はてなキーワード: 羽生とは
仮に韓国のTVで毎週のように日本のプロになったばかりの新人棋士が
日本で美男とも言われてないし大人気でもないのに「大人気日流美男棋士」として
紹介されて、韓国将棋(チャンギ)の棋士はほとんど紹介されず、将棋に関係ない番組のグルメを紹介するコーナーで
日本将棋の対局中に注文する食事の内容がなぜかクローズアップされ、日本を舞台にした将棋
ドラマや日本の将棋のタイトル戦がが一日2時間程度流れ、日本将棋ファン達に、韓国棋士や囲碁をけなす
発言が目立ち、韓国将棋(チャンギ)の棋士がタイトル戦で優勝したら、優勝を伝える番組で
韓国将棋の優勝棋士のかっこわるい場面を大きなパネルで紹介した上に
なぜか日本将棋の羽生さんを褒め称え出したら、いくらTV局のビジネスの都合上うんぬんいっても
韓国将棋や囲碁に興味の無い温厚な韓国人でも、日本将棋や将棋ドラマもう見たくないとTV局に対してデモ起こすと思いますね。
http://anond.hatelabo.jp/20101123002445
言っていることはわかる。理解できる。認める。
でもあえて言う。
それでも俺は努力すると。
誰もが敬う夢を達成できるのか。
それは達成することが楽しいからじゃない。
達成するまでの過程が楽しいからだ。
結果的にそれは達成することが楽しいことに
つながるわけだが。
わかりやすいかもしれない。
ゴール=夢、走ること=努力。
ランナーはゴールに到達することが
楽しいから走るわけじゃないだろ。
彼らは走ることが楽しくて、そしてその楽しさをより何倍にも
何十倍にもするためにゴールを設定するんだよ。
ゴールに到達することが目的じゃない。
あくまでも目的は走ること。
たまに自分の設定したゴールが
あまりにも遠くて、
到着できないと思うとき、
はるか先を息も切らさず走っているとき、
何故走りはじめたのか、と。
今いる地点もゴール地点も大して差はない。
そこにとどまり続けても十分な幸せを得られると思う。
だって今立っている地点は、今以前に描いた夢なんだから。
例え、今描いている夢を将来達成したとしても
またすぐに新しい夢ができて、
壁にぶち当たって同じ無力感を感じるだろう。
だからどの地点にいても一緒のこと。
でも気持ちの持ちよう次第で、どの地点にも幸せを感じられる。
ときには走ることをやめるかもしれないけど、
夢は走り続けるための手段の一つであって、走り続けることが夢。
人と機械について
昔、ディープブルーがカスパロフに勝ったときには人の知性に機械が近づいた的なお話もわりと出ていたのではないかと思う(よく知らない)
今回、あからが女流王将に一戦一勝とはいえ勝ったが、そこまでカゲキなお話はあまりないように思う(よく見てない)
将来、羽生さんが負けるときがくればもっと煽られるだろうけれど
ただし、人と機械は敵対するものではないとか、これだけのものを作ったこと自体が人の叡智だとか、そういう反応はいくつか見た
創造者たる神と人について
人によって「神の領域」は犯される一方だ
隙間の神、という言葉もある
絶対神を信じる文化で真剣に神の領域云々言う人は、絶対神がそんなにひ弱な存在でよく崇拝する気になるなあと個人的には思うが、
実際には、実在するしないは別にして、神とは元来ひ弱な存在なのかもしれない(実在しない場合は当然ひ弱になるよね)
神側からすれば、神と人は敵対するものではないとか、これだけの知性を創ったことが神の能力であってそれこそが凄いとか、そういうお話なのかもしれない
人が神の領域を侵食する傍ら、機械は人の領域を侵食する(完全に煽り文句でしかない)
知性階段では、神と人と機械は互いにどれほど離れていて、人と機械はどのくらいの速さと加速度で階段を登っているのか
神も階段を登っていて、それが実は一番速いのか
機械は今のところ人が階段を登らせているが、人もそれと気づかず何らかの意図で神から引き上げられていたりしないか
何がいいたいかというと、上に書いたようなことをテーマやストーリーの骨子にしたSFってないでしょうか
ご存知の方、ぜひ教えてください
※創造者たる神と人と人工物の知性・能力せめぎあい的なものなので、たとえば円城塔「Self-Reference ENGINE」は面白かったけどちょっと違う
名人と並ぶ称号、竜王。この二つを同時に得てこそ、将棋界のチャンピオンといえよう。
名人になるにはまずいくつか方法でプロ棋士にならねばならない。そしてプロの資格を得るとまず、序列で最下位の地位を得る。毎年、プロ棋士160名ほどを5層に分けたリーグ模様の対局を行い、各層の成績で上位下位の2~4名を入れ替え序列も整え直す。これを順位戦という。最上位のA級には10名の騎士が在籍し、各棋士がそれぞれ年9局を戦い、最優秀者が名人への挑戦権を得る。
名人になるには最短でも5年もかかり、さまざまな相手に勝ち続ける必要があるので、安定した実力がなければ名人にはなれないであろう。
竜王になるには一年でよい。そして女流枠や資格が必要とはいえアマチュア枠もある。そのかわり、竜王戦で実績を積んである1組16名から5名、2組16名から2名、その他3~6組130名ほどから4名のなかに選ばれ、さらに11名からなる変則トーナメントを駆け上がらなくてはならない。特に3~6組に割り振られたら誰にも負けずに駆け上がらないと挑戦者の資格は得られない。
竜王になるには、たった一年間でもいいが、その間は誰にも負けないほどの実力が必要となる。
竜王は渡辺明。20歳から6年間その座に就いている。竜王戦にて倒してきた挑戦者も森内、佐藤(康)、木村、と実力者ばかりである。名人挑戦への道である順位戦も、苦労しながらようやく挑戦者リーグであるA級に食い込んだ。いま成績三位であり十分に挑戦権を狙える位置にいる。そしてなにより牙城の竜王戦、土壇場で絞り出される底力は凄まじいものがある。
名人は羽生善治。40歳に到達するがますます強さを増している。七冠独占をはじめ、20年間近くどれかのタイトルを保持し続ける、対局相手のほとんどがトップレベルにも関わらず千局以上指して勝率が七割を優に超える、あと一度でも竜王を奪れば全七大タイトルで永世・名誉位が揃う。さらに今年度は現在勝率八割をも超え、王座戦では19連勝中での19連覇中と勢いが止まらない。
そして、二年前を思い出す。
そのときも渡辺は、羽生を竜王挑戦者として迎えていた。大局観、読み、研究手を咎められ、渡辺は三連敗し、崖っぷちに追い詰められた。後が無い第四局目も玉将を裸にされ、負けたかとうなだれる。しかしギリギリで詰みがないことに気づき、攻め、逆転勝ちを収めてしまう。そして続く第五・第六局を絶好調の羽生相手に圧勝、乱戦の最終局まで決め手を躊躇させたのか制してしまう。将棋界初のタイトル戦3連敗4連勝が刻まれた瞬間であった。
竜王戦が、はじまる。
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注:誤りが無いようにと努めてはおりますが、記事の内容は保証しません。
