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2023-08-30

anond:20230830145037

アルプス山脈って知らん?

 

アルプススタンド名付け親

すっかり高校野球応援としておなじみのアルプススタンド

実は、その名付け親は、画家岡本太郎

当時18歳の太郎は、父と2人で甲子園へ。

アルプススタンドに陣取る白い服を着た観客を見て、

「まるでアルプスのようだ」とつぶやいた。

当時、朝日新聞甲子園一コマ漫画観戦記を連載していた父の岡本一平は、その言葉引用し、

「そのスタンドは、また素敵に高く見える。アルプススタンドだ、上の方には万年雪がありそうだ」

掲載

2021-08-09

世界大戦争芸術

世界大戦争芸術

1.アウステルリッツの戦い

 西暦1805年冬、ナポレオン率いるフランス大陸軍六万と、ロシアオーストリア連合軍八万がウィーン近郊のアウステルリッツプラッツェン高地西方で激突した。

 フランス軍は当時のロシア軍に対し数的劣勢であったことに加え、アウステルリッツにおいて最重要拠点であるプラッツェン高地ロシア軍に占拠されていたため(一時はフランス軍によって占拠されていたものの、明け渡された)、当時フランス軍にとって有利な状況は何一つ存在していなかった。その上、アウステルリッツ南北双方からは敵増援が到着しつつあり、これら増援ロシア軍が合流を果たせばフランス軍には万に一つの勝ち目も無かった。

 このことからナポレオンは開戦直前に停戦交渉を行う。

 しか連合軍は数的優勢、土壇場になって停戦交渉に打って出たナポレオン弱腰さらには戦場における最重要拠点であるプラッツェン高地を手中に収めていることを鑑み、勝機ありと見た末に停戦交渉を撥ね退け、フランス軍との大規模会戦に打って出たのである。それらが全てナポレオンの張り巡らせた罠であるとも知らずに。


 1805年12月2日、戦端はロシア軍の先制攻撃によって開かれる。プラッツェン高地南方にて、フランス右翼の守るテルニッツ村が攻撃を受けた。

 当時の布陣図によれば、フランス右翼は極めて脆弱であり、ロシア軍はそこを弱点と見做し自軍左翼のブクスホーデン軍を急行させたのである南北に伸びたプラッツェン高地から出撃したブクスホーデン軍によって、フランス右翼陣地はあわや撃滅されようとしていた。右翼が壊滅すれば突破したロシア軍はフランス軍後方へと迂回し、中央フランス主力部隊挟撃することができる。そうなればフランス軍は終わりである

 しかし、まさにその瞬間に――ブクスホーデン軍がプラッツェン高地から、地上のフランス右翼へと殺到し始めた瞬間に――ナポレオン勝利確信したのである


「もしも、ロシア軍が右翼へ向かうべくプラッツェン高地を離れたなら、彼らは確実に敗北するだろう」  - ナポレオン

 フランス右翼は囮であった。ナポレオンの狙いは、ロシア左翼フランス右翼攻撃するために進撃を開始した瞬間に、手薄になった中央プラッツェン高地を集中攻撃することにあった。

 これによって、重要拠点であるプラッツェン高地ロシアから奪回し、戦場の主導権を我が物にしようとしたのであるさらに、アウステルリッツ会戦当日にはプラッツェン高地周囲の森には深い霧が立ち込めており、この霧の存在ナポレオン企図を助けることとなった。

 ロシア左翼プラッツェン高地から出撃して間もなく、スルト元帥麾下の第四軍団14000がプラッツェン高地中央部を急襲し、霧の中突如として現れたフランス軍を前に、ロシア中央は総崩れとなる。また、脆弱だった筈のフランス右翼も、ダヴ―元帥麾下7000の部隊が後方都市から到着したことで、数的劣勢を克服し、戦況を盛り返しつつあった。

(開戦前日にダヴ―麾下7000の部隊は密かに戦場へと到達すると、言わば伏兵として右翼後方に待機していた)

 やがて激烈なフランス軍主力の攻撃により、ロシア中央は壊走を始め、プラッツェン高地フランス軍により奪回された。同時に、フランス右翼攻撃のためにプラッツェン高地から地上へと降り立っていたロシア左翼は、敵陣の中孤立することとなり、戦局はここに決したのであった。


