1972年生まれだけど学校でもらうプリントは確かに藁半紙だったような気がする
A4とかの用紙はどうだったか記憶にないけどまずはプリンターがその昔は普及してなかっただろうし、それで用紙も専門店とかしかなかったかもしれない
ボクシングこんなに好きになるとは思わなかった
俺みたいな運動音痴でもそれなりに上達できるし、進歩の早さの個人差はあるけど練習した分結果がでる
まぁそんなのどんなスポーツでも文化活動でも同じだろうけど、元々が運動音痴だったからこそ充実感があって楽しくてどハマりした
島耕作の亀淵は、やらかした後に組織のフォローで事なきを得るが、それはテープ貼りという労働集約率の高い仕事についてだった。
結果的にデザイナーとして独立して成功した、って書き方になってるから、作者的にもどっちかというと日本的な仕事に疑問を呈するような描き方だったね。
その理屈をもう少し詳しく教えてくれ。
娘か息子にだけは自分の死を看取ってほしというのがあるんだよ。
でも現代の死って
病院に運ばれて管に繋がれた状態かつ、周囲は知らない人に囲まれて終了だと思うんだよね。
急に体調が悪くなった、とかだと救急車になって。自分の家で死ぬことはできない。
それに大半の人は親の死期を悟って自宅で医者なしで親が死ぬのを待つなんて芸当できないよね。
期待しすぎ。
フリーの場合はすべてを自分でやるのでコードを書くだけの楽しい世界ではないと思うけれど...
それこそ、調整役と設計、実装、経理などの事務手続きなど全部自分でやる。
まあ、世の中には副社長でコードを書いている人なんてざらにいるだろうけれど、大抵の人はステージが上がると自分でコードを書く時間は減るだろうな...