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100818/p1
このエントリの△3六歩について
盤面の局面は、後手(羽生)わずかに有利だが互角の形勢
先手(久保)が後手の王に迫っており、後手も上手く指さないとこのまま互角の戦いが続くかもしれない終盤の局面です。
件の△3六歩は、確実に先手の王に迫る手ではありますが、それ自体は、先手の王に危険が無いなんでもない手であり
(次の3七歩成を実現させて初めて厳しいが、それもまだ詰めろではなく先手に余裕がある)
上のエントリの通り、先手にそのまま攻めきられる手が無いとも限らず
ここで3六歩と歩を進めるのは、一見、どうぞ攻めてくださいと相手に攻撃の手番を渡し、形勢を互角に戻すぬるい手、いわゆる「緩手」であるおそれがありました。
(実際、すぐに角をとって、3七歩成とした局面から、先手が正解を指し続ければ、わずかに先手がしのいでいた可能性があるようです。)
ですので、プロの第一感からは、こういう手は成立しそうにない(他にもっと良い手があるはずだ)となったのでしょう。
上記エントリは、わかりやすく説明されているおかげで、逆に当然の一手のような感触をもつかもしれませんが
リアルタイムで観戦していると、この手はtwitterにおいても2chにおいても「羽生さんやらかしたかも?」というような懐疑的な反応でした。
(こういう手を読むのが不得手ともいわれていますが、ソフトの形勢判断でも一気に先手わずかに有利だが互角の評価に数値がふれました。)
しかし、よくよく検討してみると、、
↓
あれ?待てよ?後手に迫る順がどう指しても見つからない。
↓
久保残り10分…これは迷う…。
↓
やっぱり、後手の王がどうにも寄らない。
↓
寄らないよ、寄らないんだよ!羽生すげえええええ!!
と、なったのでした。
羽生さんのコメントによると、他には「全然攻め手がないんです」だそうで、これ以外の手にはアヤがあり自信が無い、必然の一手と見ていたのかもしれません。
もしかして先手が指せる順があったのかどうかは解説を待つことになります。
そもそも、この対局、後から考えてみると意味がわかる、一見意味がわからない手が他にも指されており
54手目の△8六歩も、打った瞬間、先手に明快な攻め筋があり、どうぞ攻めてくださいという意味が掴めない手でした。
(後の検討で他の攻め方をすれば先手十分とされる筋があったようです。)
エントリの局面でとられそうになっている4九角を打った44手目を羽生さんは失敗したと反省していたとのコメントもあることから
後から意味を推測するに、4九にいる角を復活させるための手(角を左金ではなく右金でとらせるため)だったのかもしれなかったり
そして、これまた検討されていなかった8六歩、そして後の3六歩に繋がる62手目の△2八歩打という手もあったりで
このような怪しげな歩の連発に、終わってみると、これをどこから読んでいたんだ…。あれが指せる羽生さんはやはり恐ろしい。
と思わされた人が多かったのではないでしょうか。
どなたかが、対局後に「神対人間代表の対局。人間代表の久保はよく頑張った。」と書かれていたのを見ましたが
これは言い過ぎとしても、リアルタイムで中継を見ていた人ほど、3六歩に集約される一連の手に人外の何かを思わされる羽生さんの快勝譜でした。
しかし、久保二冠も本当に強い棋士で、この2人の対局は現在の棋界No.1対No.2の黄金カードですので
次の竜王戦挑戦者決定戦第2局もどのような将棋になるのか、楽しみですね。
棋力もないし、説明も上手いとも思えませんが、指された瞬間の空気をフォローしてみました。
サッカー日本代表のグループリーグにおける進化を目の当たりにして、棋士の羽生善治の言葉を思い出した。
勝負どころで一番大切なのは自分を信じること。自分を信じられるかどうかが一番難しい。他人のことは100%は知らないので、簡単に神格化できる。日常から自分を信じられると、決断しなければならない場面において不安がなくなる
初戦のカメルーン戦、続くオランダ戦、そして歓喜のデンマーク戦、この3戦における日本代表の進化はまさしくこの言葉通りではないだろうかと思う。
岡田ジャパンが戦前からコンセプトに掲げていた、運動量と組織力によるディフェンス。何戦も行ったテストマッチで全くと言っていいほど結果が出ず、岡田監督が目指すサッカー自体に問題があると、ほぼすべてのサポーターは思っていたはず。
オランダ戦を終えた時点でディフェンスに関する不安は払拭出来ていたからこそ初めてデンマーク戦でオフェンスが機能した。
過去オフェンスが機能しなかったのは、テクニカルな要素以上にディフェンスに自信を持ちきれなかったことが一番の要因だったかのように思える。
さらに言うと、こんな短期間で劇的な進化を体現できたのは、それがW杯という大舞台のゲームだったから、ということ。
タイトルのかかったような重要な一局であえて得意ではない戦法を試すのはなぜかという問いに対し羽生は、
今一番手堅い戦法は次の一局に勝つためにはベストだが、五年後、十年後と長期的に見るとベストかどうかと言われるとそうではない。リスクをとって大舞台でやってみなければ学べない、怖い思いをしてやらなければ吸収できないものはたくさんある。
将棋自体には詳しくないのだが、この言葉を聞いてそれを感覚的に理解できても、ある意味勝ち負け二の次でそんな場面を自分の進化に利用している羽生は恐ろしいほどの境地にいるように思えるが、それほど大舞台では人間は進化できるということ、それを成功させた日本代表に更なる勝利を望む。
2006年から、将棋大賞に「名局賞」が制定された。文字通り、その年の最も素晴らしい対局に贈られる賞である。
羽生善治はこの名局賞を三年連続で受賞した。表彰されたのは、すべて羽生が負けた一局であった。
第35代横綱・双葉山の70連勝を阻止した安藝ノ海に、師である出羽海親方はこう言ったという。
米競馬に"Upset"(番狂わせ)という名前の競走馬がいた。
米競馬史上最強の一頭であるMan O' War(21戦20勝)に唯一土を付けた馬であり、この一勝とその馬名のみによって、今でも強く記憶されている。
野球の打撃"二冠王"のうち、最も稀な組み合わせは首位打者+本塁打王である(NPB史上11例、三冠王と同じ回数)。
この二冠を獲得できるくらいの打者なら、打点王も獲ってしまって当たり前だからである。
しかし王貞治はNPB史上ただひとり、この首位打者+本塁打王を3回獲得している。
直後の4番に長嶋茂雄が控えていながら、それでも敬遠され続けたがゆえの珍記録である。
情報処理学会、日本将棋連盟に「コンピュータ将棋」で挑戦状をたたきつける
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1004/02/news075.html
それこそ、男性棋士の頂点クラス、羽生とか渡辺とかならともかく、女流じゃちょっと厳しくないか?
