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2008-08-14

二次創作同人を叩かずDSエロゲーを叩く矛盾

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1156809.html

例の作者はたしかに痛いけど、叩いてる連中感覚で叩いてるだけでどういうルールに反してるのかよくわからん。

著作権法特許法や商標法不正競争防止法、どれも適用されるかどうか微妙なものばかり。

 正直こんなところで前科一犯つく人が減って良かったと思いますよ。

http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-880.html

とか、

 そこ通さないで売ったら本来犯罪なんだけど、逮捕されたいのかな?

 京都府警逮捕されてもしらんよ。

http://plaza.rakuten.co.jp/rohisato/

なんて得意げに言っちゃってるブログも多いけど、警察検察だって無罪もらったら大変だから、こんなのでは動けないよ。

マジコン業者のほうはwinny幇助理屈不正競争防止法でなんとかなるのかもしれんけど、DSの一次創作を取り締まるのはかなり難しい。

法律ちゃんと知らないで感覚でものをいう人間ばかり。

だったら、この人は逮捕されなきゃならんのだろうか?

http://void-main.org/dsprogram/index.php?%E4%BB%8A%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AB%E4%BD%9C%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88

そして、権利者(そもそもこの場合任天堂が権利者かは微妙)がうるさいのは喜んで叩く一方でコミケでは完全に著作権法違反する商品が多数販売されてるのにそれは叩かないのはどういう了見なのだろう。

二次創作は完全にアウト(もちろん権利者が許可してる場合は除く)なのに、一次創作を叩いて二次創作スルーという態度は解せない。

少々日本人奴隷根性が過ぎるんじゃないだろうか。

少なくとも法治国家国民としては二流以下。

法律はどうあれ事実上の体制築いちゃえばそれが正義という感覚でしかない。

単にコミケ規約違反ダミー企業だから取り消しただけ言ってるやつもいるけど、そんなのこの問題の本質じゃないよね?

企業云々なんて法人化してるプロ同人が紛れ込んでる時点でもうなんの説得力もないし、そもそもアレだけ著作権侵害してる連中に場を提供しといて、DSエロゲールール違反ですってなんというダブルスタンダードとしか。

単に闇市の元締めが、「闇米はまあいいけど、さすがに麻薬売ったら警察来るからアイツは締め出しとくか」という判断をしたのと変わりない。

http://ameblo.jp/oharan/entry-10126743584.html

いま見つけたけど、この人のいってることなんかは割と感覚的にまともかな。

でも法律的には、一次創作同人エロゲー>>権利者の許可なき二次創作という視点は欠けてるけど。

2008-07-19

長生きしたい!

100歳生きたい!!

考えてもみろよ。

1850年生まれの人が100歳まで生きたとしたら……

物心ついた頃には、黒船来航で世間は大騒動

青春時代明治維新の激動の時代。

一人立ちし始めたら、自由民権運動で自由の尊さを知り

働き盛りで、世の中がよく見えるようになってきたら、帝国憲法で国の形もできあがる。

その後、清国との戦争を経験

かつて人間50年と言われた年に、世紀の変わり目を体験

還暦を迎えて、これからは楽するかって考え始めたころに日韓併合

孫と遊ぶのが日課となったころに大正デモクラシー

そろそろ喜寿だと思ってたら、3・1運動と5・4運動で、朝鮮人中国人は何で怒ってるの?と思い

子供や孫、ひまご一同が集まって傘寿を祝ってくれたと思ったら中国満鉄破壊満州国建国へ

卒寿を迎えるころには自分より若くして戦死した子や孫がいることだろう

老体に鞭打って、滅私奉公精神で対米戦争を戦い抜き

しかし、がれきと化した日本に愕然としつつも

日本国憲法発布・施行で新しい日本誕生を予感

そして単独講和か全面講和かに世論が揺れるなか、天寿をまっとう

すげえ、波乱の人生じゃん。

1945年生まれ、2045年死亡(予定)の人でシミュレーションしてみてもすごい。廃墟闇市からweb2.0まで。

ナナロク世代の俺が2076年まで長生きできたら、どんな世界を見られるだろうか。

2007-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20071210031427

阿呆」いただきました。

ご馳走様です。

印象論はどっちもいい勝負。

戦後の混乱期に官僚がどの程度の影響力を駆使できたかを考えてみればいい。

調べればわかるけど、ぜんぜんたいしたことはできてないよ。

闇市放置したぐらい。

あ、最近で言うならバブルの崩壊による経済の停滞を長引かせたとかそういう功績はあるけどね。

エイズ問題の隠蔽とかねー。

2007-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20071016204454

もと戦後復興期の闇市。どうということもない。

何が居座り、そして廃れようとも、自分達の狭いテリトリーさえ守れればそれほど気にしない。

それに、昔から別に秋葉は全域パラダイスではなかったさ。通には縁のない、関係ない店がほとんど。碌でもない店も多い。ダークサイドも平気で軒を連ねる。

どこの街でもそうだが、ディープな部分はTOKYO WALKERや、かよって数年の半可通で絶対に知れないもの。

2007-03-14

楽天ってショッピングモールというより闇市と化してきてない?

http://anond.hatelabo.jp/20070314124651

商用ライセンスの一部を切り売りするならワレモノ以下の商売だな。

だけど、例えばどこかの会社がつぶれて、その会社が保有していた商用ライセンスを債務処理かなにかで引き受けて、それに価格をつけて譲渡するのであれば問題ないような気がしなくもない。

このショップが言ってるVolumeLicensingというのがさっぱりわからんにぇ。

MSDNライブラリー(2枚CD)For Win14,700円

( ´゜д゜`) ??

2007-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20070211181911

Wikipedia秋葉原>略史)

2006-12-17

AKIBA FUTURE -オタサイト秋葉原

はじめに

秋葉原現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェアコンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェアハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。

この記事は、秋葉原歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。

1 電脳都市秋葉原誕生

電気屋街としての秋葉原歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前秋葉原にも山際電気現在ヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生ラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。

この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野新橋渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原国鉄都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。

その後、GHQにより道路拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器テレビ冷蔵庫洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原電脳街となるのである。

2 オタク層の流入??趣都の誕生

秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタク聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。

秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌アニメグッズ、ガレージキットフィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原移転するまで吉祥寺渋谷新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャーショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。

3 社会最適化されたオタク??個のオタクから公のオタク

批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメ物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語メッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生ミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。

東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語アニメにおけるキャラクターロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」

この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティコミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクター好み、そうしたキャラクターが登場するアニメゲームガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術進化趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。

オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。

しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。

秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタク情報家電親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブパソ通などで、一部のオタクBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチ趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。

「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。

4 個の聖地秋葉原??インタラクティブ都市としての発展

秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバbloghttp://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在秋葉原オタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。

高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在秋葉原は評価されるべきだろう。

参考文献

「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹

http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm

秋葉原歴史

http://www.akiba.or.jp/history/index.html

オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思

http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php

伊藤計劃:第弐位相 - 学園祭の話

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1

秋葉原におけるメイド喫茶コスプレ喫茶歴史

http://sotokanda.net/his_cafe.html

註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。

コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博

カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介

動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ 幻冬舎 著者:森川嘉一郎

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