 ロシア軍は戦端を開こうとせず、増援の到着を待ち戦力を増強しさえすれば、少なくともフランス軍との直接対決において敗北を喫することは無かったであろう。

 しかし、ナポレオンはその裏を掻いたのである。彼はロシア軍が友軍と合流する前に会戦の火蓋を切って落とし、大規模な会戦に持ち込むことで、いち早く敵軍主力を撃滅することを画策したのだ。そのために、敢えて戦力劣勢を露呈し、戦場の最重要拠点を敵軍へと譲り、尚且つ弱気姿勢を見せるために仮初の停戦交渉さえして見せたのである。とどめには、勝機に逸るロシア軍の中央攻撃するために、敢えて右翼の布陣を脆弱にするという周到さであった。それら全ての罠がロシア軍の判断能力を奪い、かくしてロシア連合軍八万はアウステルリッツの地にて壊滅したのだ。

 かの有名な書物戦争論』の中で、著者であるプロイセン将校クラウゼヴィッツはこの戦いを次の言葉概括している。 「戦争芸術の粋」。


2.カンナエの戦い

 紀元前219年、遥かアフリカ北端国家カルタゴ将軍ハンニバルは、当時世界最大の強国であった共和制ローマ相手取り絶望的な戦いを挑んでいた。

 その絶望的な戦況を好転させるため、ハンニバルは自ら率いた精鋭部隊スペインからアルプス地方へと経由させることで、ローマの中枢であるイタリア半島本土に対し直接攻撃を仕掛けたのである

 最終的に、ハンニバルイタリア半島に十年間留まり、その間絶えずローマ軍に対する圧迫を続けた。その十年の戦いにおいて世界戦史上に燦然と煌めく、もっとも著名な戦いこそがカンナエの戦いである。


 ハンニバルアルプス山脈を越えイタリア北部に侵攻すると、次々と現れるローマ軍を待ち伏せや正面突破によって壊滅させ、イタリア半島南方へと進撃した。当時、快進撃を続けるハンニバルは数万の軍隊を維持するべく、イタリア半島各地で略奪を行っており、農村を中心に甚大な被害が上がっていたこからローマ軍首脳のストレスピークに達していた。更に、イタリア半島南部においてはローマ軍の補給基地存在しており、そこをハンニバルに抑えられるとローマ軍は南イタリアでの行動を制限される可能性があった。そのため、ローマ首脳陣はカルタゴ軍を撃滅するべくローマ史上最大規模の部隊を編成し、約八万の軍を執政官パウルスとウァロに指揮させた。この時、決戦の地に選ばれたのがイタリア南方カンナエである

 決戦の舞台となったカンナエは、川と丘陵地帯に挟まれた地形であり、カルタゴ軍約五万とローマ軍七万は平原ほとんど埋めるように布陣し、正面からかい合った。

 両軍は双方ともに両翼に騎兵部隊を、中央歩兵部隊を配置しており、いかにも窮屈そうな陣形であった。

 しかし、この人馬が埋め尽くす不自由戦場は、後に分かる通り、ハンニバルの用意した殺戮舞台としてはうってつけのものでさえあった。


 戦端は両翼の騎兵部隊同士の衝突によって開かれる。

 ローマカルタゴ双方の騎兵隊は、狭い地形において機動戦法を取ることができず、正面からぶつかった。

 歩兵戦力ではローマカルタゴで比べるべくもない数的差(6万強:4万)が開いていたが、騎兵の質、量においてはカルタゴ軍がローマ軍を上回っており(6500:1万)、カルタゴ軍は開戦から僅かな間に、左翼での騎兵部隊戦闘において優勢に立っていた。単純な数的有利から繰り出される圧力と、また練度の違いによりローマ騎兵は瞬く間に圧迫され、その算を乱していった。


