はてなキーワード: びゅんびゅんとは
外に行きたいのだけどまったく体が動く気配がしない。おそらく昨日からかけっぱなしにしている換気扇のせいだ。外にびゅんびゅん空気が出ていく。ドアを開けようとしてもだめだ。まず、ドアノブまで手が届かない。それくらいのすさまじい陰圧に襲われている。どうすれば体が動くのだろうか。なんども試みているのに、全然外に行く気がしない。はやく、手土産を買わないといけないのに。こういう社会的な行動はいつも心を蝕んでいる。心を苦しめるのは陰圧だ。「おそらくこれは市町村連合における、市町村ぐるみの犯行」脳裏に昨晩のニュースが流れている。いい衝立を買えば陰圧を避けることが出来る。それか、鉄の箱。通販で鉄の箱を買おう。まだ指が動くうちにやり遂げなければならない。
僕には年の離れた兄がいた。
兄は昔はすごく成績がよかったらしいのだけど、中学のときに学校内で事件を起こしたとかで不良よばわりされるようになった。中学を卒業すると学区内で一番下の高校に進学した。高校でどう過ごしているのかはわからなかったけど放課後や休みの日にはオートバイによく乗ってた。
レーサーレプリカのオートバイをハーフカウルにしてたのが僕にはすごくかっこよく見えた。僕はお願いしてときどき後ろに乗せてもらってた。僕用に用意してくれた白いヘルメット。それをかぶってオートバイの後ろにまたがる。オートバイのごつごつした見た目に似合わないビーンっていう軽い音。信号は青。二人を乗せたオートバイはまわりの自動車を追い抜いていく。風景がびゅんびゅん流れていく。首筋に感じる風がすごく気持ちよくって兄の腰をつかむ両手につい力が入る。
隣の県へ続くくねくねした峠道を越えると町を一望できる小さな駐車スペースがあった。不良っぽい見た目をした兄にはちょっと似つかわしくないのだけど、ポケットから取り出すのは一冊のブルーバックス。兄はそれを読みながらいろんな話をしてくれた。
「おまえ知ってるか?」
「何を?」
「うん。こないだ聞いたよ。重力と強い力と弱い力と、あとなんだっけ?」
「電磁気力」
「そうそれ」
「4つの力はそれぞれ役割が違うけど絶対的な共通点がある。わかるか?」
「本よんでないもん、知らないよ」
「本には書いてない」
「じゃあもっとわかんないよ」
「考えてみろ。ダメならそのうち教えてやる」
その後、兄は町を出てずっと連絡がないままだった。だいぶたってから警察から連絡が入る。兄が死んだそうだ。父も母も泣いた。僕もものすごく泣いた。遺体に対面する。兄はこんなに小さかっただろうか。葬式を終えバスに乗る。あの峠道を越えて火葬場につく。棺にバイクのキーとブルーバックスを入れて火葬に出す。二時間後、キーと骨は残り、ブルーバックスは肉と一緒に灰になった。そして僕は兄のいない弟として大人になり進学し大学を出て就職し結婚した。
幸せな結婚生活だったと思う。ただ僕は妻のことをわかってやれていなかったんだろう。テーブルに置かれた離婚届を見て思う。
「4つの力の共通点はどれも二つの物質の間で作用するってことだ。いずれかの物質が欠けたらその間に作用する力なんてものはない」
僕と兄の間にあった力。僕と妻の間にあった力。それぞれ強くまた弱く、長く短く作用しあっていた。そして一方が失われることでそこにあった力はもうなくなった。もうなくなったんだと思う。
それでもテーブルの離婚届は力が作用する相手がいたことを証明してくれているような気がした。
本棚を見る。兄の持っていたブルーバックスと同じ本がある。あれも同じだ。兄と僕の間に何かの力が作用していたことを証明してくれている。
そんな気がした。
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しまむらにあやまれ!
ウルトラライトダウンがなかった15年前から2万円でロングのダウンコート売ってたしまむらにあやまれ!
20年前買ったキルトコートと30年前のダナキャランのジャケットよりいいものをまだみつけられない私にもあやまれ!
