言葉には、一種の“贈り物”みたい効果があって、言葉を交換しあうことが人間同士に信頼や親しみを生む。というより、黙っていると発生しがちな、不信の発生確率を減らしてくれる、と言うべきかもしれない。
こういうことを言うひとが少なからずいることが信じられない。
これ裏返すと「わたしはあいさつしないひとを信頼しません」って言ってるのと同じだからね。
あいさつとか言葉遣いとか服装で他人に対する対応を変えないことこそが理知的な態度だと思うけど、あいさつの有無で信頼がかわる自分を省みないのだろうか?
「そうは言っても、あいさつしないと嫌がるひとがいる」というのはエスカレーターの片側空けみたいなもので、全員がいっせいに止めないと流れは変わらないし、周りが止めないなら自分から止めて模範を示すしかない。だからあいさつはしないし、エスカレーターでは空いてるレーンで立ち止まる。それが出来ないのは、各々のこころの弱さだからね。「あいさつは信頼を生む」ってのは「エスカレーターの片側空けは混雑がへる」って言って、正当化してるのとなんら変わらないとどうして気づかないのだろう。