 一方歩兵部隊における戦力差は繰り返すように圧倒的であり、歩兵同士の戦闘に限ってはカルタゴ軍がローマ軍に勝利する公算は無かった。

 そのため、ハンニバルは一計を案じた。

 ハンニバルカルタゴ歩兵陣形をお椀のように変形させ、その弧を描いた部分をローマ中央歩兵部隊と接敵するようにしたのである。これによって接敵する面積をできるだけ減らし、中央突破されるまでの時間を稼ごうとしたのだ。ハンニバル歩兵同士の戦闘をできるだけ遅滞させ、両翼の騎兵部隊が優勢に立つのを待った。

 また、ハンニバルはお椀型をしていた陣形を、戦闘が推移するに従って屈伸させ後退させた。当初の形(お椀の底の部分が接敵する形)とは逆に、ローマ軍の大半をお椀の中へと誘い込んだのであるさらに、ハンニバルは温存していた自軍左右の重装歩兵ローマ軍へと攻撃させ、ローマ歩兵挟撃される形を築こうとした。

 とは言えこの時点ではカルタゴ軍によるローマ軍への包囲は決定的ではなく、ローマ軍は歩兵戦闘において依然優勢な状況にあった。そのためローマ軍は、優勢な戦況を継続し、カルタゴ中央突破することで戦局を優位に進めようとした。


 ところがその時、歩兵部隊の両翼で戦闘を行っていたカルタゴ騎兵が、歩兵同士の戦闘に加わったのである

 戦端より優勢を維持していたカルタゴ騎兵は、ローマ騎兵を壊滅させた後に、敵歩兵部隊無防備な背後を攻撃した。左右を川と丘陵に囲まれ陣形の狭さ故に、ローマ騎兵有効回避機動を取ることができず、瞬く間にカルタゴ騎兵によって殲滅されたのであった。

 ただでさえカルタゴ軍に包囲されかかっていたローマ軍は、後方から攻撃を受けることによって決定的な混乱を迎えた。周囲を完全に包囲されたローマ軍は逃げ惑い、歩兵中央部では逃げ惑う味方の身体に押されて圧死する者も現れたという。

 この戦いによってローマ軍7万の部隊は完全に壊滅し、6万人が死傷、また、残る1万人は捕虜となった。


 地形を有効に利用し、敵軍を機能不全に陥らせ包囲殲滅する戦法は、いわばハンニバルの御家芸であった。

 機動部隊同士の戦闘を優勢に進め、敵軍を包囲殲滅するこの戦法が、以降近現代軍事教本に取り上げられ、カンナエの戦いのハンニバルに帰する栄光が不動のものとなったことはあまりにも有名であるハンニバルイタリアの地にてローマ軍を完全に破った。この戦闘によって、当初戦闘に参加していた元老院議員政治家八十名が戦死し、議員定員約300名のローマ議会における四分の一が戦死することとなる。


 続く:anond:20210809041010

2020-10-06

非モテ男など存在しない。舐める

anond:20201005091600

非モテについて語られる時、そして女のつらさについて語られる時、必ずと言っていいほど「自称非モテ男が現れて「非モテでつらいのは女だけじゃない!男だってつらい!」とか抜かし始める。

はっきり言おう、非モテ男など存在しない。

そもそもこんなこと言う奴は非モテ女の根本的な辛さがわかってねえ。いいか非モテ女のつらさは結婚できないことだ。それはつまり相手承認されないと言うつらさとイコールだ。

それに比べて自称非モテ男どもはどうだ? そりゃ、お前は相当なブサイクかもしれない。顔面アルプス山脈のようになっているかもしれない。だがな、お前が金を出せば群がる女は1人や2人かはいるのだ。

違うと思うならマッチングアプリの1つでもやって年収800万男性として登録してみるといいい。たとえ顔写真を乗っけなくたって大量にメッセージが来る。

俺は非モテ男を見下していたりするわけじゃない、むしろ羨ましいんだよ。俺が書いたように、非モテ女と非モテ男(自称)で比べてみると明らかに結婚承認までの難易度が違いすぎる思わないか

からないならこう書いてやる。世間一般にとって非モテ女はゴミ以下だ。だが非モテ男(自称はいくらでも受け入れられる。だから比較などするな。自称非モテ男どもよ、お前は俺たちのつらさなどわからない。俺たちの無力さをわからない。


(蛇足)

金のない非モテ男は以下略って反論が来るのは予想しているが、女はたとえ年収1000万でも不細工だったり35才超えてたりしたらまず相手にされないんだよ。

男性による男性差別について

anond:20201006010732

問題としているのは「セックス出来ないのが辛いならゲイに掘られれば」といった発言だ。

と「セックス出来ないのが辛いならゲイに掘られれば」を一部の女性によるゲイ差別だとしているけど、元増田(男性)の発言もこれと同じことを言ってるよな?

