はてなキーワード: カラスミとは
フードコートやファミレス、マックをありえないと目の敵にする女vsそんな女と付き合って自らATMになるなんてまっぴらだという男、の争いをよくネットで見かける。
しかし、「高級レストランに行きたい病」になるのは、多くの女性が人生の一時期通る道、社二病の一種ではないだろうか。
私自身、そういう時期があった。
生まれ育った実家は田舎だったので、家の食事は鮭の塩焼き、納豆、お浸し、漬物、など純和食が中心で、洋食の時もハンバーグやトンカツ、カレーなど、オーソドックスなものばかりだ。外食する時もうどん屋、天丼屋などで、たまに寿司屋やうなぎ屋に連れて行ってもらうのが最高の贅沢。フランス料理なんて食べたことがなかった。
大学に進学する時に、地方都市で一人暮らしを始めたけれど、少ない仕送りでやりくりしなきゃいけないわけで、一人で食べる外食はマックか学食だったし、友達と飲みに行く時はチェーン店系居酒屋だった。
テレビドラマで見る、高級レストランでシャンパンで乾杯してるシーンなんて、ファンタジーの世界だった。
最初の新人歓迎会で、いきなり飲んだこともないシャンパンを注がれ、キャビアだのフォアグラだの名前は知ってるけど食べたことのない食事が運ばれてきた。
先輩に誘われてランチに行くと、ジビエ(なにそれ)のラグーだの、何かの魚卵をふりかけたパスタ(あとでカラスミだと知った)だのが出てきた。
テレビで見た「高級レストランでシャンパンで乾杯」はファンタジーではなく現実だったのだ!
そして、食材も調理方法もワインも、まったく分からない無知な自分を恥じた。
なんとかして食の常識を身につけなくては。先輩の知識に追いつかなくては。このままでは私は貧乏舌の田舎者だとみんなに軽蔑されてしまう、と思った。
というわけで、外食する機会があるたびに、なるべく食べたことのないものを食べては、忘れないように感想をブログに記録するようになった。
マックやチェーン店に行きたがる友人をバカにするようになった。というか、本当はその友人をバカにしていたのではなく、「昔の無知な自分自身」をバカにしていたわけだけど。
とにかく、高級レストランで食事するのが世の中の常識、そんな店に行ったことのなかった今までの自分は恥ずかしい存在、と思いこんでいた。
学生時代の彼氏にはフラれた。そりゃ、デートのたびにシャンパンを頼みたがる彼女なんて負担だよね。
でも、私の食への固執は一時期の熱病みたいなもので、2、3年で落ち着いた。
どうしても食べてみたかったものを一通り食べて、知識欲が満たされたからってのもある。
ミシュラン三ツ星に選ばれるようなレストランも和洋中合わせて10軒くらい行ったし(ほとんどランチだけどw)、とりあえず「無知で恥ずかしい」レベルは脱したと思ったので、気が済んだのだ。
というわけで、その後に出来た彼氏とは、普通にマックやラーメン屋でデートしてた。さすがに年に一度の誕生日くらいはフレンチに連れて行ってもらったけど。
今ではその彼氏と結婚して、週末は2歳と4歳の子を連れてフードコートで食事するのが定番になっている。
だから、高級レストランに行きたがる女性=わがままで贅沢で身の程知らず、と断定して否定するのはやめて欲しい。
身の程知らずなのではなく、無知な自分を恥じているからこそ、その無知を克服するために行きたがるのだ。
・江戸時代までは完全に下魚扱い。ヅケが発明されてようやく少し見直される
・美味いもの扱いされるのは70年代から。それまではマグロ輸出額>輸入額ってくらい大事にしてなかった
・地中海沿岸では昔からメジャーな食べ物。旧石器時代の洞窟からマグロの骨でできた釣り針が発見されている
・日本人は捨ててしまう卵巣もカラスミにして食べるほどマグロ食文化が発達
・ちなみに戦前の日本ではツナ缶は100%輸出製品。国内で食べられるようになるのは戦後になってから
世界各国
・70年代から世界各国でマグロ消費量が増加するが、増えた分はほぼすべてツナ缶。刺身や寿司などの日本食ブームは誤差程度。ツナ缶だからむしろアメリカ食ブーム
卒業旅行と称してはじめて台湾に行ったとき、色々と現地の土産屋を連れ回された。激安ツアーだったので仕方がない。必ずかわいい店員がいて訛り一つない日本語で特産品を勧めてくる。ぼくはまだ学生だったからお金がないと繰り返すのだが、その女店員はニタニタしながら「わたし日本語よく分かりません」などとミエミエのうそを繰り返し、結局は6000円もするカラスミを買わされた。その時まだ北京語なんて声調だって滅茶苦茶な「ニーハオ」と完璧だけど使う場所がない「ウォーアイニー」ぐらいしか知らなかったからだまされたのだ。喜んだのはそれをつまみに呑んだ父だけだった。
もうだまされたくない、それがぼくを中国語へ掻き立てる主たる動機だ。別に中国のかわいいお姉さんと結婚したり、一緒に住んだり、デートを楽しみたいとか、銀座四丁目交差点で熱いキスをしてみたいなんて考えは微塵もないのだ。
それで中国語教室に通いはじめたのだが、そこではじめて受け付けてくれた先生がぼくよりひとまわりも若いお姉さんだった。笑顔のかわいいアンパンマンのような気品があった。一通り現在の中国語能力についての簡単な口試をするといきなり、
「XXXXXXX(ぼくの名字の北京語読み)」
と呟きだした。自分の名字ぐらい中国語で言えたからすぐ分かったのだが、何が驚いたっていきなり"呼びつけ"だったのだ。全く、若い女性から毎回名字を呼びつけにされるスパルタ授業がスタートした。
「ニーチーグオチョングオマ?(あなたは中国へ行ったことがありますか)」
いきなり彼女はそんな質問を投げかけてくる。それぐらいもう先生は知っているはずだ。何を今さら・・・
「ウォープーチーグオチョングオ。(わたしは中国には行きません)」
そう答えるとはじめて会ったときの営業スマイルはなく、まるで浮気発覚後の旦那に哀れみをかけるような見下し視線で、
「行ったことがないときの否定は"メイチーグオ"でしょう?あなたは過去形まだダメですね!」
なんて言い放つのだ。それでも検定に合格したらいいものをあげるなんていうから頑張った。合格した。先生は近くにあるミスタードーナッツでいくつかドーナッツを買ってきてくれた。
「礼物(プレゼントですよ??)」
そのドーナッツの味をぼくは胸を躍らせながら食べた、いや違うっ!ぼくの目的はそんなもんじゃなかったはずだ!
