私のペンパルもその一人でK-POPと韓国の漫画を数枚と数冊いきなり送ってきて
感想を求められたことがある
でもその感想や日本で韓流コンテンツが多いというのは、「韓国の文化は良い」と日本人に認められたというのは
違う。K-POPファンやTVの「ゴリ押し」で仕方なく社交辞令で「K-POPは良い」って知ったかぶりして嘘をつくのは
かえって薦めた相手に対して失礼。
しかし、現実にひもづけられてない名無しワールドより、現実にひもづけられたSNSのほうが発信者にとって危険性が高いのは明らかな気がするけどなあ
40代~50代のシニアな店員が道路に手をついてクレーマーに土下座させられてるのを見かけた。もの凄く厭な気分になって誰かに伝えたくてここに書いた。クレーマーは20代のスーツ着た若い兄ちゃん。こういうの、やっぱり異常だよ。どうして自分が客だというだけであそこまで高圧的な態度になれるんだろう。ああいうのを見るたびに、日本を捨ててどこか外国に移住したくなってくる。
2chにいる一部の祭り好きの連中が他のSNSを監視して、揚げ足を取ってるからネット上でいろいろ炎上してるんだよ。
誰かがブログやSNSに変なことを書く→2chでスレが立つ→まとめブログが記事にする→それを見た他のネットユーザが更に盛り上げる→マス媒体が取り上げる(酷い場合)
っていう負の流れじゃん。(もちろん間に違うものを介す場合もあるよ。togetterとかね)
ブログやSNSで誰かが変なことを書いたとしても、普通はそれだけじゃ炎上なんてしない。というかそこまで注目されない。
mixi、twitterの発言→いきなりマス媒体に取り上げられて叩かれるなんてケースはほとんど見たことない。
誰かが油を注いで、人を集めるからこそ炎上する(そして最悪の場合マス媒体に取り上げられる)わけで、
2chはちょうどその発火装置であり、且つハブみたいな役目を果たしている。
だから、この「砂場としての2ちゃんねる」[ http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1174 ]という記事にある
>初心者に一番優しい2ちゃんねるが怖いところだと喧伝されて、本来はおっかないmixi やFaceBook が、明るく楽しい場所みたいに紹介されるのは何か違う気がする。
という一文は間違ってると思う。
まぁ2chというサービスが存在しているのを前提に、他のサービスを"本来は"おっかないと言ってるのかもしれないから、別にこの記事を責める気もないけど
ちらかし放題
おねぼう
じまんや
ほしがりや
へんしょく
いじっぱり
げらげらわらいのすぐおこり
けちんぼ
人のせいにする
うたがい深い
おしゃれ3時間
心理戦よりも説得のプロが世の中に求められているっていう話でしょうか。
利害を一致させて、根拠も示す。容易ではないと思います。
何かの提言をする。
その提言は、理解できる人々の間で、正しく共有され、実践される。
「お前の言い方が気に食わない。お前の言い方が気に食わないからお前の言うことは信じないしお前が否定したやり方の方が正しい」という人には響かない。
じゃあ、人を変えて丁寧に解説すれば納得するだろうか。
する人もいるだろう。これは、どこまで階梯を下ろせるか、にもよる。
それでも理解をしない人もいるだろう。「御用学者乙」といえば思考停止ができる。
ここで、断絶が産まれる。
提言を真に届けなければならないのはここより向こうの人々であるが、いくら手を変え品を変えようと届くことはない。
そして彼らは彼らに障りの良い別物の提言をたやすく受け入れる。
それが自身に帰ってくるならそれでもいいだろう。
またしても、我々は敗北するのだ。
そして、これは約束された結果なのだ。
たぶん冷やかされるからやめておけよ
横だし本題とは関係ないけど「どこでも見かけたら噛み付く」のが男である確証ってあるのかな、と思った
書き手が男か女かってわかるものなの?
女オタってどこで叩いてるの?自分の観測範囲が2ch・はてな・まとめブログくらいなので全然見かけない.
というか,女オタって萌話だのdisりだのは自分たちのコミュニティ内だけでやってそう.男の過激派オタはどこでも見かけたら噛み付くっていうか.
百合は男女両性向けだよ。何となく傾向で男性向けと女性向けに分かれるけど(男女ものが男性向けと女性向けに分かれるのと一緒)
もういいよ
それ(人生の目的が寿命による死である)ということが大事な前提であるという上での会話だったんだろうが
大前提などといって、今更議論の矛先を曲げないでくれ
というかそもそも『寿命による死が人生の目的だったとして』という発言をお前が挙げたから、議論が始まったんだろうが
それを今更「大前提だ」とか言って空虚なものにしようとするんじゃねえ、議論のマナーくらい守れよ
ばいばい
共通認識というのは、「ある定義」を共通に認識しているということ。