お前は相当なブスかもしれない。顔面アルプス山脈のようになっているかもしれない。だがな、お前が股を開けば群がる男は1人や2人かはいるのだ。

非モテ男性ゲイならセックスしてくれるのか

非モテ女性男性ならセックスしてくれるのか

ゲイにも男性にも好みがある。ゲイだってモテる男性がいる。同様に男性だってモテる女性がいる。「ゲイには純愛しか存在しない。身体目当て、挿入目的でのセックスはしない。」と主張するのは、ゲイに対する差別偏見ではないか

「好きではない相手とのセックス」の象徴

元増田も同様にマッチングアプリ利用者男性を 「好きではない相手とのセックス」の象徴に利用しているがそれは差別ではないのか?

というか、そこでゲイが引き合いに出されたのは「どんな非モテだとしても身体目当てでセックスしてくれそうな相手」としてだろ。マッチングアプリ利用者男性が引き合いに出されたの同様の理由だ。ゲイを例に用いた時だけ差別だと言うのか?

ゲイ女性ゴミ箱ではない

男性非モテ女性ゴミ箱ではない

顔面アルプス山脈のようになっているかもしれない。だがな、お前が股を開けば群がる男は1人や2人かはいるのだ。

ゲイ男性と同じ扱いをされることを「差別」だと言うのか?男性はブスのゴミ箱だが、ゲイアルプス山脈のようなブッサイクな顔面非モテ男性ゴミ箱ではないと?

当事者他人の威を借りてポリコレパワーでレイシスト認定する醜悪さたるや。

2020-10-05

追記あり非モテ女など存在しない。舐める

非モテについて語られる時、そして男のつらさについて語られる時、必ずと言っていいほど「自称非モテ女が現れて「非モテでつらいのは男だけじゃない!女だってつらい!」とか抜かし始める。

はっきり言おう、非モテ女など存在しない。

そもそもこんなこと言う奴は非モテ男の根本的な辛さがわかってねえ。いいか非モテ男のつらさはセックスができないことだ。それはつまり相手承認されないと言うつらさとイコールだ。

それに比べて自称非モテ女どもはどうだ? そりゃ、お前は相当なブスかもしれない。顔面アルプス山脈のようになっているかもしれない。だがな、お前が股を開けば群がる男は1人や2人かはいるのだ。

違うと思うならマッチングアプリの1つでもやって女性として登録してみるといいい。たとえ顔写真を乗っけなくたって大量にメッセージが来る。

俺は非モテ女を見下していたりするわけじゃない、むしろ羨ましいんだよ。俺が書いたように、非モテ男と非モテ女(自称)で比べてみると明らかにセックス承認までの難易度が違いすぎる思わないか

からないならこう書いてやる。世間一般にとって非モテ男はゴミ以下だ。だが非モテ女(自称はいくらでも受け入れられる。だから比較などするな。自称非モテ女どもよ、お前は俺たちのつらさなどわからない。俺たちの無力さをわからない。

追記

セックスだけなら風俗で済むとか言ってる奴、お前は何も分かってない。

そりゃセックスだけならそうだろう。だがそう言うことを言いたいわけじゃないと言うのがなぜ理解できないのか?

