プリン好きの高貴なお方で?
まろのことでおじゃるか
拙者はハイエースなら知ってるでござる
朝起きてから眠りにつく瞬間まで、わたしの心の中にずっとその子がいるような感覚を常に持っていた。
推しは自制心とプライドが高い子だったから、へなへなしそうになったときは「推しに恥じないように生きなきゃ、好きでいる資格なんてない」と思うことでまっすぐに立っていられた。
推しのためならいくらでも強くなれた。実際、わたしは強かった。
推しの話をさせてもらうと、ほんとうは弱さを抱えているのにそれを誰にも見せず、誰にも負けないようにずっとずっと小さな努力を人知れずできるような、真面目で地道な子だった。むりやり背筋を伸ばしているのが分かりやすくて、でもそういう必死さがかわいかった。
しかし人は変わるもので、今のその子は人気も出て実力もついて自信がみなぎっていて、まるで虹色に輝くマリオみたいに無敵モードをかもし出している。
ライバルがいても、推しの勝ちが確定してるような雰囲気で、ドキドキハラハラも何もない。というか、正ライバルがいなかった。
わたしが好きだったのは、弱いあの子だったんだと気づいたのは、ステージの真ん中で仲間に囲まれてるあの子を見ても嬉しくなかったときだった。
べつに、世界一輝いてほしくなかった。
無敵になんてなってほしくなかった。
きっと、その子の人格に変化はなくて、いま無敵に見えるようでもちゃんと努力を続けているのだと思う。そういう子だったから。
でも、昔はもっと、もっと一生懸命だったんだ。必死なのが伝わってきて、振り落とされないように世界にしがみついて、頑張ってるあの子が好きだった。
生きるのが下手そうで、それでも社会の中で生きていこうとする姿が、わたしの希望だった。だから、わたしも、って思えてた。
あの子が気負いなく笑えるようになったのが嬉しいのに、どうしてわたしを置いていったのと詰りたい気持ちが捨てられないので(お門違いの感情だとは分かっている)、今のあの子を好きでいるのをやめたいと思った。
自分以外の人間がきらいで、仲間にも心を許したりしなくて、でもご飯を食べる時はいつも幸せそうで、ステージの上ではいつだってわたしに向かってぴかぴか光ってた。そんなあの子だから好きだった。
今は、周りの人をちゃんと信頼して好きそうで、一緒に写真撮れるようになって、メンバーとアイコンタクトができるようになった。よかった。ちゃんと居場所ができてよかった。
成長した推しに比べて、4年前と何も変われなかった自分が恥ずかしいだけなので、推しは何も悪くない。
ワイはジャンクフードは食べるけど同じのばかりは食べないでおじゃる
ワイにはイマジナリーワイフがおるやで
去年末に体重が69kgになってて、こりゃやばいと思ってダイエットを始めた。
あと、フィットネスバイクと腹筋ローラー買ってそれなりの負荷で毎日運動…というのをやっていたら5月時点で62kgまで落ちた。
それはとても目出度いんだけど、このダイエットのやめどきがわからない。
もともと太りやすい体質で、太っては痩せるというのを繰り返してきたし(最高は90kgまでいった)
アラフォーにさしかかって基礎代謝が減っているせいか、年々痩せにくくなっているので、今後どかっと太りたくはない。
ダイエットを続けているせいか、ごくまれにある飲み会でやや飲み過ぎてもリバウンドするということはないんだけど、
普通に外食をしたり、白米+主菜+副菜+汁物×3食の生活していると、あっという間にアラフォーの基礎代謝をオーバーするので、
なかなか食生活を元に戻すことができない。
とはいっても、毎食ダイエット食だと味気ないし、どこで消費カロリーと食生活のバランスをとっていいのかわからない。
この生活を10年ぐらい続けたら残り10年は食べても太らない体質になるのかね?
あるいは、徐々に食事量を増やして、体重の推移が変わらない均衡点を見つけるべきなのかね?
