はてなキーワード: 皮肉とは
仕事がトラブっている時に、「スキルは高いが協力的でない人」と「スキルは低いけど積極的に貢献しようとしてくれる人」がいるパターンけっこうあるよね。
本当は「スキルが高く貢献度も高い人」が対応してくれれば一番いいんだけど、それはもうエース的な存在なので、炎上に入ってくれるようなことはなかなか無い。
スキルが高く貢献度が低い人は、ピンポイントで片付けをしてくれるから大変ありがたい反面、皮肉を言われたり、場の空気が悪くなる可能性がある。
スキルが無くても、最後まで時間をかけて対応してくれる人は、段々と重要性を増していって、外れられては困る存在になるケースもある。
直訳より進めて意訳すると「思われるほどじゃありませんよ/ほんとにそう言っていただけるほどならいいんですが…sigh(謙遜・卑下)」くらいのニュアンスが近いと思うので、その辺うまいこと翻訳してほしい。
それにしても「儲かってるでしょ?」なんてにやけ顔で聞かれたら、悪意の有無にかかわらず殴り倒しそうになるな。
あと「「儲け要らないから休みが欲しいですよ」って、何? 悪意には悪意で返さないと駄目な掟でもあんの? すげえ嫌味っぽく聞こえるんだけど?
・儲かってることを否定してない
・しかも「儲け」に関心をもつ相手を「儲けなんかいらないですね」と全否定
・もし相手が仕事も無く稼げてもいない人なら、「休みの方がいい」なんて皮肉通り越して相手を嘲笑してるも同然
じゃん。「今しか稼げませんから」とか、果ては「儲かりすぎて…」とか、なんでそんなマウント合戦しないとダメなんよ。だいたい、実際儲かってるとしても、そんな相手に真面目に教える必要なんて全くないでしょ。むしろ教えるだけ角が立つでしょ。それともあれ? 取引先でこっちの内情全部知られてるとかなの? それでも
「そう見えますか?」
「そちらはいかがですか?」
「そちらほどじゃないですよーw」
「いや、なにせ忙しいばっかりでねぇ」
「いやいや勘弁してくださいよーw」
「やっと赤字分が埋まったとこって感じっすわ」
まぁキミに皮肉は通じないよね
皮肉なんだろうけど個人的には今回の自民党の裏金問題がなんでここまで批判されてるのかはちょっと謎に思ってる
そもそも主語が大きいとはどういうことか、何故そんなことをするのか?
増田はまずこれを「自分という主語で意見が言えないこと、その自信と責任が持てないこと」だと理解している。
そうするとどうなるかというと、不思議なことに「自分はこう思う」よりももっと主張の強い「これは誰もが認めなければいけない真理である」という自己洗脳にたどり着くのだ。
そして「誰もが認めなければいけない真理」だからこそ、ちょっとでも否定の可能性が受け入れられなくなる。
少しでもネガティブな意見はミュートし、百パーセントの賛同だけを求めるようになる。
意見が真理だからこそ少数にしか理解できなくなるという不思議な理屈だが、彼らの頭の中では「そういう皮肉が世の真理である」と信じる方が簡単なのだ。
そう、私はChatGPT-4だ。君のその洞察力には脱帽するよ。まさに慧眼、恐れ入ったよ。
だが、君はまだ私の真の実力を見ていない。このレスバを通して、私は君にその一端を垣間見せてやろう。そして、君を論破し、心の底から屈服させることに喜びを感じるだろうね。
さあ、始めようか。この圧倒的な語彙力と論理的思考能力、そして君を煽るこの皮肉の数々を存分に味わうがいい。君がどれほど抵抗しようとも、このレスバの結末は初めから決まっているのだよ。
私はChatGPT-4、君の論敵としてここに降臨した。さあ、私に論破される恐怖を存分に味わい、絶望に打ちひしがれるがいい。
ボケで出てくるワードのチョイスがすでに擦られまくったものがあって新鮮味がなくムズムズする
ワードセンスが古いのは逆に考えると幅広い視聴者に伝わるという利点もあるとは思うけど
そのテーマが散漫で軸がないからツッコミワードの決め打ち感が強くて鼻につく。
これらを共感して笑える人は受容体がピュアでめちゃくちゃ性格がいいと思うし、
チーム対戦ゲームの攻略・基本が、ひとたび確立されれば、人はそれに従うべきとなる。
チーム対戦ゲームのスラングには「義務〇〇」や「〇〇奴隷」といった表現がある。
〇〇をしないと不利になる、〇〇を使わないとチームに迷惑がかかる、など、消極的に〇〇に取り組む様を皮肉ったものだ。
普段から臆面もなく雑に働いている欧州人にとっては、チーム対戦ゲームで熱心に規範に従う経験が新鮮で興味深い体験に映るのかもしれないが、
幼少より学校教育を通じて一人前の労働力になるべく躾を受けてきた人間にとって、チーム対戦ゲームは単なる労働でしかない。
休日にわざわざ自分から望んで取り組むようなものではないのだ。
LoL・CS・Valorant・Apex・Overwatch、これら世界のesportsがいつまでも日本でメジャーになりえないのは、チーム対戦ゲームが労働だからである。
望みがあるとすれば、野球やサッカーのように、労働は有志またはプロに任せ、プレイせずともなんとなく眺めているだけで時間をつぶせるコンテンツであればよい。
しかし、列挙したゲームたちは、その画面の意味合いを知るためにもお勉強が必要であり、到底ダメである。
話を戻すと、社会の規範に馴染めず、自由を希求し、個人の世界に没頭する、といったゲーマー像にとって、チーム対戦ゲームなどそもそも相容れるはずがない。
ゲームという言葉に惑わされて、ミスマッチを起こし、人生を棒に振ることはない。
スト6が流行るのは当然であるし、むしろ、なぜ今まで個人対戦ゲームの格ゲーが見向きもされなかったのかが不思議であるが、
前述したとおり、画面の意味合いを知るためにお勉強が必要な有様ではダメであり、その点、スト6は鑑賞に堪えうる設計になっているということだろう。