今秋に実施される予定の対局では、コンピュータ将棋のソフトウェアに合議アルゴリズムと呼ばれる方針を採用する予定。これは、複数のソフトウェアを疎結合で並列計算させ、それらを集約して、次の一手を決定する手法。具体的なソフトウェアとしては、2009年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝した「GPS将棋」のほか、Bonanza、激指、YSSなど世界コンピュータ将棋選手権で優勝経験があるソフトウェアの名が挙がっている。
この「合議制」ってあたりが案外弱点になるような気もしなくもないが・・・。
単独でまともに指してすら女流プロぐらいだと苦しい相手じゃないかこいつら。
それそれとして、挑戦状の内容といい、プロレスとしては良いものだなこれ。
いや、厨房みたいなこというけどまあ聞いてくれ。
俺今ふと思ったんだよね、人生って一回きりだなって。
まずさ、俺にもそれからお前等にとっても、いまこの瞬間とか明日の朝とか
おとついの昼間とかも全部が全部、もう2度と取り返せない一瞬なんだよね。これがすごいよね。
まあこのことって当たり前なんだけど、正直あんまり意識してなかったんだよ俺。
でもさ、俺たちはまず間違いなくあと50年か60年か長くても70年くらいで死ぬじゃん。
もうね、死ぬよ絶対。間違いない。それはわかりきってることなのよ。いろいろ屁理屈こねたら反論も出来るけどね。
でもいや違うのよ、違うの。俺はなにもさ、そのことでさあ、じゃあ限られた時間を精一杯いきろ!とか
なにか人生で偉大なことを成し遂げろ!とかそんな熱いことが言いたいわけじゃないんだよ。
むしろだらだらしててもいいと思う。やる気なんかなくてもいいだろう。
それも人生だ。だけどさ、だけどもし死ぬ前になってさ、
「ああ俺もうすぐ死ぬんだ。はははそうか死ぬのかあ。いろいろあったなあ・・・・・。・・・・・・・・。
ってあれ、俺何してたんだっけ。生まれて生きてそれで死ぬのか。ええと、いろいろあった・・よな?
面白いこととか、いや辛かったなあとか、ん?ないの?ねえ俺何してたん?うんこびちびちやねん。」
ってさあ、思ってさあ。
なんかさあ、そんなこと考えてたら。あれ俺って何してんだろみたいにおもったわけよ。
それで今日もテレビみてたりしてね。プロスポーツとか映画とかミュージシャンとかその他
著名な活動してたりする人たちを見てさ、あれこの人たちと俺ってなんていうか
なんか違うのかな。って思ったの。遠いところの人っていう感覚があって、その一方で
んでも人間と人間だよな根本的には同じじゃないのか。とか思って。
そんでね俺はこう思うことがある。
例えばサッカーの代表戦みてるときは、もし仮におれがこのピッチに立って
戦うことが出来たとしたら俺はそこで戦いたいなあ。とかって。いや仮にね。
または音楽を聴いてたりするときは、仮に俺がミュージシャンになれるとすれば俺は
あるいは俳優やって良い映画にでてみんなに感動を届けたいなとか。
それで思ったんだ。結局俺はさ、何かを達成したいんだろ?って。
でも普段の俺ときたら、別にいいじゃん。適当に生きたら。とかって言ってる。
そんなにムキになって、人生は一度きりだとか大げさにならなくてもいいだろ。
ラブ&ピースでのんびり暮らしていこうぜ。なんてねw
それで十分満足です。って。いやそうなんだよ、そういうのもわかるんだよ。
でもさあ。でもさあ。なんかさああ。違うんじゃねえのって思ったりするんだよなあ。
いや、じゃあ勝手になりゃあいいだろって話になるわけだよ。
俺もなにが言いたいのかよく判ってないからしょうがないんだけどさ、
よくある言葉に、”人生は一度きりだ。悔いの無いように生きろ。”なんてのがあって
これもさあ、もうずいぶん使い古された言葉なわけだけどさあ、
俺はそれ本当に、はいはいすごいすごい。で片付けていいのかなって思ったりしてるってことなわけよ。
もし、死ぬ間際になって本当にそう思っちゃったらどうすんだろって思う。
”あ、人生ってまじ一度キリなんだなw俺もう死ぬとかワロスwそう考えたらなんだって出来たな。”
とか思ったら俺もう死にたいよ。まあ死ぬんだけどw
いや実際にね、
ワールドカップに出てブラジルとかフランスとかと戦ってる人がいるんだよね。同世代で。
そこまでいかなくてもものすごいホームランバッター相手に堂々とボール投げてる人間とかがいるわけだよ。
同世代で。
そんでさっきも言ったけど、そんなのは特別な人間のやってることだ。て思う気持ちがある。まあ確かに特別なんだろう。
でも、じゃあお前はそこに自分が立ちたいとかっていう夢みたいなものを感じないのかって言われると、
恥ずかしいけどまあ嘘つかないで言うと、正直感じてるわけだよ。
いや別にスポーツは例として将棋でもいいよ羽生まじすげえプロ棋士になれたら真剣で羽生とガチで。とかね。
でさ、でもさ無理なんだよ。とかも思うわけ。いやいや無理だろ俺って何なのみたいな。
だからさあ、俺は思うに無理でもいいんじゃねって。お前なにか実は熱くなりたいんじゃねってね。
そんで俺が今日おきてやったことってさ、
起きてそっこうPCの電源付けて寝ぼけ眼でhatenaでブクマチェックだよ。
なんか面白いエントリねえかな、ねえな。とか思ってるの。だらだらしながら。
しょうがねえなあ、じゃあ俺がなんか面白い増田上げてえな。とか思ったりして。
んで、なんとなく考えてたら昼。なんとなく考えてたら昼ってなんだよwww俺何してんの?うはwwみたいなw
