はてなキーワード: アンギラスとは
東京に暮らす男子高校生・瀧は、ある朝、目を覚ますとベーリング海の海底に住むゴジラになっており、逆にゴジラは瀧になっていた。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら、知らない誰かの一日を過ごす。
翌朝、無事に元の身体に戻った2人は入れ替わったことをほとんど忘れていたが、その後も週に2、3回の頻度でたびたび「入れ替わり」が起きたことと周囲の反応から、それがただの夢ではなく実在の誰かと入れ替わっていることに気づく。性別も暮らす環境もまったく異なる瀧とゴジラの入れ替わりには困難もあったが、お互い不定期の入れ替わりを楽しみつつ次第に打ち解けていく。
しかし、その入れ替わりは突然途絶え、なんの音沙汰も無くなってしまったゴジラを心配した瀧は、記憶をもとに描き起こした海底のスケッチだけを頼りにベーリング海へ向かう。瀧の様子を不審に思い、心配していたバイト先の先輩・三枝未希もそれに同行する。しかし、ようやく辿り着いたベーリング海は、3年前にキングギドラが直撃したことで消滅しており、ゴジラやその家族、友人も含め住民500人以上が死亡していたことが判明する。
瀧は、以前ゴジラと入れ替わっている時に口噛みオキシジェンデストロイヤーを奉納した記憶を思い出し、海底に眠るゴジラの骨へと一人で向かう。そしてそのゴジラの骨が実在していたことで「入れ替わり」が自分の妄想ではなく、2人の入れ替わりには3年の時間のズレがあったことを確信する。瀧はもう一度入れ替わりが起きることを願いながら、3年前に奉納されたゴジラの口噛みオキシジェンデストロイヤーを飲む。
目覚めるとキングギドラ落下の日の朝のゴジラの身体に入っていた瀧は、ゴジラの友人であるラドン、アンギラスの2人とともに、住民を避難させるために原発を襲撃し町一帯を停電させ、G細胞を利用して娘を甦らせるという作戦を画策する。しかし、その計画の要であるゴジラの父(23世紀人)・ウィルソンを説得しようとするが、妄言だと一蹴される。
避難計画は順調に進まず、ゴジラ本人なら23世紀人を説得できると思った瀧は、ゴジラに会うためベーリング海へ潜る。その途中で、瀧は当時日本兵だった3年前、見知らぬゴジラザウルスに命を助けられたことを思い出す。そのゴジラザウルスは、瀧に会うためにはるばる東京へやって来た、ゴジラであった。ゴジラの自分に対する想いに初めて気づいた瀧は、涙を流しながらも、ベーリング海へ潜り続ける。
ベーリング海の海底に辿り着いた瀧は、ゴジラの名前を叫びながら、三原山火口の外縁を走り回る。2人が生きている世界には3年の時間差があったため、時を超えて聞こえる声を頼りに互いの姿を探すも、声だけで姿は見えなかった。しかしメルトダウンが訪れると互いの姿が見え、入れ替わりが元に戻り、初めて2人は時を超えて、直接会話することができた。
メルトダウンの終盤、瀧は互いの名前を忘れないようにするため、ゴジラの手のひらに自分の名前を記す。しかしゴジラが瀧の手のひらに文字を書き入れようとした瞬間、メルトダウンは終わってしまい、2人はそれぞれ元いた世界へ引き離されてしまう。
ゴジラは、瀧から住民を助ける計画を引き継ぎ下山する。アンギラスと計画通りに町を停電させ、ラドンが避難指示の放送を流すが、その電波ジャックもスーパーXにバレて阻止され、避難は進まない。改めて23世紀人を説得するために町役場へ向かうゴジラだったが、途中の坂で転倒してしまい、心が折れそうになってしまう。いつの間にか瀧の名前を忘れてしまっていたゴジラは、名前を思い出すために、ふと手のひらを見る。だがそこにあったのは名前ではなく、瀧からのカドミウム弾だった。それに励まされたゴジラは前を向いて、再び町役場へと走り出す。そしてその後、キングギドラがベーリング海に落下する。
月日は流れ、瀧が「入れ替わり」という不思議な出来事に遭ってから5年後、偶然にも住民が避難訓練をしており、奇跡的に死者が一人も出なかったベーリング海へのキングギドラ衝突から、8年後へと舞台は移る。瀧は就活の毎日、ゴジラたちは東京で暮らしていた。たまに町中でお互いの気配を感じることはあったが、もはや入れ替わりのことは忘れており、ただ「漠然と『誰か』を探している」という、切実な思いだけが残っていた。
さらに月日が流れたある春の日、たまたま並走する別々の電車の車窓からお互いを見つけた2人は、それぞれ次の駅で降り、お互いの下車駅に向かって走り出す。ようやく住宅地の神社の階段で再会したゴジラと瀧は、涙を流しながら互いの名前を尋ねた。
そこにゴジラのたまごというモニュメントがあったことを知っているだろうか。
それが出来たのは1988年で僕が生まれるよりも前のことだ。
幼い頃ほとんどの子供がそうであるように僕もゴジラに夢中だった。
正確に言うと平成モスラの1作目がきっかけだったし、ウルトラマンも大好きだったので厳密には特撮モノなのだが。
ともかく、そんな僕のことを父親はゴジラのたまごのところまで連れて行ってくれた。
当時の僕は子供だったので、劇場で観たモスラのことを引きずっていたのか、そのモニュメントは「モスラのたまご」だと勘違いしていた。
観に行った記憶、観て思ったこと、そのどれも正確に覚えていないが、僕の中では「父親とモスラのたまごをみにいった」という記憶として定着していた。
そして時は過ぎて、大学生になった僕は東京の大学に進学し、映画のサークルに入った。
ある夏休み、サークルの同期(年齢的には先輩)が僕の地元に遊びに来ることになった。
