詳しく聞いてみると私以外の先輩方は既に用意しているらしい。
正直、唖然とした。
ここら辺で何かが切れた。
「私って何の為に大学院に進学したんだっけ」と自問し、
結局その会にはバックれた。
何もかもがどうでもよくなった。
その後は引きこもり。
修士1年前期に大量に授業取っていた事と
恥ずかしい話だが、「私は心を入れ替え頑張ります」と言い努力していたが、
すぐ鬱になってしまった。
そしてそんなこんなで6月になり、
思い返せば修士2年間、何もしていない。
「修士だから何かをしなくてはならない」と思い込んでいるわけではないが
本当に何もしていない自分に嫌気がさす。
鬱という言葉を利用して逃げているだけかもしれない。
そんなこんなで私のくだらない人生はお終い。
私が偉そうに言える言葉ではありませんが、
是非、自分の将来のスケジュールをしっかりと作ってがんばってください。
こんな所で言うのもおかしな話ですが
id:next49さんのblogには何かと心の支えになりました。
ありがとうございました。