冷静に考えれば俺はさ、熱くなりたいって気持ちを誤魔化して、やってることは
ハテナでホッテントリ上げたいっていう要するに”ちょっと気分的に熱くなりたい”ってことなんだよ。
いやホッテントリ上げるのは難しい。だからいい感じでブクマが伸びたりすると俺はちょっと嬉しかったりする。
いやすごく嬉しい。そこでさ、俺そこで、なんだよ俺っておもうわけ、自分誤魔化して、でもやってることは一緒じゃんって。
じゃあやれよ、なんか人生で成し遂げたいんじゃねえのって。いや難しいこれ誤解されそう。ハテナを下に見てるとかじゃない。
違うんだけどなんだか俺は人生をちゃんと見つめなおすときだろって思ったりしてるわけだ。
俺はさあ、俺にだってさあ、まあ恥ずかし気も無くいうけど
”可能性”ってやつがあるだろっておもうわけよ。つまりはそういうことなんだよ。
俺にも、それからお前等にも、”可能性”ってやつは、もうそれはまじで”有る”としか言えないんじゃないかと思ってんの。
”夢”みたいなものがあるなら、そこには必ず”可能性”みたいなものもあるよなって。
それはすごく微かな手ごたえで、むしろ”無い”とすら言えるかもしれない。
うはww意味わかんね俺ww無いのか有るのかどっちだよww
でもさ、”本当はそれは「有る」んだけど「無い」としか思えない俺”ってのが今の俺だと思うわけ。
微妙だけどそうとしか言えない。
だからさ、俺はさ、ちょっとじゃあやってみようかなって思うわけ、思うわけだよ。
で、そこで俺思った。何やるんだろ俺wwwやべえそこから始めないとww俺まじ今まで適当すぎ。まあそれも人生。
いままでの俺は、それはそれで俺なりに人生について考えてそれでなんとなく今を
こうやって生きてるのも悪くない。って思ったんだから。
でもなんか時間とか人生とか、よくわからんけど考えてみた。わりと正直に。
夜に。深夜に。深夜の俺が思ったわけ。そして俺の中のなにかが顔を出したんだよ。本当は違うだろお前って。
ということで、結局まずは自分探し、みたいなしょぼい結論っぽくなっちゃいましたけど、
なんとなく言いたいことを言ってみました。
とにかく俺は何が好きで、何をやりたいのか、それから何を成したいのか、
ってことについてある程度の人生の現実的なリスクを無視して考えることからはじめてみます。
ちなみに俺は20代後半です。ぷはwwいまさらかよ。っても思うけど、でもいいやって思えてきた。
んでじゃあどうしようかなあ。俺。
とりあえず好きな漫画のジョジョから今の俺に対してこの言葉を書き写す
「君はぼくを乗り越えると言ったが……… 君よりも9年も長く生きてるから教えてやろう……
他人を負かすってのはそんなむずかしい事じゃあないんだ………
もっとも『むずかしい事』は! いいかい! もっとも『むずかしい事』は!
『自分を乗り越える事』さ! ぼくは自分の『運』をこれから乗り越える!!」
あとこれも好きな言葉だ
「「ブッ殺す」… そんな言葉は 使う必要がねーんだ なぜなら オレや オレたちの仲間は
その言葉を頭の中に思い浮かべた時には! 実際に相手を殺っちまって
もうすでに終わってるからだッ! だから 使った事がねェーーーッ」「『ブッ殺した』なら使ってもいいッ!」
さて、このまま寝て
あしたの朝起きたらさっぱりいつもの自称ラブ&ピース&適当&無気力の俺がいるかもしれない。
でも、これだけはやると決める。
あしたの朝おきたら俺はこのエントリを読み返す。間違いなく。絶対に。確実に。
そう決めた瞬間にもうソレは完了していると言ってもいい。おれはこのスレを読み返し、もし
それでも俺が変わらないならおれは俺をあきらめる。そう思う。だが俺は変わりたいと思っている。
明日の俺にこれだけは行っておく。
”俺は今、変わりたいと思っているし、きっとお前も変わりたいと思っている。自分を誤魔化すな”
ここまで読んでくれた人ありがとう。
こうやって自分について少しでも考えることができたのはhatenaのおかげだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20090420/p1
を受けて、
http://d.hatena.ne.jp/shotayakushiji/20090508/1241797762
http://modernshogi.pbworks.com/
と言う形で下訳された「シリコンバレーから将棋を観る」の英語版。
これにエキサイト翻訳をかけ、だいたいのところをつかみつつ、超訳をかましてみました。
「シリコンバレーから将棋を観る」のリバースエンジニアリングと言えます。
リバースエンジニアリングに正当性を持たせるため、「シリコンバレーから将棋を観る」は購入はもちろん、ブログの引用などに目を通すことすらしていません。純粋に英語版だけを元にしています。
このため、特に邦題、固有名詞、会話の語調などが間違っている可能性がありますので、その点はご承知おき下さい。
また、今のところ実施したのは前文のみです。
下訳は1時間、超訳は全く別のDVDをながら見しながら3時間ほどで終わらせましたので、その程度の精度と取っていただければ。
ツールとして、アルクの英辞郎(http://www.alc.co.jp/)を始め、オンライン辞書、Amazonの書籍検索、Wikipediaなどを活用しました。IT革命で仕事のツールが便利になったってのは本当ですね。
忙しい人のために要約しておきますと、
と、こんな感じみたいですが、実際のところどうなんでしょう?
