はてなキーワード: カレーパンマンとは
やっぱり人相の悪い人は損だよね。
ブサイクとかも含めて。
石原慎太郎はなんだかんだ言って顔面の造作とか雰囲気が良かったんだよ。
裕次郎の兄ちゃんだしね。
色々言われたけど支持者も多いし政治生命を全うしたし。
舛添さんは目つきが悪いし普通にしてても悪人のような印象を与えるんだよ。
猪瀬氏もどちらかというと目つきが良くない。
卑屈なカレーパンマンのようなものがもし存在したらそういうのに似てるかも知れない。
民主党の細野さんなんて顔面がとてもカッコイイから不倫したって全然OKだったんだよ。
ベッキーは好感度が良いはずなんだけど相手の顔がなんというか人に不安を与えるからアレだけ叩かれたんだよ。
ベッキー頑張ったなって言われてるはずなんだ。
それとやっぱり人相の悪さで叩かれたっていうのは五輪のエンブレムをデザインした人だよね。
佐野氏は少しこう何ていうか一重まぶたの造作が反抗的な印象を与えてしまって損してるよね。
短く刈り込んだビリケン風の髪型も相まって何ていうかこう反省の足らない悪者にされちゃった感がある。
これが細野氏だったら絶対あのままのデザインになってたんじゃないかな。
まあ結局今回の都知事選も人相の良さそうな人の方が長く続くような気がする。
小池さんの方がどちらかというといい感じかな。
鳥越氏も髪もフサフサだから印象は良いんだけど能力的に限界がありそう。
佐村河内も色々しでかしたけどさっぱり散髪してきたからもういいやってなったよね。
他にも人相のおかげで損をしてそうな人はいるかな?
「追記」
早速のブコメ恐縮です。
あれだけヤバい鳥越氏が出てきた理由はハゲ散らかしてない人相のマシな年寄りタレントを誰かが安易に担ぎだしたせいなのかなっていう。
どちらかっていうのは増田氏VS小池氏っていう意味で鳥越氏はレースから順調に脱落中。
まず内容がよくない。
1.自己犠牲
2.勧善懲悪
3.暴力
明確な悪が存在しそれを懲らしめる絶対的な善性が存在すると刷り込むなど価値観の多様化したグローバル時代において害悪でしかない。
こんな映像を子供に見せ続ければ「この世は力あるものが善悪を決めるのだ!強い側が正義!」という歪んだ思想に支配されてしまう。
自己犠牲をこよなく愛し、絶対の正義を信じ、己の力こそが善悪を決めると信じるケダモノに育った我が子など誰が夢見るのだ。
擬人化された象がカレーパンマンの吐瀉物を頬張るホモセクシャルとスカトロジーの暗示映像などよりもよっぽど子供に悪影響を与えるだろう。
この歌は聞くものにこう問いかける「何のために生まれて、何をして生きるのか」そしてこうつなぐ「答えられないなんて、そんなのは嫌だ!」。
ふざけるな!!!!!
こんなくだらん歌詞はピーターパンシンドロームのアラサーロキノン野郎が公園で弾き語りしていれば十分であろう。
子供はただ生きればいい。
流されるままに生きることしか出来ないのが子供の不幸であるが、それが人生の理由を探し求めることによって解消されることはない。
流されるしかない己と、そこに意味を見出そうとする自分、ダブルバインドで真っ二つに引き裂かれて自己分裂を起こすだけだ。
夢や理想や生きる意味など、誰に問われることもなくいつの間にか持っていた物だけが真実なのだ。
人に答えを求められて生まれた夢など大抵が強がりのこじつけであり、自分を縛るだけの純粋なまでの呪いだ。
生きる喜びなどを子供の前でわざわざ歌うのも許せない。
そんなもの、生きる悲しみや死の恐怖に襲われた大人だけが感じるべきものだ。
くだらん!!!!
私の職場には増田増美(仮名)さんというとてもいい匂いのする女性がいる。
増美さんの声は声優の内田彩さんに、顔はカレーパンマンに似ていてとてもかわいい。
着ている服はパステルカラーを基調としたもので、増美さんのやわらかく明るい性格に合っていてとてもすばらしく、雨の日でも私たちのテンションを上げてくれる。
「またそんなところ突っ立ってるんですか!」(おお、なんと卑猥なことば……)
出ていないわけではないのだ。
申し訳程度の丘がそこにはあった。
だがなんだろう。
とても不安になる。
あ……申し訳程度だ……と私は思った。
それはちょうどパラボラアンテナあるいは鍋のふたのような曲面を描いている。
ふむ。
たしかにないわけではない。
緩やかな曲線がそこにある。
あることにはある、隠そうにも隠せないほどにはあるのだが、隠したくなるサイズ感なのだ。
増美さんは申し訳程度の胸を恥ずかしがっているかもしれないが、やんわりと主張してくる申し訳程度の胸なので、むしろ巨乳よりも目がいってしまう。
「私に気づいて」と申し訳程度の胸はささやいているわけである。
ぺったんこの無乳にたいしては私たちは紳士然と完全スルーを決め込むだろうし、巨乳に対してはむしろまじまじと見るのは不躾なため私たち童貞は目を逸らしがちである。
だが申し訳程度の胸に対して、その胸の「気づいて」というささやきに私たちはあらがうことができない。
つぎの瞬間には消えて無くなっているのではないかと不安になるからなんども確認してしまう。
あ、まだあったと私は安心する。
もしかして次の瞬間には消滅しているのではないか?