…煽りタイトルつけたかっただけです。しまむらとかサンキとかビッグワンの2階とかで売ってる服は強烈ですなw
でもまあたまーに買えるものはあるし、靴下パンツなどは実用的でよろしいよ。
イタリア生地がびゅんびゅんとびかってたバブルのころのほうがどうかしてる。
あのころは出始めの形状記憶ワイシャツを田町駅からいく謎バーゲンで買ってたものだー
今あそこいっても買うものがないよ
5万円台のママチャリ(アルベルト)に乗ってる俺としては、そのレベルなら値段はもう一声出せるかどうかの小さな悩みでしかないと思っている(上を見れば10万20万台がゴロゴロしてるしね)
どっちかというと、ロードやクロスバイクは単なるママチャリの上位互換ではないというイメージの方がハードル高い
たとえばロードに乗ったからにはもはや歩道内の自転車通行帯をマイペースで走ることは許されず、どんなに交通量が多かろうと車道をプロテクターつけて前傾姿勢でびゅんびゅんカッ飛ばさなきゃいけないような印象がある
そのうえ前カゴがつかない?空気入れるバルブは違うの同じなの?メンテナンスの頻度も増えるの?…などと考え始めると、もうよくわからないからママチャリでいいやとなってしまう
突然エンストして減速していく中、左に車線変更しようとしたら車がびゅんびゅん走ってて割り込めなくて、
ついにそのまま停車してしまったって話じゃなかったっけ
男ふたり。
たしか青春18切符だった。
「なあ、18切符でどっかいかない?」
「え? いいけど、涼しいところがいいな。どっかある?」
夏だった。
「裏磐梯とか、考えているんだけど」
それを聞いたとたんに心が弾む。うきうきして鞄を探す。
「なあ、今からでれる?」
「当たり前じゃん」
そうやって、大宮から東北本線に飛び乗って、ふたりで車窓をぼんやり眺めながら、算段する。途中下車できるから、喜多方まで行ってラーメン食うか、一応ガイドブック買ってきた、お、用意周到じゃん。
「なんか探しておいてよ、任せるよ」
そういってぼくは車窓を流れる畑と建物を見る。送電線を見る。びゅんびゅんと遠ざかっていく東京をただ眺めていると、ふしぎと心が軽くなっていく。暗い薄曇りの街を飛び出して、陽が差す田舎がものすごい速度で流れていくのをただぼんやりと、片肘突いてペットボトルのお茶を飲んでいると陽が差してくる。
「なんかさ、都会って暗いよね」
「あ? あー、ビル多いからな。このへん何もないから」
そうか、太陽を遮るものがないからか。
がたごとびゅんびゅんそれは実に爽快だった。
それが始まりだったか、ぼくは何か暗く雲がわいてきたようなときには、いつも電車に飛び乗る。どこでもいいから場所を決めて、朝早く起きて電車に飛び乗る。それで、自分の住んでいる街から一時的に避難する。
長距離列車はいつもご機嫌で、陽の差すところを突っ走る。
まばらな建物の中を、都会の私鉄に慣れた人間には驚くほどの距離を、あっという間に走ってしまう。
それであっという間に目的地にたどり着く。
新幹線はもっとすてきだ。
宇都宮だろうが、高崎だろうが、三島だろうが、浜松だろうが、ぼくは新幹線に乗る機会があれば、それを逃さない。
改札をくぐって、重厚なホームへ行けば、そこには八戸や山形からの新幹線が滑り込む。スキー客やら、帰省客やら、馬鹿でっかい旅行かばんを抱えた飛行機組やらの間を抜けて、その広いシートに腰を下ろす。
ぐんぐんとした加速が始まり、街が遠ざかっていく。
通常ではあり得ない速度で、ビルがびゅんびゅん駆け抜けていくのを見ているだけでいい。自然に心が弾み始め、爽快な気分になっていく。時速三百キロで移動するのは実に心が弾む。
いやなことなんて、そのビルと一緒にどっかへいく。
きっとこうなんだとぼくは思う。
ぼくは長距離列車で、曇った自分の街を逃げ出し、陽の差す所へ行き、そして超高速で新しい自分の街へ帰ってくるんだって。行って帰ってくると、一皮脱皮した、別の街になっているだって。
そう書いて気付く。
やはり曇っていたのは、街じゃない、自分なんだ。