20世紀末に起きたIT革命と急速なグローバル化。社会はより複雑に大きく変わりました。得られる情報は増え、仕事に使う道具も増えました。その結果、昔(と言っても20年ほど前ですが)に比べ、今は、自分に合った仕事をやりたいとか、やりがいのある仕事をやりたいとか、そういった仕事できちんと生活したいと思うと、一人前になるために必要な期間も、そうなってから働く時間も、ずいぶん長くなってしまっています。良いか悪いかは別にして、「自分の趣味に関することを勉強しよう」とか「趣味を仕事にしよう」というのがなかなか難しい時代なのです。
将棋は、日本の社会、日本の文化として、日本人の心に深く根付いています。日本人なら、小学生、あるいは中学生の時は、将棋でよく遊んでたな、という人も多いでしょう。ただ、そんな時代は長くありません。将棋に夢中だった男の子も女の子も、10代後半以降、専門の勉強が増えるなどして忙しくなると、だんだん将棋を指さなくなります。私も他の皆さん同様、そうやって将棋を指さなくなったうちの一人でした。
10代末から始めてきた自分の専門をいかして働き、それで家族を養っていこうと、日本を去りシリコンバレーで生活してきた、というのが、私のこの25年のことでした。そうして私は自然に将棋を指さないでいました。
とはいえ、日々忙しいなか、たまの余暇には将棋に関する情報に触れていました。著名な将棋関連本でしたらほぼ全ての書籍を読んでいましたし、雑誌"将棋世界"を定期購読したりしていました。ですから、遠く離れた場所から、日本の将棋と棋士の魅力にとりつかれていたと言えます。
将棋を"指したり"、"腕が上がったり"、する暇は全くありませんでしたが、今でも将棋を"観戦したり"、棋譜を"読んで楽しんだり"、将棋から"人生のヒントを得たり"することは日常のことになっています。例えば、米長邦雄永世棋聖(日本将棋連盟会長)が記した名著「人間における勝負の研究 - さわやかに勝ちたい人へ」(82年、祥伝社)は私が大学にいる時に出版されたものですが、私にとっての必携の本でした。重要な決定に関わる時、この本が自分を助けてくれたことが何回もありました。また、金子金五郎九段については、おそらくこの本の中でも何度も語るでしょうが、単に彼の本がいい、だけにとどまりません。彼の本は、私の執筆の手本となっていますし、彼の生き方が、私が後半生に目指したい生き方でもあります。
「指さない将棋ファン」である私。
私はこうして将棋に係わってきましたが、将棋はほとんど指してきませんでした。そのため、将棋が好き、といったことや、趣味は将棋、といったことを公言してはいけないと思っていました。将棋を好きと言うためには将棋が上手くなければいけない、そんな空気があるように見えるのは私だけでしょうか。将棋界の一員になるには、敷居が高すぎると考えたのです。それで、私は一人静かに将棋を愛し続けました。
40代になり、暇になってきたので、私は愛する将棋について、自分のブログでつぶやき始めました。
すると、驚いたことに、かなりの反応があったのです。日本にも、将棋を指さなくなって長くなっても、心の中では将棋を愛し続けていた人がいたのだとわかりました。
小学校の同級生で、今は外科医をしている友達に30年ぶりに会った時にいちばん盛り上がった話題は、前に私がブログで書いた話がきっかけでした。
「梅田、お前、子供の時から将棋が好きだったのか。俺も下手の横好きでな。医学部に入ったら、将棋を指す暇なんてなくなっちゃたけど。でもなあ、今度中二になる俺の息子が、将棋クラブに入っていて、毎週あいつと毎週日曜のNHKの将棋番組を見るのが楽しいんだよな」
「なら、将棋の大ファンじゃないか」
「将棋を見るのが好きなら、俺と一緒で、十分趣味と言えるよ。プロ棋士はすごいよなあ」
「今から5,6年経ったら、オペも引退だろうし、そうしたら暇になるから、その時は将棋観戦ももうちょっと楽しいだろうな」
彼と将棋について話している時間はあっという間に思えましたが、それは子供時代にタイムスリップしたひとときでした。
また、S社の技術関連責任者10名と、新技術の商業化に関してぶっちゃけた会議を行った時のことです。会議の後で、そのうちの1人のソフトウェア技術者、私はこの人とは初対面でしたが、彼が私に話をしに近づいてきました。30代で、凄腕の技術者です。
「ええ」
「それはうれしい。仕事のあとでそういう話が聞けるのはいいですね。」
「自分、高校の時には初段を取ったくらいの腕前だったんですが、大学に入ってからはソフトウェアにかかりっきりで、将棋を指す暇がなくなってしまったんですよ。でも、時々雑誌とかテレビとかインターネットで将棋をみていましたし、それで鳥肌の立つこともありましたよ。あれは本当に面白いものです。学生時代も将棋に没頭する人たちがいて、彼らはアマ有段者だったりするんです。そういう人が仕事場にいるんですが、ああいう人たちを見ていると、どうも自分が将棋ファンだと公言するだけの資格がないように感じてしまって。」
「そんなことはないでしょう。あなたは"指さない将棋ファン"だし、"趣味は将棋観戦です"と言えばいいんです。私は自分の趣味を言う時には"将棋"ではなく"将棋観戦"と言いますよ」
また別の機会には、K社の役員会議にオブザーバーとして加わって、そこの社長と話しました。
「ええ、自分は羽生さんの本を会社経営の参考にするためにいつも読んでます。生きている間に1度は彼に会いたいと思っています。10年以上もアメリカで疲れる暇もなく働いているせいで誰とも将棋を指せなかったのですが、でも将棋に関する雑誌はずっと読んできました。役員会に招集されて日本に戻っても、すぐに世界一周に飛び立たないといけないので、雑誌を読むのは主に機内でですけどね。将棋を指す暇は全くありません。」
「将棋の大ファンじゃないですか!」
「いえいえ。上手くはないんです。子供の時にはいつでも将棋で遊んでましたが。今となっては将棋の腕を磨く時間すらとれません。今はコンピュータ将棋も強くなりましたが、自分にとっては羽生さんが活躍しているのを遙か遠くから静かに見守るのが、自分の将棋の腕を磨くよりもいいと考えてます。」
「そのうち、タイトル戦の大盤解説を一緒に見に行きましょう?」
「いいですね」
「将棋界は完璧な才能で成り立っています。谷川浩司。あの人が出てきた時は、まさしくその才能、完璧な才能の人が現れたと思いました。しばらくしたら、羽生善治が現れました。10年経って、別の完璧な才能が現れるんです。なんというか、将棋界はかくも信じがたき世界ですよ。私が強く将棋に惹かれるのもそこです。でも私は将棋を指すのがうまくないんです。上手くないですから、将棋界の外から静かに見守ります。」
どうも世界中に、彼らのような"指さない将棋ファン"がまだまだ隠れていそうです。
最初ブログに将棋のエントリをこわごわ書いていました。将棋の上手い人がそれを読んで「こいつは将棋を知らないな、まともに指せもしないのになんでこんなことを書いているんだ」と思われるのではないかと思ったのです。
しかしながら、隠れ将棋ファンの皆さんから来た思いがけない反応をみて、私は将棋界で何かお役立ちの一端を担えるのではないか、また"指さない将棋ファン"というコンセプトが、ファン層を厚く、広くするために重要ではないか、と思うようになりました。
