はてなキーワード: クアラルンプール国際空港とは
Day,2
2日目
多民族国家へようこそ
日本代表のプール突破は嬉しいが、このまま頭がラグビーモードだと初めて訪れる国では差し障りがあろう、羽田深夜発の機内では眠りたかったが、毎度のごとく機内での不眠グセが顔を出し、結局一睡もできなかった。
今日は到着のクアラルンプールからいきなりバスで2時間ほどのマラッカに移動して、ホテルへのチェックインとなるので、こなすべきタスクが多い。
不安もないではないが、その不安自体について考えすぎるのも精神衛生上悪いので、あまり追いかけないことにした。
現地時間午前6時に到着したクアラルンプール国際空港、手荷物預かり時までモノレールで移動するという、日本ではちょっとお目にかかれない構造に軽く戸惑ったが、入国管理はカードすら必要なく、拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
空港内のコンビニで水を買い求めたりしたが、マレーシアの人は柔らかな笑顔で応対してくれる。
これは南国の気質なのか、旅人を価値あるものとする、イスラムの教えなのか。
クアラルンプール国際空港から一旦、市内中心部のKL セントラルに向かうため、高速バスの切符を買う。
バスのチケットセンターのお姉さんんがちょっと硬い感じだったのと、スーツケースをバスに積もうとトランクの近くにいたおじさんに声をかけたら客だったという小さなイベントはあったものの、ここでも概ね笑顔の対応を受けた。
しかし、バスが走り出してすぐ、東南アジアあるあるの「異様に強い冷房」に遭遇。
日本からやや厚手のスウェットブルゾンを持ってきていたので、ジップを上げてなんとかしのぐが、これはなかなかの強さだ。
見ると、前の席のお兄さんはダクトに空港の手荷物預かり証のシールを貼って塞いでいる。
そうか、その手があったか。
でも、おそらく日常でここを使っている人たちの姿を見ると、その多彩さに驚く。
長い髪も露わにひたいにビンディをつけてる女性がいる。
きっとタミル系だ。
カフェでは中華系の壮年男性が30台ほどに見える浅黒いマレー系の男性とビジネストークをしている。
全く違う人種宗教の人々がここまで日常感を放ちながら共に暮らしている姿は、日本ではなかなか見ることができない。
セントラル地下には好レートの両替所があり、此処での目当てはそれだが、両替所開店にはまだ早く、カフェで時間つぶし。
初めてのマレー飯、カヤトーストを食す。
トーストに挟まれた謎のスプレッドは色といい味といい、ランチパックのピーナツクリームを連想させた。
開店した両替所でリンギットとついでに少額のシンガポールドルを手に入れたら、次は今日の宿泊先マラッカ行きの高速バスに乗るため、中央バスターミナルにかないといけない。
ここで、東南アジア版UberといえるGRABを使って見ることにした。
アプリにアカウントと支払い情報を入力し、地図上で行き先にピンを指して配車すると、やがて銀の車がやってきた。
日本以外のアジアは「運転が荒い」という印象があり、事実マレーシアも聞くところによるとそうらしいのだが、GRABで配車されるタクシーはアプリに評価システムが内在されているからか、実際に乗って見ると非常に安全な運転だった。
乗り込む前に腹ごしらえすることにした。
このラクサは中華系マレー人の作る「ニョニャ料理」とされていて、それならばこれから向かうマラッカが本場なのだが、どうもマレー料理は地域によってかなり味が違うようなので、クアラルンプールでも食べて見ることにした。
ココナツのマイルドさとゴロゴロとはいっている鳥の骨つき肉が味に厚みを与えているが、かなり辛い。
幸い先ほどよりも冷房がキツくなかったバスに揺られて2時間、古都マラッカに到着した。
思った以上に海が近いらしい。
さっきの流れで慣れたので早速GRABでタクシーを呼び、今夜の宿、ダブルツリーバイヒルトン・マラッカへ。
ホテルが世界最高レベルで安いと噂のマレーシアだが、通された部屋を見て驚いた。
広々としたリビングにキングサイズのベッド、眼下にはマラッカの町並み。
