はてなキーワード: わたしはあいとは
お酒が好きだ。お酒についてはぜんぜん詳しくない。でも好きだっていうのは自由だよね。フォーナインのシークワーサーうまいよね。最近は氷結のアイスの実にはまってる。
お貧乏なので、宅のみしてる。
簡単なおつまみをつくる。わたしはお酒も好きなのだけれど、お酒のさかなはもっと好きだ。わたしのつくるものはあぶらのものがおおい。かんたんでまんぞくかん。
ちょっとリッチな気分のときはシーフードミックスと適当な歯ごたえのある緑色の野菜をつっこんだアヒージョを作る。
最近作った中でヒットだったのは、130円で買ってきたわかさぎの天ぷらだった。わかさぎはふわふわでおいしい。
鶏皮を弱火でじーっくり一時間焼いて、パリパリにしたやつもおいしいし、下味つけて片栗粉つけてあげてもうまい。
あと鳥軟骨もよきかな。わたしはあいつを唐揚げにするために生きてきたのかもしれなかった。
野菜系だと、最近はキュウリの酢の物が良かったな。個人的にごぼうの千切りが超面倒なので手間がかかると思ってるけど、辛めに味つけしたきんぴらもよかった。ごぼうばっかりであれだけど、ごぼうを唐揚げにすると最高になる。あとね、しらすとピーマン炒めるとうまい。ニラはニラ玉とチヂミ。ニンニクはオリーブオイルでまるごとにる。あとささみと水菜をゆず胡椒とわさびとほんだしと醤油であえたやつおいしい。
あんまり気力のない日。業務スーパーから揚げナスを買ってきてめんつゆでにこんだり、玉子とめんつゆをといて卵焼きにしたり、めんつゆにゆでたまごをつけて煮玉子にしたり、長いも千切りにしてめんつゆかけてたり。そんなわけでめんつゆはすごい。めんつゆはありがたいやつだ。
きゅうりを切ってマヨと味噌をといたやつつけて食べたりもする。キャベツに塩と塩昆布とごま油ぶっかけたやつ食べたり。キャベツのやつはね、シンプルな味付けがいいの。醤油とか足してもうまいんだろうけど、このままがいい。無限にほそぎりのポテトフライを揚げて、ニンニクパウダーを振りかけたり、バジルを振ったり、ガラスープのもとをふりかけたりして食べる。うまい。
野菜じゃないけど、豆腐に適当なもののっけて食べたり。かまぼこ焼いてたり。
超気力のないひは無限に塩辛とか茶豆を食べてる日もあるし、スナック食べてる日もある。近所にサッポロドラッグストアという何だか価格帯の安めのドラッグストアがあって、そこではたまにCalbeeのノリしおが63円で売ってる。のりしおがすきだ。コンビニだとさ、あれファミマのボンジリのタレが好きだよ。おいしいよね。あとLAWSONのゲンコツメンチうまい。
とにかくおいしい。おいしいものを食べると良かったとおもう。ひかくてきなんでもおいしいと感じられる舌でよかった。
あっおとしどころがわからないな。
でも、お腹が減ってきたな。
今日は何を呑んで作って、食べようかな。
あいつはあの夜居酒屋3階座敷で二人っきりになったとき窓をあけて、
夜空をぼーっと眺めるのも悪くないなんて言ってた。
会話は嫌いじゃないけど得意でもないと。
人と会うのも得意じゃないと。
お前くらい放っといてもベラベラしゃべってくれる奴でないとダメだと。
言ってた。特別だと。
でもその口で、わたしのことは本当にいい友達だと思ってるから、一緒になる将来なんて考えられないといった。
そして、とても苦労して頑張って努力して、気難しいあいつから特別にしてもらった。
なんとなく、うまくいってるように思ってた。
しかし、あの夜になって、ようやくあいつにとってわたしは都合がいいだけの存在だと気付いた。
あいつは気難しいんじゃなくただのめんどくさがりやのビビリだ。そして、わたしといるのは単に居心地がいいだけ。わたしはあいつに惚れててベタ甘やかしで悪いことや厳しいことを少しも言わないからね。特別な存在でもなんでもない。
理解者であったり、癒しであったり、尊敬であったり、自分をうつす鏡であったり、比護欲だったり、わたしは特別な存在に対してそういうものを求めたり、そういうものを感じさせてくれる相手を特別だと思ったりする。
あいつは、わたしが特別だというけど、わたしがいないとダメということではない。
3年間一緒に過ごして、いろんなことを語り合って、何度も抱き合ったのに、「それじゃ、これも今日でおしまいね」って言ったら別にそれでいいよって言うんだと思う。
あればつかうけどなければないでいい。そういうモノなんだと、今更知った。
「いい友達だと思ってる」なんて。
いいって何の話?友達にサカってんじゃねーよ。
他人からの奥ゆかしい好意につけこんで身体を貪ったことくらいわたしだってあるが、そういう子には深入りしないさせないが鉄則でしょう。
やられた。23から25の一番いい時間を全部あいつに使ってしまった。
あいつにとっては、とうが立つまえにこっちから勝手に消えてくれて処分清算もラクでよかったって感じなのかな。そこまでひどくないと思いたいけど。
身から出た錆か。
ろくな死に方しないっ言い回しあるけど、ろくな振られ方しねーぞっていうのが今のわたしにピッタリってわけか・・・
でもまだ好きなんだよなあ。
また一緒にMtGしたいなあ。
言葉には、一種の“贈り物”みたい効果があって、言葉を交換しあうことが人間同士に信頼や親しみを生む。というより、黙っていると発生しがちな、不信の発生確率を減らしてくれる、と言うべきかもしれない。
こういうことを言うひとが少なからずいることが信じられない。
これ裏返すと「わたしはあいさつしないひとを信頼しません」って言ってるのと同じだからね。
あいさつとか言葉遣いとか服装で他人に対する対応を変えないことこそが理知的な態度だと思うけど、あいさつの有無で信頼がかわる自分を省みないのだろうか?
「そうは言っても、あいさつしないと嫌がるひとがいる」というのはエスカレーターの片側空けみたいなもので、全員がいっせいに止めないと流れは変わらないし、周りが止めないなら自分から止めて模範を示すしかない。だからあいさつはしないし、エスカレーターでは空いてるレーンで立ち止まる。それが出来ないのは、各々のこころの弱さだからね。「あいさつは信頼を生む」ってのは「エスカレーターの片側空けは混雑がへる」って言って、正当化してるのとなんら変わらないとどうして気づかないのだろう。