はてなキーワード: 一品とは
アニメ業界においても地域格差が広がりすぎてるのは、散々語りつくされてることだけど
ここらで地方在住者が金をかけずにアニメを見る方法をひとつ。
それは、ある程度規模の大きなCD・DVDショップで働くこと。
CD・DVDは入荷数等を基準に、メーカーから内覧用・店頭放映用のサンプルが送られてくる。
ちなみに、サンプルと一口に言っても種類がある。
1.製品そのもの
何のひねりもなく、製品そのもの。
バーコード部分にSAMPLEというシールが貼り付けてあるだけ。
大体は通常版だけど、限定版が送られてくる場合もある。
フィギュア付きの限定版が送られてきた日には
2.ダイジェスト盤
1話だけとか、オープニングだけとかのダイジェスト盤。
ジャケット等は無く、プラケースにメディアと収録作品リストが入ってるだけ。
大概画面にSAMPLEという文字が入る
CDの場合、同一メーカーのシングル曲をまとめて収録したものもある。
3.自社製作盤?
担当者がサンプルを焼いたもの
白メディアに手書きでタイトルが書いてあったりする、自主制作風味溢れる一品
通称白盤
こういったサンプルは基本的に使用後は各店舗で処分し、メーカーが回収したりはしない。
店によってはスタッフが持って帰って良いこともある。これで一銭も払わずにDVDが手に入る。
貰えないにしても、真面目に働いていれば数日間借りて帰るくらいは問題ない。
8 名前: 洋菓子のプロ(三重県)[] 投稿日:2007/12/16(日) 10:24:55.21 ID:+20/X1930
<がんばれ森のキノコたち??>
暗く湿った森にひっそり佇み、飢えたDQNを迎え討つ。
【ドクツルタケ -毒鶴茸-】
新聞紙上で毎年戦歴を並べる最強の戦士。「殺しの天使」の異名を持つ。
エレガントな姿からは想像もできない凄まじい毒性を持ち、肝臓、腎臓を
スポンジ状に破壊、数日間から約1週間苦しみを与えた末、死に至らしめる。
体重60??の人間の場合、ドクツルタケ約1本分(8g)が致死量に相当する。
【クサウラベニタケ】
有名な食用きのこである「ウラベニホテイシメジ」と同じ時期、同じような環境に
互いに混じりあって発生する毒キノコで、ベテランDQNでさえこの2種の判別は難しい。
まさにゲリラ戦の勇士である。
かつてカストロから、チェ・ゲバラと並んで勲章を授与されたこともある。嘘である。
胃腸系の毒を装備し、嘔吐、下痢、腹痛などでDQNもタジタジの一品。
【ツキヨタケ -月夜蕈-】
ブナの樹幹に群生し、食用のヒラタケ、シイタケ、ムキタケに形状に似せDQNを誘惑。誤食を誘う。
食すると嘔吐し続け、手の先がしびれ、数日間七転八倒の苦しみを与える血も涙もない仕打ちは、
正に毒キノコならでは。
「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
前から思っていたが、分裂勘違い君の書く文章には、意識的に多くの仕掛けが施されている。
今回、あまりに手放しの賞賛が多いので、ちょっと違った視点(意地悪な視点)から斬ってみたいと思う。
それにしても、名文である。
これだけ罠や仕掛けが多い文章を、誰にでも読みやすく書ける才能には脱帽。
このエントリの罠はいくつかあって、全てがはてなブックマークにハマってしまうタイプの人に、向けられてる。
つまり、ウェブについての知識や興味があるが、いわゆる一個人として「コトを成していない人」。
つまり、自分の境遇にあまり満足していないが、努力の方向が良くわからず、情報収集ばかりを病的に繰り返してしまう人。
第一の罠が、そう言うはてなマニアが素直にこのエントリを批判する文を書こうとすると、自分が無能なことを
少なくとも、一度は筆者を持ち上げないといけない罠。
第二に、このエントリは、馬鹿馬鹿しいくらいの「正論」を、巧みに味付けしてみせただけの文章だということ。
中身は、これだけ。