ベトナムで泊まったホテルニューワールドにも驚いたが、1泊7,000円弱という値段を考えるとこちらの方が衝撃は大きい。
マレーシアなら東急イン以下の値段でラグジュアリーホテルに泊まることができる。
チェックインも済んだので、マラッカの旧市街に繰り出して食事でもしよう、そう思ってホテルを出たが、少しオランダ広場を見てから繁華街に向かうと、ほとんどの店が閉まっている。
目当ての店もどれも閉店だ。
気になって調べて見ると、マラッカの街は夜が異様に早く、食事の店でも多くは18時、早い店だと16時には店が閉まってしまうらしい。
晩御飯を食べに出たら店はどこも開いていないというわけだ。
辛うじて空いていた中華系の店でローストダッグと空芯菜炒めをつまみながら、「これは世の中の常識の定義が全然違うなぁ」と思った。
ポストしたレビューは応援してくれるコメントも頂いたが、辛辣な評価もついた。
寝不足で動き回る異国の地、曇天の空には海鳥の鳴き声が響きまくり、店は閉店、レビューにはお説教。
うまくいかない日な気がしてきた。
まあ店が開いていないなら仕方がない、昨日からロクに寝ていないんだし、今日はさっさと寝て、朝早くからマラッカの街でニョニャ料理を楽しもう。
Day,0
出発前
ANAのマイルが溜まっていたので、休暇を利用してマレーシアに行くことにした。
なぜマレーシアなのかというと、GWと元号絡みの10連休で韓国に行った時に、「これは非常に国民の同質性の高い国だな」と思い、「次は多様性の高い国に行きたいな」と思ったのと、以前からアジアのイスラム国家に興味があり、ならマレーシアがうってつけなのではないかと思ったからだ。
ニョニャ料理に興味があったのもある。
せっかくだから陸路で行けるシンガポールも行ってみたくなり、さらに予習のつもりで行ったマレー料理屋のママがイポー出身で、激推しされたのも心動かされ、7泊7日の日程でクアラルンプール→マラッカ→シンガポールに入国→クアラルンプールで最終チェックイン→日帰りでイポー→クアラルンプール国際空港から帰国という詰め込みスケジュールとなってしまった。
そんな強行日程なんだが、直前まで緊張感のあるプロジェクトに携わり、出発直前になって台風まで関東を直撃し、出発できるのか心配になったが、台風が巻きで通過してくれたので、フライトに影響はなく、仕事もなんとか終わりが見える形で後輩に留守を引き継いだ。
Day,1
1日目
台風一過の晴天の下、羽田空港国際線ターミナルに向かう。
フライトは23時なので、日が高いうちに向かう必要は本来ないのだが、羽田空港に早めに到着して、ラグビーW杯の日本×スコットランド戦が観たかった。
旅行を計画した時には気づかなかったが、日本の突破がかかる一戦にフライトの日が重なってしまっていた。
旅行に全力を傾けるために観戦を諦めるという選択もあったのだが、いざ大会が始まると、ラグビーの楽しみ方、面白さを伝えたい一心でレビューの投稿などを始めてしまい、おまけに日本代表の大活躍でこの一戦にプール突破がかかる緊迫した状況になってしまい、どうにも観ないわけにはいかなくなってしまった。
羽田空港に早めに行って手荷物預け入れなどを済ませてから、空港に設置されたテレビで観戦してレビューを書いてフライトするというスケジュールになってしまった。
ただでも旅行中は常に記録して旅行記を書きながら過ごしているのに、その上出発前も書き物をするとは、どうものっけから書きっぱなしの旅行になりそうだ。
羽田空港につき、ラグビー観戦にうってつけのモニタのある食事処に陣取ると、一団の外国人がラップトップを持ち込んでウェールズ×ウルグアイ戦を観戦していた。
また、日本戦キックオフが近付くと、モニタに映し出される試合目当てにガタイのいい外国人が続々現れる。
みんな目当ては一緒っぽい。
こちらもモニタはもちろんだが、一応、動画サイトの同時中継を準備して、ダブルモニタ体制で観戦することにした。
この旅行記が投稿される頃には明らかになっているだろうが、日本代表は見事勝利を収め、史上初の決勝トーナメント進出となった。