因みに彼女は女性に対しての形容詞は「漂亮(きれい)」と「可??(かわいい)」しか教えない。クラスメートが「XXXXXは独身だから恋人にするといいよ」と言ったら真面目な顔して「もう遅いです!」と答えやがった!!
ところで、1週間90分の授業だけで中国語をマスターできるほど語学の世界は甘くはない。そこでチャイナパブをインターネットで検索して通い始めた。
破産した。
それなのにそこのママは毎日ぼくに電話をかけてくる。「全然来てくれないだから」いや一昨日行った、「XXXXXXが来るときは若い娘用意するから」驚くなかれ、ここには若い娘が一人しかいないのだ!
そう、その娘に送られて店の外に出たとき、コートやらジャンパーを着た夜の街特有の異国の女たちがいたのだ。
前置きが長かった。
その女たちというのがいわゆる場末の飲み屋街に必ずウロウロしている「マッサージいかがですか??」女たちだ。試しに"マッサージいかがですか"でググってみればいい。もちろんぼくはセックスライターでもなんでもないし、ぼくの目的というのはいつだって純粋なモノなんだから、彼女たちが何をしているかなんて説明なんかしない。大体分かっているのは基本的に彼女たちが日本語に不自由なことだ。こんな格好な語学練習相手はいない!
ここまできて、ぼくのことを中国人差別だとか女性差別だとかレイシストなんて後ろ指を指す偽善者たちが現れそうだが、何のことはない、彼女たちがまず日本人を蔑視していることは特筆に値する。普通中国で彼女たちはこんなことをしないはずだし、鼻の下のばした日本人オヤジの緩い財布を狙って日々活動しているに過ぎない、中国語の練習台にしたって何も悪いことはない。
ところで彼女たちを振り切る方法というのは一つ。「妻がいます」か「ガールフレンドがいます」で大体あきらめる。それでも追いかけてくると思うところが日本人が日本人たる所以だ。間違っても「不要(プーヤオ)」などと数少ない中国語語彙を使ってはいけない。
そうぼくは「不要(プーヤオ)」と言ったのだ。
「マッサージいかがですか??」
「不要(プーヤオ)」そう言って早足で通り過ぎようとすると後ろからダッシュして頭からタックルしてきたのだ。それからドドドドドっとぼくの前にでるなり上目遣いで、
「オニイチャン、チュウゴクゴウマイジャナイノー」
と抱きついてきた。それから隣で手さえ組んできて「サイゴマデデキマス」なんて意味の分からないことを言ってくるのだ。それにしても中国語を話さない。期待はずれの女だ。ジャンパーで丸々となっているから人なつっこい猫を思わせる。
「行くとどんなイイコトがあるんですか?」
「ハア?キマッテルジャナイデスカー、サイゴマデ、イチバンイイコトデショウ?」
そうか「サイゴマデ」というのはそんなにイイコトなのか!それにしてもこんな日本語を仕込んだのはどこの誰だ?
さすがにこんなアホなことを続けていると生来の鬱体質がさらに悪化するので、最近はiPodのリスニング練習だけで我慢して、夜は錦糸町のサウナに通うことにしている。
そのサウナの帰り、またいたのだ、「マッサージいかがですか??」女が。ぼくは懲りずに「不要(プーヤオ)」と不機嫌に吐き捨てたのに、ずっとついてくる。「アサマデイイデス」、朝まで捕まえてケツの毛までむしり取るつもりだな!ぼくは一貫して冷たくあしらい、渇いた喉を潤すために自動販売機に100円玉を2枚放り込んでいた。
左を向くとまだその女がついてきていた。さっきまでの笑顔は失せ、「ピア錦糸町」の灯りをバックにぼくを見つめていた。日常に疲れたように髪を乱しながら、暗くてよく見えないながらも目は潤んでいるように見えた。ああこれがアジアなのだ。ぼくは気づかぬうちに彼女たちに対して失礼を働いていたのかもしれない。彼女の視線の先には日本という資本主義、そしてかつての帝国主義の悪魔が見えているのかもしれないのだ。そう、次の一言に全ての恨みが凝縮されているはずだった。