「その時々にやりたいことを、好きなようにやれるのが一番幸せ。俺、出来てるし」
後半の「出来てるし」の部分でさえ、履歴書チックにそれなりの成果があれば、主観的なことを判断基準にしているから、
外部の人間が「やれてねえだろ」と証拠をあげて突っ込むのが難しい。
「それ、好きじゃないから」「その時点で飽きたから」っていわれたら終わりだし。
あと、手抜きしてもこんだけ出来るぜ自慢は、がむしゃらになれる人への嫉妬の裏返しだよね。
第三に、繰り返される「好きなステーキでも毎日食ってたら飽きる」という極端な比喩。
これは、この程度の比喩で素直に納得してしまうレベルの人をメインターゲットにした上で、
おかしいと見抜いてもそこをツッコむと、ツッコんだ人がレベルが低そうに見えてしまう、
という二重の罠。
とりあえず、馬鹿っぽく見えることを承知で、真っ正面からツッコんでみる。
そもそも、食事の比喩は、感覚的に強烈でわかりやすい錯覚を覚えるが、大抵において的確ではない。
何故なら、食事は毎日繰り返される本能的な欲求で、習慣や仕事や趣味と同次元で語れるものではないから。
つまり、一生ステーキしか食えない、って聞いた時のウェッと来るような感覚的な気持ち悪さは、
一生プログラマーの仕事を続ける、と言う感覚と、全く関係ないってこと。
それを前提にした上で、レベル感の違い、構成要素の複雑さの違い、そもそもステーキを毎日食べたい、
と言う言葉自体が誇大表現のレトリックであるということ、などなどツッコミどころが多すぎる。
レベル感ってことで言えば、「ステーキ」って「プログラマー」に対して、範囲狭すぎるでしょ。
そもそも、「プログラマー」などの「業種」を、「ステーキ」という「素材そのものの一品料理」と
一緒にするのがおかしい。そりゃ、想像するだけで気持ち悪くなるよ。
せめて、「肉料理をメインに一生食べ続ける」、くらいのもんでしょ。
それくらいなら、実践している人も山ほどいる。
それに仕事なら、役割も内容もどんどん変わって行くわけで、成長も変化もある。
テトリスを一生やり続けるのと、FFオンラインを一生やり続けるのと、くらいの違いがある。
ああ、やっぱり馬鹿らしい反論になってる気がする……。
正論や極端な比喩に、とって付けたような(しかし、批判の対象になるプログラマー層が小耳に挟んだことはあるが
詳しく知らなそうな分野のネタを広範囲から)引用や巧みなレトリックをまぶして、見事な文章に見せかけている。
第五に、褒め殺し。
ポストモダンで解決案を提示出来なかった課題にも、梅田さんなら何らかの解決策を出してくれるかと
期待した、なんて誉め殺しもいいとこ。もともと趣旨違うし。
そうすることで、自分が解決策を提示出来るわけでもないのに、相手を褒めつつ批判することが出来る。
勘違い君も、「自分は好きな時に好きなことをやる人生が実現出来てるよ」ってことは言えていても、
多くの人が実現出来るような解決策を何も提示出来てない。そしてそれを巧妙に隠しているってことだ。
今までのエントリがそうだったように、「はてなブックマークで話題になること」である。
つまりこのエントリは、自分を持ち上げつつも、自分よりも自己実現が出来ていない層から共感や賞賛を
得るために書かれたもの、ということになる。
繰り返し言うが、「その時々にやりたいことを、好きなようにやれるのが一番幸せ。俺、出来てるし」ってこと。
まず、梅田望夫が自ら名言しているように、「ウェブ時代をゆく」は、あなたのようにウェブの世界に精通し、
それをわかっていながら、こきおろしている。
まるで、ベテランが新人の基礎研修を見に来て、古典的で四角四面な内容に茶々を入れてるみたいだ。
けものみちの生き方を目指しつつ、ひろゆきや梅田望夫になれず、はてブのヒーローに留まってしまうのは、
論破出来そうな権威に噛み付いて、自分より格下の相手の称賛だけで満足しているだけの器の小ささではないかと思う。