子供の将棋人口を増やすために親に将棋を広める、というのも大事ですし、それ以上に、将棋がグローバルになるるためにも大事です。
また、羽生さん、佐藤さん、深浦さん、渡辺さんのようなプロ棋士と仲良くなったのですが、同じようなことを皆さんも常々考えていたようで、"指さない将棋ファン"や"将棋観戦のファン"が増えるよう、私を励ましてくれました。
将棋を見て、楽しむのに、特段必要なものはありません。
誰でもすぐに「指さない将棋ファン」になることができます。
将棋を指さなくなっても、将棋界のことを考えている人、理由はともあれ将棋好きだけど、将棋が上手いとは言えない人、将棋を今まで指したことがないけれど、棋士の輝きに魅了されて、そのため将棋により興味が湧いた人。
それらの人たちに向けて、私はこの本を書いています。
将棋を指さずとも、将棋の楽しさはわかるように、素晴らしい棋士の楽しみを感じられるように、何か変わったことがほしくて将棋を見始めたくなるように。
本当にそうなって欲しいなと願いながら、私はこの本を書いています。
渡辺竜王か羽生名人か、初代永世竜王の座を掴むのは。いよいよ竜王戦最終局が明日午前9時に始まる。
竜王位は名人位と並ぶ将棋界の最高タイトルであり、唯一無双の最高額タイトルである。挑戦者はアマや女流を含めた実績考慮の変則的トーナメントで決定されるため、トーナメント出場資格以上の実績が無くとも連勝さえすれば最底から一気に挑戦者となることができる。7回の保持または5連続の保持で永世位の資格を得る。
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羽生は最強の棋士である。7大タイトルの独占後も無冠に落ちたことはなく、7戦以上して負け越している相手はゼロ。勝ちまくるため自然と強い棋士との対戦が多く組まれてゆくにもかかわらず生涯勝率は38歳にして7割を優に超えている。複数回や連続年度獲得すると得られる永世名誉位も6つ手中にし、残る永世竜王位もあと1局を残すのみとなっている。あらゆる戦形を指しこなし、長期的視野にたって目先の1局だけでなく後々に経験が生きるように指すことも多いと自他共に言われていたが、今期竜王戦だけは勝利に徹した差し回しを選択していると噂されている。
迎え撃つは24歳の渡辺である。羽生と同じく中学生でプロ棋士になり、若干20歳で竜王位を奪取した。その後も強敵相手に防衛を重ね4連続保持の最中のため、この1局に勝てば永世竜王位の資格を得る。しかし獲得したタイトルが竜王だけであり、また羽生を倒してのタイトル獲得防衛ではなかったため、他の一流棋士に厳しく評されることもあった。将棋の純文学と形容される本格的な戦法である居飛車、矢倉、穴熊に強い。
二人は5年前にタイトル王座を巡ってフルセットを戦ったが、最終局終盤で羽生は手が震えて駒がまともに持てなかった。しかしその後は不思議なことにほとんど対局は行われず、今年の五月にネットでの対局が組まれたときは、なんと羽生のコンピューター操作にトラブルがあったようで時間切れ負けとなってしまう。そのために事実上最強の羽生と最高タイトル竜王を保持する渡辺が並存するという奇妙な状態が5年も続いていた。しかし、遂に羽生が竜王位に復位せんと勝ち上がってきたのである。
こうして若手の渡辺竜王に最強の羽生名人が挑戦するという、感覚とは逆の不思議な大勝負が実現した。
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第1局はパリで行われた。これで勝つはず筈とほとんどのプロ棋士が思った渡辺竜王の攻めを、羽生は自分だけが観えていた大局観で凌いで羽生挑戦者勝利。格の違いを見せ付けられたようだった。
第2局は細かい攻防が続いたが、渡辺竜王の苦心の手もそれまでの僅かな劣勢を跳ね返すに至らずに羽生挑戦者連勝。第1局での後遺症が響いたのかと噂される。
第3局は渡辺竜王の新手を羽生挑戦者が咎め初日の夜から大差になり、以降渡辺竜王はいいところなく無残な敗北を喫する。渡辺竜王からは沈痛な感情がありありとみえ、ブログでは「内容が悪くて申し訳ない思いです」とまで記された。単なる一局の敗北に留まらず決定的な精神的ダメージを負ったのではないかとまで噂される。ともかく羽生挑戦者3連勝で渡辺竜王を追い詰めた。
第4局も羽生挑戦者は不思議な駒の使い方をして、渡辺竜王を専守できないように誘導してから自陣をガチガチに固めることに成功する。なんという一方的な展開だったのかと次々に観戦者から悲鳴が上がり、また別の者は羽生挑戦者の勝利とみて永世竜王位の祝杯を早々とあげはじめる。
ところが。
何度も敗北を覚悟しながらも妻に応援された通りか粘っていた渡辺竜王の玉は、羽生挑戦者の猛攻を打歩詰めの筋というギリギリでかわしていたのだ。後に本人でさえも「最初はそんなことがあるわけないよな、と信じられませんでしたが・・・。」と語るほど不思議な決着で、奇跡の逆転を果たす。まるで第1局を映したかのように。
第5局は渡辺竜王が序盤から少しずつリードを重ねていき、羽生挑戦者の仕掛けた深遠な罠をことごとく見破って勝利した。大局後の検討で様々な質問に対して深いところまで丁寧に回答していたという。この一局はがっぷり四つの横綱相撲のようであり、まるで第2局を映したかのようでもあった。
第6局は渡辺竜王が矢倉から早々に戦いを仕掛けていき、そして一日目の昼下がり、誰にも語らずに温めていた新手を放つ。これは大丈夫なのかとの声が観戦者から上がる。……しかし羽生挑戦者の様子がおかしい、僅か数手で持ち時間がみるみる減っていく。深く検討すると既に羽生挑戦者がかなり苦しい事がだんだんわかってきた。それから羽生は食事もあまりとらず、あるいはとれなかったのかもしれない、膝元に毛布を置いていたのだから風邪とも噂されるが、過去に羽生挑戦者は風邪の方が緊張がとれてかえってよかったと言いながら勝った事があるため不明。ともかくその後は羽生挑戦者にいいところが全く無く……そう、まるで第3局を映したかのような惨敗を喫したのである。
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id:essaさんのエントリーにあるように、竜王戦(羽生vs渡辺明)がいま盛り上がってるのね。
流れを簡単にまとると、
→いつもは旦那に対して辛辣or無関心(を装ってる?)な渡辺夫人がブログ上で異例の励ましメッセージ
「めぐみが流れ変えたん?」
このワクテカを増田のみんな(15人くらい?)で分かち合いたいと思って、
将棋を知らない増田のために、わかりやすく棋士をドラゴンボールで例えてみたんだけど……
逆にわかりにくいかな。
梅田望夫 = ヤジロベーで雰囲気だけ掴んでもらえたらと思う。
はてな取締役であるという立場を離れて言う。竜王戦は、バカになるくらい本当に熱すぎる。「二枚がえに成功してさらに飛車を成り込む」という望外の展開になった渡辺竜王に対して、「その展開で、必ずしも先手有利とは言えない」という大局観を羽生名人が持っている事を誰が予想できるだろう。そこがまったく理解不明だ。
竜王戦がとにかくアツイ!
