2009-06-15

けいおん!は多くの原作読者にとっても幸せである!説

http://anond.hatelabo.jp/20090615152955

アニメ化決定前からけいおん!を読んでる原作読者がたまたま開いたらおっという記事を見つけたので増田に書いてみ増田

(注:このエントリーは半分の推測と、半分の「ただしソースは俺」でできています)

元増田氏が言っていることはたぶんその通りだと思う。

けいおん!は素材として優秀だったから選ばれた説

他でもさんざん言われているかも知れないが、あれって素材として良いから選ばれたって線が非常に大きいと思う。良い意味でも悪い意味でもニュートラルで、その割にしっかりと芯があって、コンセプトとしてしっかりしているから選ばれたんだと。

さらに言えば変更・追補しても文句を言う「原作信者」がいない、あるいはいたとしてもそれほど強烈ではないだろと言う所も大きな原作選択のファクターであったのではないかと思う。

意地の悪い言い方をすれば「未完成故に妄想しやすく、強烈に人気がないので好きなようにできる」という事だったのでは。すでに京都アニメーションは、通常であればメディアミックス一角として重要な「原作の人気」というものが無くても十分にヒットさせるだけの力を、ブランド力を持っているわけで「作りやすさ」「作りたいもの」という所を重視して原作を選択できたのだろう。

その点で、あれはある程度原作とは別物で当然。ゆえに、11話だけを原作を無視した話しである等々と批判するのは間違いで、言うならばあきらめとともに全体が原作とかけ離れている点を批判すべきだと思うんだ。

ただ、原作ファンにそういった原作と違う事を根拠にする批判を持つものを自分自身含めて見たことがない。まぁみんな俺が布教した連中だからかもしれないが……。

似たようなケースとしての「プラネテス

似たようなケースとして、ジャンルは全く違うがサンライズ製作したアニメプラネテス』がある。あれは原作を読むとわかるが、エピソードのその重要な部分は持ってきているが、登場人物が大幅に増員されており、すさまじい設定の補強、発生順序、時間軸等々も全く違う。はてまた、ヒロイン性格がかなり違うのである。それは映像化するための密度を増やすための設定にとどまっていないと思う。

こちらが「けいおん!」と異なるのは原作はわりと信者がいたということ。しかしこちらはキャラ萌えで「あの子はあんな事言わない!」的な反発ではなく「アニメ化したらせっかくのリアルな描写 or 設定 or SF的に正しい物語がおかしくなってしまった!」と言う方向で反発の方が大きかったであろうと言うことである。こちらはおそらく、それぞれ各人の胸の内にしかないキャラクター像に合わせるより簡単であり、結構力業でクリアーしているように思う。

また、プラネテスに関しては、ほとんど、と言うか俺的には一回も「原作アニメに比べてつまらない」という評を見たことがない。これもけいおん!との違いだろうか。

そもそも原作準拠のアニメってそんなに多いか?

そもそもである。近頃は1クール13話、長くて2クール26話程度で、原作を使い切ることがないのだろうが、ちょっと前などはたいていの場合、原作のエピソードを使い切ってしまい、完全オリジナルエピソードを追加したりして増量していなかったか。そして、そこには今のアニメほど「原作レイプ」と言った不適切な表現まで使われないにしろ、原作ファンから批判されていただろうか?

これは、あまりにも期待値が高すぎるからではないかと思う。俺は涼宮ハルヒの憂鬱初版で全部持っているように、アニメ化前からのファンだが、自分的には涼宮ハルヒの声が妙に高かったぐらいしか違和感を覚えなかった。あそこまで原作先行で原作の再現度が高いアニメは、他には「彼氏彼女の事情」ぐらいしか知らない。(注:ただし俺基準、他にもたくさんあるだろうけど)

(もちろん、原作アニメが同時企画され、原作者アニメに深く関わったり、監督や演出等制作中核スタッフが自ら原作を書いた除く。たとえばパトレイバーとか)

つまり本来は、アニメ漫画小説原作とは全く表現方法も違えば、規模、一度に流せる情報量製作スピードなども全く異なり、本来は別物になってしまうものじゃないのかと思う。それをうまく合わせ昇華する技術京都アニメーション制作スタッフたまたま持っていただけである。しかしそれは希なことである。

それを忘れて、ちょっとぐらいこのアニメ原作と違うなどと騒ぎ批判することなど、一体何の意味があろうか!?いや無い!(反語表現)

……………………

………………

…………

……

そういっておかなければ悲しいじゃないか。見たら全然違くて、原作ファンには黒歴史化されているアニメなんていくらでもある。その屍の山と、話題が少しでも出るだけでしゃれにならないほど荒れるのでタブーとして重く封印された話題のことを思えば、けいおんはその点凄く幸せなのではと思うんだがいかがか。

違う事と原作がおもしろくない事は別である。

最後に、元増田氏に一言意見を申し上げる。

アニメから入って原作を読み、原作のほうが面白いと思った奴がどれだけいるのだろうか。

話の流れはアニメとだいたい同じだけど、あんまり面白くないな。京アニすげー、と思った人が大半ではないか。

元増田氏はこうっしゃった。「あんまりおもしろくないなと感じるのでは」と。

そんなことはない。絶対……断じ……いやたぶん……おそらく……きっと……ない。

少なくとも俺基準では、原作けいおん!は大好きであり、よく企画した人はけいおんに目をつけてくれた!と感謝している。少なくとも、原作けいおん!が無ければ、アニメ存在しなかったわけだし。

と言うのは、原作には原作の良さが、アニメにはアニメの良さがあって、容易に比べるものではなく、従って「あまりおもしろくないと感じた原作アニメの力でおもしろくした」と言うことではないと言うことである。

たとえば逆も成り立つ。アニメ原作で、漫画化された際にまた違った雰囲気で人気を博した作品……宇宙戦艦ナデシコに対する遊撃……じゃなくて、新世紀エヴァンゲリオンの貞本版とかである。

そう考えれば、お互いに「違うからつまらない」と言うことが以下にナンセンスかわかるであろう。そう思わなければ、ファンはやっていけないと思うのだがいかがか。というか「原作と違う」「アニメと違う」という事で批判するようなファンは、アニメ漫画小説ドラマ舞台なんでもそうだが、そういった作品に対するファンとしての経験値が足りないのではないか。これは好きなアイドルタレント自分希望と違った行動を取ったからと言って(分かり易いのは結婚とか)転じていきなり批判を始めるがごとく、非常にレベルの低い、ファン経験値の足りない行動であろう。

そう思った。



特にオチはない。

だらだら書いたが結論がよくわからなくなってしまった。まぁいいや。

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