だが安心してほしい。
もう一度見てみるとやはり申し訳程度の胸はそこにあるのだ。
なかなかしぶとい。
しかし私がなんども見ていることによって、その視線の矢で申し訳程度の胸がへこんでしまうのではないかという危惧に襲われることもある。
私の次の視線が増美さんの胸の最後の瞬間になってしまうかもしれない。
そう考えると私は増美さんを見ることが恐ろしくなってくるのだが、「私に気づいて」というささやき声が聞こえるためどうしても私は増美さんの申し訳程度の胸を見ないわけにはいかないのである。
私たち童貞が見ないで誰が彼女の申し訳程度の胸に気づいてあげられるのだろう。
繊細な童貞だからこそそのささやきに耳を貸すことができるのである。
ただ、童貞はなにかができるわけではない。
来週もまた私は申し訳程度の胸を見守るだろう。
そこにまだあると確認するために。
文部科学省推薦だか何だか知りませんが、アンパンマンが嫌いです。
ばいきんまん派とか、カレーパンマン最強とか、擬人化同人とかそういう事を言ってんじゃありません。
暴力(アンパンチ)で毎回事を解決するようなアニメが、本当に良いのか?という問題については、ネット上でたくさんの方が既に議論されています。
が、少なくとも今の教育は「STOP THE 暴力。ダメ、絶対」を貫いているようですし、「問題解決の為なら暴力OK」なんてのを真に受けて大きくなる子ってそんなにいないと思うんですよね。多分ですけど(少なくとも、最近のU-35が引き起こす傷害事件・殺人事件はアンパンマンのせいではないと思う。ソース無いけど)
それよりも私は、アンパンマンがチビ達に植え付けているもっと深刻な思想があると考えています。
それは、
「汚い(汚そう、清潔感が無い)存在は、それだけで悪なので敵とみなしてよろしい」
です。
実際のアニメ作品の中で、アンクル・ジャムもアンパンマンもそんな事言いやしません。
しかし、あの世界の住人達は大概、ばいきんまんが例の乗り物に乗ってうろついているのを見かけるや否や、特に何も仕掛けてこなくても、恐怖の顔や怒りの顔を見せます。現実の社会で言う「差別」とかいうやつです。
え? 差別もクソも普段から悪い事しているんだから、そんな待遇当たり前? 確かにそうですね。常識的に考えて。
でも、小学校に上がりもしないようなチビ達がそういう常識を頭で理解するのはもう少し先だと思います。
チビ達はただ、「あ、キタナい悪いのが出てきた。アンパンマンはいつぶっ飛ばしてくれるのかな?」と、目を輝かせるだけです。
そして、最後にお約束通りアンパンチが繰り出されると、チビ達も溜飲が下がると。毎回視聴の度にその繰り返し。
決して浄化することの無い、毎回変わることの無いの汚いやつを、繰り返しフルボッコにするシーンを見てスカッとしながら(快感を得ながら)大きくなっていく訳です。
ターゲットを虐める理由として(自分自身が虐めて、見に覚えのある人も多いでしょうが)「汚いから」が本音のケースがよくあります。「汚い」と認識する理由には、「鼻をほじっているのを見ちゃった」「この間授業中にゲロ吐いてた」「いつも同じ服」「いつもボサボサべたべたの頭」等、ぶっちゃけ言いたい分からんでもないよ…みたいのもあります。
でも、ある程度の知識が身に付けば分かることですが、他の人と比較した時群を抜いて存在自体が汚い人ってまあ居ないです。何故か。
水やせっけんで洗えば大体キレイになるし、匂いも取れるからです。
しかし、アンパンマンとばいきんまんの攻防を繰り返し見てきたチビはそういう風に認識しません。
ばいきんまんは、存在自体がばいきんだから、何をやっても悪いし許されないし、他の存在とは一線を画す汚い存在なのです。
ちゃんとお風呂にも入らせているし、歯も磨くよう教えているし、毎日清潔な服を着せていて、とても優しい子なのに、学校で「汚い」と虐められている子供がいて戸惑っている親御さん、この記事をご覧の人の中にいませんか?
アンパンマンは、表向き「歯を磨こう、手を洗おう!好き嫌いしないでなんでも食べよう!」と教えているように見せかけて、実際には「汚いやつには「汚い、悪い」のレッテルを貼れ。存在自体がばいきんだから、何をやってもきれいにならない。ばいきんまんみたいな待遇をし続けろ」と、チビ達に命じているのです。
原作者はもちろん、文部科学省もアニメ制作に携わった人たちも、子供たちにそんな悪影響を与えているとは思いもしないでしょうけどね。