ということを言ってだます
気づいたら終わってる
300年前にも見た
N子という子がいた。
目がぱっちりとしていて可愛く、快活な子だった。
何のきっかけかは忘れたけれど
将来は声優になりたいと言っていた。
私はアニメも好きだったけど、絵や漫画を描くのが好きだったので
漫画家になりたいと思っていた。
N子はアニメから遠ざかり、制服のスカートを少し短くしたりしてオシャレになった。
その頃にはJ事務所のタレントや、恋愛話が共通の話題になっていた。
クヨクヨしてたらいかんよー」というようなことが書いてあった。
高校は別々だった。
お互い笑顔で「ひさしぶりー!」となって話をしたはずなのだけれど、
何の話をしたのかは覚えていない。
ただ、私が何か失礼なことをしてしまったのか
N子は急に不機嫌になり、男の子のスクーターに2人乗りで去っていった。
縁には賞味期限があるという一文を
ネットかどこかで見たけど、
今思えば、それが縁の賞味期限だったのだろうと思う。
ふと思い出したので、書き殴ってみる
むしろ偽ったのは脳では?
おっさんは気にしないと思う
「手抜き」発言でオタクが阿鼻叫喚の反応を示す意味がわからない。
「誰も見てないから手抜きしよう」←まちがい
「誰も見てないのに手抜きを模索するような創意工夫を凝らして何の意味があるのか?」←せいかい
「手抜きを模索する」と「手抜きを模索しない」とでは「手抜きを模索する」の方が優れている。
「一切手を抜かない」と言うのは逆に「全部に手を抜く」と同義。
クリエイターの仲間みたいな顔をしているくせに、その辺の機微が伝わらないのか?
初見で伝わらないのみならず、どうやら説明されても理解できない様子だが。
(根本的なことを言えばアイデンティティを金で買おうという発想に無理があるのだ)
「手抜き」がそんなに悪いと言うのなら「手抜きのないお手本」とやらを自作して提示してみればいい。
実際に作業してみれば「比率配分」つまりは「手抜き」の重要性を思い知ることとなるだろう。
最後の一文。「試着室で思い出したら本気の恋だと思う」という本のタイトルを思い出した、ということだけ報告させていただきます。
久しぶりの正しい増田
これが愛か…!