Twitterが性格に合っているようで、ひたすらつぶやいているのを追っているけど毎日楽しそう。
格差ってやつなんかね。
知り合いの韓国人留学生は、日韓英ペラペラでも「東大じゃないと韓国に帰っても、まともな仕事無い…」って言って、丸の内に本社ビルがあるような大きな会社に就職した。
むしろ「○○も△△も実質同じだよね」の反語として「〇〇と△△って何が違うの」を使う人は議論巧者なのでは?
「〇〇と△△って何が違うの」と問いの形で投げかけることによって、問いを受け取った相手は○○と△△の何が違うのか、あるいは○○と△△は同じなのかについて考え、答えたくなる。結果として、相手の理解度や主張の前提を確認できるし、思考を促すことにもなる。
お互い頭の中には(マンコ)が思い浮かんでると思うんだけどあえてそんなの知らないよって顔しながら「マンゴージュースください」「マンゴージュースお待たせしました」ってやりとりをするっていう
託児所に預けたこと自体がトラウマになったよ。自分が「見捨てる悪い母」になった気分だった。殴ったり蹴ったりする悪い母にならなかっただけラッキーだった。と思うようにはしてるけど。
いや自分は自分の健康を願えるほど自分を大事に思ってないです。
って思ってしまう
普通に「ありがとうございます。そちらも気を付けて」とか答えるんだけど、
正直あなたの健康も他の人の健康も何なら社会がどうなろうとどうでもいいです。
って思ってる
ライブや演劇が好きだった。そのためのお給料と休みを取るために仕事をがんばってた。
でも仕事も結構好きだった。会社の人たちはいきいきとしていて、一緒に業務をやっていくのが楽しかった。
生きがいと思えるほどに楽しかったイベントは全部ぜんぶなくなった。家で一人でやる仕事はつまらない。
本当にこれからどうやって生きていけばいいのかわからなくて、そればかり考えてしまう。
ステージの上にあるきらきらしたものに触れたくて、だから自分の足で会場に行って自分の目で見たかった。
悲しい気持ちにもなる。なにもしたくないとも思う。
いや普通に言うだろ