食堂は大盛り上がりで、レビューにも力が入ったが、そのため出発までがバタバタとしたものとなり、推敲は機内で行う事になった。
シリアのハッサン・アル・コンタール、マレーシア空港に数ヶ月足止めされた後に
多くの国への入国を拒否された後、ハッサン・アル・コンタールは逮捕され、彼はシリアに強制送還されると思われる。
トム・ハンクス主演の映画「ターミナル」のような環境にあったシリア人のハッサン・アル・コンタールは、マレーシアの空港で7カ月近く拘束されていたが、火曜日に逮捕された。
ハッサン・アル・コンタールは、2018年3月7日から、クアラルンプール国際空港のターミナルに拘束されていた。
コンタールは、従軍しなかったことを故郷の当局が求めていると伝えられており、カンボジアへの入国も拒否され、ビザの問題でマレーシアへの帰国が許可されなかった。
36歳の彼は、寄付された航空便で生き残り、トイレで洗濯して、ターミナルに座っていた。
彼は一連のYouTube動画で反論を繰り返し、権利グループが彼を助けることを拒否し、誰も彼を連れにこないと嘆いていました。
しかしマレーシアのムスタファール・アリ氏はこの件がマスコミの関心を集めていたことを恥ずかしく思っていたため、警察が結局コンタールを逮捕し、空港から彼を追放することにしたと語った。
「ソーシャルメディアに関する彼の声明はマレーシアを辱めた」と、アリーは、公式の報道機関であるベルナマ(Bernama)の発言として引用された。
シリア当局は、警察が尋問を終えた後、「移民局に紹介される」と述べた。
「帰国を容易にするため、シリア大使館と連絡を取り合う」と述べた。
コンタール氏の事件は、2004年の映画「ターミナル」を思い起こさせている。
トム・ハンクスは、政権が崩壊してニューヨーク空港に停泊し、彼の書類が無駄になった男を演じている。
コンタールは、2011年にシリアで戦争が起こったとき、アラブ首長国連邦で保険に取り組んでいました。
彼は自国で従軍していなかったので彼はパスポートを更新することができませんでしたが、彼は逮捕されるか軍に加わることを恐れて帰国したくありませんでした。
だから彼はアラブ首長国連邦に不法滞在したが、2016年に逮捕された。
2017年に彼は新しい旅券を手に入れましたが、最終的にはマレーシアに追放されました。
到着時にシリア人にビザなしの入国を許可する世界でも数少ない国の一つです。
それが終わったとき、彼はトルコに行きましたが、搭乗を拒否されました。
彼はカンボジアに行きましたが、送還されて以来、空港の小さな到着エリアに住んでいます。
元記事:http://syrianobserver.com/EN/News/34868/Syrian_Hassan_Kontar_Arrested_After_Months_Trapped_Malaysia_Airport
彼のアカウント、@Kontar81 はフォロワー17370人。
@AlabedBanaの34万人に比べりゃささやかなものだが、
東グータのアイコンとして扱われ、実際難民キャンプから特別扱いで早期にトルコ入りした@Noor_and_Alaa の13000よりは多いのだ。
アムネスティ・インターナショナルのマレーシア研究員レイチェル・チャア・ハワードは、マレーシア警察によるハッサン・アル・コンタールの逮捕に対応して、
"ハッサン・アル・コンターの逮捕は、彼の事件の一連の誤った取り扱いの中で、最新の過ちである。
批判的な状況と彼自身の安全に対する明確なリスクを考えれば、彼がシリアに追放されたことを見るのは嫌なことだろう。
マレーシア当局は、非還付の国際原則を尊重し、彼の試練に対する人道的な解決策を見出すべきである。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、マレーシアの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に、彼らが要求したものにアクセスできる必要があります。