お天道様は見ているぞ
昔、PHPの技術書を書かせてもらった。どうやって入稿していいのか分からなかったから、HTMLで書いた。それは見事なIllustratorの版下になったけど、その仕事は校正の人じゃないか。
技術書だけど口語体で、アスキーアートも結構入れた。あと、Oh!Xが好きだったので、本文と同じ分量の注釈を入れた。修正されるような誤字脱字は無くした。
それで、最初の校正であんまり修正は入らなかったんだけど、一ヶ所「殺してやる」って書いたところが「暴力的過ぎる」と赤ペンが入ってたので「死ねばいいのに」か「(^p^)しーね!しーね!」に直した。ワイは「そう言う」を「そうゆう」って書いたけど、直されなかったな。
増田も人に読んでもらうための文章だけど、出版物はやっぱり責任が違うと思うんよね。編集の人も読んで、校正の人も読んで。女子のワレメは淫裂って言うんよ←「陰裂です」
△△△<書いてあげないよ、ジャン!
おっ、さっそく差別してるな。
・富士山に軽装で登ったら死にかけた
・処理水のことで離婚しそう
・Bさんだった私がAさんになれた方法
・◯ッグモーターで木を枯らしてました
・露出コーデし過ぎたら漏らした
誰か書いてください
俺も頭がいいのでそう思います!!
みんなどうやってるの?
ということは自分の人生の主人公って自分でしかあり得ないじゃん?
だから、どんなに感動的な歌を歌う歌手でも結局は「私の人生のBGM係として優秀なひと」でしかないじゃん。
可愛いアイドルだって「私の人生の背景を華やかにするひと」でしかない。
アイドルや歌手だけじゃないな。多分子供を産んだとしても自分より大事に出来ないと思う。でもこれも上記の原理上当たり前じゃない??
みんなどうやってるんだろう??って不思議に思う。
だめな理由ある?
責任能力っていうのは、本人が責任を取りたいとか取りたくないとか関係なくて
周りの状況や自分のやってることを正しく認識できる状態だったかってこと
罪を軽くしたい人間は嘘をついて「幻覚が見えて…頭の中に声が聞こえて…わけもわからず」みたいなことを言う可能性もあるんだけど、それが本当なのか詐病なのかを専門家が判定する