非モテだろうが女であると言う性別だけでマッチングアプリを使えば沢山の男から連絡が来るように、例えそいつらのほとんどが身体目的だったとしてもその中にはお前のことを本気で好きになってくれる奴がいるかもしれない。いないとしたって少しでも付き合っていたりしてる時点で一時的承認されているのだ。

それに対して非モテ男はどうだ?顔を乗っけるとグロ画像を載せるなとブロックされ、そもそも連絡すら来ない。これが公平で同じつらさな訳があるか。

よく精神病体験レポなどで女性作者が「それでも素敵な旦那様が支えてくれてます!」などと描いているのが揶揄されているが、あれと全く同じだ。もし非モテ男が病んだところで素敵な妻が支えてくれるわけがない。そもそも付き合えないのだから

もう一度言う。非モテ女と非モテ男は同じ土俵にない。紛争地域死ぬ若者先進国病気になって死ぬつらさ、確かにどっちもつらいだろう。だが前者の方がはるかにどうしようもないのだ。それと同じだ。

から一緒にするな。

同じにするな。

追記

俺みたいなモテなくて貧困層で、明日にでも死ぬようなおっさん馬鹿にするのはかまわない。お前たちが俺を初めから拒絶し理解を拒むことはよくわかる。

ただ、俺を罵倒するつもりでLGBTQを馬鹿にするのはやめろ。ゲイに掘られてみろとか言っているコメント、恥を知れ。

2019-11-03

北海道マラソンしたら映すところがないって言うけど

自転車レースなんか、延々と欧州の田園風景アルプス山脈を映してるぞ

たまに中世のお城が入るぐらいで

2019-09-12

anond:20190912134129

https://twitter.com/Yutler_0420/status/1171967015927500803

これかぁ。。

意見表明としては辛辣だな

2018-06-19

長野県信州ブランドの謎

東京首都圏近畿地方大都市に住んでいる人間にとって、長野県という地域は大変人である

山や川の大自然に囲まれ観光資源の宝庫として、また軽井沢原村の別荘地のある場所として注目されやす場所だ。

また近年は、大都市に住んでいる人達移住希望地の上位が長野県になっているらしい。

この20年ほど、長野県は県を上げて「信州ブランド」の発信を行っていて、県外の人間長野県への好感度は非常に高い。

それ自体は良いのかもしれないが、実際に長野県に住んでみるというのは、結構過酷場所だと思う。

本屋で売っている長野県観光ガイドや、ターミナル駅に置いてある長野県の案内本を読んでみると、大自然に囲まれ長野県と言うPRがなされていて、それ自体は間違ってはいない。

実際の長野県は、山岳や丘陵地帯ばかりで、人間の住めるような平野盆地は限りなく少ない。長野盆地松本盆地飯田盆地の3か所を除けば、ほとんどが山ばかりである

おまけに、あまり知られていないが、長野県慢性的水不足がひどい地域である長野県西側には北アルプス中央アルプス南アルプスの3000メートル級の稜線が覆っているので、長野県内陸部に流れてくる雨雲はみんなこの山岳地帯に遮られて、雨がほとんど降らない。

逆に、長野県の周辺県は全て一年を通して大量の雨が降り、水に恵まれ場所だ。アルプス山脈西側岐阜県高山地方富山県立山地方は、雨が降り過ぎて逆に洪水対策ばかりやっていることで有名だし、静岡県全域も非常に雨が降る場所長野県内が痩せ川ばかりなのに対し、大井川安倍川は暴れ川として有名だよね。

中信南信はまだマシかもしれないが、上田市坂城町のある東信地方は、日本一雨の降らないエリアとなっていることはあまり知られていないのではないか

平野が少ないうえに、残った土地も痩せているので、作物は育たない。

長野県は「そば」の名産地として有名になっているらしいけど、なぜそばを作らざるを得ない環境なのかを考えてみるのも面白いだろう。

別荘地やリゾート地として有名な白樺湖は、元々は雨が少ない諏訪地方農業溜池として造られたのだ。

軽井沢も雨が降らず、浅間山から吹き下ろしてくる強い風で全く農業が出来ない痩せた土地であり、リゾート地として開発するしか使い道が無かった場所である

大量の雨が降ってコシヒカリなどの米を作ることが出来る新潟や、雨が多く御母衣ダムなどの電源開発地帯として有名な岐阜、滝のような流れの成願寺川や黒部川を有する富山県などの周辺県と比べると、ムリゲーみたいな場所長野県である

長野県が誇る奈川ダム高瀬ダムは利水用であり、それだけでも長野県と言う場所不毛台地であるかが分かるはず。

そんな不毛の地に「信州ブランド」を作り上げた功績は凄いと思うけど、あまり鵜呑みにするべきではないよね。

 
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