体重への反映が、食事を増やしてから10日後とかにくるから、結構へたするとリバウンドしそうで怖い…
普通に三食食べて、揚げ物とかの外食もして、体型維持している人をみるとすごいないと思う。
それとも自炊をきっちりやるとカロリーコントロールできるのかねー
謎だ
■ 明治天皇編
明治天皇が顔を手で擦っていた。
明治天皇答えて曰わく
「目、いじってんの」(め、いじってんのう)
■ 大正天皇編
大正天皇が何かを担いで立っていた。
大正天皇答えて曰わく
「鯛、背負ってんの」(たい、しょってんのう)
■ 昭和天皇編
昭和天皇答えて曰わく
「ショー、終わってんの」(しょう、ぉわってんのう)
「へー、競ってんの」(へー、せってんのう)
後は頼む。
おーなるほど
よく見たら姪を殴ってなくてワロタ
怒らないで答えてほしい、「ベビーカーって女性専用車両乗れないの?」
朝の通勤ラッシュ時に女性専用車両に目をくれず超満員の前方車両にベビーカー突っ込んでいる女性をたまに見かける。
男性でベビーカー押してる人も何故か超満員の前方車両に乗る、中には満員の中方車両で妥協して乗ってる人も男女共にいる。
でも何で女性専用車両には乗らないの?なんで?超絶満員で舌打ちされたり嫌な思いするなら女性専用車両乗ればいいじゃん?
女性専用車両は「女性専用」ではなく子連れや体に障害を持つ人やお年寄りであれば男女関係なく乗り込んでOKなんだよ?
私は一時期、小さなギャラリー兼レンタルボックスによく行っていたのだが、そこでボックスを借りて作品を売ったり、作品展をやったりしている人たちが不思議で仕方なかった。その作品は、手作りアクセサリーだったり、写真だったり、手芸作品だったり、アートなのか何なのかよく分からない物体だったりした。ちょっと不便で入りにくいところにある小さなギャラリーで、その代わりギャラリー代がかなり安くて無審査だった。自分もお付き合いでギャラリーのグループ展に参加したことはあるけれど、あくまでもワン・オブ・ゼムに過ぎず、自己満足でやっているという感じしかしなかった。
これはご本人達に聞くよりオーナーに聞いた方が早いのかも知れないけど、「お金のためにやってる」と言い切れるほど儲かる場所には見えなかった。一部の人の作品のクオリティはかなり高かったけれど、それならばもっと立地のいいところで、宣伝になるようにやらないと意味がない。あくまでも作るのが楽しいからやっているというなら止めないけど、これだけで生きていこうとするとかなり厳しいとお見受けした。それでも手作りアクセサリーなどで人気のある人は、他のレンタルボックスにも作品を出したり、デザインフェスタみたいな大規模イベントで作品を売ったりしていた。ちょっとしたお小遣い程度にはなるのだろうか?
そして質問その2「作品を作り続けるモチベーションはどうやって維持してますか?」
これ。本当に不思議でしょうがないのだ。私が行っていたところ以外でも、結構あちこちのギャラリーで分かる人にしか分からない作品をせっせと展示している人たちがいて、それなりに格の高いギャラリーではギャラリー代も相当かかるし、沢山の作品を事前に提出してギャラリーの審査に通らないとそもそも展示できない。だいたいどの作品にも値段がついていて、買いたい人は買えるようになっているのだが、わざわざ買って帰って家に飾りたいと思えるものはそうそうない。もっとも私は著名な画家や写真家の作品(複製を含む)であっても、同じものをずっと飾り続ける趣味がないのであまり参考にならないかも知れないけど。どっちかといえばカレンダーみたいに一ヶ月ごとに違う絵が見られるものの方が好きなのだ。
それにしても、私は子ども時代、手作りが大好きだった。折り紙とビーズ細工にはかなり熱中した。子ども時代…といっても高校生になっても続けていたし、当時はわりと高度(?)な作品も作っていた。折り紙だと連鶴(一枚の紙に切り目を入れて、何羽もつながった鶴を折る)やユニット折り紙(沢山のパーツを折って組み立て、さまざまな立体を作る)をやっていたし、ビーズではビーズフラワーなるものを作っていて、ビーズで花びらなどを作って花の形に整え、茎に刺繍糸を巻き付けてまとめて仕上げたものをコサージュにしたり、小さな花束にして人さまにプレゼントしたりしていた。
が、正直作る作業が楽しくてやっていただけで、作り終わった作品はどうでも良かった。人さまにあげたり売ったりするほどの出来でないものも多かったし、折り紙はかさばるわりにつぶれやすいので、運搬や保管が難しかった。でも今ならば、手作り作品をブログで発表したり、ハンドメイド作品販売サイトで売りに出したりすることができる。そんなにお金に執着しなければ値段を安く設定すれば良い。だが、自分のモチベーションがすっかり下がってしまい、地道に作品作りに励むことができなくなってしまった。老眼になって細かい手元の作業が苦痛になったとはいえ、だいたい定時に帰れる職場にいて、時間の余裕はあるはずなのに、何も作れない自分が情けない。ちなみにいまだに折り紙やキレイな柄の包装紙などには目がなくてついつい購入してしまい、材料だけが増えていく状況である。誰か私のやる気スイッチのありかを見つけてくれないだろうか。