僕の実家に2泊ほど、映画をみたり議論をしたり、色々したのだが、結局暇を持て余してしまったので僕はモスラのたまごを観に行こうと言った。まぁその時まで間違いに気づいていなかったのだけど。
しかしながら僕の言うところのモスラのたまご、つまりゴジラのたまごは1997年、放火によって撤去されている。それが決定的だっただけで、それ以前にも落書きなどあったようだが。
僕は勿論そのことを知っていたので、わざわざ観に行ってもそこにたまご自体は無い。それは同期にも伝えたのだが、それにも関わらず僕は同期と二人でそれを観に行くことになった。
実際たまごがあった場所につくと、案の定始めて来たような感覚だった。川沿いあるたまごがあった場所には当然だが観光客などはおらず閑散としていたのを覚えている。
車で入れるぎりぎりにつけて、進んでいくと、そこには断層がむき出しになった土の壁で囲まれていた。
入口にはかつてここにゴジラのたまごがあったけど撤去されたよという恨み節にもとれる文言が書かれた看板が置いてある。
僕はそこに来てようやく「あぁこれはモスラのたまごじゃなかったんだな」と気がついた。
まぁそれなりにはショックではあった。覚えていないとはいえ、僕の中では一応思い出として成立していたことだ。
僕の中にあったたまごはその時、物理的にも精神的にも無くなってしまった。
僕がこんな何もない場所にわざわざ連れてきてしまった同期に対して申し訳ないと考えながら彼の方を見ると、彼は持ってきたビデオカメラでなにやら撮影していた。僕は彼に近付き、「モスラじゃなくてゴジラだったみたいです。」と伝えた。
彼はただ、あぁそうなんだと答えた後でこう言った。
僕がなぜ、と聞き返すと、彼は大体こんな感じのことを言った。
ゴジラは海のイメージがあるけど、ここには海から繋がる道がない。そんなところにわざわざたまごは産まない、だからモスラ。
彼が何を思ってそんなこと言ったのかわからないが、今思うと僕にとっては嬉しい言葉だったのかもしれない。
僕はそれならラドンでもアンギラスでも一緒だろうと言いつつ、自分たちが今いる場所から顔をのぞかせるモスラの幼虫は正直かわいくて、悪くないと思っていた。
帰りの車中で彼ともしゴジラをつくるとなったらどういう話にしたいか尋ねると、彼は1作目みたいなものにしたいと答えてくれた。僕の方は多分モスラを出すとだけ言っておいた。
ゴジラのたまごが心ない人の放火で破損してしまった。それ故に展示しておくのは不可能だと判断した。
今現在のゴジラシリーズの置かれた状況を考えるとそれはなるべくしてなったことなのだろうと思う。
過ぎたことをどうこう言うつもりはないが、壊れる時は存外あっさりしていて、過ぎてからその重要さに気づくことなんて生きてればザラにあるだろう。
例えゴジラが子供たちに夢を与え続けていたとしても、たまごは多分壊れてしまう。事故だとかなんだとか壊れないでと望むことがそもそも贅沢なのかもしれない。
でも、今の僕はあそこにあったのはひょっとしたらモスラのたまごなのかもしれないと思っている。僕の思い出の中には父と観に行ったモスラのたまごというねつ造された記憶がはばをきかせている。
多分嘘なんだろうけど、どこかにホントがあるかもしれない。僕が物語ることから離れられない理由はその辺りにあるのだろうか。
おまけ
正直期待値は超えなかったのだが、そのことに少しばかりの安心も覚えている。
やはり最高のゴジラ映画は日本がつくるのだと、その余地が残っていることは下衆なようだが、正直嬉しい。
それほどまで話題になっておらず、日本でまたゴジラが観れるかというと、期待薄ではあるが、もしその時がくるならば僕に本を書かせてもらいたい。
こんなこと公に言えることではないので、匿名で、しかもおまけという形で言わせてもらった。
ともかく、「僕とゴジラ」っていうテーマだったら日本には腐るほど面白いエピソードがありそうなので、そういうものがあればみたいものである。
そして、僕の世代がどうあがいても手に入らない当時の思い出から新しいゴジラが生まれる日を僕は一ファンとしても楽しみにしている。
以上。
いや、恐らく親にオタ気質があるとキモくなくともオタになりやすい
英国では親の持つ信仰心から抜け出して我が道を進めるのは1/12という統計があるけれども、オタに関しても恐らく同様なのではなかろうか。
想像してみよう、休日に親とキャッチボールをするでもなく、近所の友達を遊び回るでもなく、塾に通わされ教育させられるわけでもなく、宇宙戦艦ヤマトを見、ゴジラ対アンギラスを見、ポーの一族を読み……そうして育った子が、その趣向から抜け出すのがどれほど大変か。想像してみよう、家庭内ではドラマを見る親もなく、親の部屋に散らばるのは漫画とアニメビデオと画集であり、それゆえアニメと特撮で育ち、そうした話題に触れて育った子が、他の普通の子らと馴染むのがどれだけ大変か。子供は残酷で、浮いた子を平気で仲間外れにし、虐める。従って彼らには更正の機会が訪れることは稀であり、自らに似た仲間を求め、そうしてより深みにはまっていくだろう。
結論、オタの中には、小学に入学する以前に、既にオタとしての方向性を確立させてしまっていた人間が、恐らくは存在する。彼らは、より一般的な意味でのオタへと変質していく、それ以前の段階にいる故にはっきりと周囲に気付かれることは稀であろうけれども、後のプロ野球選手がただキャッチボールが好きな少年であったというのと同じ意味で、既にオタとしての地盤を形成しつつある。