http://anond.hatelabo.jp/20081020234554
http://anond.hatelabo.jp/20081128053558
http://d.hatena.ne.jp/essa/20081212/p1
竜王戦中継plus
克目せよ!竜王戦最終局
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このメモは個人的なものであり誤りが大量にある筈なので、くれぐれも絶対だとは信じないこと。指摘大歓迎。
1.将棋には、タイトルのひとつとしての竜王と、駒のひとつとしての竜王がある。駒の一つとしての竜王は飛車という駒が裏に成ることにより現れる。
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最高位の座を名人位と二分するタイトル竜王[1]、四連覇中の若き渡辺明竜王に挑戦者するのはこちらも計六度竜王であった有名な羽生善治名人、どちらも五連覇もしくは計七度保持すればえられる永世竜王それも初代をかけた戦いになった。
渡辺は第三局まで三連敗の上に内容が悪くなっていっているのではとも噂されはじめ、しかも四局目は戦型を選びにくく不利といわれる後手番であった。
その渡辺に羽生は近年凄まじい高勝率をあげている相掛かりという戦法で襲い掛かる。普通なら角道を開けて拒否するのだが渡辺には「相掛かりを受けて立って悪くなるはずがない」という信念があり、真正面から受けて立った。
相掛かり自体は前例がたくさんあるのだが、早くから羽生の好みの銀が「右」からUFOのように昇っていく形は珍しいらしい[2]。少しでも踏み外せばあっという間に勝負がつきかねない激しい変化にもかかわらず局面はどんどん進行していく。
速い戦いにせざるを得ないと読んだのだろう、渡辺は玉を真っ直ぐひとつ上がり守りの駒を少し離して「中住まい」にした。この利点は守備が早く完成する事、駒を均等に配置するので持ち駒を放たれてしまう隙間が少ない事、そのわりに玉が逃げ回る空間は広い事である。
しかしなんと羽生はUFO銀を「左」に下げて守りに使い出した。
矢倉といえば普通は金矢倉であり、銀矢倉は最近姿を消していた。それは主に築城にかなり手間がかかり、その間に相手に好き放題されてしまいかねないからである。しかしそれを羽生は成し遂げた。
この固い守りに渡辺はすぐに手が出せない。かといって渡辺が本来得意とする、熊が冬眠するような堅い守りにしようとすると、組み上げるときにどうしても避けられない大きな隙を狙われるため不可能。対して羽生は隙をみせずにもっともっと守りを固めていくことができる。これは一日目にして既に勝負あったのではないかと考える人もいたようだ。
もはや渡辺には攻め抜く道しか残されていなかった。
銀矢倉でほぼ自陣を固めきった羽生に対し、極限まで駒を攻めに向かわせた渡辺。渡辺の陣容はその左右対称性からインベーダーとも呼ばれた。美しく見える人もいたかもしれないが、いざ攻められると非常に脆く崩れやすい。ここで手が封じられて翌日へ…。
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いよいよ渡辺の猛攻が始まった。苦悩の果てに羽生の銀矢倉への正面突破をみせる。だがそれに応じ羽生は銀矢倉から更に硬い囲いに組み上げた。観戦する誰かが局面を後手の渡辺側から見てみろよと言い出すと、方々から渡辺絶望的との声が上がる。そして渡辺は貴重な守りの駒さえもひとつ犠牲にする。
と、ここで渡辺は駒を渡す。また千日手(繰り返し)のようで千日手ではない似たような手順を繰り返す。妖しい手に戸惑う観衆。その手順から渡辺の飛車が間隙を縫って、羽生の守りとは離れたところに突入し、竜王[1]と成った。
竜王を頼りに敵陣に突入できるできるかもしれない、と微かに望みが繋がった渡辺。とはいえ、その間に羽生は激しい攻撃を繰り出したり、かと思えば絶妙のタイミングで守りに切り替えたりして、渡辺を崖っぷちから逃さない。
竜王を頼りに敵陣に突撃してゆく渡辺の玉、させまいとする羽生。もし突入されてしまうと、規定により駒数が少なくなってきた羽生は負けかねない。複雑な変化を掻い潜るなかで、遂に羽生の手が震え始める。
「手が震えたという事は、羽生はギリギリの勝利を確信したのか?」と噂され始める。敵陣に突入しかけるが更に厳しい迎撃に合う渡辺。お互いに勝負を決する難解な選択が連続する。やがて震えることもなくなり力強く渡辺の竜王を取り飛車として駒台に乗せる羽生。勝負はあったのか…?
