はてなキーワード: 瓶底メガネとは
最近燃え盛ってる「カルチャー顔」の記事を通じて、自分の嫌な内面に気づいたので少し書く。
※ネタを知らない方へ:現在記事そのものが取り下げられてるみたいなのでTogetter載せときます
https://togetter.com/li/1343957
◼️カルチャー顔、好き
記事に書いてある表現のほとんどは賛同しかねるが、わたしはカルチャー顔はすごく好きである。
どこか影のある顔立ちを好む性質があるので、普通に小袋成彬とか好きである。
(なのでATSUSHIと殴り合う必要性は全く感じないしみんな平和に生きて欲しい)
ただ世の中でいう「塩顔」とか「ソース顔」みたいなのにくくれない概念だから、他人に異性の好みを問われた時に何と説明したらいいかよくわからないまま過ごしていた。
なのでふっつーにこの記事を見て膝を打ってしまったのである。「これで説明できる!」と。
しかし世の中はルッキズムに反応したし、小袋成彬本人がTwitterで激怒した。記事は炎上し、灰となって消えていった。
まあ正直「飲み屋でやっとけ」的な記事だし筆者のドヤ顔が裏に透けて見えて何とは無しにムカつくし、
なによりカルチャーを愛する人ほどカルチャーの濫用を許さない文脈を知らずに自己発露のために悪口めいた記事を書いたのはアホだなと思っている。
ただその概念自体は世の中に汎用性がある話で、たぶん表現が違えばもう少し許容されたんだろうなと思っている。
つまり「ふつーに浸透する道はなかったんかな」と思ってしまう時代遅れ脳の持ち主なのである。
◼️こんな女が出来上がるまで
そんなわたし自身はその辺にいるただのアラサー女で、顔は可愛くもブサイクでもない中庸だと自己認識している。
ただそのテイで振る舞うと「あなたは可愛いのだから〇〇(ここには【もっといい男と付き合える】とか【自分を大事にして】などが入る)」と周囲に怒られる。
それを鑑みると自分はルッキズムの中では守ってもらえている側なのだと思う。
なぜなら瓶底メガネをかけて小デブでクソみたいな性格をしていてモテるわけがなかったからだ。
モテたいのにモテない苦しさは凄まじかった。好みの男と付き合いたいのに話すことすら叶わないのだ。
そこから外見に関して自分でできる範囲の努力をした結果、どうやらわたしは派手な顔だったらしくチヤホヤされるようになった。
(整形などをしたわけではない。コンタクトやらメイクやら、一般的な努力である)
長くスクールカースト最下層にいたのでコミュ障もだいぶ拗らせていたが今は社会人としてなんとか生きている。
◼️今ルッキズムがすごく叩かれているけど
つまり、わたしはルッキズムにボコられたが反骨精神で外見を磨いてチヤホヤされるところまできた、という経緯がある。
見た目が多少左右する(一般には綺麗な女性が就くと認識されている)仕事にも就いていて、見た目を足がかりに社会で成り上がろうとしている。
つまりわたしはある程度のルッキズムが世の中に残ってくれていないと自分のアイデンティティが証明できないのだ。
だから「カルチャー顔」記事をきっかけに凄まじくルッキズムが叩かれていてちょっと狼狽えている。
いや、俗に言うブサイクがこの世にいてはいけないなんて全く思っていない。
わたしの周りにもいろんな友達がいる。みんな好きだし健やかに生きて欲しいと思っている。
ただ自分が見た目に関して努力をしてきたことに対してプライドがあって、勝利した誇らしさを「ルッキズム」の一言で片付けられたら単純に傷つくのだ。
◼️これ書いたら何言われるのかな
自分が時代遅れな脳みそを持っていることは十分に理解している。
ただこの「ルッキズムの存在を少し庇いたい」気持ちは何となく殺したくないと思った。
わたしのどうしようもない人生の中で誇れる数少ない成功体験が「ルッキズムへの勝利」だからだ。