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20071209/1197232409
※ブクマ数が100ぐらいになったら、↓このへんに 書き手が現れる予感。
「わたしが書きました」 くろいぬ(Shields-Pikes)
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20キロの減量に成功した俺のダイエット法でも書いてみる。
痩せたい人は試してみてね。
胃袋ダイエットというのがあるらしいけど考え方はおそらくそれに近いです。
痩せるのではなくその前に胃袋を小さくする。
そのためにはまず食べない。
とにかく我慢。
おなかがぐーぐー鳴ってもうダメというときまで我慢。
そのかわり食べるときはカロリーを気にせず好きなものを食べる。
痩せるのが目的ではなく胃を小さくすることが目的だから量だけを気をつければいい。
一見、たんなる苦行のように思えるけどこれが意外に続く。
おそらくカロリーという見えない敵と戦う他のダイエットとは違うから。
空腹感そのものが胃袋縮小の手ごたえだと感じられるし
食事も量というはっきりと目に見える基準があるからやりがいがある。
何を食べてもいいというのは気分的に楽。
個人差があるだろうけど二週間もすれば効果が出てくるはず。
特に外食したときがわかりやすい。
定食にもう一品頼んでいたのが定食だけで苦しくなったり
大盛りでちょうど良かったのが並でお腹いっぱいになったり。
カロリーを燃焼させるより胃袋を小さくさせるほうが簡単ということなのかな。
要するに繰り返しなので、味がわかりたければ何度も飲みにいけばいい。味をしらなければならない理由はないが、どの文化でも一番うまい料理は一番うまい酒と螺旋を描きながら育っていくので、日本の味をもっと楽しみたいなら、酒とはつかず離れずになる。たとえば、秋刀魚のハラワタとふぐ刺しは対極にあるのだが、日本酒という回転軸の周りを踊るメリーゴーラウンドという点で同じ位置にある。
手っ取り早いのは、酒屋じゃなくて日本酒が豊富な呑み屋。都市には多いのだが、地方だと少し難しいか。俺は一品種ごとにスタンプを教えてくれる店でスタンプカード3枚目で味がわかるようになってきた。日本酒と肴の取り合わせがわかるようになると、「このワインなら牡蠣があうのではないですか?」なんて事が、言えるようになる。そんなもの。
ま、力んでやることじゃないよ。
日本人の多くは宗教を胡散臭く感じてる。聖書から読み取れるだけでも恐らく悪魔の数百倍は人を殺してるキリスト教の神なんて多くの人は信じていないし、そんな神を信じるという行為そのものに一種の愚かしさを見て取って、影に嘲笑する。
でも、そんな人間が、幽霊を信じる。超能力を信じる。宗教というラベルを剥がされた、ただそれだけのことで、その人の考える宗教の馬鹿馬鹿しさの、まさにその核心となるところを信じ込む。或いは、信じ込むところまでは行かなくても、ある一つの可能性として重きを置く。神なんて存在しないと明言したまさにその人間が、しかし霊の存在は信じ込んでいる。彼は、宗教というラベルに対し反応しているだけであって、宗教の持つ難点そのものについて反応しているわけではない。
でも、確かに彼は無宗教家だ。だから、彼は自己の信仰に気付かないし、気付こうともしない。彼は、それによって自己を見つめ、学ぶべき一冊の書物を開いたとしても、それを他者のものとして全然考慮せず、一笑し、そして退屈して静かに頁を閉じる。宗教というものが切実な問題として捉えられていない日本においては、彼は、その書物を場違いな一品と見做し、日本においてはごく僅かしか存在しない宗教家を指さして嘲笑うといった程度の価値をしか見出さない。本来、その書が非難している対象が、まさに自分自身であるということにさえ気付けない。
だから、日本人は、これほどまで宗教を信じない民族でありながらも、長く長く信心深い民族であり続けるだろう。鏡の中の自分を愚者と見做し続けるだろう。