対局の直前に渡辺は「諦めたらそこで試合終了だよ」と嫁に励まされていた。
なんと再び羽生の手が震え始める。その中で玉が非常に危険なのにも関わらず果敢に飛車を打ち込む渡辺、そして再び成って竜王とする。羽生は全力で渡辺の玉を追うが、なんと打ち歩詰め禁止のルールゆえという際どさで凌いでいた。
加えて将棋は後ろに攻めにくいようになっているので、羽生陣の奥に突入された渡辺玉はもう捕まらない。だから勝敗は駒の数で決する規定が適用される事になるのだが、それも渡辺玉を捕まえるために手放し過ぎてしまった。遂に羽生は敗北を認めた。
第5局は12月04日・05日、和歌山県西牟婁郡白浜町「むさし」で行われるようだ。
メモ終
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http://blog.livedoor.jp/habuakihiro/archives/65115500.html 「元請けにこだわる理由」に
とあったので、すでにスーパースター級の人が答えてるけど、凡庸な人も答えてみる。こっちの方が圧倒的に数は多いので、意味なくはないかと。
自社のバックオフィスの方が、外注先に対してどんな立ち居振る舞いをしているのかご存じですか? 自社と外注先との間の契約がどのようになっているのかご存じですか? それを目の当たりにしても同じことを言い続けられる自信はありますか? そういうことはスーツの仕事とレッテルを貼って見て見ぬ振りをしてませんか? それでいて業界を変えたいなどといいますか?まず自社の外注先との関係をもっとしっかりと構築する気概を見せて頂きたい。
ほとんど知りません。たまに購買部署から納品・検収日をずらせとか指示が来るので、結構えげつない事もしてるかもとは思います。その問題は重大です。重大ですがしかし、それが重大だからと言って、技術が重要である事には変わりありませんし、外注さんにとっても技術を磨く事が有益である事も変わりはないので、言い続けない理由がないです。購買部署もコスト削減のために数人で数百の発注を滝のようにこなしつつ、常に上からの指示される目標数字に実態に合わすための仕事に忙殺されていて、1開発部門の1開発者が理想論をぶっても聞く耳を持つ余裕はないようです。
みんなで技術力を向上しようなどとアジテーションを繰り返しても、その成果を挫くような契約形態を取ってる会社に属して禄を食んでいるのが事実なのではないですか? 会社名の入った名刺を持つ時点で、会社の看板を担う一人なのです。住宅ローンを組むときに所属企業の信用があるから組めるというのは、それは「会社と自分は関係ない」などとは言えないということなのです。自分の信用は自分だけの力ではないのです。
すみません。ごめんなさい。生きててすみません。ただ、たしかにローンもカードも作れますが、給料については大学の同期で金融とかメディア系とか他業種に行った連中の話を聞くと、うーんって感じではあります。それでも、計算機が好きなので、後悔はしてませんが。
エンドユーザのところに謝罪に行く際に外注先を連座させて「開発したのはこの会社です」などとやるなら、だったら元請けなどやらなければいい。何のためにマージンを抜いているのか? お金を頂くに値する仕事をすべきです。
そんな事は自分や自分の周りではあり得ません。たとえ外注さんがこっちの言う事を無視して隠れて手抜きをしたのが原因であっても、謝りに行くのは我々です。厳しいお客さんは、原因の顛末の詳細を文書で要求しますが、当然元請けであるうちらの不手際という内容の文章を作って提出します。
作業が忙しいのと仕事が忙しいのは別の話です。俺たちだって忙しいんだ、などと下請けに対しては死んでも口にするものじゃないのです。言うべきは「お仕事を引き受けてくれてありがとうございます」です。その程度の節も通せないから、デスマるのです。プロジェクトマネジメントの筋も曲がってしまい機能しなくなるのです。筋を通すために体を張れずして何がマネジメントぞ。
これは意味が分りません。もちろんパートナーなので下に見るのはいけませんしそう心掛けていますが、上に見なくてはいけない理由が分りません。こちらの仕切りの迷惑を掛ける事もありそう言うときは平身低頭でお願いしていますが、逆に隠れた手抜きとかショボイ出来やスキルが追っつかなくてそもそも全く出来ないとかそういうを、外注さんがほとんど帰宅して家でのんびりだか彼女とよろしくやってる頃に、事務所で必死に尻ぬぐいしてるのも事実です。パートナーはパートナーです。
弊社などとは比較にならないほどの資本力と人材を持っていながら、一向に生産性が改善されないのは何故ですか? 相変わらず外注頼りなのは何故ですか? 自社で完結出来ない案件を受注するのを恥ずかしいとは感じないのですか? 何故10年前と取引価格が変わらないのですか? ブログなどで社外の人に向けてに叫ぶより先に、自社の中で行動して自社を変えてください。身の回り一つ変えられなくて、何が業界ですか? 何が社会ですか? 何が世界ですか? やりたいこと・出来ることをやってるだけで、世の中が変わるほどそんな都合のいいことはないのです。社内で上り詰めて改革をするくらいの気概を見せてください。
外注さんのメンバーは身の回りですが、購買部門も自社システム部門も開発部門からはまったく身の回りでないどころか別世界です。あと、重要な事を言いますと人月ベースで生産性が上がっていないというのは、本業としてお客さんには申し訳ないですが、外注さんにとっては生命線と言って良いほど必要なものです。もっとアジャイルでどんどん回せるような人だけでやれば生産性は上がりますが、通常の外注さんでそのレベルの人はリーダクラスとか一部だけです。多く見積もっても3??4人に一人がいいところ。羽生さんの所のような高スキル集団は極端な例外。そんなやり方をしたら、外注さんの売り上げはよくて半減、そして外注さんの7割は飯を食えなくなります。自由競争の社会ですから仕方ないと言えばそうかも知れませんが、自分は一緒にやっている外注さんのメンバがそうなるのは忍びないと感じるのは正直なところです。
1年前と・3年前と比較して、何をどれくらい変えることが出来ましたか? その実績をこそ叫んでください。これからの話よりも前に、これまでの苦闘とその結果を語ってください。であればこそ、その奮闘の先にある未来を信じることも出来るでしょう。プロは結果でのみ評価されます。
購買部門も自社システム部門も手が届かないので、身の回りは低レベルながら変えています。無駄なモノは作らなくて良いようにしたり、意思疎通を改善したり、外注さんのスキルアップをしやすいシステムにしたり、などなど。もちろん、羽生さんや比嘉さんみたいなデッカい事は出来ていませんが、コツコツとやっています。
購買部門も自社システム部門も、経営レベルで「これでは立ちゆかない」という危機意識を持たない限り変わらないと思います。一開発部門の一開発者が叫んでも、煙たがられて消されるだけです。自分も消されはしてませんが、圧力は何度も受けています。彼らに危機意識を持たせるには、羽生さんのような所が頑張って追い込んで貰うが非常に重要だと思っていて、影ながら応援しています。これからも頑張ってください。
そりゃするだろう。
誰のPCでやってたんか知らないけど、
http://anond.hatelabo.jp/20080201001641:title
こういうの見るとやはり梅田望夫や羽生直也は正しいこと言ってると思う。
ただこいつの環境っていう面もあなどれない。親がおそらく優秀なプログラマだってことはなんとなくわかるし、
SICPは中学英語で読めるようなもんじゃないから帰国子女の可能性もある。
昨日親に話してみたら、Structure and Interpretation of Computer Programsっていう本を勧められて、
今度はHow to Design Programsっていうもっと入門編の本を教えてくれて
こんな親父なかなかいない。