弥八郎にはいじわる爺さんのイメージがありますが、大久保忠教の方がいじわる爺さんに思えてきました。
感情のこもった歴史史料を遺すと裏目に出ることもあるのですね。
やはり本多正信関連の史料は書状が多く、甲冑は弟の本多正重関係の二領でした。
次男の政重の活躍を考えても、正信も怪我さえしなければ猛将として名を馳せるポテンシャルは
あったのかもしれません。
三河一向一揆で酒井忠尚が下克上に成功していたら?と並んで思い描いた歴史IFです。
上杉景勝の書状が興味深く、彼は半分に折った紙の上半分だけに文章をしたためています。
(いつも紙の真ん中あたりで墨をついでいることが分かる書状にはつい笑みが零れてしまいましたわ)
他の武将は折った紙の下半分にも文章や花押を書いている例があるのですが、
上杉景勝はかならずきっちり下は真っ白にしていらっしゃいます。
主君と部下で公文書とやや非公式な文書の分担をしていたのでは?と感じましたわ。
できれば榊原康政がよかったですわ。